十二話
「イマチくん。フリエッタ様のお母様、コンハラナ様のこと、私も気になっていたの。実は王都で襲われたときの光景を見てしまって」
「見た? ミレイスは、そんな魔法もつかえるのか?」
「いいえ。ズヤウから聞いたの。魔法を使うとごくたまに、相手の記憶を読み取れるのですって」
「へえ! いいな……っじゃない、あんまりよくないか。それで、どんな?」
「コンハラナ様が王都を訪れたところの記憶かしら。秋のころに、第二王子殿下と会ってその後第四王子殿下とすれ違って脅されて、逃げた馬車の先で途切れてしまったわ」
「ふうん。四の兄上か……おれは正式に会ったことないんだよな。やたら宮の奴らに人気だったのは覚えているぞ。一の兄上は姿が見えないし、二の兄上は素行が悪い、おれは育ちが卑しいからってさ、ちやほやされてるのを見てたんだ」
コンハラナに起きたことは、きっと尋常ではないことだった。
黒い汚れはきっとミレイスが見たことがある魔物のようなもの。ではあの馬車の場面はまさに襲われようとしていたところではないか。命の保証はされていても完全に無事だと断言しきれない。
それに、相手の記憶を読み取れるなら、何故あのコンハラナに化けたものからコンハラナの記憶が読み取れたのだろう。
「カイハン、あの魔物、検分って言っていたけれど、どうなったの?」
そうだ、と思ってたずねてみる。執政官に首を持っていったのはカイハンだった。首、とイマチは不思議そうに聞いてきたが視線でそれを返してカイハンは応えた。
「基本の素材は獣だったものに皮を張ったものです」
「皮ってまさか」
「ああ、大丈夫ですよミレイス嬢。家畜の皮でしたね。おそらく変化を馴染ませるために化ける者の魔力が染みついた物を与えてはいるようですが」
ちなみにこれです。そう言ってカイハンが首飾りを取り出した。イマチが、あ、と声を上げる。
「二の姉上の王家の証だ」
「ミレイス嬢は、あの魔物の脳にあったこれを読み取ったのでしょう。防護魔法が施されていましたのでそのせいかと。だから、安心してください」
「カイ? でも家畜は」
「作った者にとっては、家畜は家畜です」
ぴしゃりと言い切ってカイハンは有無を言わせない笑みを向けた。むぐ、と口を閉じたイマチは首飾りを指さした。
「それ、フリエッタに渡してもいいか」
「ええ、調べ終わったのでいいですよ。優しく、気遣って、ついでに愛の言葉の一つや二つ呟いて差し上げるとよいですよ」
「カイの言うことは半分に聞く!」
カイハンから首飾りを受け取った後、イマチが「それで」と言った。
「二の兄上と渡りをつけたいんだが、カイ、ミレイス、行ってくれないか?」
はあ? という声と、え、という声が重なった。
「王位は生まれ順からすれば、今も元気な二の兄上が一番上だけど、王都じゃ四の兄上で噂が持ちきりなのだ。だから、冬でも二の兄上は水の国のあちこちをふらふらしていてな。人の足だと大変だが、凄い魔法を使えるミレイスたちならすぐ会いに行くことができるだろう?」
「お使いね。それなら、任せてください」
にこりと笑って言えば、カイハンが焦った顔をした。
「ちょっとミレイス嬢? あんまり軽く請け負っては」
「大丈夫です、カイハン。私、お使いくらいちゃんとこなせます。ズヤウのお使いもきちんとできていたでしょう?」
「いや、これは大分勝手が違いますからね」
「それでどちらまで行けばいいのかしら」
まさしく飛んできたカイハンがミレイスの前に来て困ったような表情で見つめてくるが、負けずにイマチに声を掛けた。今まであまり頼られずに心配ばかりかけてきたがための、やる気が出てしまったのだ。
「花街だな。二の兄上は美人に弱いから、あちこち新たな花を探しに行くんだと教えてもらったことがある」
自信満々に人差し指を立てたイマチに、カイハンが目をむいた。
「花街? 前に行ったことがある場所と同じようなところね。その花街の、どこへ行けば会えるのかしら」
「そうだな……評判がよくて、酒が美味しくて、期待の新人が拝める娼館によく行くのだと言っていたぞ」
