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神様の手先の手先  作者: わやこな
夏のはじまり
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十話


 目覚めは、また揺り起こされてのことだった。

 目元が冷え冷えとしている。

 ゆっくりと目が開けば、何故か視界はにじんでいた。

 近くに見えるズヤウの姿がぼやけている。ぱちぱちと瞬きすれば、ぽろぽろと目尻から顎へと水滴が伝っていく。

 辺りはまだ薄暗い。建物内部の分厚い窓ガラスは不透明で、外の様子はよくわからないが暗いということはよくわかる。外はまだ夜闇に包まれたままなのだろうとミレイスは思った。


「起きたか」

「ズヤウ、私」

「ほら、これで拭け」


 寝袋から這い出る。肩を支えられて起こされ、柔らかな素材の手布を渡された。

 言われるがままミレイスが目元を拭えば、今度は木製のカップを握らされた。中には湯気を立てる飲み物が入っている。

 いつの間に煎れたのだろう。簡易な焚き火台の上に金属ポットが置かれていた。


「薬湯。気が紛れる」

「ありがとうございます」


 受け取って礼を言う。すぐに離れるかと思ったが、ズヤウはミレイスがカップに口を付けるまでじっと待っていた。

 一口。

 ほどよい暖かさが口内に広がって、喉奥へと落ちていく。

 花の香りは、気持ちを落ち着かせることに一役買った。数口飲んで、膝にカップを置いて両手で持つ。それを確認して、ズヤウはそっと問いかけてきた。


「夢見が悪かったろ」


 ズヤウを見る。

 ミレイスの斜め前、少しだけ間を空けて地べたに座ったズヤウは、ためらいがちに口を動かした。


「寝言が聞こえた」

「私、起こしてしまった?」

「いや……元々、僕は眠りが浅い」


 焚き火台の下は火が灯っていた。

 火種や薪がないのに明々と火が踊って、ぼんやりとズヤウの手元を照らしている。黒手袋をした長い指先が小さく動くたびに、合わせて火の粉が舞った。

 微かな風が流れているのだ。火の粉は、動物の形を作って跳ねてみたり駆けだしてみたりと、ミレイスの前に現れては消えていく。

 驚いて見ていれば、くるくると周り次々と形を変えて鳥になり、花になって散った。


(火の魔法? それとも風の魔法かしら? こんなこともできるのね……なんて、綺麗)


「気が紛れたなら、早く休め。朝は早くに出る」


 そう言うズヤウは寝るつもりはないのか、始め眠る前に出していた寝袋を傍らに畳んでいる。


「ズヤウは?」

「目が覚めたから、このまま起きて見張り」

「それなら、私も」

「いらない。僕は慣れているが、お前はそうじゃないだろ。それに、カイハンも危機察知だけは優秀だ」


 だから、安心して寝ろ。

 そう言いたいのだろう。カイハンはと見れば、カイハンはすやすやと眠っている。頭だけで寝返りをうっては、クチバシからは安らかな寝息を立てていた。


「何かあったら起きる。いい目覚ましになるさ」


(あ。今、少し笑った)


 まだ少年の面影を残す頬の輪郭が、僅かに緩むのが見えた。そうしていると、年相応らしさが浮かぶのだなと感じながら、ミレイスはカップをズヤウに差し出して寝袋に戻った。


「ズヤウ、ありがとう。おやすみなさい」

「おやすみ」


 眠りにつきやすいように配慮をしてくれたのだろうか。

 ズヤウはたき火に手をかざして火の明かりを弱めてくれた。


(今夜のズヤウは、なんだか優しいわ)


 それにほんの少し、仲良くなれたように思えた。夢見の少女を見た悲しい気持ちもまだ残ってはいたが、ほんのりと暖かい心地が胸を満たして慰めてくれた気もする。

 もう一度小さく、礼を呟いてミレイスは再び目を閉じた。




 翌朝。

 カイハンの朗々とした声で目が覚めた。

 ミレイスは目蓋を擦ってゆっくりと這い出ていれば、なにやらズヤウはカイハンを掴んでいる。

 よくわからないながらも寝袋を出て、伸びをする。ついでに両手でお椀を作って水を魔法で出し、顔を洗う。残りは浄化して空気中へ散らす。

 いつもの朝の行動を終わらせてから、もう一度ズヤウたちを見れば、相変わらずカイハンはズヤウの片手に捕まれて訴えていた。


「ああーっ! えん罪! えん罪ですズヤウ! 私は天地神明に誓って、ミレイス嬢の寝袋に入っていませんとも! うっかり、うっかり人肌恋しくなって寄りかかったのでああーっ、砕けます! 砕けますよズヤウ!」

