一話
都市、カヒイは朝が早い。
元風の国の主要都市の一つであるため、人口が多く、朝な夕なに働く者が行き交う街なのだ。下町と貴族街からなる街の形は五角形。中央に行くほど権威の高い家々が並び、中心には執政官の館がある。
この形には理由がある。
他国である火、水、土、金、木を表しており、地理的には北西部でも力関係の中心は風の国であるということを示しているのだ。
もっとも、それはかつての栄華であり、水の国に呑まれた今は形ばかりの立派な城壁が残るのみ。ただ、魔物避けには役立っており、水の国の中でも堅牢な都市といえばと真っ先に名が上がる街である。
人が多い分、治安は良いとは言い切れないが、隠れ紛れるならば適した場所だ。
アセンシャの仮宿はその人々が多く行き交う道から外れた下町の住民街、その地下にあった。地上部分は目隠し目的の小さな家が建てられており、家屋の中に入って特定のことを行わなければ入れない扉を抜けると、広々とした部屋と施設に迎えられる。アセンシャ好みの浴室ももちろん完備されていた。
「おい、お前……ミレイス。少し出てくるが、お前はここから勝手に出歩くなよ」
「はい、わかっています。いってらっしゃい、ズヤウ」
ズヤウに運ばれて一日。それから回復を見計らって足で走り、歩いて数日。さらに途中で旅の人々に紛れて数日。
この街にたどり着くまで、夏の日差しは陰り、秋の訪れを告げる花の香りを風が運ぶようになっていた。草木は衣替えをしたように色直しをして、目を楽しませる。
あれから魔物に襲われることは多くはなかったが、次第にまばらになっていった。
それは、ズヤウがあの指輪を外してくれたからなのか、ミレイスの歌が止まったからかは定かではない。
実験だとばかりに、ミレイスの体調が戻ってからあの言葉を歌ってみろと言われて歌ったが、あのような魔物は現れなかった。
ズヤウたちは、文言と指輪が合わさったせいではと仮定して、明らかになるまでは考えないようにと言い含められた。ミレイスとしても、危険な目に巻き込むのは嫌だ。
ましてや、アセンシャの家の加護を無くしたのも自分のせいだとわかれば、やろうとは思えない。強く同意して、固く戒めている。
そんな旅路は順調だった。
ただ、一つ、問題が起きてしまった。
目くらましの魔法で人々の目を欺いていたが、箱入り娘と世話焼きな青年が一緒に旅をしているということは、興味を抱かれやすい事柄だったらしい。
それも、片方は目が不自由そうな上、お互いに鞄だけ装備した着の身着のままでいる。目立つのも無理はなかった。
魔法だってなんでも完璧ではない。特徴的な姿は認識されてしまう。ズヤウの隠した目元もそうだ。違和感なく人に印象づける効果があっても、さすがに目隠しはごまかしきれなかった。
さらには、ミレイスの髪色など容姿をごまかすための目くらましの魔法は、近くにいないと効果が薄れていく。必然的に距離は遠くに行けず目の届く距離にいなければならない。アセンシャの仮宿につくまで、基本的にミレイスはズヤウの手の届く範囲に居て、ズヤウに気にされながら歩いていた。
すると、こう聞かれたのだ。あれは親切心だったのだろう。悪気はなかったとミレイスは思い返す。
――あんたたち、訳ありかい? そんな少ない荷物で二人きりで、どういう関係だい?
カヒイの都へ向かう道中で出会った商人の一団、おそらく細君だと思われる中年の女性が心配そうにズヤウにたずねてきたのだ。
ズヤウは虚につかれ返答に詰まって、答えあぐねていた。まさか聞かれると思わなかったのだろう。
しばらく一緒に旅してわかったことだが、ズヤウは対人では必要最低限のコミュニケーションしかとらない。自分から相手に積極的に声をかけることは滅多に見なかったため、旅路の中で、ミレイスのほうがよほど上手だと思えるほどだった。
だがその時、代わりに、馬鹿正直に私たちはこういう者で、と言うほどミレイスは考えなしではなかったし、咄嗟のことを取り繕うほど他人と話す経験が育っていなかった。
二人して言葉を探してズヤウが口を開けたとき、ズヤウの声音でカイハンが言った。
「僕たちは、この国に住むために移住しにきた火の国の者でして。安全な場所に行くまでは、愛しい妻をすぐ側に置くというしきたりに従っているのです」
ズヤウの魔法によって、口の動きもそこまで怪しまれないとわかっていてのことだろう。ミレイスは、優しさにあふれた柔らかなズヤウの声音に固まってしまった。当のズヤウもである。
カイハンの言いくるめは素晴らしかった。
