十五話
「アセンシャ様、あの、これは私の夢でしょうか?」
「夢ね。貴女の夢にお邪魔してみたわ。ちょうど、わたくしが出てくるような夢だったから」
「ちょうど? 私、アセンシャ様に会ったことが?」
「ふふ、久しぶりの聞きたがりさんな貴女に会えて嬉しいわ。でもまずは、こんな何もないところは駄目ね。お話に相応しくないわ」
演奏をまとめるように指先を回すと、何もない空間の一角に野原が出来た。
次には金属製のガーデンチェアが二脚と丸いテーブルが現れた。花のツタを模した柔らかな曲線を描いたデザインは、一目見ても美しいとわかる。その出来に、軽く微笑んだアセンシャがミレイスに座るように促した。
遠慮がちに腰掛ければ、アセンシャが向かいに座ってまた指を一振りした。
今度は、白磁のティーセットがテーブルの上に準備された状態で現れた。シンプルながらも縁取りの金に拘りを感じる。ぽってりと丸く膨らんだティーポットの蓋を開けて、アセンシャはまたにこりと微笑み、ソーサーの上のカップにポットの注ぎ口を傾けた。
「実際に飲めないのは残念だけれど、色がとっても美しいのよ」
透き通った夕日を思わせる橙色だ。どんな匂いでどんな味なのかわからないが、きっと美味しいのだろう。
注がれ終えたカップを受け取って同意をする。暖かさも感じないのも、残念だ。両手で持ったカップを眺めていると、さらに中身の色が移り変わった。
濃い朱へ、暗い赤から紫、やがて蒼い空を思わせる色へと。
そのまま見つめていれば、満足そうなアセンシャの声が掛かる。
「素敵でしょう?」
「はい、とても」
「空気中の魔力に充てられて、成分が変わるの」
カップを置いたミレイスは、目を瞬かせた。
ほら、とアセンシャがくるくると指を遊ばせれば、カップの中の色もまた変化した。そして最終的には夕焼けから夜に向けての空を切り取ったようなものになった。
(……あ、ズヤウの目の色みたい)
カップを反対にしてみれば朝焼けになったように見える。あの目は、変わってはいるが美しい。アセンシャが聞けばきっと大喜びすることだろう。
言えば褒めてもらえるだろうかと思ったが、なんとなく、口からは出ずじっとカップの液体を見つめるだけにとどめた。
(そうだわ。ズヤウといえば、アセンシャ様に薬のお礼を言わなければ)
おかげでミレイスでもなんとか処置が出来たのだ。あれから経過は見せてくれなかったが、アセンシャの薬は信用がおける。悪くはなっていないだろう。
「あの、アセンシャ様。いただいたお薬を使わせていただきました。大変ありがとうございました」
きょとんとしたアセンシャは、その言葉を聞いてまた嬉しそうに微笑んだ。
「あらあら。貴女は怪我をしていないのに、誰に使ったのかしら。優しい子」
「いえ、私は優しくなど……私などよりよほど優しい方が怪我をしたので、それで」
「まあ、そうなの。それは、どなた?」
「シギ様の弟子の、ズヤウです」
ミレイスから聞いた途端、両手の指先を組んで胸に寄せてアセンシャの目が輝いた。
「あらー! それで? それで?」
そして、ずいっと、上半身が前のめりになって、先を促した。
(な、なぜこんなに嬉しそうにされているのかしら? いえ、そうね。アセンシャ様のご機嫌が麗しいのなら、良かったわ)
勝手に使って怒られることはないと思っていたが、自分のためにと入れていたものを他に使うなんてと残念がられないかとは思っていたのだ。
勢いに押されながらも、ミレイスはことのいきさつを話してみることにした。
アセンシャは聞き上手であった。ミレイスの言葉が詰まれば、こうだったのではと優しく付け足し、戸惑いを覚えたと言えば、そうねと感情の同意をしてくれた。
カイハンは話し上手ではあるが、ここまで聞き上手ではない。