「僕が目を離したのが悪かったのか? それとも鳥頭の思考の浅さが僕の想定よりも下だったのか? なあ、どっちだ」


 賑やかだ。ともすれば騒々しいくらいの賑やかさでカイハンは懸命に弁明していた。

 対するズヤウは、不機嫌そうに口を曲げている。目が見えたなら非常に冷たい目をしていただろうと予想ができるほどだ。

 声をかけようかと迷っていると、カイハンと目が合った。橙色の丸い鳥目がぱっちりと見開かせ、ミレイスに明るく声をかけてきた。


「お目覚めかな、ミレイス嬢! 眠る貴女も物語の美姫もかくやでしたが、目覚めた貴女の生き生きとした瞳には叶わないでしょう」

「本当に口だけはよく回るな……おはよう」

「おはようございます。ズヤウ、カイハン」


 ぽい、と放られて自由になったカイハンは、優雅に空を動いてミレイスの側に来た。


「今日より私が案内を務めます」

「案内って?」

「貴女の安全を確保するための旅路ですとも。昨晩受信しまして。ともあれ、西の御方より伝言をお預かりしています。再生しましょう」


 そういうと、カイハンの瞳が金色の猫目に変わる。まるでアセンシャの眼だと思っていると、クチバシからは聞き覚えのある艶美な女の声がした。


「不届き者が家を訪れたけれど、大丈夫だったかしら? 傷の一つでも負っていたら、わたくし、怒っちゃうわ。お弟子さん、そこのところよろしくね? ああ、それと、ごめんなさいね、可愛い子。自由に動けるなら、すぐにでも元凶を諸共破壊したいところだけれど、それもちょっとできないの」


 続々と心配の言葉が急流のように押し寄せる。


(アセンシャ様!)


 アセンシャの声は、ひとしきりミレイスを心配するものと、どうやら自由に動けないらしい現状への憤りを話して、言葉を句切る。


「――ところで、シギのお弟子さん、やっぱり美しいんじゃない! そこの鳥くんに聞いたわよ! シギ譲りでそういうことをちゃんと教えてくれないなんて! わたくし、美しいものは大好きよ。是非ミレイスと並べて見てみたいわね。ああ、早く会えると良いのだけれど……あっ、マネエシヤ様、聞いてくださいます!? わたくしの可愛い子と可愛い子が」


 唐突にぶつりと声は途切れた。


(アセンシャ様)


 続けざまに、喜色を浮かべた怒濤の言葉たちにミレイスは力が抜けてしまった。

 ズヤウはと見てみれば、なんと言って良いのかわからない反応だ。無言でアセンシャの声を放つカイハンを向いている。気を悪くしていないと良いがと、ハラハラしてしまう。

 カイハンはクチバシを数度鳴らすと、くるりと横に回転してウインクをしてみせた。


「以上、西の御方からです。また、西の御方の仮宿を使用させていただくご許可もいただいております。準備ができたら、向かいましょう!」

「え、ええ……そうですね」

「カイハン、場所は?」

「ズヤウ、地図を」


 気にしているのはミレイスだけらしい。

 ズヤウとカイハンは鞄から取り出した地図を見て話し合っている。動じないところに、慣れたものを感じる。アセンシャの言葉の通り、以前にも何回も聞いていたのかもしれない。尊敬するべき人物だが、そういうところはちょっと困った方だと思わずにはいられない。

 しかし、こうもアセンシャが喜ぶということは、ズヤウの容貌はかなりのものなのだろうとわかる。とはいえ、アセンシャの美的感覚はたまに独特な時がある。

 例えば、体の部位の一部分が図抜けていいだとか、精神性が美しいだとか、歪みを貫く姿勢がよいだとかと言うときもあった。今回の喜びようからして、おそらく前者の単純に優れた容姿なのだろうなとミレイスは推測する。目元を隠していても顔形はなんとなくはわかるものだ。

 じ、と見ていれば、異性の体つきは自分とやはり違うなとミレイスは思う。

 顎のラインや首元、肩周り、骨格。頼りない体格のミレイスに比べて、しっかりとした体つきをしている。


(そういえばこんなに近くで男の人と見比べるなんて、したことがなかったわ。こんなに違うのね)


 そしてやはり気になるのはアセンシャが言っていた「不届き者」と、カイハンの「魔物が狙っている」「安全を確保する」だ。

 昨晩、突然ズヤウによって連れてこられたことについては、ミレイスが狙われているからだと、わからないなりに把握している。だが何故そうなのかは誰も教えてくれなかった。

 そもそも不届き者は魔物のことなのだろうか。わからないことが増えていく。

 精霊種の亜種で珍しいからと捕食されようとしている?

 それともアセンシャの保護下にいることが知られた誰かに、足がかりにされようとしている?

 どちらもありえそうな理由だが、明確な答えはない。魔物に意識があるのかもよくわからないのだ。


(もしかすると、私が、私のことを思い出せば、わかるのかしら)


 思い出すと言えば、夢の中の少女だ。

 左手の親指をおもむろに見てみたが、そこには何も嵌まっていない。

 あれは確かに、アセンシャの家で見た指輪だった。そして、それはどうしてかミレイスの親指にあり、少女はそれを外してくれと何度も訴えていた。


(そういえば、指輪の言葉は何故だめだったの?)


 左手を見下ろしても答えはない。

 あの木の指輪。側面に刻まれた言葉。じっと考えているうちに、あの指輪が嵌まっている親指の関節を右手で触れてみる。すると、不思議なことに感触があった。木の、ざらざらとした質感。

 そして徐々に左手にうっすらと指輪が見えはじめた。ここにはないはずの、あの指輪だ。

 幻覚だろうか。眼を瞬かせて驚きの声を上げようとして失敗した。


「……ッ」


 口が動く。声に出そうとしていないのに、勝手に唇が開き喉が震える。


「幸へ給へ」


 乾いた音がした。



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