火の国では情熱的に恋人や家族を愛する習慣があるという知識を交えて、いかに傍らの女性が自分にとって大切語った。彼女が理想とする安住の地を探して、旅することも厭わない覚悟を情感たっぷりに言って聞かせた。
ミレイスやズヤウの知らない設定がポンポン飛び出しては生えていくが、カイハンはノリノリだった。
そして、その女性はそれを聞いて、大層興味を抱いて商人の一団に情報を拡散した。
さらには「こんなに年若い二人の愛の深さ」とやらに感動して旅路に付き添ったうえ、ミレイスたちの目的地である仮宿の周囲に住む人々に言って聞かせた。
ズヤウのこぼした「クソ鳥が」という怨嗟にまみれた声を、ミレイスはこの先忘れることはないだろう。
なおカイハンは、到着したあとでズヤウから言うも憚られる恐ろしい目にあったらしい。ミレイスには見せてはもらえなかったが。
そんなこんなの経緯があり、秋の涼しいこの時季をアセンシャの仮宿で過ごしながら、関係を取り繕いつつ過ごしているわけである。
少しでも仲良く見られるように言葉遣いも親しみを持つものに変えるよう指導も受けた。まだまだ距離は残るが、今後も要練習だとカイハンに言われた。
そして、そのついでで、不承不承のズヤウに名前を呼ばれるようになった。だが果たしてこれで仲良くなったのかは不明である。
ここに逗留して行うことは、ズヤウから説明を受けた。
ミレイスが操られるように口ずさんだ言葉、現れた指輪の解析だ。
ズヤウは巻き込まれたのにと申し訳なく思ったが、曰く、ズヤウやカイハンにも関係がある事柄らしい。だから、自分たちはシギに送られてきたのだろうとも。それ以上のことは聞けなかった。
ズヤウはカヒイの都内で情報を集めて戻っては、地下の居間にて指輪を弄っている。魔法が掛かっていそうだからと目隠しを外して何時間も向き合う。宵闇から朝日へと変化する空の瞳を窄めて、難しい表情をする横顔を何度も見た。
その姿を見れば、何か手伝いをと思うのだが、ミレイスに課せられたことは、ここで騒ぎを起こさず静かに過ごしてくれ、だった。何か手伝おうにも、邪魔だの大人しくしてろだの言われてしまう。
そんなこんなで今日も今日とて、外に出るズヤウを見送って待つミレイスであった。
(……よし)
ただし、大人しく待つばかりではない。
ミレイスはズヤウの姿が完全に見えなくなったことを確認して、居室の中空を見回した。
「カイハン、今日もお願いします」
「ええ。貴女が望むなら。ほら、もっと気楽に、ですよ。ミレイス嬢」
「えっと、はい。お願い! カイハン」
「はい、よく出来ました」
途端、どこからともなく子どもほどもある鳥の頭が現れる。カイハンだ。鷲に似た猛禽類の頭部を優雅にターンを描いて空を泳ぎミレイスの側へ降りてくる。
「では続きから」
頭だけの状態でもカイハンは風の魔法を使える。部屋の中に外の砂利を持ち込み集めて、空に文字や絵を描き出す。
カイハンは喋りが流暢なだけではなく、博識だ。
ミレイスの知らない国の歴史、文化、教養、はては作法に宝飾品などの目利きまで知っている。代わりに下町のことはあまり詳しくはないようで、ズヤウのほうがよほど詳しいという。それでも、ミレイスよりはよほど詳しく、教え方は丁寧だ。
例の指輪の手がかりになるかもと、ミレイスは空いた時間を勉強へと費やすことにした。
幸いだったのは、ミレイスの覚えが良かったことだろうか。理由はなんとなくわかる。
元の体、昔の自分の知識にあったことなのだろう。カイハンもなんとなく察しているのか、深くは触れず、ただ優しく褒めそやしてくれた。女性の扱いが非常に巧みなカイハンである。よくズヤウに意見しては冷たくあしらわれているが、ズヤウもカイハンの言うことには耳を傾けて参考にはしているらしい。
未だに周囲に年若い訳ありの夫婦と思われているため、それに関わる話題追求の躱し方に利用しているようである。
本日もカイハンから講義を受けてしばらくして、カイハンは話の種にと物語を話し始めた。ミレイスの飽きがこないように、こうして時折知っていることを聞かせてくれるのだ。
「……さて、ミレイス嬢。休憩ついでに何かお話をしましょうか。ご希望は?」
「この間はこの街の起こりについて教えてくれたでしょう? ええと、そうね。カイハン、どうしてこんなに立派な街があるのに風の国は水の国に呑まれたのか、というのは?」
「これは、教訓話にもなった有名な話なのですが……ミレイス嬢、風の国に聞き覚えは?」
「アセンシャ様に聞いたことがあるわ。シギ様の怒りに触れてしまったのでしょう?」
「はい。まあ、たまには、昔話もいいでしょう。昔……百五十年ほど前のことです。恐れ多くも、神々にさえ己の力が及ぶと思い上がった者たちがいました」