「バーデンさんたちなら知っているかもしれないわね」
カイハンが今度は頭を抱えている。どうしたのかと思えば小さく呟いているようだ。
「いやこれはさすがの私でも頭に血が昇るあれを相手にするのはちょっと荷が重いというか」
「カイハン? 誰が怒るの? ズヤウ?」
「あの男以外にいないでしょう。助けはしますが……ミレイス嬢。機嫌はあなたが取るのですよ。責任とって癒やしてくださいね」
頼みますよ。頼みますからね。と何度も言われ、勢いに押されて頷く。
「嫌だなあ。悋気の強い相手は本当に面倒で」
妙に実感のこもったウンザリした口調のカイハンがふてくされている。飾らない素の表情を見たようだが、実際は鳥の頭である。それでも、本当に人であったら、このような表情をしているのだろう。
そっと頭を撫でてみる。幻影をすり抜けて毛髪とは違った立派な羽根の感触がした。
*
イマチのお願いを聞いて、花街にお使いに行くのだ。
そう話したときのズヤウの様子は、傍目には怒っているようには見えなかった。
ただ、ぴたりと時が止まったように動きを止めてミレイスをじっと見つめ、そして無言で目の前に移動して両肩に手が置かれた。
そして穏やかな声音で言った。
「……よく聞こえなかった。もう一度、言ってみろ」
ミレイスの後ろで、カイハンが「うわあ想像通りの反応する」とぼやいている。
「第二王子殿下に面会の申し出をしに行くの。場所は評判が良くて、お酒が美味しくて、期待の新人がいる娼館だそうよ。娼館ってきれいどころが働くところなのでしょう? アセンシャ様のところで聞いたことが」
そこで言葉が止まる。ぐらりと視界が回ったのだ。
空間が歪んだような、まるごと揺らいだような感覚は覚えがある。
転移だ。
転移魔法が使えるのは、ミレイスが知っている中ではズヤウだけだった。そのズヤウがミレイスの両肩を掴んだまま、無理矢理に魔法を使っている。
(えっ、なんで、急に)
ぱっ、ぱっと場面が切り替わっていく。すぐさま場所を通り過ぎているのだろう。
瞬間を切り取っただけの光景しか目に映らないため、あっという間に過ぎ去っていく。
それを何度か繰り返して到着したのは、見覚えのある部屋の中だった。
(ここは、アセンシャ様の仮宿?)
部屋の雰囲気や、家具の配置は、カヒイの都に来てから目にしたことがあるもの。おそらく、執政官の館よりはミレイスにとって馴染み深い家だった。
そしてこの部屋は、ズヤウが使っていた部屋だろうか。シンプルな間取りと物が少ない部屋で、ズヤウの怪我の手当や着替えを手伝おうとした記憶がある。
きょろ、と見渡そうとして肩を掴まれたまま押された。そのままたたらを踏み損なって、尻餅をつく。ついた場所は運良くベッドだったようで、軽い音を立てて座り込んでしまった。
「お前、今の立場、わかってるだろ」
「立場? イマチくんの女官で、そのお仕事に」
「そうじゃない」
明らかに苛立ちを押さえ込んだ口調だ。
座ったまま見上げるズヤウの姿は、威圧感がある。もとより頭一つ分高く、格好も隙がないのだ。余計に圧力を感じてしまう。
ズヤウの圧や不機嫌をものともしない代表、頼みの綱のカイハンは、どうやら転移で置いてけぼりになってしまったらしい。
――ミレイス嬢。機嫌はあなたが取るのですよ。
ここにはいないカイハンの言葉を思い出す。
(そうは言っても、聞いてくれるのかしら。こんな風に怒るなんて、見たことがないわ)
黙ってしまったミレイスに、ズヤウはぐつぐつ煮える激情を押さえ込んだかのような声音で、ゆっくりと言う。
真夏の炎天下を歩くよりもじりじりとした熱が降りてくるようだ。
「お前は、ミレイスは、僕の」
そこで言葉を切って飲み込み、ズヤウが唇を歪めた。
(ズヤウの? 私はズヤウの)
「妻……?」
書類上は籍に入っている存在だ。それが特に駄目ということだろうか。
そう思って聞けば、さらに燃料を投下したように吠えられた。
怒鳴る、ではない。動物の威嚇音が喉からもれていた。あの市街で襲われたときに聞いた音。グルルと鳴く、あの獣のうなりに近い。
