七話
「カイハン?」
「はい、貴女のカイハンですよ。ミレイス嬢」
「イマチく……いえ、殿下は」
「仮にも王子を、警備が薄いところへ気軽に来させるわけないじゃないですか。本人は館で居残り勉強です」
ウインクをしてくれたが、驚きのままに見返すばかりだ。
「ちょっと、情報を共有していないのかしら?」
呆れたとフリエッタが早口で言えば、カイハンが軽く笑って返す。
「ミレイス嬢はとっても素直で素敵なお嬢さんですので。驚いた姿も可愛らしいですし、両得をしようと黙っていました。さて、招かれたからには張り切ってみましょうか」
それからさらに鳥の頭の姿へと戻って、武器を風に乗せてフリエッタとズヤウに渡した。それぞれ槍斧と切っ先鋭い複数の短剣だ。
ミレイスを背にして、ズヤウが真っ先にコンハラナだった物へと短剣を投擲した。
口がねの辺りが湾曲して伸びた、小さな弓のような形をしているものだ。
刃と同方向に鋭い棘が伸びて、深く刺されば三つの刺し傷ができるだろう短剣。
それを椅子に縫い付けるように、二つずつ左右の上腕へと深く差し込まれた。
叫び声は上がらない。奇妙なほど静かだ。
槍斧の切っ先を向けて構えたフリエッタが険しくそれを睨んでいる。やがて、ひゅうひゅうと空気をもらす音を上げながらも、割れた声で囁いた。
「さきわえたも」
濁った音を立てて、ゆっくりと頭が持ち上がる。その顔は、コンハラナのものではない。
皮一つ、その下で何かがうごめいている。
それが口を無理矢理に動かしてしゃべっているような。厚い肉でできた下が生々しく跳ねるように動いて、また濁った音で言葉が漏れる。
「さきはへ、たも」
あの言葉だ。
ミレイスは息を飲んだ。自分の安寧を祈るためだった言葉が、使われている。とてつもない不快感と、恐ろしい心地に肌が粟立った。
「ミレイス」
傍から見て、顔色を悪くしたのがわかったのだろうか。ズヤウが名を呼んでくれたことで、ぐ、と力を入れて踏ん張る。
「大丈夫」
コンハラナだった物が形を変える。体の一部が膨れ上がっては破れて裂けてさらに肥大化する。
うまく生成できなかったのか、両腕は人の形をもはや保っていない。虫に似た間接が出来、伸びて膨れ上がる。異様。そうとしか言えない様相だった。
人の頭と胴だけそのままに、悪趣味な粘土細工とすげ替えたような奇妙な体を作り上げていく。
縫い止められた腕は、ぶちぶちと音をたてて無理矢理に引き剥がそうとしていた。
「水よ」
魔法で呼び出した水で、それぞれに盾を作り出す。
「あら、いい魔法だわ!」
フリエッタが、力強く踏み込み、下段から首を狙って跳ね上げる。
まるで骨なんてなかったかのように、首はポンと軽い音を立てて外れて飛ぶ。
血は出ない。代わりに青黒い液体が飛沫をあげる。長い腕と足がフリエッタへと伸びたが、盾に阻まれて跳ね返された。
「お見事。では次は私が」
風が巻いている。飛んだ首を空で捕まえるように魔法で留めているのだ。
「検分するのか」
「できればですが、執政官殿あたりには見ていただきたいですね。状況証拠でもありますし」
「わかった」
強い風がさらに吹いたかと思えば、ピタリと止まった。首がある位置だけ圧縮されているのか、頭が収縮して苦しげな呼吸音が上がる。
「胴体は」
「ミレイス嬢、浄化できるか練習します?」
軽い調子で聞かれた。いいのだろうか。
(フリエッタさまの、お義母様の体かもしれないのだけれど)
そう思ってフリエッタを振り返るが、槍斧の汚れを振って取りながらあっさりと許可が下りた。
「よろしくてよ。こんな、お義母様を侮辱するような物体、綺麗になるのならしてさしあげて」
ツンと言ったフリエッタに頷いて、まだ変化を続ける肉体に向かって、魔法を向ける。
いくらか余裕のある間取りの部屋だとはいえ、部屋の中だ。他の者に当たらないように水流を作って勢いよく流して循環させるべく、魔法の水を放てば、向こうも同じくして手を伸ばした。
まるで、歓迎しているとでも言うかのように伸ばした手が勢いのある水の流れに飲まれていく。
椅子ごと飲み込んだ水は部屋の空いた空間を縫って進みループして流れる。ごうごうと流し続けているうちに、ミレイスの意識に何かが入り込んできた。
中年の女性の後ろ姿が見える。
紺色の髪を清潔にまとめた、品の良いドレスを着た女性だ。
(コンハラナ様?)
