八話
気にして見れば見るほど、ただの黒ではなく赤黒かったり青黒かったりと奇妙な光沢を持って湿っているとわかって、さらに気分が悪くなる。口元を抑えて、部屋を出る。
「誰か! 誰か来てちょうだい!」
やってきた使用人に、帰る希望を伝えて準備をさせる。
まだ陽もくれていない。いや、日が暮れていたとしても、今のコンハラナならば帰ると決めただろう。
荷を積めて急いで馬車に乗り込むために城内を歩く。
父への謁見は済ませていて幸いだった。思えばあのときも父の姿は見えず、隠されたままの対応だった。あの権力欲はあるくせに怠惰な父のことだからと流していたが、思えばそこから奇妙であったのだ。
そして向かう途中でまた、袋を担いだ者たちを見た気がした。
いつかの記憶がパッと浮かんで、コンハラナは振り返った。
「おや、どうしたのです。騒々しい」
ざ、と辺りの者が礼をする。
コンハラナの荷物を運んでいた使用人たちも足を止めて礼をした。あまり聞き慣れない声音だったが、気安くコンハラナに声を掛けてくる者は限られている。
顔布をかけた長身。体格は細く、性別の判断がしづらいが骨格から察するに男だろう。そして現王家に多く出る深く暗い青系統の髪色に当たりを付けた。
「アサテラ兄上?」
声が震えなかったことに安心しながらも礼をする。向こうも軽く礼をして、今気づいたとばかりに声を掛けてきた。
「やあ、コンハラナ。そんなに急いでどうしたというのだね。兄上と話していたのでは?」
「今年の冬は寒いから早く帰れと強く言われまして……心配事もあったので、早々に戻ろうかと」
長く交流がなかったが、アサテラはこんな声だっただろうか。こんな容姿だっただろうか。近寄るアサテラに笑みを貼り付けて会話をする。
「それは大変だ。たしかにお前の住む土地の冬は厳しかろう。どうだね、王都で過ごすというのは」
「いえ、これでも私は領主の妻ですので。兄上のお優しいお心だけいただきとうございます」
「は、はは! お優しい心ね。はは、ああ、私は優しいとも。それに、コンハラナ、私は気分が良いのだ。わかるか?」
「愚昧な私めには、よく」
「醜い老いを超える美を、私は手に入れようとしているのだよ。ごらん、可哀想なわたくしの妹」
正面に来たアサテラの顔布がめくられる。下から上へ、舐めるようになまめかしい仕草で持ち上げたそこにあったもの。
女の顔だった。
かつて、父が手込めにした、女の顔だった。
悪趣味な父が遊戯と称して見せびらかしたあの女。
かつての高貴な血が落とされているのを見つけたのだと言って、奴隷のまねごとをさせていた女。
美しい女たちの顔をまとめて一つにすればこうなる、というような、美しい女の顔。
つるりとした肌には染み一つなく、バラ色に染まる頬は瑞々しい。長い睫毛に縁取られた瞳が愉悦に歪んでいる。
「次に会うときには、完璧な美を見せてあげよう。もう妹はとうの立ったお前しかいないからね」
恐怖と嫌悪感がせり上がってくる。そして直後に湧き上がったのは怒りだった。
「美しいエスメラダはね、私の唇になったんだ。光栄なことだろう?」
ぶるぶると震える拳を握りしめて、罵倒が飛び出そうな口を引き締める。
「ああ! ああ、醜い顔をみせるんじゃない。ほら、笑うのだ。王妃殿下は笑ったときの目の下が美しかったね。お前はどうだ?」
「かような仕打ち、陛下がお許しになりましょうか」
かろうじて返した言葉に、アサテラがにんまりと微笑んだ。艶やかに、獲物をいたぶるように、とびきり蔑んだ眼差しで。唇が弧を描いた。
――エスメラダ。私の妹。
「なるとも。陛下はご承知だ。私は選ばれたのだから」
「なんという……」
あの夜見た袋は。妹は。兄と父に殺されたのだ。
「兄上たちではなく、私を選んだのだ。可哀想なコンハラナ。さあ、いつかのように逃げるがいい。逃げられるのならば」
そうして頬に触れる。
「ああ。だが、もうすこし痩せるといい。その方が、私の鑑賞に堪えうる。いいや、魔力の元として搾り取ることもできようか。それともお前の義理の娘を使おうか」
思わず手を叩いて、コンハラナはきびすを返した。無我夢中だった。