ズヤウは聞いてくれはするが、これほど細やかに楽しく聞いて促すまではしてくれない。そしてミレイスも、同じことができるかと言えば無理だ。
あっという間にすらすらと話し終えると、小さく拍手をして「ああ」と声を漏らしていた。何かが琴線に触れたらしい。
「手当をしてあげたのね。とてもお利口さんだわ。それに、お弟子さんもちゃんと貴女を守ってくれているのね。仲良くなってくれて、わたくし、とっても嬉しいわ」
「はい。むしろ私が足手まといになってしまって……あの、アセンシャ様?」
「なにかしら?」
「ズヤウは、魔力を吸いすぎるとこうなると、鱗の獣となった傷だらけの手を見せてくれました。あんな、痛そうな」
「そうねえ。ミレイス、毛穴、あるでしょう? 目には見えないけれど小さな皮膚の穴ね」
「は、はい」
急な話に、驚きながらも頷く。
「そこから鱗の先が出てくる、といえばわかるかしら? それが無理矢理押し広げていったら、当然皮膚も肉も裂けちゃうわよね? 痛そうじゃなくて、事実痛いと思うけれど……人の子が転変するときに泣き叫ばないなんて、我慢強い子なのねえ。わたくし、もっと気に入ったわ。お薬追加してあげましょ。塗って使ってね」
「えっ、あ、はい。是非」
「ああ、そうそう」
アセンシャが優雅に手の甲から手のひらへとくるりと回すと、透明な小瓶が出てきた。
およそ人差し指くらいの大きさだろうか。液体が入っているのか、アセンシャがそれをつまんで揺らせば中身の琥珀色がとろりと揺れた。
「お弟子さんの言った言葉は、そうね、大体あっているわ。だからミレイス、もしそういうときは覚悟して吸いなさいね」
「え? ええと、吸っても大丈夫なのですか?」
「大丈夫じゃないわよ? 貴女の場合は、空っぽになった器に入り込んだ精霊だもの。たくさん入ってしまうと破裂しかねないから……そのときなにかしら魔力を使いなさいな。命は助かると思うわ」
解決策を教えてくれたのだろうか。礼を述べようとしたが、唇に触れながらアセンシャは考えをそのまま口に出したように言った。
「どのみち、お弟子さんとは違う結果になるわよ。あの子、成り立ちが貴女に負けず劣らず珍しいから」
「違う? ズヤウは精霊だから同じでは?」
「どちらかというと人もどき……いえ、うーん、精霊の仲間といえばそうなのだけれど、あれを精霊といって良いのかしら? 自然に出来たものじゃないし、歪なのよね。そこがまた風変わりな美しさがあっていいのだけれど……」
ミレイスの質問には答えず、アセンシャは思考にふけっている。返事は期待できそうにない。
仕方ない。こうなったアセンシャはすぐには戻ってこない。どうせ夢の中なのだ。時間はまだきっとあると思って、ゆっくり待つことにした。
(私とズヤウは、ちがうものだった……そう)
すこし残念に思ったのはあったが、すぐに考えを改める。
(だからといって、ズヤウの優しさが損なわれるわけでも、助けてもらったことがなくなるわけでもないわ。それに、私よりとってもすごいのだもの)
むしろ精霊であるはずのミレイスがポンコツなのだ。水魔法の攻撃はあまり上手くなく、そもそも戦闘が不得手だ。狩りならなんとかできるが、敵意を持って攻撃してきた今回の相手には、その技術はなんの役にも立たなかった。
(あの魔物、流れる水を避けるために潜っていたから、ぜんぜん効果がなかったわ)
土に染みこむ水のように姿を消した様子を思い出す。もしミレイスがあのような動きを出来たら、今度は意表をつくことが出来るだろうか。魔物にできたのなら、精霊にもできるはずだ。むん、と念じれば、夢の中でも魔法は使えるようで、指先から水が出てきた。慌てて水を消す。
(そうそう上手くは行かないわよね)
ふう、と息をつけば、ちょうどアセンシャの考えがまとまったようである。もしくは思考を一度置いておいただけかもしれない。