コンハラナは何か物思いにふけっているのか、部屋の中で一人用のソファに腰掛けるところだった。いやに現実味を帯びた光景が脳裏に映る。
(これは、記憶、かしら)
流れる水から、ミレイスの魔法を通じて記憶が入り込んできている。声に出そうかと思ったが、それは僅かな隙間を縫ってミレイスの思考に割り込んだ。
*
毎年秋口に入る頃、コンハラナは水の国王都ミクノニスに滞在をしていた。
王都外の辺境伯領へ嫁いだ身ではあったが、定期的に王のご機嫌伺いとして呼び出されるのだ。
それは、地方に散った貴族たちの資金を王都に来るために使わせて蓄えをそぐためであったり、地方の情報を王都に集めるためでもある。時季は各家の事情によって異なるが、コンハラナが嫁いだポーティア家は秋を選んでいた。
ポーティア辺境伯領は王都と比べると、ずっと居心地が良い場所だった。
コンハラナは第二王女という高い身分であるが、扱いはあまり良いともいえない。元々水王家の子どもは多く、男子が優先して継承権を与えられるからだ。
ただ、いつからか気づけば兄弟たちの数が減って、序列五位となってしまったが。
権力争いでいなくなったのだと、最初は思った。
だから自分は無害だと、取るに足らないと隠れるように早々に嫁げたのは幸いだった。
ポーティア辺境伯は兄の部下でもあり、面識もあった。若くして妻を亡くして物心つかない娘をそれは大事にしているのを見て、羨ましく思っていたのだ。
辺境伯も王都の異様な蹴落とし合いに思うところがあり、逃亡まがいの嫁入りを受け入れてくれた。ちょうど第三王子の兄が落馬でなくなって一年だっただろうか。
もともと、王家とは言っても、親の代からであり、歴史は浅い。
血の濃さでいえば、正統な血筋であったはずの前王陛下は斃れており、王宮は居心地が悪かった。何より、我が血の親がどんどんと歪む様を見ていくのが苦痛であった。
それでもコンハラナは王女である。
難色を示した王を説得したのは、王妃亡き今、唯一血の繋がった兄妹である第一王子と第三王女であった。感謝を込めて秋に面会と挨拶を交わしていた。
罪悪感もあったのだ。このような場所に残した兄と妹をねぎらうために、外の話をよく語ったものだった。
それが歪み始めたのは、コンハラナが二十二の時。
第一王子が病に伏せったという噂が流れて慌てて面会に行けば、断りを受けたのだ。
そしてそれ以降、姿を見ることがなくなった。
妹をたずねても顔色を悪くして知らないと言うばかりだ。優しい王女だった。あの父親から生まれたと思えない心優しい子だった。
初めて権力を用いて方々を訪ね歩いた。王都にいたかつての臣下、知り合い、兄妹。そこで初めて、違和感を抱いたのだ。
――なぜ誰も、兄のことで口をつぐむのか。第三王子の兄のときは、もっと話していたはずだ。
病気ならば、なんらかのことを知る者がいるはず。そう思っても、誰一人、口を開く者はいなかった。
第二王子の兄は「知らない」と軽薄に笑い、第四王子の兄は「悲しいことです」と大げさに嘆いてみせた。
なんの成果も得られず、三年経った。
次に、妹が死んだ。
馬車での事故だったという。秋の日のことだ。
毎年のように会って話した次の日のことだった。まだ十八の娘ざかりだった。
妹は去る前に、末の弟を助けたことを誇らしく話してくれていた。
ラルネアンのことだ。コンハラナは王都で顔を合わせたことは数回しかなかったが、魔法の才能があると王家に入れられた王の庶子だ。側妃の子や庶子が兄弟となることは、この王家にとっては特段珍しいことではなかった。
だが、自分より下の弟が可愛かったのだろう。もしくは、兄の不在を庇護すべき弟の存在で慰めていたのかもしれない。
ラルネアンを、祖母のテネスナイに預けたと妹は言っていた。
そのことにひどく驚いたのだから、よく覚えている。
王家と旧王家であるテネスナイは犬猿の仲だ。古くから在る貴族家や軍閥は未だにテネスナイを仰ぎ見て、反王家の姿勢を崩していない。よく預かってもらえたと思ったのだ。
妹は意趣返しなの、と言っていた。それが、彼女の最期の言葉だった。
――どういうことなの。
第三王女である妹は、命を狙われるような権力もない。怨恨からだとして、手を出しそうな反王家のものたちに大事にしていた弟をあずけるのか。
葬儀に駆けつけた夜。コンハラナは不審な出来事を目撃した。
なかなか寝付けず、ふと窓の外を見る。コンハラナが泊まった部屋からは、王家の廟が見える位置だった。すこしでも妹の側にいてあげたい気持ちから、希望したのだ。
――なにかしら?
