幕間 テネスナイ・ダスィア・ミクノニス、祖母の顔
日の光が窓越しに差し込み、磨き抜かれた床に反射する。
珍しい顔料を用いて作った床の模様が光の加減によって明暗を変える様は、城内の騒ぎの様相と似ている。
壁や天井には金の装飾が施され、吊された照明は昼でも明々とした魔法の火が灯されて輝いていた。その下には蒼い絨毯が敷かれ、品の良い調度品が点々と並ぶ。ソファにテーブル、それから執務机に椅子。部屋の豪華さと比べて物は少ない。だが代わりに、壁の一角を埋め尽くす本棚が並び、一方から圧迫感を与えていた。
その部屋の中で、執務机に向き合う老婦人、テネスナイ・ダスィア・ミクノニスはペンを握る手を置き、こめかみを軽く揉んで息を吐いた。
それもそのはずだ。
この都市へ来てから、休む暇もない。
言いがかりをつけてくる、現王家。まだ不安を抱えるかつて別の国だった大都市。
前者は水の国王都を追いやられてから面倒極まりないものであったが、後者も後者でテネスナイの神経をじわじわと削っていた。
治安は大都市にしてはまだ良い方だ。むしろ今の水の国首都のほうが貧富格差も開いて悪化してきている。だが、ここ最近になって頭を悩ます存在が台頭してきたのだ。
「それもこれも、あの王家が」
腹立ちもあらわに、声が漏れた。
老齢となってもなお、張りのある声は、命令することになれた為政者の声だ。
夫であるかつての王陛下が健在であれば、今もなおその傍らに立ち国の上に立ったであろうと思わせる魅力があった。だからこそ、本来ならばもっと片隅の街へと追いやられる予定だったところを、こうしてこの立場にとどまることができたのだ。
テネスナイが先ほどまで書いていた紙には、賊の討伐についてという題目で遠回しに喧嘩を売られたことへの返信が綴られていた。それは、現在カヒイの都に現れている者たちのことについてだ。わざわざ王都から情報を聞きつけて送ってきたのだ。
「もともとは彼奴らのせいであろうに」
水の国王家が正統ではないのならば、風の国であったこの都市、場所を正統なる者へ明け渡すべき。
そう声高に言い放って現れたのが、自称風の国の子孫であった。
自らを抵抗軍と名乗り、義賊まがいのことをしては民衆の衆目にじわじわと触れてきており、テネスナイがこうして指揮をとるまでになってきた。
(子孫じゃと? おるわけなかろう! 一族郎党処罰されたのを知らぬ下郎が)
言葉に出たならば、唾を吐き散らしてののしっていた。
テネスナイの機嫌はすこぶる悪かった。
それもこれも裁可を要する仕事が多すぎるのだ。執政官として政治を回し、軍部も束ねている。
女が指揮をとるなど、とあなどられることはない。テネスナイは元々王家の姫でもあったが、王都騎士軍に所属し武功を上げた女将軍でもある。今でも精神の安寧にと起き抜けと寝る前の運動は欠かしていない。
補佐役として財務や裁判、治水に整備を任せるものもいるにはいるが、それにしてもやることが多いのだ。
さらに、今日はテネスナイを一層苛立たせる出来事があった。
預かっていた末王子の逃走を許し、危険な下町へと一人で歩かせてしまったことだ。運良くすぐに保護できたらしいが、下町は胡散臭い抵抗軍とやらの縄張りでもある。
思い返しては頭に血が上りそうになって、机を叩き息を吸って吐く。
このままではいけないと、テネスナイは立ち上がり、本棚へと歩いた。年を思わせないかくしゃくとした歩きで奥の本棚の前へ立つと一定の動作で本を引いた。
ず。ず。
本棚が分かれて横へと開く。隠し扉だ。
以前の部屋の主が使っていたものをテネスナイが見つけた。見つけた当初は金銀財宝といった隠し財産が眠っていたが、ありがたく政の費用にと使わせてもらった。王家からは微々たる額しか支援がこないため、そのときばかりは神に感謝したものだ。
誰も居ないことを確認して入室する。
入ったそこは、テネスナイの憩いの場所であった。
故郷を思わせる植物を置き、そして壁にはいくつもの絵画が展示している。
「あああ、わらわの孫っ! 無事でよかったわあ!」
特別大きな額縁は、等身大の彼女の孫、ラルネアン・イマチ・ミクノニスが書いた手紙が入れられていた。「ばーちゃんに手紙を書いてみたぞ!」と言って手渡してくれた何よりも尊い紙片は、テネスナイの今一番の宝である。なんと似顔絵まで描いてくれている。あの子の似顔絵は世界一の価値があるとテネスナイはつくづく思う。
そう、テネスナイは血がほとんど繋がっていない末の王子を溺愛しているのだ。
とはいえ、その姿を公に見せたことはない。威厳が関わるからである。
テネスナイはそう思って厳しく接しているつもりだが、彼女の側近には暗黙の了解として知られている。イマチも自分が悪く思われていないと感じているからか、テネスナイには懐いていた。
そこが可愛かった。
新たな王家の、テネスナイにとって孫にあたる者たちは、イマチと比べるとちっとも可愛くないのである。そもそも、敵対視されている上に命を我先にと狙ってくる始末。いけすかない王都の連中に乗せられているのだ。
故に、純粋に「ばーちゃん」と言って慕ってくれるイマチが、テネスナイは、可愛くて、可愛くて、それはもう可愛くて仕方ないのだ。
言葉使いがまだ慣れないところがあるのも、それはそれでいい。下町育ちで庶子だから何か。よくよく見れば、つり目なところは夫に似ている。そこもまた気に入っていた。
孫馬鹿になったテネスナイは、この子を庇護するためならばどんな手を使ってもいいと覚悟を決めている。
だからこそ、胃をキリキリ痛めようと神経が細ろうと頑張れるのだ。
「安心をし。ばあばが守って差し上げますからね」
額縁を抱えて言うテネスナイであったが、明日また自身の血管が切れそうになるとは、今は露とも思わないのであった。




