突然の求婚 その四
この日は第一騎兵部の任務の説明を聞いたり、狼魔女についての対策を聞いたりするだけだった。太陽が傾きかけたころに、勤務時間の終了が言い渡される。
「このあとは、好きに過ごせ。専属の侍女も用意しておいた」
「え?」
ディートリヒ様が合図を出すと、ブルネットの髪を綺麗にお団子にした美女がやってくる。年頃は二十代半ばくらいか。クールな印象がある。
「メロディア様、お仕えさせていただく、ルリと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「え、ええ」
たかが騎士一人に、侍女が付けられるなんて破格の扱いだ。必要ないように思えるが、なんとなく遠慮してはいけない雰囲気がある。
「メロディアを部屋に案内してやれ」
「かしこまりました。メロディア様、こちらへどうぞ」
「はあ」
ルリさんはキビキビと廊下を歩いていく。私は小走りであとをついていった。
ふかふかの絨毯が敷かれた長い廊下を歩き、煌びやかな玄関広場に到着する。そこから外にある独身寮へ案内されると思いきや、螺旋状に伸びた主階段を上がっていった。
長い廊下を歩き、大きな二枚扉の前でルリさんは立ち止まる。
「メロディア様、こちらが旦那様の私室で、お隣がメロディア様の私室となります」
「え?」
なぜ、ディートリヒ様の隣の部屋が私の私室となっているのか。
「間違いではなく、ここが私の部屋なのですか?」
「ええ。なんでも、部屋がここしか空いていないようで」
「……」
こんな広い屋敷の中で、一部屋しか空いていないなどありえないだろう。私なんて、屋根裏部屋でいいのに。
とびらが開かれ、「どうぞ」と言われたら入らないわけにもいかない。恐る恐る足を踏み入れると、華やかな内装に目がくらみそうになった。
煌々と輝く水晶のシャンデリアに、精緻な蔦模様が織り込まれた絨毯、艶のある美しい円卓に、見ただけでふかふかだとわかる長椅子。それから、レースの天蓋付きの豪華な寝台。
「続き部屋となっているお隣が専用の浴室と手洗い(プリヴィー)、衣裳部屋お向かいに書斎となっております」
「え~っと……はあ」
言葉が出てこない。おおよそ、一介の騎士の扱いではないだろう。
まだ、ディートリヒ様の婚約者というほうが、しっくりくる。
「いいや、ありえない!」
「え?」
頭を抱え叫んでしまった。ルリさんから怪訝な表情で見られてしまった。なんでもないと言って誤魔化した。
「浴室に湯を用意しております。よろしかったら、先にお風呂をどうぞ。お手伝いが必要であれば、数名呼びますが?」
「いいえ、必要ありません」
夜になったら狼化するので、早くお風呂に入ってしまわなければ。
「あと、お食事は部屋で各々取ることになっております。ご理解いただけたら幸いです」
ディートリヒ様が狼だからだろうか。その点は、ホッとする。
「あ、給仕は必要ありませんので、料理を並べておいていただけたら嬉しいです」
「かしこまりました」
狼の姿は、なるべく他人に見られたくない。隠し通すなんて難しいだろうが。
とりあえず、急いでお風呂に入ることにした。結んでいた髪を解き、隣にある浴室に移動する。
「わあ……」
浴室は赤薔薇柄のタイルが張られていた。床は白い大理石で、猫足のバスタブが置かれている。湯は白く、甘い香りが漂っていた。まるで、お城に住むお姫様のような待遇である。ただ、うっとりと夢心地でいる時間はない。早くお風呂に入らないと、狼化してしまう。
手早く髪と体を洗い、少しだけのんびり湯に浸かった。
髪を乾かしたあと、いつもの発作が現れる。狼化が始まるのだ。
息が荒くなり、あっという間に意識が朦朧となる。浴室で風邪を引かないよう、大判の布を体に巻き付けて倒れ込んだ。
目覚めると、いつもの狼の姿となっていた。浴室には、全身を映すことができる鏡があったので、自分の姿を確認してみた。
