五話
そうして翌朝。
なるべく人目が少ないうちがいいと言ったズヤウによって、ミレイスは起こされた。
昨夜のやり取りにむしゃくしゃしていたのだろう。早朝から凝った料理を振る舞ってくれた後に、ミレイスの身だしなみまで整えてくれた。鞄の準備まで万全であった。
されるがまま驚いていれば、カイハンはわかった風に頷いていた。好きなようにさせてやってくれ、と言わんばかりだった。
街中に出るにあたって、ズヤウによって何度となく振る舞いを確認され、ミレイスは次のことを約束させられた。
ズヤウから勝手に離れないこと。興味があるからとふらふらしないこと。
まるでミレイスが幼子のように言って聞かせたものだから、思わずむすっとしてしまったのはしょうがない。
ただ、ズヤウの言いたいことも分かる。精霊は得てして好奇心も強く好ましいものを見つけると流れてしまう。その心配もしているのだろう。あとは、街歩きに不慣れなミレイスを不安に思うのもあるのだろう。分かってはいるものの、じとりとズヤウを見てしまう。
そのあとに、カイハンが付け足した。
どうせ離れないように見るのなら、くっついて歩けば仲良く見えるしいいのでは、と。
腕に抱きつくのかと思って、ぎゅうとズヤウの片腕を胸元に抱き込めば、慌てたズヤウに「慎みを持て!」と叱られた。カイハンは楽しそうにしていたのに、ズヤウは何故怒っていたのか不思議だ。
仲良しの男女については、アセンシャの物語から学んでいる。こうして歩くのではないのだろうか。ミレイスが首を傾げていたら、こうするのだと手を繋がれた。
ミレイスよりも幾分か大きな手で包み込まれる。自分の手や、アセンシャの手とも違う異性の手。
思わず握ったり触ったりしていれば、頭が痛そうにズヤウは額を抑えていた。
「……本当にこれ、僕がつれて歩くのか」
「愛らしくて、見ていて楽しいですね! ズヤウも満更でもないのでは?」
カイハンはまたズヤウによって掴まれ投げられていた。今日も仲良しのようである。
「今日はどこへ行きますか?」
仮宿から出発して間もなく。ミレイスの問いかけに、ズヤウはああ、と言って答えた。
「まず、これからよく利用する場所を案内する」
「お店とか?」
「そう。あと、ミレイス。いい加減、もっと慣れた調子で話せ。下町じゃ、浮くぞ」
「はい、わかりま……わかったわ! 頑張ります」
「期待はしないでおく。困ったら黙ってろ。カイハンが誤魔化すから」
すると上空から、すうと風がそよいだ。カイハンが上に居るのだ。
衆目に見えないように魔法で隠れたカイハンは、ミレイスのフォローにと付いてきてくれている。ズヤウは絶対それだけじゃないとぼやいていた。
「変なものや怪しいものを見かけたら、僕に言え」
「はい、任せてくださ……任せてね!」
「不安だ」
そうこう会話をしながら歩けば、開けた場所に出た。
カヒイの都、下町の商店街。雑貨に道具、食糧に武具、いくつもの店が円形に並んでいる。この街に来たときに一度は通っただけだが、こうしてまじまじと見るだけでも楽しい。
人が少ないうちとはズヤウが言ったことだが、それでもミレイスにとっては十分に人にあふれている。
朝の買い物だろうか。親子連れが籠を背負って店主とやりとりしていたり、狩人らしき男が成果を店へ納品していたりとガヤガヤとした声が飛び交っている。
そこへ向かって一歩ズヤウが歩き出せば、手を引かれるがままミレイスも足を踏み入れる。
魔法のおかげでそこまで注視はされないはずだ。ズヤウの手と繋いだ左手の手首、そこへ嵌めた腕輪を見て、前を向く。
まずズヤウが向かったのは、食料品店だった。
中年の店主らしき男が商品棚に色艶の良い野菜を並べている。あれは朝ミレイスの口に入った物だ。ズヤウは普段ここで買い物しているのかと見ていると、声を掛けられた。
「おや、いらっしゃい。今日は……んん? ああ! なんだ、若旦那か。ひょっとすると隣は噂の若嫁さんかい」
「はあ、今日は調子がいいので」
