突然の求婚 その二
ヒュウと音を立てて強い風が吹き、どこからか美しい花びらがはらはらと飛んでくる。
今、求婚された気がするけれど、気のせいだったのか。
青い瞳は、私に熱烈な視線を向けているように見えるけれど……。
結婚? ないない。ありえない。
私はすぐに立ち上がり、会釈した。
「あの、私、今から仕事ですので。えっと、失礼いたします」
深々と頭を下げ、そそくさとその場を去る。追って来たらどうしようと思ったけれど、私に続く足音は聞こえなかった。
重厚な玄関口に辿り着くと、そこから建物をくるりと回って裏口を目指した。
貴族の邸宅の玄関は、住人と客人のためにある。私は仕事でやってきたため、裏口から入らなければならないのだ。
公爵家は、裏口も立派だった。獅子のドアノックを鳴らしたら、赤毛にそばかすのある十五歳くらいの若いメイドの女の子がひょっこりと顔を覗かせた。
「どちらさまでしょうか?」
「あの、私は、王国騎士隊の者で、入隊についてお話を聞きにきたのですが」
「王国騎士隊……ああ、入隊をご希望されているのでしたら、お断りするように言われていまして」
「えっと、そうではなくて……」
「書類はお持ちですか?」
「はい」
最初から、異動届を出したら話が早かったのだ。すぐさま取り出し、メイドへ差し出す。
「えっと、こちらをしばし預かってもいいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
パタンと裏口の扉が閉められるのと同時に、冷たい北風が吹いた。今日は肌寒い。本格的な冬が訪れようとしているのだ。外套の合わせ部分をぎゅっと握り、寒さに耐える。
それにしても、立派な建物だ。五階建てくらいに見える。屋敷の後方にある、二階建ての建物がフェンリル騎士隊の騎士舎だろうか? それとも、独身寮か?
キョロキョロと見回していると、裏口の扉が開かれた。焦った顔を覗かせてきたのは、お年を召した紳士である。
「ノノワール様、申し訳ありません! 情報の伝達が行き届いておらず……どうぞ、中へ」
「は、はあ」
適当な対応から、手厚い対応へと変わる。
メイドがあのような対応をしたことには、深い理由があったらしい。
フェンリル公爵は二十三歳と若く、独身だ。そのため、あの手この手を使ってお近づきになろうと、貴族令嬢が押しかけてくるらしい。
フェンリル騎士隊に入隊し、働く中で気に入ってもらおうという手段も、日常茶飯事だったようだ。
そんなわけで、私もフェンリル公爵と結婚を望む貴族令嬢と勘違いされてしまったようだ。
「本当に、申し訳ありません」
「いいえ、お気になさらず。しかし、大変ですね」
「ええ……。旦那様が結婚適齢期であるがゆえに」
「婚約者はいらっしゃらないのですか?」
「はい。私共には、真なる愛を探しているだのなんだのとおっしゃって」
「はあ」
公爵家の妻となれる女性を、フェンリル公爵は吟味しているようだ。なんというか、大変だなと他人事のように思ってしまう。
「こちらで、旦那様がお待ちです」
「ありがとうございます」
会釈をしたあと、扉をノックする。
「入られよ」
すぐに、返事があった。どこかで聞いたような声だが、気のせいだろう。ドキンドキンと高鳴る胸を押さえ、中へと入った。
中は思いのほか広い。ふわふわの毛皮がかけられた長椅子に座っているのは、モフモフの毛並みを持つ大きな白い犬だった。
「よく、来た」
「はい?」
「メロディア・ノノワール魔法兵、そこにかけられよ」
「……」
「聞こえなかったのか?」
「あ、いいえ、聞こえておりました」
ぎこちない動きで部屋の中へと入り、一度会釈をしてから椅子に腰かける。
「ふむ。先ほどぶり、だな」
「え、ええ」
どこかで聞いた声というのは、気のせいではなかった。目の前にいらっしゃるのは先ほど庭で出会ってフルモッフと勘違いして抱擁し、あろうことか私に求婚してきたモフモフに間違いない。
もしや、彼がフェンリル公爵なのか。震える声で、話しかけてみる。
「あ、あの、本日はお日柄もよく……」
「曇ってきておるぞ」
先ほどまで天気がよかったのに、灰色の雲が広がってきている。まるで、私の心の内を映し出しているかのような空模様だ。
「えっと、私は、メロディア・ノノワールと申しまして」
「私は、ディートリヒ・デ・フェンリルである。知っての通り、フェンリル公爵家の当主であり、フェンリル騎士隊、第一騎兵部隊の隊長でもある」
やはり、彼はフルモッフではなかったようだ。それ以上に、犬が公爵であり、第一騎兵部の隊長である事実に驚きを隠せない。
「あ、あの……フェンリル様、とお呼びしても?」
「ディートリヒと、呼び捨てでいい」
「それはさすがに……」
「呼びかけは、名前以外許さない」
「……で、では、ディートリヒ様、で」
「ふむ。まあ、いいだろう。私も、メロディアと呼ぶが、構わないな?」
「ええ、まあ」
呼び方はひとまず措いておき、まずは気になることを聞いてみる。
「ディートリヒ様は、獣人、なのですよね?」