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神様の手先の手先  作者: わやこな
夏のはじまり
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一話


 山間に隠れるような奥まった場所。草木があたりに生い茂り、お世辞にも整備された区画とは言えない。

 半ば木々の葉に隠れた木造の家は古めかしく、壁には蔦が伸びて張り付いている。外観からして人が住むには難があるボロ屋と言っても差し支えない様相だ。曇った窓からは中の様子も見えない。代わりに、屋根から伸びた煙突が白い煙を上げていることで、中に人がいるのだと伝えていた。

 朝日はすっかり昇り、燦々と日差しが降り注いでいる。暑くなる前に出かけて正解だった。

 ミレイスは、背負子(しょいこ)にくくりつけた籠の中身を確認して家路へと急いだ。

 草の根を踏み分けて、土が見え隠れしているだけのわかりづらい細道を抜け、視界に家を映してほっと息を吐く。

 家は目の前のぼろ屋だが、ミレイスにとっては特別な家だった。

 ここで暮らして約二年ほど。短い期間だが、思い入れは一入(ひとしお)である。


「ただいま戻りました」


 言いながら家のドアを開けて中を覗く。返事はない。おそらく夢中で作業をしているのだろう。ミレイスはそう予測して、静かにドアを閉じた。

 玄関からすぐの居間、その右手側にある台所。浴室や個室もあるが、全体的にこぢんまりとした家だ。外観の古ぼけた様子とは裏腹に、内装は人心地ついた生活感あふれる空間が広がっている。

 年数をかけて過ごしたことで見慣れた部屋の中を歩いて、流し場の傍らに背負子を下ろす。

 今日は頼まれていた木の実や草花を採取したが、おそらく間違いはないだろう。ごそごそ中身を探って、仕分けをする。少しの手間だが、ミレイスはこの作業が好きだった。地道な作業を無心に行うと余計なことを考えなくて良いからだ。まだ朝露が混じる植物を丁寧に分けて台所にある木箱へと移す。

 黙々と続けていると、背後から軋む音がする。


「あら、ミレイス。おかえり」


 美しい艶やかな女の声。

 振り向くと、気怠げな美女が個室のドアから上半身を覗かせていた。赤胴色のゆるやかな巻き毛は、はっとするほど整った女の顔に掛かって、そのまま腰元あたりまで伸びている。紅く色づいた唇がミレイスの名前を再び呼んだ。


「ミレイス、いつもありがとう。ごめんねえ、手が離せなくってお出迎え出来なくって」


 礼を言われた。

 そのことにミレイスは、心が熱く灯った心地になる。作業の手を止めて、慌てて首を横に振った。


「アセンシャ様、いいえ、大丈夫です」

「そーお? 貴女ったらいつも張り切ってお仕事するんだもの。無理は禁物よ」

「無理なんて、していませんよ」

「夏の日差しは、貴女にとって酷かもしれないわ。気をつけるのよ」

「はい、お気遣いありがとうございます」


 アセンシャ。ミレイスの保護者でもあり、恩人。本来ならミレイスなんてお目通り叶うのも恐れ多いくらいの、目上の人物である。

 そも、この世界は神々が気まぐれで作って見守る世界だ。創生神話にもあるが、事実その通りにこの世界は成り立っている。


 はじめに世界の創造主である二柱の神々が、一柱の神を作って管理を任せた。

 そしてその手足となって、あれこれと世界の観察をする者を造り出した。その一人が、このアセンシャなのだ。もう一人、こことは離れた東の果てにいるそうだが、ミレイスはまだ目通り出来ていない。当然だ、ミレイスはこの世界に偶然生まれただけの命で、神々の観察対象の一つなのだから。会いたいと思って会えることなんて大海の中から落とした石ころを見つけるくらい難しい。

 そんなアセンシャに出会えたことは、ミレイスにとって本当に幸運なことだった。


 ミレイスは、この世界の魔素溜まりとなった湖で生まれた水精の亜種だ。

 なぜわかるかというと、精霊種はそもそも実体を持たないし、言語を解しない。進化した特別な個体でも意思の疎通は難しい、そうアセンシャから説明を受けたからだ。

 しかし、ミレイスには体がある。意思もある。言語も解してコミュニケーションを取ることも出来た。

 その原因は、ミレイスの生まれが特異な状況下であったことにある。魔素溜まりが出来る前に遺棄されていた死体。それがミレイスの正体だった。

 本来ならば、魔物である死霊や屍鬼になっているだろう。

 そうならなかったのは、ミレイスの体が特別魔力を吸収しやすい体だったからということと、偶然できた魔素溜まりが類を見ないほどの高濃度だったからという奇跡だった。

 そしてミレイスが生まれる瞬間に、アセンシャが立ち会って、拾われたのだ。

 右も左も解らない世界をどうにかこうにか過ごしていけるようになったのは、ひとえにアセンシャがいたからだった。

 アセンシャは、非常に高い位を持つ立場だというのに、決して驕慢にはならず、慈悲深く接してくれた。「私は面倒見がよくてね」といたずらっぽく笑った金の瞳に、ミレイスは涙を流すほど安心感を覚えたのだ。


 ――いと慈悲深き赤穂の君。


 この世界で有名な神の使徒の尊称だ。

 それが、アセンシャのことだと知って、ますます尊敬を覚えた。へりくだって接しようとすれば、アセンシャは嫌がったので、どうにかこうにか過剰に敬う態度を表に出さないように心掛けている。ただし、丁寧な態度は崩さないように。