王宮でのマナーもすべて抜け去って走った。恐ろしい魔窟から、一瞬でも早く逃げたかった。アサテラの言うとおり、逃げることを選んだのだ。
唇を噛みしめて馬車に乗り込む。
馬車の中で、影がうごめいた気がした。疑心暗鬼に陥ったコンハラナは、頭を抱えて身を縮こめた。
どこからともなく声がする。
「求める美には、栄養がいるのだ。たっぷりと、満ち満ちるほどの」
いやに優しく穏やかに告げてくる。幻聴だと思いたくて頭を振る。
――ああ、ああ! 早く、何もない場所へ行かなければ。私だけではない、家族も、守らなければ。
震えながら、コンハラナは半ば叫ぶように行き先を告げた。
***
「あれは――」
思わず声に出す。同時に、パシャンと水が弾けた。
そこでコンハラナの記憶は途絶えたのだった。
石畳の白い床を水が滑る。薄く伸びて、緩やかに止まった。
あたりを見る。白い部屋の中にはミレイス以外に三人、フリエッタとズヤウ、人型にまた変化したカイハンがいるのみだ。コンハラナの姿はすでになく、あの異形も姿形がなくなっていた。
視線を下に向ければ、透明な水が部屋の明かりに反射されて光っていた。
「上手にできましたね」
布の包み――おそらく頭部が入っているのだろう。それを持つズヤウの横に立ったカイハンから褒め言葉がかかる。
「まだ未成熟だからできただけだ。あまり褒めることじゃない」
「またまた、そう言って。適度に褒めねば人は成長しないっていうのに」
「調子に乗って、何かあったら困るのはあいつだ」
「軽々に荒事に向かってほしくないってことですか。なるほど」
「そうは言っていないだろ。おい、聞いているか、ミレイス。今回うまくいったからといって、一人でやろうと思うなよ」
次いでズヤウから釘をさすように言われた。しかしながら、二人の言葉から察するに、ミレイスの魔法で綺麗に飲み込み溶かしきったと判断していいのだろう。
フリエッタは槍を持ったまま祈るように目を閉じている。母の姿をしていたものが異形に化け、それを討ったのだ。まだミレイスよりも年若い少女なのだ、思うところがないはずがない。
その姿を見ながら、先の記憶を思い返す。
(たぶん、記憶、だった)
あの異形の魔物がどうできたかはわからないが、生存しているからと希望を伝えられるほどの希望的な情景でもない上に、結末が不明の情報だ。おそらく、あの後に襲われたのではないかと勝手に想像が続いてしまう。
床に落ちたままの水を集めて散らそうとしたが、やめる。空気中に散じてフリエッタたちに害があるかもしれないと思ったからだ。水が魔力を持って輝いているようにも見えたし、濃い魔力はよくないともズヤウもアセンシャもそれに近しいことを言っていた。
(……魔力を吸ってみたら、もう少し記憶を見られるのかしら)
だがそうすれば、間違いなくズヤウは怒るだろう。叱られるかもしれない。しかし、そうすればコンハラナの安否も知れて、フリエッタはきっと安心するのではないか。
ゆっくりと顔を動かしたフリエッタと目が合う。
不安や心配に彩られた顔かと思えば、そうではない。微笑んで、小首を傾げる仕草をした。勇ましいだけではなく、気丈な性格のようだ。
それとも顔にださないだけだろうか。貴族の女性は仮面を被るのが上手だと話に聞いている。そうこう見ているうちに、フリエッタが話しかけてきた。
「見事な魔法でしたわ。貴女のような凄腕の魔法士がいるとは、世界は広いのね。私、とっても感心いたしました」
「ポーティア辺境伯令嬢、あの」
「そこまで畏まらなくて結構ですわよ」
そう言って槍斧を肩に掛けながらスタスタと優雅に歩いてくる。甲冑の下に着ているドレスの裾がひらりと揺れる。
ミレイスの前にフリエッタは立つ。こうして見ると同じくらいの背丈だ。
ちょうど正面に顔と顔が向き合う。事前に聞いていた年は十三らしいので、年の頃にしては成長が早いほうなのだろう。燃えるような赤毛がうねる様は、ちろちろと炎が巻いているようである。
「貴女、ラルネアン殿下の御親類なのでしょ? 女官ですし、身分もしっかりしていると聞いています。でしたら、私の身内も同然ですわ!」
