八話
「カイハン、どうかした?」
続けてミレイスの耳に、声が届く。
『――すこし、お待ちを。』
カイハンによる魔法での連絡手段だ。
怪しいことや何かあったときのために、緊急の連絡手段を設けよう。そういったときのために使う魔法だ。
常人では聞こえない音域の高音で言葉を届けるものである。変わり種とはいえ、ミレイスも水の精霊。音を伝搬することが得意な性質を併せ持つ。伝承でも水の精霊は歌で惑わすといった音にまつわる逸話が多いのはそのためだ。それを踏まえた上での連絡手段として採用したが、早速使ってくるとは何があったのだろう。
『――遠くで騒ぎがあったようです。』
耳を澄ませば、確かに何かざわめきが聞こえる。あれは、金属鎧がこすれる音だろうか。物々しい音だが、喧嘩でもおきたのだろうか。
位置は、と辺りを見回そうとしたが、手を取られて薬問屋へと足を促された。関わるな、といわんばかりだ。
店の開きっぱなしの入り口を跨いで入れば、ぷん、と乾燥した草葉の匂いや、特徴的なつんとくる香りなどが混じった独特な臭気が鼻を刺す。
店内の壁には束にして括った干した花や、飾り棚には瓶に詰められた干からびた物体が入っている。アセンシャの家でも見たものもあれば、何に使うのか用途不明な代物もあった。
紙に書かれた薬草類の品名を見比べて、探す。なるべく早く出ましょうかと、カイハンがまた魔法で言葉を届けてきた。遠くの騒ぎとやらは、大きなものなのだろうか。話しに聞く戦や争いでないといいが。
会計を済ませて、早く出てしまおう。カイハンに目を向けてから、商品を購入して出たと同時に、声をかけられた。
「おい、そこの女」
急なことに足が止まって、周囲をきょろりと見れば、また声がかかる。
「お前だ! あと、そこのやつも!」
「私たち、ですか?」
呆気にとられて声の主を見る。
薬問屋のすぐ正面にいたのは、一人の少年だった。
年の頃は十さいくらいだろうか。現在のカイハンの姿よりも幼く見える、勝ち気そうな男の子だ。
紺色の色艶のいい髪は元気に跳ね、血色の良い肌は興奮に頬を紅く染めている。つり目がちの黒目を大きくきらめかせてミレイスたちを見て指さした。
「変な魔法をつかっていたな!?」
ぱちくりと目を瞬かせたミレイスとは別に、カイハンは困ったように笑う表情をしてみせた。
「それ、このお店の商品のことじゃないかな? 私たちは家に帰らなきゃ行けないから、またね」
行きますよ。とまたカイハンが音を飛ばした瞬間、男の子は「また!」と声を上げた。
ミレイスを引っぱるカイハンの動きが止まる。
「お前たち、変な魔法を使えるな? そうだろう?」
すかさず詰め寄ってカイハンをじろじろ見る。そして、ミレイスとカイハンを見比べて、ミレイスの空いている右手を取った。
「え、と。どうしたのかしら? 迷子?」
「迷子ではないぞ。おれをただの子ども扱いするんじゃない」
ずいぶんと上から目線で好き勝手話す子だ。
カイハンを見れば、そちらもミレイスを見上げていた。にこりと柔和な笑みを浮かべたまま、カイハンはミレイスを引っ張って歩き出す。
だが、男の子は離れず「なあ、なあ」と言ってミレイスの右手を引っ張った。進むにつれて、その声はだんだんとお願いをするような甘えた声に変わってくる。
「ミレイス嬢。手を振り払わないのですか」
小さく聞かれて、ミレイスは困ってしまった。
年端のいかない子どもを無理に振り払う気が起きなかったのだ。
変な子だという印象はあるが、なんだか助けを呼んでいるようにも聞こえるのだ。
頑張って引っ張っているのだろうが、カイハンに負けている力具合からもか弱いと思えて、困ってしまう。