二人の顔がミレイスを見る。ズヤウからは「うなずけ」という圧がかかった気がして、こくこくと頷く。
ズヤウの目を隠した容貌は特徴的だからか、周囲に馴染むまやかしの魔法をかけられていても、反応されてしまう。関わらないようにすれば目立たないし声はかけられないからと、ズヤウはそのままにしているが。
「そうかいそうかい。姿を見かけないからって、うちの家内も心配していたんだよ」
「は、はい。ご心配ありがとうございます。はじめまして、ミレイスと申し……いいます! よろしくお願いいたします!」
「はい、はじめまして。ここらじゃ見ないくらい丁寧なお嬢さんだね。いや、よく見ると美人さんじゃないか。はあ、こりゃまた。若旦那、しっかり捕まえておかないと苦労するよ」
「もうしている」
割と素の声だった。む、と握った左手に力を込めれば口角が上がった。
ひゅう、と風が吹く。
「彼女は可愛い人なので」
風でほつれた髪を空いた手先で撫でて直し、ズヤウは静かに言う。
(わあ……ズヤウ、上手だわ! カイハンの教え通りね)
ミレイスは感心した。こういう風に活用するのだと、実践している姿に感心した。恋物語で互いを愛しぬく話に出る騎士や勇士のようだ。
(ここは、しっかり私も主張して、一人でも大丈夫だってズヤウに安心してもらわないと)
そういう知識は聞いて学んでいるのだ。たしかこうするのだ、と甘える仕草を思い出す。
す、と息を吸う。ぴとりとくっついて、ズヤウの肩口に頭をすり寄せた。
「私、貴方以外になびいたりしません。愛しい、私だけの貴方」
途端、凄い勢いで見られた。
はく、とズヤウの口が動いて止まっている。そしてどうにか口元を笑みの形に変えてミレイスの頬を指で優しく触れた。手袋をぴったりと嵌めた指先がくすぐったい。くすりと小さく笑う。
「ほら、可愛いでしょう。だからあまり外に出したくはなかったんだ」
「火の国ってえのは、あんたらみたいな夫婦が多いのかい。見ているこっちが恥ずかしくなっちまう。それで、今日のご用は?」
「ああ、これから妻が一人で買い物にくるかもしれないからと挨拶に。いつも付き添いたい気はあるのですが」
店主にむかって愛想良くにっこりと笑う。店主は笑って頷いた。
「心配性だねえ。まあ、わかったよ。俺からも家内にも言って、気にしてみてやるさ」
「恩に着ます。ミレイス」
「ありがとうございます。ええ、主人は心配性なんです。大丈夫だって言うのに」
「はは、好いた相手がいる男はそういうもんだよ、若嫁さん」
ひとしきり会話が終わると、また挨拶回りが終わったら買い物に来ますと伝えて店先を離れた。
足早に店通りの路地、人気が少ないところに無言で連れこまれる。
パッと繋いだ手が離れていく。押し黙ったズヤウは、しばらくしてから口を開いた。
「なんだこれ……正気か。これから毎度このやり取りをするのか? 僕が?」
自分で言いながら混乱しているズヤウに、上空から愉快そうにカイハンが口を挟んだ。
「素晴らしい受け答えでしたよ、ミレイス嬢! ズヤウも照れてしまうくらい上出来です」
「まあ! カイハンありがとう! ズヤウ、それって本当?」
嬉しくなってズヤウのほうを向けば、ズヤウは両手で顔を抑えている。
「ズヤウのいい訓練になります。もちろん、実際に仲良くなるのも私は大賛成ですので、この調子ですよ、ミレイス嬢。それに、貴女の甘い言葉を聞ける時間も素敵なものだ。得難い耳の保養です」
「私も仲良くなれるのは嬉しいわ。アセンシャ様にもシギ様にも言いふくめられていますもの。ね、ズヤウ」
「……神なんて嫌いだ。鳥頭も嫌いだ」
「照れていますね。受け答えが幼くなっています。珍しい」
からかい混じりの口調でカイハンが言う。本当かと思って下から見ようとしたら、目元を手で覆われて隠された。
「大体っ、お前、ミレイス! すこしは嫌がるとか恥ずかしいとかないのか?」
「ええと、ないわ。私、ズヤウのこと嫌いじゃないですよ。助けてくれたし、優しいし、ご飯も美味しいものをくれるでしょう? こわいときも、それはありますけど。私、ズヤウが好きです」
