三話
嫌な予感がする。
ズヤウは道すがら、ふと、予感の中心にいるだろう人物を思い描いていた。
カヒイの都、下町の職人通り。昼下がりのこの時間帯は、比較的人通りは少なく空いている。じきに夕方前になると混雑し出すだろう。
自分の姿を変に思われないよう、衆目に馴染むためのまやかしの魔法を使ってはいるが、あまりに突拍子もない言動をすればすぐに魔法は解けて怪しまれてしまう。行動は目立たず、慎重にする必要があった。
だからこそ、あちこちに興味をもってそわそわしてしまうミレイスは簡単には連れてこられない。
あの少女は遠慮がちにズヤウを見ながら、聞いてもいいのかと迷ってふらふらと何処かへ行きかねないのだ。精霊種は好奇心が強く心地よいほうに流れがちな性質を持つ。いくらミレイスがズヤウの知る精霊とは明らかに変だとわかっていても警戒する。
(そもそも、会ったときには食事に夢中だったからな)
食事を必要としないはずなのに、美味しそうに平らげるミレイスは、なんとも人間らしい。つい、本当に精霊かどうかと観察しては、魔法を使う姿を見て確認してしまう。カイハンには、疑いすぎではと言われたが、信用しきれないのだから仕方ない。
(まあ……無害では、あるか)
変に擦れていないからか、物事を額面通りに受け止めて喜んだり悲しんだりする。そして、警戒心もない。
ズヤウの無愛想な対応をしても怯みはするが、あのとき助けてくれたからと、親鳥に懐く雛のように付いてくる。
旅路の途中でも、アセンシャの仮宿でも、常にズヤウの視界に映る位置にミレイスはいる。ズヤウの作業を見ては、すごいのね、と素直に驚き見てくる。
嫌いかと言われたら、べつに、と返すくらい。ただ、不快ではなかった。不思議なことに。単純な好意だけの他意はない視線だからだろうか。
ズヤウは自他共に認める人嫌いだ。主に他の意見はカイハンである。
これは生まれつきだったわけではない。育つにつれて好奇の視線が嫌になった。欲を向ける目がおぞましくなったのだ。
見目の良さはそういう目で見られてくれば自覚もする。ただそれ以上に、ズヤウの他とは異なる部分を恐れて遠回しに窺い見る視線も厭なものだった。
カイハンとズヤウは、風の国粛正の際の生き残りだ。生き証人でもある。
ズヤウの生まれは、比較的恵まれた身分ある良家だ。今はもう跡形もないため、意味もないが。
カイハンの乳兄弟として育ってきた。今から百五十年以上昔の話のことだ。
今でも各地で教訓話として語り継がれる風の国の失敗談。
王侯貴族の欲にまみれたやらかしに巻き込まれたズヤウたちは、気まぐれを起こしたシギに拾われて今に至る。ズヤウの目や隠さねばならない皮膚は、そのせいで起きたし、結果カイハンはあの形になってしまった。
だから、人は嫌いだ。欲深い者は特に。
人としてとうに寿命を終えた年を超えてからは、さらに人嫌いに磨きがかかるばかりで、シギに言われてあちこち使いに走らされなければ引きこもっていただろう。
できるなら、この先ずっと人目に触れずに過ごしていたかった。だが、現状は、このざまだ。
ズヤウの事情はシギも知っているくせに、ミレイスと仲良くしてはと言ってくる。
大方、仕事の一つという神々への物語の上奏になるのではと面白半分に思っているのかも知れないが、鬱陶しいことこの上ない。自分以外でしてほしいものだとつくづく思う。
いい加減、恩人だとしても嫌いになりそうだ。
助けてほしいとき、助けはなく、すべてが終わりかけてから気まぐれに救われた。ようやく諦観を覚えて落ち着いたころになって、急にアセンシャの元へ届け物をしろと放り出された。そして明らかに訳ありの女性を保護せざるをえなくなった。
さらには心当たりのある魔物とも再び出会ってしまった。
この街に来て以来、時折警戒網に引っかかるため、こうして一人出かけたときにちまちまと討伐しているが、再会の頻度が多くてげんなりする。
あの魔物は、かつての風の国で見た兵器もどきだった。魔法の力を吸って強制的に強力な生体兵器にする実験だった。ズヤウも受けたことがある。
それはきっと、ミレイスもだろう。
あの周囲の魔法を吸い取る現象は、覚えがあった。
(ああ、最悪だ)
仮宿に戻ってそんなことをこぼしてみたとする。ズヤウの知る限り、幼子レベルで純粋なミレイスは気にしてしまう。そして逆に「私もがんばってくるわ!」と飛び出しかねない。
素直は素直だが、変なところで行動力を発揮する。事前にズヤウに許可を取るだけマシだろうか。
精霊の性分か、それとも元々の性格なのか、ミレイスは約束事はきちんと守る。ズヤウがしっかり拒否をすれば、今のところは大人しく引き下がって仮宿にとどまってくれている。
(カイハンがいるから、見張りは必要ないが)
ズヤウが居ない間は、カイハンがミレイスの様子を見ている。
最近はどうやら勉強会などをしているようだ。ミレイスは隠しているつもりだろうが、魔法で探知をすれば移動をしているかどうか簡単にわかる。