しばらく進むと、カイハンは「仕方ない」と言って、適当な路地に入った。
子どもたちの遊びに付き合う姉らしきものと思われたのか、特に邪魔も入らず、人気のない隙間に三人入り込むと、カイハンはミレイスから離れる様子のない男の子に向き合った。
笑みを消して、じ、と睨み見ている。美しい顔面が無言で睨むと怖いのだろう。ミレイスもズヤウに無言の圧をかけられたことを思い出してしまった。男の子は、ミレイスの腕にしがみついてカイハンを威嚇している。
「なんだ」
「勝手についてこないでくれますか」
「い、いいだろう。おれは困っているのだ、付きあってくれてもよいだろう」
「何故? その義理はないですね」
ね、とカイハンがミレイスに微笑むが、返答するより先に男の子が腹立ったといわんばかりに声を荒げた。
「おれは水国の王の子、王子だぞ!」
王子。この子が。
さきほどから驚くことばかりだ。ミレイスの様子に満足したのか、小さな胸を張っている。
よく見なくても、服装は上等だ。これでもアセンシャの元で様々な品物を見てきた。この衣服は、下町を歩くため豪華さは抑えているが、それでもかなり質の良いものではないかと予想がつけられた。
言葉使いもがんばって偉ぶって話しているのも、そのせいなのだろうか。それにしてはまだまだ落ち着きがないのは、この子ども自身の性格もあるのかもしれない。
「お祈りしてたら、キンキラの腕がいっぱいある神様に言われたんだ。変わった女と子どもが助けてくれる、とな。変な魔法つかっていたし、お前らのことだろう? な?」
胸を張ったまま、神様に言われたんだから、と誇らしそうな子どもに、カイハンは言葉にならない声を上げた。
「……都合が良すぎるわけですよ。ズヤウに愚痴りましょう」
「あの、もしかして東の御方ですか?」
外出時や人目があるときはなるべく、アセンシャやシギの名前は出さないよう言われている。それに則って名前をぼかしてこっそり尋ねたところ、カイハンはゆっくりうなずいた。
そうとなれば、シギに頼まれたこと関連だろうか。左腕に嵌めた金の腕輪がしゃらん、と鳴る。
「おれの名前は、イマチ。ラルネアン・イマチ・ミクノニス。イマチと呼んでよいぞ! なあ、お前たちがそうなら話が早いんだ。その様子だとあっているのだろう? おれとばーちゃんを助けてくれ」
「現水の王家はどうなってんですかねえ」
ぼやいたカイハンに、イマチはぐっと顔をしかめて言った。
「おれたちと王家は喧嘩してるのだ! 権力争いというやつだな」
「ああー……はあ。そうですか」
カイハンが一瞬黙って虚空を見上げて、表情を変えたかと思えば、力なく笑った。
しかし次に見たときにはにこやかなままミレイスを見返した。あっという間の出来事すぎて、勘違いだったかと思うほどだ。
「か、カイハン? 大丈夫? その、イマチ様も」
「イマチでよいぞ。おれは、王さまが適当に生ませた育ちの悪い庶子ってやつだから、あんまりそういう格式とか重要視してないのだ! こう言うとばーちゃんたちには怒られるが事実だし、隠していないから気にしないぞ」
「ええと、じゃあ、イマチくん。私はミレイスです」
「ふむ、わかった! ミレイスはいい奴そうだから安心する」
ミレイスと繋いだ手を振ってにこにこするイマチは、表情豊かだ。間近に見る純粋な子どもの感情表現は、ミレイスにとって新鮮なものだった。好かれているとすぐにわかる好意は存外に心くすぐられる。
「姉上とか兄上も、ミレイスみたいに優しかったらよかったなあ」
「お兄さんとお姉さんがいるのね」
「ええっと、今は兄上が3人と姉上が1人いるぞ。みんな仲は良くなくて、ほかにもいたけど、おれが王子になる前に何人か死んでしまったのだ! 城のものが言っていたのを聞いた」