夜の闇に紛れて、廟から誰かが出てきているところだった。性別はわからないが、ローブを着た者が数人、大きな袋を運んでいた。盗人だ。
コンハラナは、嫌な気持ちを抱いてしまった。王家の廟から持ち出すこと自体、不敬の極みである。しかし誰もかけつけない。誰か、と呼ぼうとして、堪える。
慣れた様子に見えたのだ。まるで、何度か行き来しているみたいに。
せめて行方を確認しようと見届けると、それは、王城に入った。
叫び出さなかったのは、驚きすぎたからだろう。知れず、体が震えた。
――あの大きさ、死体が入っているみたいだった。まさか。兄も、妹も? 父上はこれを知っていらっしゃるの?
以来。
王都が恐ろしくなった。
これまで以上に、コンハラナの予想しうることより悍ましいことをしているのではと思えて、嫌になった。
それからだ。コンハラナの視界に、妙な生き物が映るようになったのは。
初めは、黒い汚れだった。気づくと部屋にある。掃除を任せているというのに、王都ではここまで軽んじられているのかと悲しく思ったが、いつの間にか消えている。
不快ではあったが秋の一時のみ。身の安全に気をつけて、気を張り詰めて過ごした。
大人しくやり過ごせば、ポーティア辺境伯の安全は保たれるのだ。王都に睨まれれば、夫や義娘、領地の者たちに災禍が振りまかれてしまう。
極力大人しく過ごして、数年。
今年になって、珍しく王都で兄の訪問を受けた。
第二王子である、オトイラ・フスト・ミクノニスは事触れが受理されたや否やすぐにコンハラナの元へとやってきたのだ。
オトイラは、隻腕となっていた。利き腕である右を上腕の途中からすっぱりと無くしていた。それでも飄々とした口調を崩さず、語りかけた。
「コンハラナ。お前は本当に賢い女だ」
父である国王にも、兄妹であるコンハラナにも似ていないオトイラは、側妃の子だ。
薔薇のような異国の貴族家である娘。それがオトイラの母だった。浅黒い肌は、水の国よりも日差しの強い日が多い火の国出身の血を受け継いだからだろうか。
現在の王位継承権序列一位であるはずの兄だが、四肢が満足ではないならばどうなるのだろう。
「こんなところに留まるから、皆死ぬのさ。馬鹿な真似をすればするほど、生きながらえることができる」
最近のオトイラの噂はひどいものだった。いや、市井で王家の良い噂を聞くことなんて稀だ。好意的なのは、権威におもねる者や王の血族のみだ。とはいえ、コンハラナは疎遠となってきたが。
オトイラは享楽的に遊び歩いて、遊び仲間に腕を切られたらしい。それでも賭け事や色街へと出かけることを止めずに繰り返しているのだとか。
――兄上は、逃げようとしているのかしら。
そうとも取れる行動を取っている。
「お前が、利にならない辺境伯家へ無理に嫁いだときには、なんて馬鹿な女だと思ったが、いやはや……」
そう言ってくつくつと笑いを噛みしめる。どう見ても、オトイラは疲弊しきっていた。
「なあ、コンハラナ。我が妹よ。お前の領地は寒かろうな」
「ええ、峻険な山々が近くにございますので」
「であろうな。ならば今年は早く戻ることだ」
オトイラが意味ありげに周囲を見渡して、立ち上がる。
「……邪魔をした」
そしてコンハラナの手を取って握り、放して。突然現れた兄は、簡単な会話を終えて去って行った。
使用人が見送り、部屋で一人になってからコンハラナは握られた手を開いた。紙片が入っていた。
『父、危篤。アサテラに近寄るな』
警告だった。
小さく息を飲めば、ふと部屋の黒い染みが気になった。いつから在っただろうか。いや、なかったはずだ。次第に肌が粟立った。
――アサテラ兄上に何が。
アサテラ・エデイータ・ミクノニス。
水の国第四王子で国王が懇意にしている魔法研究をする配下の娘との子ども。アサテラと会話したのは妹が死んで以来、音沙汰一つない。もしや次はアサテラが亡くなるのではと思った。オトイラの警告に、胸騒ぎが止まない。
「早く、帰らなくては」
呟くと、隅にあった染みがうごめいた、気がした。気味が悪かった。




