四話
ズヤウの機嫌が悪い。
いかにも不満だと言わんばかりに溜息を吐いたズヤウは、ミレイスの言葉を聞いてぐしゃぐしゃと自分の頭を片手で抑えた。そして、感情を堪えた風に「すこし待て」と言って居間から去って行った。おそらく、ズヤウの部屋だろう。
アセンシャの広々とした地下の部屋は、いくつも空き部屋がある。それぞれ個室を使ってもまだ部屋が余るほどだ。カイハンの説明では、魔法で拡張しているので、アセンシャが望めばもっと増やせる仕様らしい。つくづく桁外れの人物である。
言葉通り、すぐに戻ってきたズヤウは相変わらず不機嫌そうにミレイスの前に立って手を差し出した。
「左手見せろ」
「えっと? はい」
差し出せば左手の細工をまじまじと見られた。
「検分する。カイハン、外の様子を」
「手を出すときは紳士的にするのですよ、ズヤウ」
「しない。落とされたいか鳥頭」
「はいはい。黙りますとも。では、ミレイス嬢、いってまいります」
「いってらっしゃい、カイハン」
ズヤウの右手が軽く振られれば、くるりと宙を回転してからカイハンは消えていった。見送ると、衣擦れの音がした。ズヤウが目隠しを外して腕に掛け、ミレイスの左手首を掲げたり捻ったりとしはじめたのだ。
この時、よくカイハンは離れていく。
それもそうで、カイハンは魔法によって現在の形に縛り付けられているらしく、ズヤウの目と相性が悪いそうだ。
この綺麗な目が見られないのは残念だろうにと言えば、カイハンは愉快そうに笑っていた。何故か嬉しそうな様子だったので、ミレイスはよく覚えている。
「外してみたか?」
「いいえ」
カイハンがミレイスに着けてくれてからは、そのままだ。
答えると、ズヤウは慎重に継ぎ目を探して留め具を見つけて、ゆっくりと外した。
「なんだ、案外普通に外れるな。外したときに違和感は?」
「ない、です。大丈夫」
「……まともな道具でよかったな」
「まともじゃないことってあるの?」
無言で視線を逸らされた。あるらしい。
アセンシャと比べると、より気まぐれな御仁なのだろう。そう思って納得することにした。
ズヤウはミレイスから取った腕輪を見ながら、居間にある卓席に移動して座った。本格的に観察するようだ。ミレイスも邪魔にならないように向かいに椅子を引いて座る。
長い前髪を鬱陶しそうに耳にかけて、目を窄めながらつまんでいる。目は口ほどに物を言うと言えば良いのか、ズヤウの目は僅かに好奇心に光っていた。機嫌も良くなっているらしい。
(こういう作業、もしかして好きなのかしら)
一緒に過ごす時間が増えるうちに、ズヤウの好きなこともちょっとずつわかってきた。
家事、とりわけ料理は好きらしい。無心になるときに役立つと言っていた。今回の様子を見るに、魔法が掛かった道具を調べるのも好きなようだ。
今も、「この状態でもわずかに機能するな」だとか、「くそ、この魔法はなんだ? どうなっている」だとか呟いていて、ミレイスの目には楽しそうに見えた。
好きなことを邪魔するのも憚られる。この様子だとまだまだ時間がかかるだろうか。
そう思って、席を立って台所の壁に取り付けられた戸棚を開く。様々なデザインの食器がバラバラに入っているのは、大方、あれも可愛い、これも良いとアセンシャが集めたのだろう。あの家でもそうで、その結果が二階の物置だった。
この中から、ズヤウが持ち込んだ木製のカップを一つ取り出す。
(ズヤウは作業に夢中だから、多分、大丈夫)
カップに魔法で水を入れる。思うようにカップに水が満ちた。
見られていなければ、魔法も自由に使える。ズヤウの目は万能のようで意外と抜け道がある。ただし一瞥でもくらえば集中していた魔法はかき消えてしまう。
だが、呼び出してしまったもの、例えば満たした水や土壁を作ったりなどの場合は結果だけ残る。すでに物体としてあるものは消えないのだ。
つまるところ、ミレイスが入れた水をズヤウに差し出しても中身は空にならないというわけだ。
水の入ったカップを手に席へ戻り、そっと差し入れる。卓上に触れて鳴った小さな音にズヤウは顔を上げた。
「あ? ああ、悪い。もう少し借りて良いか」
「はい。ズヤウが望むだけ、どうぞ。私が見てもわからないし、代わりに見てくれるなら安心です」
「そうか……」
ミレイスが快諾すると、ズヤウは手を止めて視線を彷徨わせた。何か言いたそうにもぞもぞと口が動いて止まる。
どうしたのかと首を傾げて待つと、言葉を選びながらズヤウは言った。
「あー……最初、出るなら僕と出かけることになるが」
「はい」
「あの鳥頭の、言った内容の通りに振る舞えるのか」
「カイハンの……?」
言われて思い当たるのは、ズヤウが不機嫌になっている最大の原因だ。カイハンがことあるごとにからかっては、苦虫をかみつぶしたような顔をしたズヤウに頭を鷲掴みにされている大本の理由。彼らなりのコミュニケーションなのかもしれないが、いまだにミレイスは見るたびにハラハラしてしまう。
「私とズヤウが夫婦のフリをするってこと?」
「……そう、なる」
肯定しづらいとありありと表情が語っている。
普段目が隠されているだけに、しわの寄った眉間や伏せられた睫毛が影を作っているのに目がいく。秀麗な美貌が嫌そうに歪んでいると、申し訳ない心地になってきてしまう。
「あの、ごめんなさい。そんなに嫌なら、みんなに言って聞かせてみるとか」
「否定できるならとうにしている。広まりすぎた」
間髪入れずに返されて、ズヤウは万感の思いを込めたと言わんばかりに息をついて、それからミレイスを見た。
「言っておくが。街に出たら、僕は若旦那でお前は若嫁と呼ばれているからな」
「じゃあ、私はズヤウのことを若旦那さまと呼べば良いですか?」
「呼ぶな。いや、ああ、くそ……あの鳥、カイハンめ」
「やっぱり出かけては駄目?」
ミレイスは、目尻に雫を浮かべた。
泣いたのではない。浮かべたのだ。
「は!? おい待て。なんで泣く」
勘弁してくれとズヤウは眉を下げた。困惑している。
――いいですか、ミレイス嬢。ズヤウはどうせぐずぐずしてしまうでしょうから、手っ取り早く外出許可をもらう手段をお教えしましょう!