「そう、でしょうか? ええと、フリエッタ様?」
「ええ、よろしくてよ!」
満足そうにフリエッタはうなずいた。
「それで、貴女、私に何か言いたいことがあったのかしら?」
ああも見ていたら、やはり何かあると思うに決まっている。やや躊躇ったが、ミレイスは口にすることにした。
「コンハラナ様のことを……その、フリエッタ様、気を落とされていないかと思って」
「お義母様? あ、ああ……そうね。それは、いいの。いえ、いいとは言いがたいのだけれど」
今度はフリエッタがなんとも言いがたいように口をもごもごとさせる。
「この様子だったのに、無事だと確信が?」
聞きづらい事柄をあっさりとカイハンがたずねる。どきりとしたが、そんなミレイスとは反対に、フリエッタはかえってほっとした風だ。
「わかるのです。お義母様の命は脅かされてはいないと、父が把握しておりますの」
「魔道具か?」
「そうですわ」
ズヤウがたずねれば、にこり笑みを浮かべてとフリエッタは肯定した。
「もともと、我がポーティア家の者は愛情深い者が多いのです。ですので、お義母様をそれは愛してらっしゃる父が、方々探して手に入れた安否確認のできる魔道具を身につけ、随時確認していますのよ」
「……カイハン、記憶にあるか」
「うーん、五十年くらい前に、我らの御方が気まぐれに世へ送った道具かと。出した覚えがあります」
(あっ、シギ様の道具なのね)
なんとなく把握した。
フリエッタは家族のことが好きなのか、にこやかに続けた。
「それに、水を被ったあのお義母様もどきに触れて再度の確認をしましたが、黒子も皺の有無も違いましたし、なにより細かな傷があったことから偽物だとわかっていました。私のお義母様は、それはそれは逃げ上手ですのよ! あの芸術的な身隠しの魔法ったら、本当に惚れ惚れする出来で、これまでの刺客などすべてそれでやり過ごしたのですわ! ですから!」
「コンハラナ様はご無事だと、いうことですか?」
「そうよ!」
つらつらと語られる母の自慢を聞いて、ミレイスが言葉を引き継げば、正解だというようにフリエッタがうなずいた。
きらきらと輝いた瞳の、眼差しの真っ直ぐさに圧倒される。疑い一つなく、信じているのだ。それがなんとはなしに羨ましく感じてしまう。
思わずミレイスがたじろいで口をつぐめば、かわりとばかりに後方のズヤウが問いかけた。
「だが、行方がしれないというのは確かでは?」
「それはその通りよ、殿下の護衛殿。お義母様の逃亡技術は素晴らしいけれど、戦う術はございませんもの」
「では安否確認のためにも、引き上げて報告に行きましょうか。ズヤウ、かけ直しを」
カイハンはズヤウへ頼んでさらに姿を変化させた。まやかしの魔法の応用だろうか。ここへ来る前も同じようにしたのだろう。どの魔法を使っているのか、ミレイスにはさっぱりだ。護身にとズヤウに魔法を習っている身ではあるが、まだまだ精進が足りないようである。
イマチの姿になったカイハンは自分を確認するように身動きして、フリエッタへと手を差し伸べた。
エスコートへと誘う仕草は慣れたものなカイハンによる、イマチの姿での行動だとわかってはいるが、不思議な気持ちがする。
フリエッタはというと、頬を赤らめてキラキラとイマチの姿を見つめている。小声で興奮気味に呟いているのが聞こえた。
「あああっ、ラルネアン殿下、殿下が私にエスコートしてくださるなんて……! はああ、お姿だけとはいえ、なんて素敵なのっ……!」
うっとりと夢見心地状態になっているようだ。察するに、フリエッタは心底イマチが好きらしい。
過去に一度しか会ったことがなくて文通のみだと聞いていたが、それでも育まれたものがあるのだろう。ミレイスは勉強になると乙女の様子を観察する。こうして近い年頃の少女が恋に心を弾ませ、ときめく姿は初めて見る。物語だけ知るにはない魅力を感じた。あのように勇ましい少女がこうも変わるとは、恋とは不思議である。
(アセンシャ様が見たら、喜ぶかしら)
思わずそう胸の内で呟いてしまう。恋に夢中な乙女そのもののフリエッタは、いそいそとイマチの手をとって部屋の入り口へと向かった。