 ちなみに、もう一人存在する使徒の尊称は『いと賢き強大なる金腕の君』という。アセンシャは、この尊称を聞いて鼻で笑っていた。どうやら相当に親しい間柄らしいが、ミレイスにはわからない長年の積み重ねがあるのだろうと解釈しておいた。

 なにせこの世界に再び生まれ直したとも言えるミレイスと違って、アセンシャはゆうに千年は超える長命者。世界の管理者たるマネエシヤという神の配下ゆえに、年も取らず死にもしないという。本当に特別な御方だと、聞いたときは感嘆したものだ。

 アセンシャは自称面倒見が良いと言うだけあって、細々と丁寧に日々の生活の世話をしてくれた。

 だから、ミレイスは頭が上がらない。尊敬すべき、素晴らしい御方だと心から思っている。


「今日もたくさん頑張ったわね」


 ドアから出てきたアセンシャがミレイスの片付けた素材たちを見て、にっこりと笑う。見た目は妖艶な美女なのに、破顔すると親しみやすい印象へと変わる。

 優しい女神様のような御方だわ、と恥じらいに紅く染まる頬を隠してミレイスはうつむいた。

 土地に紛れるために野暮ったい薬師の格好をした自分と比べて、黒い品の良いドレスローブを着たアセンシャは今日も輝くばかりに美しい。威厳を示すための窮屈な格好をアセンシャは嫌がるとミレイスは知っていたが、やはり美しいアセンシャには美しい格好がよく似合うと思わずにはいられない。


「でもそんな頑張った貴女に、また一つ頼んでしまうのも忍びないのだけれど、いいかしら」

「は、はい! なんなりと!」


 受けないわけがない。他ならぬアセンシャの頼みごとだ。

 張り切って頭を上げると、アセンシャは豊満な胸元から一つの宝珠を取り出した。胸の間からというよりも、体の内側から出てきた真円は手のひらよりも少し小さな大きさだ。曇りや小さな傷一つない完璧な透明の玉は、これだけで相当の値打ちがある宝物だろうと察することが出来た。

 アセンシャがその宝珠に向かってそっと息を吹きかけると、淡く輝き上空に映像を投影した。

 アセンシャと暮らしてきてこういった不思議な道具は見慣れてきたつもりだったが、まだまだ知らないことばかりだ。ミレイスは息を飲んで映像を見上げる。

 映像には、アセンシャに匹敵するほどの美貌を持った男がいた。

 褐色の肌をした金髪碧眼の立派な体格の美丈夫。

 見た目だけでかなりの威圧感を与えかねない男は、切れ長の瞳を右から左へとゆっくり動かして大きな口の口角を上げて言った。


「あー、アセンシャ。私の使いが近々そちらへ行く。もちろん、報告と君への贈り物もかねてだ。出来ればもてなしてくれるとありがたい。それから託宣の件で」


 そして突然映像が途切れる。

 アセンシャが宝珠をしまったのだ。再び胸元に押し込むようにすると、跡形もなく消える。そうして、アセンシャはミレイスに微笑みかけた。


「見えたかしら? さっきの……シギという男の使い、お弟子さんがね、近々こちらに来るようなの。貴女もわたくしの身内みたいなものでしょう? だから、顔合わせもかねてお迎えに行ってほしくって」

「シギ、様ですか。あの、いと賢き強大なる金腕の君様?」

「ああ、ふふっ、そう。その変な異名を持つ男の弟子よ。名前は何だったかしら? 残念だけど、わたくしも数回しか顔を見たことがないのよね」


 そうね、とアセンシャは呟いて指先を振る。途端、布の切れ端が飛んできた。


「でも、大まかな姿形なら分かるわ。これを見て探してちょうだい。場所も書いておきましょう」


 布の一部が焼けて、みるみるうちに焼き記されていく。

 アセンシャほどの腕前ならば細やかな魔力を使っての動作もなんなくこなせるのだろう。

 水精であるミレイスは、自身の象徴でもある水を自在に操るくらいしか十分にできない。他の魔法は得意ではないのだ。それでも十分だと言われるが、比べる相手があいにくアセンシャだったので、未熟さに目が行くばかりだ。

 もう一度アセンシャが指を振ると、ミレイスの手元に文字や絵が焼き記された布がやってきた。

 布を焦がして描かれた人物画から読み取れる情報は、見た目がミレイスと同じ年頃らしいということと、目が不自由なのか包帯をぐるりと目の部分に重ねて巻いて隠しているということだ。

 落ち合う予定の場所も書かれている。ここから数日徒歩でいけばたどり着く街だ。ミレイスも何度か行ったことのある街の名前に、これならどうにか行けそうだと安心する。


「ありがとうございます、アセンシャ様」

「どういたしまして。行く前に、体調を整えて行ってらっしゃいな。明日の朝起てば、ちょうど街で落ち合うでしょう」

「はい」


 うなずくと、アセンシャはにっこりと笑う。


「仲良くしてあげてね。もし、素敵なお話が出来たのなら教えてほしいわ」

「あ、は、はい」


 これには、ためらいながらの返事になってしまった。

 アセンシャの仕事の一つに、世界の国々の恋愛話を神々に奏上するというものがあるのだ。

 創造主たる神々が望んで集めさせている。なんど聞いても不思議な話だった。




2025/7/20追記 全編、分量の調整や細かな文章の変更など行いました。

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