四話
ぼんやりとしていたら、あっという間に到着する。
地面にすとんと足がつき、見慣れた古い家が眼前に広がる。昼過ぎにナカハ街を出て、まだなお陽は高い。ミレイスが予想していたよりも二日も早く戻ってきた。
ズヤウの手が離され、一歩二歩進んで驚きに目を見開く。
「ここか」
首を回して体をほぐすような仕草をしたズヤウが、ミレイスのほうを向いて言う。
いまだに驚く気持ちを抑えながら、こくこくとミレイスは何度も頷く。
「はい。はい、ここです! すごいです、あっという間に着くなんて」
「驚きすぎだ。大体、シギ様たちなら、もっと上手くやるだろうに。あとなんでそう、かしこまる」
呆れた様子で言うズヤウに、首を振る。
「いえ、私は、水の魔法以外はあまり出来なくて。ズヤウ様は本当に、本当にすごい御方だと、存知あげず失礼をしました」
「だから僕はそういうのじゃなくて……繰り返し言わせないでくれ。やめろ」
「そう、ですか。そう仰る、いえ、言うのなら、頑張ります」
「頑張ることか、それ」
「はい! 尊敬できることなのは確かですから!」
「……魔法だって、お前も時間を費やせばできるようになるものばかりだ。だからそう上に見るな」
どこか自虐をはらんだ声音だと、ミレイスは気づいた。
褒めたつもりなのに、何かが気に障ったのだろうか。相変わらず表情はわからないが、なんとなく気落ちしているように感じてしまった。
「あの」
「西の御方にご挨拶を願いたい。通してくれ」
かけようとした声は、すっと取り繕ったような畏まった言葉に遮られた。早く、と目は見えないのに視線で促された気さえする。納得いかない気持ちもわいたが、アセンシャの客でもあると思い直して、了承する。
早足で入り口のドアに立って、ミレイスはノッカーを鳴らした。
「アセンシャ様。ミレイスです。ただいま、戻りました」
しん。
返事はない。
しかし、これはいつも通りだ。よほどご機嫌の麗しいとき以外に、アセンシャがドア越しに返事をよこすことはない。
基本的にアセンシャは表だってあれこれ動きたがらないのだ。ミレイスが世話になった間も、数えるほどしか率先的に自分で動いて客人の対応もしなかった。曰く、能動的に動きすぎると目を付けられて面倒くさい、だそうだ。おそらく今日も自室で仕事の調合や趣味にふけっているのだろう。
なので、予想できたことだ。後ろのほうでズヤウが待っているのをちらりと見て、もう一度声をかけてからドアを開く。
「お客様です、アセンシャ様……えっと、ズヤウ。いつものことなので、入ってください」
ドアを開けて、ズヤウを促す。少しためらいがちにだが、ズヤウは頷いた。
「こちらに座って、待っていてくださいね。今、アセンシャ様に声をかけてきます」
「ああ」
とは言うが、やはり遠慮があるのか立ったままだ。
さすがに客人を立たせたままはよくない、というマナーくらいミレイスにもわかっていた。片手を引っ張って、居間の椅子へと座らせる。
「座っていてください! ズヤウはお客様です」
「……わかった」
ぐいぐいと椅子へと案内すると、仕方なしにズヤウは腰掛けた。それを見てにっこりと微笑み、ミレイスはアセンシャがいるだろう個室のドアへと向かう。
居間からすぐに見える個室のドアは二つ。一つはアセンシャで、もう一つはミレイスの部屋だ。ドアにはアセンシャが拵えたプレートがかけられているため、間違えることはない。
とはいえ、プレートは名前が書かれているわけではない。在室、入室不可、出先、などなど部屋主の状況に応じて変化するのだ。
そして現在は、『出先』を示す文字が書かれていた。困ったとプレートと見合っていると、その文字がふっと変化する。
『わたくしの可愛いミレイスへ。
ちょっとした野暮用で、お出かけします。
なるべくはやく帰れるといいのだけど……もし遅くなるようだったら、わたくしの代わりに、お弟子さんをもてなしてあげてちょうだいね。大丈夫、あなたなら上手にできるわ。
貴女のアセンシャより』
プレート画面を下から上に文字が送られて表示される。
それと同時にアセンシャの声が流れ出した。相変わらず何がどうやったらこうなるのか不思議な魔法を使う。
「ご不在か」
ズヤウが言う。そうみたいだと振り返ると、さらに続けて声がした。
『ミレイスが一人きりになるなんて、心配だわ。シギのお弟子さんなら、女の子を一人にするなんてないわよね? そうよね? わたくしが戻るまで、しっかり守ってね』
沈黙が流れる。
ミレイスは、ここまで心配をさせてしまうなんてと頬が熱くなってしまった。
(アセンシャ様……! 私は幼子ではありません!)