それに、聞かずともカイハンがミレイスの情報をすぐに流してくる。やれ「今日の作法を学んだが、あの所作が可愛らしい」「発音が上手くいって喜んでいる姿は実に良い」だの、お花畑の思考を共有しようと話すのだ。
もともとカイハンはああいう調子で女性に構いたがる性格ではなかったはずなのだが。
ズヤウの知るかつてのカイハンは真面目で自分を厳しく律する性格だった。抑圧の反動とばかりに開放的な言動をするカイハンは、楽しそうではある。
これでも百五十年来の付き合いだ。良い変化かはわかりかねたが、悪いばかりではないだろう。きっと。そう言い聞かせて頭を振ってズヤウは道を急いだ。
「よう、若旦那。買い物かい?」
通りを歩いていると、声を掛けられた。
カイハンの余計な情報拡散のおかげで、ここら一帯の住民にはズヤウとミレイスは年若い訳あり夫婦と認識されている。
ズヤウの見目、特に目元を覆う布で視力に問題があると思われているから、こうして気に掛けて声をかけられるのも少なくはない。同情からか、情報も引きやすくなっているのは有難いが、不本意だ。
こうしてズヤウが街に出る理由は、第一に情報収集のためである。
ミレイスが持っていたあの指輪の解析を続けてみた上で、その背景を探る必要を感じたからだった。あれにたいした呪いや祝福はなかった。
だからこそ、何かが引っかかる。
そもそもミレイスがアセンシャに拾われた経緯は旅路の間で聞いたが、死体を器として精霊となるなど、眉唾物の希少すぎる存在だ。明らかになんらかの作為をズヤウは感じたし、形のなり損なった魔物が現れてからはその勘に確信すら抱いた。
「今日も安くするよ!」
「ああ、はい」
愛想を繕って、険を取り除いた声で返事をする。
振り返ると、何度か買い物をした食料店の店主が手を振って笑みを浮かべていた。
「愛しの嫁さんの体調はどうだい? まだ具合が悪いようなら、栄養満点のこれなんて買っていかないか」
「ああ、はい。そうですね、万全とはいえないので……では、これとこれを」
シギの元にいれば、用向きを任せられるついでに小遣い稼ぎでいくらでも稼げる。資金に困窮する事態はおこらないため、進められるがままに支払いをして受け取る。鞄に丸々とした野菜と果物を入れれば、愛想良く礼を言われた。
「いつもありがとうよ! 金払いが良い客の若旦那には、ちょっと残念な話があるんだ。聞いておくれよ」
「いえ、こちらこそいつも世話になります。それで、何か」
「実はなあ、家畜の肉や酒がこれからしばらく入ってこないって言うんだ。なんでもウチみたいな小売りへ卸す前に買い占めにあっているんだと」
「それは……戦が?」
「いやいや。噂なんだが、風の国の残党が集めてるだとか、お上が集めてるだとか……まあどちらにせよ、迷惑な話だよ」
「へえ」
「よく買ってくれる若旦那にゃあ悪いが、これから品薄になるかもしれねえってことだ」
「わかりました。いざとなれば、僕が狩って納品でもします」
「おや、その見た目だが腕は立つってのは本当かい。いやあ、頼もしいね。じゃ、もしものときは頼んだよ」
「ははは」
曖昧に笑って濁す。
カイハンの話の拡散力は広まりに広まっている。
噂の中のズヤウは、目が不自由ではあるが気配を探る達人でもあり腕の立つ狩人で、その力を持って深窓の令嬢だったミレイスを射止めて二人して駆け落ちしてきた、ということになっている。
年若い無謀さに苦い顔をする者もいれば、存在しないあくどい実家の所業から互いを思い合って逃げたことを祝福する者もいた。未だに言われて、ズヤウはそのたびに目元が隠れていてよかったと思った。
(反乱組織がいるのか、それとも戦の準備か……巻き込まれると面倒だな)
今となっては過去の国、関わりのないことだ。再興しようが荒れようがどうなろうが、ズヤウにとっては勝手にしてほしい事柄だ。
だが、得てしてこういうときは情報が動く。うまくすれば、ミレイスのことに関わる話や、不審な生き物や魔物を見つけた話など聞ける可能性もある。
人通りが多くなる前に仮宿へと足を向ける。今日の収穫はまだマシだ。
できる限り、何事もなく終われば良いが。そう願いながら仮宿のドアを開けて、居間へと入る。
「おかえりなさい、ズヤウ!」
「ただいま」
無邪気に微笑むミレイスが迎え入れる。ズヤウは僅かに目隠しの下で目を見張った。あの視線を奪うような美しい青ではない、黒い髪。ミレイスの姿に魔法がかかっている。ズヤウが出かけている間はしていないはずなのに。
「あのね、これを賜ったんです。それで」
いつもよりも上機嫌なミレイスは、左の腕をズヤウに見せてくる。繊細な造りの金の腕輪は、ミレイスの白くたおやかな腕によく似合っていた。
ズヤウは、再び嫌な予感がした。その腕輪から、覚えのある気配がしたのだ。
「シギ様から街で捜し物をしろって言われたの。ズヤウ、いいかしら?」
(……余計なことを)
あのとき感じた嫌な予感は、間違っていなかったと判明した。
早速、面倒ごとが起きてしまった。ズヤウは思い切り顔をしかめて、荒ぶる気持ちを抑えてため息を吐いた。