どちらにせよ、旅立っていた思考を戻してアセンシャは気を取り直したようにミレイスに手のひらの小瓶を差し出した。
「ごめんなさいね、ちょっと考えごとしちゃったわ。はい、これ」
「ありがとうございます」
「それから、まだ貴女に贈りたいものがあるわ」
アセンシャが右手を挙げて指を鳴らした。パチン、と軽やかな音と同時に、空中に衣服や道具が現れた。
「シギったら、可愛いわたくしのミレイスに、こんな服一枚だなんて。機能は認めてもいいけれど、駄目よ。これだけなんて」
「アセンシャ様」
「これはお出掛け用でしょう? これはお茶用。こっちは下町デート風、あっちはちょっと背伸びしたもので……あっ、もちろん身だしなみは大事よ。鏡にブラシ、紅もあっていいわ、差してもらえたら素敵だと思わない? それから……――」
どんどんと物が増える。はてにはミレイスにはわけのわからないものまで出て、積み重なっていく。
しかも店売りの既製品だけでなく、特別にアセンシャが拵えたものだったりシギに作らせたといったものが入り込んでいる。止めようにも、アセンシャは止まらない。
アセンシャが満足したころには、ミレイスの夢の中の空間は物で埋まるかと思うほどの小山がいくつも出来ていた。
「これくらいかしら? ああ、もちろんわたくしの仮宿の衣装棚たちに移しておいたから、いつでも使ってちょうだいね。あらやだ、そろそろ戻らなくちゃ。ミレイス、貴女からわたくしに何か、願いはあるかしら? サービスをしてあげてよ?」
「願い、ですか」
とことん自分のペースで進めたアセンシャにたずねられて、考える。
それならば、シギに頼まれた道具は、と真っ先に思いついたが、止める。
カイハンたちから聞くに、シギはアセンシャに負けず劣らず気まぐれで、さらには気難しいところがあるという。片割れともいえる存在のアセンシャに任せてみましたとして、不興を買う恐れも否めない。
ヒントでももらうべきだろうか。そうすれば、早く見つかるかもしれないし、今日のように情報集めのために出歩いてズヤウが怪我を負うこともなかっただろう。
(ズヤウの怪我、私、看病もそんなに出来なかったわ……大丈夫かしら。アセンシャ様のお薬なら間違いはないはずだけど、朝の様子も見たいし、新たにいただいたお薬をあげないと……)
いつの間にか、怪我の心配へと思考が移っていったが、考えれば考えるほどそちらへと思考が至ってしまう。
(イマチくんにも事情を言っているし、一緒に探すことになっているもの。それに、アセンシャ様にはもうたくさんの物をいただいているわ。それなら)
ニコニコと見守って待つアセンシャに、ミレイスはしばらくして答えた。
「アセンシャ様」
「決まった?」
「はい、私、明日早起きがしたいです。ズヤウの怪我を見ないといけません」
瞬間。アセンシャは弾けるように笑った。
「ほ、ほほ! まあ! まあまあ! 貴女、わたくしに、そんな些細なお願いをするのね」
大変ご機嫌な様子のアセンシャは、涙をにじませるほど笑い、それから椅子から立ち上がった。
「それでは、わたくしは早々に去らないとね。ほほ、可愛らしいお願いだこと。ええ、ええ。もちろん、叶えてさしあげるわ!」
「は、はい、アセンシャ様。ありがとうございます」
「また現実で会える日を楽しみにしているわ。お弟子さんともっと仲良くなったら、教えてちょうだい」
そう言って、アセンシャは現れたときと同じようにドアから歩いて出て行った。ドアは、アセンシャがくぐって閉まるや否や暗闇に溶けるように消えていく。
頭を下げて見送って、一息ついたところで、ミレイスは辺りが白むのを感じた。
目が覚めるのだ。
夢の中で察して、目を閉じる。
徐々に閉じられた視界も白く染まっていき、思考もまた、白く塗りつぶされていった。