それに、この約二年間。アセンシャが不在でミレイスが家の留守を預かることも何度かあった。だというのにわざわざそう言うだなんて。まさか、まだ、あわよくば仲良くなってもらって、と考えているのではと思ってしまう。
ズヤウも困るのでは、と様子をうかがう。
「お前、過保護に扱われているんだな」
特に引かれた様子もなく、どこか納得した風に言われた。それを安心して良いのか、どうなのか計りかねて曖昧に言葉を濁して返事をする。
「ええと、まあ」
「どうりで。確かに、西の御方が言うとおり、年若い女性が一人は不味いだろう。おい」
「はい?」
「どこでもいい。部屋はあるか」
「ええと、一階はこの部屋とアセンシャ様のお部屋、私の部屋と……あとは物置の二階が」
「そうか」
言うなり、席を立ってズヤウは居間を見渡した。
入り口付近から上へと続く階段を見つけたのだろう。つかつかと歩いて行く。たん、たん、と軽い木の板をふむ音が響く。
それを見送って、はっと、ミレイスは慌てた。
(ああっ! 物置は泊まれるような部屋じゃないわ!)
そうなのだ。
こうして客人が泊まると思っていなかったから、おそらく二階はアセンシャが作っては放置している薬や道具が散乱しているはずだ。
前に一度整頓したが、すぐに増える物が押し込まれてしまう。毎日掃除はして、見回るスペースも確保しているつもりだが、客人に提供できるような部屋ではない。
それに何より、ミレイスの記憶が正しければ、作りかけの道具を「飽きちゃったわ」とアセンシャが放置していた。あれはアセンシャの機嫌が悪いときに発散目的で作られたものだ。うかつに踏み入ったら危ない。
「ズヤウ、待ってください! 物置は」
慌てて追いかけて二階に上る。
旅装の後ろ姿、一つに括った鈍色の髪が揺れている。勢いよく駆け上がって、手を伸ばす。
しかし、遅い。
背中に手を伸ばして、勢いのまま抱きつき捕まえて、後ろへ引こうとした瞬間。驚きに振り返ったズヤウの足下にある道具が転ぶ。
「っひ、ズヤウ! 飛んで!」
「なんだ、いきなり」
「いいからっ」
ぎゅうと後ろから抱きつくと、閃光が走る。
そして景色が一変する。ズヤウが転移してくれたのだ。周りを見れば、家の入り口にいることがわかった。
「おい、いきなり何」
ズヤウの言葉を遮る重低音。
地の底で爆発が起きたらこう響くのだろうかという音が二階部分から発せられた。
しかし、アセンシャの力か、家は崩れもしない。代わりに、不自然に二階部分が縮み膨らんで弾んだように見えた。
「……なんだ、あれ」
「アセンシャ様の、道具が」
「待て。僕のせいか」
「いいえ! ズヤウのせいじゃないの。私が言わなかったのが悪かったんです。ごめんなさい」
「いや、僕が西の御方が作られた物を壊したのなら」
「それは、きっと大丈夫」
安心させるように、笑顔を浮かべてズヤウから離れる。
ミレイスはもう一度家の二階を見上げるが、外観は変わりなく、何も起こっていない様子だ。これなら戻っても問題ないだろう。
「一応、見てみましょう」
もう一度、家の中へ戻って階段を上がる。
慎重に階段を上りきる前にそうっと二階をのぞき見れば、埃が光を反射してきらきら輝くものの代わり映えのない景色があった。
足下にころがる道具は焦げてしまっているが、おそらくアセンシャは気にしないだろう。一応、水の魔法で透明な指先を作って伸ばし、つついてみる。大丈夫そうだ。
「ズヤウ。大丈夫です。アセンシャ様は部屋に保護の魔法をかけているから……でも、部屋が片付くまでは二階はやめたほうがいいと思います」
「そう、だな」
後ろから頭を覗かせたズヤウが同意する。やはり目元を隠しているのに辺りが見えているように振る舞っている。そういう道具なのか能力があるのだろう。
ともかく、ズヤウに提供する部屋のことを考えなければ。
こうして二階はまだ使えない。急いで片付ければ明日にはどうにかなるだろうか。それまでは泊まるとなると、とミレイスは考える。
(お泊まりってことは、寝る場所がいるのよね。ベッドがあるのはアセンシャ様のお部屋と私の部屋だけ……)
客人をもてなして。そうアセンシャに頼まれた。
それならば、とミレイスはズヤウを見上げて言った。
「ええと……そうだ、ズヤウの泊まる場所なのですが」
なんだ、とおそらく視線が合うようにズヤウの顔が動く。
「私のお部屋なら、泊まれると思います」
「……は?」
ぽかん、とズヤウの口が開いた。
変なことを言ったはずはないので、もう一度言う。
「あの、お泊まりは私の部屋」
「は!? 泊ま、おい! 馬鹿! 恥じらいをもて!!」
「えっ?」
一瞬の硬直の後、大声で返された。
あまりのことにのけぞって驚く間に、ズヤウは駆け足で階段下へと降りていった。慌ただしい足音がドタドタと響く。
(馬鹿? 恥じらい? 私、どうして怒られたの?)
急に怒鳴られた理由がわからない。
今度はミレイスがぽかんとして、ズヤウが消えた階段の先を見るのだった。