「分かっているなら、何故行く。危ないと言った外に、何故? それに、娼館だって? お前が? どういう場所かわかって言っているのか」
言葉を返せば直ぐにでも噛みつかれそうだ。そう思って、ただ見上げるばかりのミレイスは、突然に突き飛ばされた。
背中に柔らかなマットが当たる。アセンシャが選り好んだ品だ。良い物を使ったベッドなのだろう。そう思う暇もなく、強い力で腕を押さえつけられた。ぎょっとすれば、ズヤウが上に居る。影が顔にかかった。
(お、怒っている。それも、すごく)
それだけは確実に分かる。思った以上に近い距離だ。
伸びたズヤウの前髪がミレイスの肌に触れるほど近い。目が隠されているから魔法を使ってしまえば大丈夫だろうか。
そう思うのに、この場をやり過ごす手段を考えて動くよりも、近距離の相手の体にミレイスは硬直した。だんだんと考えが浮かばなくなっていく。
「精霊は人間よりも膂力はある。だが、それで安心なんてできるか。今だって、このままでいるのに。お前、ぼうっとしているから、すぐにでも遊ばれて終わりだ。遊び慣れている王子殿下、だろう? ほんっとうに、心底、腹が立つ」
「あ、う」
「きれいどころ? そりゃ、大勢いるだろうよ。欲を発散するところだからな」
ぐ、とさらに近づく。はく、と息が漏れて変に声が漏れた。
「体も開かれたことがないくせに。へらへら笑って、考えなしに、この馬鹿が」
「っ、ズヤウ。あのっ、わたし」
「うるさい」
がぶりと食べられたかと思った。
喋ろうと開いた口を塞がれた。咄嗟に跳ねた体は、両腕ごと押さえつけられたおかげで逃げることも叶わない。
何をされているのかと、驚いた頭のままズヤウを見ても、ごく至近距離にあの目隠しが映るばかりだ。
(これ、わたし口づけされてる……? 息、苦しい。溺れるみたい)
口腔内が熱い。ぬる、と何かが口の中で当たった
。長い長い口づけは、いつかの水に沈む心地を思い起こさせる。だが、それだけではない。苦しいのに、恐ろしく感じるのに、どうしてかそれだけではない胸の締め付けと鼓動がミレイスの意識を溶かしていく。どくどくと熱いのは相手のものなのだろうか、それとも自分のものなのだろうか。
たいした抵抗もできず、相手のされるがまま施されて力が抜けてきたころ、やっと解放された。
「……ほら、何もできない」
(何もできない、じゃなくて。違うの、ズヤウ。そうじゃないの。わからないくらい、胸がいっぱいで)
ようやく入ってきた空気を短く吸って吐いて息を整える。
息苦しさからきたのか熱からきたのか、いつの間にか視界は潤んでいた。ぼやけた視界のまま見上げれば、体を起こそうとしているズヤウが見えた。咄嗟に手を伸ばせば、どうにか服の端が掴めたようだ。
「まって、ズヤウ」
「なんだよ……僕は謝らないからな」
怒りは多少治まったのだろうか。先ほどのズヤウよりは話がまだ通じそうだ。
それなら、機嫌を取って話をすることが可能かもしれない。ミレイスはまだ震えているかのような感覚のする舌と唇を動かした。
「えっと、それは。いいの」
「は?」
「あの、私、口づけは初めてで、苦しかったけどそれだけじゃなくて」
「……は?」
お前は何を言っている。
たった一言聞き返しているだけだが、そう言っている気がした。でもここまで言ってしまったのだからと、掴んだ服を手放すとそのまま逃げてしまいそうな気がして、握りこんで言葉を続ける。
「すごくドキドキしたの。きゅうと胸が苦しくて、それなのに甘くて、嬉しくて、ズヤウのことばかり考えてしまって。口づけは物語やお話を聞くよりも、とても素敵なことなのね。だから、謝らなくても平気よ」
まるで、ズヤウに花街に行くと切り出したときのように固まってしまった。
それも束の間。おもむろに、優しくミレイスが掴んでいる手をそっと緩ませられて、ゆっくりとズヤウは起き上がり離れた。
そして、腕で顔を覆って、重く長い溜息を吐いてしゃがみ込んだ。何か、すごく落ち込んでいるように見える。
慌てて起き上がって近寄ろうとしたら、ドアが盛大な音を立てて勢いよく開いた。