(乙女の涙作戦ね!)
これはカイハンの助言による行動であった。
ズヤウが顔をしかめてあっちを見たりこっちを見たりする僅かな間に、魔法で水を呼び出して付ける。
水の精霊だからこそできる器用さでごく自然な涙を作り出すのだ。
ズヤウが帰ってくるまでカイハンの指導により、もっともらしい泣き方を伝授してもらったミレイスは、顔を逸らすように伏せて指先で目元を拭った。
「私も、ズヤウの役に立ちたくて」
ほろりと溜まった雫が頬を流れる。
(ええとそれから、本心をしっかり伝える、ね。カイハン、私上手くやってみるわ!)
すん、と鼻をすすってみれば、ズヤウは気まずそうに身じろぎした。視界の横に所在なさげに動く腕が見えた。
「ずっと一人で、ズヤウばっかり頑張っているでしょう? 私のことでもあるのに、何も出来ないのが申し訳なくて」
――ズヤウは今でこそ人嫌いではあるのですが、本来は優しく甘い男なのです。さあ、ミレイス嬢。貴女の素直さは美点です。押し切りましょう!
頭の中のカイハンがウインクしている。ゆっくりとズヤウのほうを向きながら、か細くたずねる。
「どうしても、駄目?」
「……っ、ぐ……わ、わかった」
「ほんとう?」
「わかったから、泣き止め。ほら」
手袋を嵌めた指先がミレイスの顔に近づいて止まる。
下がった眉が戻り、目が見開いた。
ミレイスがにこりと微笑めば、みるみるうちに呆れた顔に変わる。仕込みに気づいたのだ。
「……おい。おい、ミレイス?」
「ふふ! 約束。やっぱり、ズヤウは優しいです」
「お前っ、僕が、この」
手をついて腰を上げて、言葉を飲み込んで脱力して座る。
「カイハンだな?」
「はい!」
「あんの鳥頭」
恨みがこもった声音で言って、ズヤウはうつむいた。
このままでは、帰ってきたときにカイハンはひどい目に合ってしまうだろう。ミレイスはそっとカイハンの弁護をした。
「私に協力してくれたんです。だから、あまり怒らないでくださいね」
「変な知恵ばかりつけて」
カイハンから教わることは様々で、変な知識とは思わない。首を振ってはっきりと否定する。
「いいえ。色々と学べるのは、とても楽しいから。変じゃないわ!」
「もう、いい。気遣った僕が馬鹿だった」
ズヤウは机に額をつけて呟いた。のろのろと起き上がってふてくされる顔は、年相応の少年の顔だ。
カップの水を飲み干して、頬杖をつきながらやさぐれた風にズヤウが言う。
「どうせ、シギ様に下された命令なら受けざるを得ないだろうし……それで? シギ様は何を探せって」
「シギ様の物を真似た物、って仰っていたわ」
げえ、と表情が動く。
目隠しがないだけでこんなに表情豊かなのかと新鮮な気持ちになる。
もしかすると、先ほどのやり取りで気安くなったのかもしれない。遠慮のなさが嬉しくて、頬が緩む。カイハンと仲良くはなったが、世話になっているズヤウと距離があったことを気にしていたのだ。
「なに笑ってるんだ」
「ズヤウの顔を見られるのが、嬉しくて」
「本当に、カイハンみたいになってないか」
「それはそれで、嬉しいです!」
「……出かけるとき、僕の言うことは聞けよ」
警戒したように言うズヤウに、ミレイスは笑顔のまま頷いた。
「まかせてください! 頑張ります!」
「不安だ」
ぼやかれてしまったが、ミレイスは満足だった。
カイハンが帰ってきたら、早速結果を告げなければ。仏頂面のズヤウとは反対に、にこにことミレイスは笑った。