「それは刷り込みだろうが、ああもう! くそ、調子が狂う」
「えっ、ズヤウ、調子が悪いなら、どこかで休みましょう?」
「ちが、ちがうくない、ちがう……くそ、くそ……なんで僕が」
ミレイスの目を隠す手を両手で取って外す。
うつむいたズヤウは、一度二度深呼吸をして沈黙した。
「ズヤウ?」
「年季が入っていると面倒ですねえ。私みたいに、もっと開放感をもって振る舞えば楽ですよ? ズヤウ」
「うるさい。おい、ミレイス」
呼ばれて、なにかとズヤウを見返す。顔を上げたズヤウは真面目な様子でミレイスを見下ろしている。
今日も今日とて目元を厳重に布きれで隠しているズヤウの視線は見えなくても、こちらをじっと見ているのだとよくわかった。頭一つ高いズヤウを見上げていると、言い含めるようにズヤウは言った。
「お前が感じているものは、さっきも言ったが刷り込みだ。だから、絶対に、勘違いするなよ」
「勘違い? 私がズヤウを好きなこと?」
「そうだ。だいたい精霊は心地よいほうに流れやすいだろ。好きなことをしてもらえる、例えばお前だと食べることとか……とにかくそうしてもらえることで、僕を好……」
言いながら再びズヤウがうつむいて押し黙った。
「墓穴掘ってますね。普通、精霊は純粋で、嘘はつけませんからね」
カイハンが解説している。ぱちぱちと目を瞬かせてズヤウを見るが、耳がじわじわと紅くなっていた。
小さく「なんで」だとか「ちがう」だとか言う声が聞こえる。
「そう、そうだ。そもそも! お前は普通の精霊じゃない。だから」
「普通じゃなくても、私は精霊だわ。それは、元々、ただの捨てられた人間だったけれど」
「ああ、捨てられた人……おい、まて。初めて聞いたぞそれ」
僅かに紅い頬のまま、ズヤウはミレイスの肩を掴んで問いかけた。
「ミレイス。お前は死んだ人間だった、そうだな」
「え、ええ。水の国に捨てられて、魔素が豊富な湖で受肉したところをアセンシャ様に拾われたの」
「水の国に捨てられた?」
不審そうに繰り返された。すぐにズヤウは、空に頭を上げて短く叫んだ。
「カイハン」
「わかっています。警戒してきますよ」
「どうしたの?」
ミレイスの問いには答えずに、ズヤウはミレイスの肩を掴んだまま再び尋ねた。
「僕はお前が水の精霊であることと、西の御方に拾われたこと、死体に宿って生まれたばかりの変異種ということしか、聞いていない。ミレイス、その記憶はいつからだ?」
「いつ……?」
言われて頭を捻って考える。ぼやけた記憶の引き出しから、思い当たりを探す。しかしよく分からなかった。
いつのまにか、その記憶が出てくるのだ。
ミレイスの曖昧な返答にズヤウは、自分の鞄に手を突っ込んで物を取り出した。指輪だ。黒く変色した木製の指輪。
それをミレイスの前に出して見せた。
「覚えはあるか」
「これ、は……アセンシャ様の倉庫にあった、私の指輪だわ」
(そうだ。大事な指輪。初めて、私がもらったプレゼントだった)
手を伸ばそうとして、ズヤウに阻まれた。指輪をのせた手のひらを握って、再び鞄に戻す。
「あっ」
取り上げられた。
伸ばした手先が、何かと重なる。伸ばして、伸ばして、ミレイスは知らず知らず「返して」と言っていた。
(あれは、唯一の、私のよすがだった。だから、私は。わたしは……?)
視界がぶれる。
空を見上げた。青々とした秋晴れの空だ。どこまでも澄んで、澄み渡って、水面のように広がった白い雲が流れていた。
「私、晴れた日に」
そう、こんな天気の良い日だった。
視界いっぱいに広がる青を見上げて、静かに沈んでいったのだ。遠くに手を伸ばして、苦しくて。だというのに、もがく力も入らずに、ただただ沈んでいった。
ミレイスは、水底に落ちて、そうして聞いたのだ。
祈りの言葉だ。ぽちゃんと落ちた、指輪が目前に迫って。
――幸へ、給へ。幸へ給へ。御元に辿り着く魂に安らぎを。