「ええ……その、大変なのね」
「そうだぞ。おれは、勘がいいからな。それで死なないように生き延びられたのだ。褒めて良いぞ」
ものすごい内情を話してくれるのは信頼されたからか、単純にイマチに警戒心がないからか。
困ってカイハンを見れば、首を振られた。この子の護衛が心配ですね、としみじみ言っていた。その通りだと思うが、褒めてと言うイマチにミレイスは曖昧に笑って「すごいのね」と返した。
そのままイマチによる実情が語られようとしていたとき、にわかにざわめきが近づいてきた。
騒ぎだ、とミレイスが耳にしたときに聞いた声や物音と同じものだとわかる。すかさずカイハンは口を挟んだ。
「お迎えが来ているみたいですね」
「えっ、もうか」
すると、慌ただしい足音とともに「殿下」という声が届く。
「イマチくんを探しているんじゃ」
「うむ。撒いてきたのだ」
えへん、と胸を張ったイマチはミレイスから離れて、声をあげた。
「ここだぞ!」
「殿下!?」
軽鎧を着た衛士が駆け込んできた。後ろにも数人似たような格好の男たちがいたが、代表して一人だけのようだ。長剣を佩いた立派な体格の男は、髭をたくわえた顎をさすって安心したように一息ついた。
「困ります。我らの仕事を増やさないでいただきたい」
「簡単に撒かれるとは情けないぞ、フロウリー卿。貴卿らの足を鍛えてやったのだ」
「またそんなことを仰る。それで、そちらのお嬢さんとお坊ちゃんは」
「うむ。おれが一人なのを見かねて、たずねてきてくれた親切な人たちだ」
鷹揚にうなずいてミレイスたちは紹介された。
いかつい顔つきだが、分厚い肉の目蓋の向こうにある瞳は理知的で穏やかだ。カイハンが礼をするのを見て、ミレイスも続けて軽く礼をする。
「それは、ご苦労。謝礼をしたいところだが、此度は急なことでな。またの機会に礼をしよう」
「いえ、私たちも安心したところです。こんなところで殿下とお会いできるとは思いませんでしたし、ねっ姉さん」
「そっ、そうね! とても光栄です」
フロウリーは丁寧な仕草で腰元に着けていた革袋から銀貨を数枚取り出して差し出した。
「心ばかりだ。受け取ってくれ」
「なんだ、フロウリー卿。けちくさい」
「殿下。無茶を仰る」
イマチにとってフロウリーは信頼できる人のようだ。軽口を言ってはけらけら笑っている。
ミレイスは手を取られ、銀貨を握らされた。
いいのだろうか。困惑していれば、イマチは機嫌良く言った。
「ではな。先の話の件、考えてくれ。よろしく頼むぞ!」
「殿下、何の話ですかな」
「友との語らいだ。邪魔するでない」
言い合いながら、イマチはフロウリーに連れられて行った。
「ミレイス嬢。ちょっと急ですが、帰りますか」
「えっ、はい。どうやって」
「こうします」
カイハンが風を魔法で吹かせた。
瞬間、カイハンがミレイスを抱えて飛んだ。
正しくは魔法で持ち上げたのだろう。建物の屋根へと上がり、勢いよく仮宿のほうへと進んでいった。その最中で通りを歩く、目立つ一行が見えた。イマチたちだ。一瞬顔が上がって、手を振られたが、見えていたのだろうか。
さらに速度が上がる。
跳ねるように屋根から屋根へ飛び、人に見られないようにこっそりと仮宿付近の道へと注意して下ろされて、家を入り口をくぐって地下の部屋へと降りる。
そして、仕度を調えたズヤウと鉢合わせた。ちょうど出るところだったのだろう。
ズヤウは髪の乱れたミレイスと、疲れた様子のカイハンを見て、何かを悟ったのか背を向けて戻り、居間の机と椅子を指さして言った。
「座れ。報告しろ」