ピンと立った耳に、丸く緑色の目、長い鼻先に、鋭い牙、長くふさふさの尻尾。そして、濃い紫色の体毛と、紛うかたなき狼の姿となっている。
ただ、野生の狼のように、獰猛そうな見た目ではない。犬のように、愛嬌のある見た目に近い。自分で言うのもなんだけれど。だからこそ、ミリー隊長は私を保護してくれたのだろう。
寝室兼居間のほうでは、食事の準備が整っているようだ。先ほどから、いい匂いが浴室にまで流れてきている。人の気配もないようなので、移動した。
扉は狼化した時のことを考えて、少し開けておいたのだ。鼻先で突くと、扉は開かれる。
部屋の中心にある円卓には、白いテーブルクロスがかけられていた。前足をかけ、円卓に置かれた料理を覗き込む。
「わ……!」
グラスには葡萄果実が注がれ、前菜のキノコのテリーヌに、魚のパイ、メインのアヒルのローストに、貝のグラタン、ニンジンのサラダにチーズの盛り合わせ、食後のデザートは木苺のタルトと果物の盛り合わせだ。豪華な料理が所せましと並べられている。
思わず、涎をゴクンと飲み込んだ。私のために用意された料理なので、食べても問題ないだろう。
しかし、どうやって食べようか。椅子に跳び乗ると、目の前にスープが置かれていた。匙を持つことなんてできない。このまま飲むしかないだろう。
お行儀は悪いけれど、仕方がない。
神に感謝を、と言ったがわうわうとしか言えなかった。ディートリヒ様は喋ることができたのに……。呪いを受けた狼と、獣人の違いなのか。
料理はおいしくいただいた。案外、なんとかなるものだ。
一時間後、ルリさんが扉の外から声をかけてきた。
「メロディア様、ホットミルクを持ってまいりました」
「……」
狼の姿は喋ることができない。もう一度ルリさんは声をかけるが、「わん」としか言えないので返事はできなかった。
「……では、十秒数えますので、そのあとに入りますね」
なんてできる人なのか。心の中で感謝しつつ、ルリさんが十秒数えている間に私は寝台に上がり、布団の中へと潜り込んだ。
体が見えないよう工夫しつつも、隙間から部屋の様子を窺う。
「失礼いたします」
扉が開かれ、ルリさんはワゴンを押して入ってきた。
ホットミルクの甘い香りと、焼き菓子の匂いがした。食事を食べたばかりなのに、自然と尻尾が左右に揺れる。狼化すると、鼻が利きすぎる上に食いしん坊になるので困る。
「メロディア様、お休みになっていらっしゃったのですね」
そう呟きながらも、テキパキと円卓の上を片付けている。新しいテーブルクロスがかけられ、その上にカップとお菓子が置かれた。
「カップなどは明日の朝片付けますので」
そう言って、部屋から出て行った。
ルリさんの足音が遠のいたのを耳で確認したあと、寝台から這い出る。
そして、円卓に用意されたホットミルクとお菓子を堪能させてもらった。
焼き菓子は今が旬のリンゴを使ったパイだ。表面にパリパリとした飴が塗られていて、キラキラと輝いていた。口に含むと、飴のパリパリにパイ生地のサクサク、リンゴの甘露煮のシャクシャク感と、さまざまな食感があってとてもおいしい。
このリンゴパイと、ホットミルクが驚くほど合うのだ。
ホットミルクはよく、母が作ってくれたことを思い出す。飲んでいると、心までも温かくなった。
その後、眠くなって布団に潜り込んだ。布団はふかふかしていて、枕の下に薬草が挟んであったので良い香りがする。
今日一日、いろんなことがあった。
フルモッフと似た犬を見かけて歓喜し、求婚され、贅沢三昧な待遇を受ける。
狼魔女の話は、ゾッとしてしまった。両親が遺したメッセージの魔女が狼魔女のことだとしたら、私にも関係のない話ではないだろう。
この先、どうすればいいのか。考えても、答えは見つからない。
ふわ~~と欠伸をしたのを最後に、ぐっすり眠ってしまった。