突然の求婚 その一
異動の際、ミリー隊長から餞別をいただく。それは、騎士隊が持て余していた戦馬クロウである。
「とんでもない餞別をもらってしまった……」
横目で見ると、クロウは「ヒン」と短く鳴いた。
訓練の結果、走行はいささかマシになった。けれどそれも、私が騎乗している時限定だったのだ。その結果、クロウは私専用の馬となってしまった。
「まあ、馬を持つことなんて生涯縁がないと思っていたし、財産だと思えば」
「ヒヒン」
私はクロウに跨り、フェンリル騎士隊、第一騎兵部の騎士舎を目指す。
新しい職場の騎士舎は、王都から馬車で一時間ほどの郊外にある。騎士舎と同じ場所にフェンリル公爵邸があるらしい。
なんと、独身寮は公爵邸の敷地内にあるのだとか。私もそこで、暮らすこととなる。荷物は先に送っていたので、クロウと共に身一つで行くばかりだ。
それにしても、酷く緊張してしまう。フェンリル騎士隊の第一騎兵部は、少数精鋭部隊だと聞いたことがあった。名誉なことに、私が初めての王立騎士団から引き抜かれた騎士となるようだ。粗相をしないよう、慎重に行動をしなければならない。
クロウに跨り、森を走り抜ける。少々暴走気味であるが、速度調整以外の言うことは聞いてくれる。
空は晴天だったのに、だんだんと霧がかってくる。こちらの方向であっているのか、途端不安になった。前後不覚になるほどの、濃い霧なのだ。
途中から方位磁石を片手に、進むこととなる。
「──わっ!」
突然、霧が晴れて、青空が広がった。しだいに、大きなシルエットが見えてくる。二本の尖塔が付きだした、美しい白亜の屋敷だ。まるで、城と見紛うほどの立派な建物で、屋敷の周囲は高い塀で囲まれていた。
馬車で一時間と聞いていたが、たった三十分でフェンリル公爵邸に到着してしまった。
クロウの暴走寸前の走行のおかげで、時間よりも早く到着したようだ。
鋭い槍が付き立ったような錬鉄の門の前には、門番が立っている。微動だにしないので、銅像かと思ってしまうくらい姿勢が崩れない。
クロウから降りてビクビクしながら門番へ異動届を見せると、あっさり門を開いてくれた。鉄の門はよく手入れがなされているのだろう、物音一つしなかった。
クロウは、門番が預かるらしい。言うことを聞くか心配だったが、門番が角砂糖をちらつかせると喜んでついていった。
ひとまず、安堵する。
門をくぐると、門番が休憩に使う赤煉瓦の番小屋が見えた。その先には、美しい庭園が広がっている。
まず、目に飛び込んできたのは、薔薇園だ。濃い薔薇の芳香に包まれる。大輪の花を咲かせており、目で見るだけでも優雅な気分になった。
他、ガラス製の温室に、噴水広場、季節の草花が植えられたアプローチなど、どこの風景を切り取っても美しいとしか言いようがない。
「──あ!」
両親が好きだった水仙を発見し、駆け寄った。まだ、季節ではないため、花は咲いていない。と、ここで、視界の端を白いモフモフとしたものが通過した。
「あら?」
立ち上がってみたけれど、モフモフとしたものはいない。確かにいたような気がしたが、見間違いだったのか。
踵を返したが、やはり気になって再び振り返る。すると、木の陰に白い残像が見えた。やはり、何かがいる。
気づかなかった振りをして、再び踵を返し歩きだした。意識を研ぎ澄まし、耳を澄ませていたら、背後からヒタリ、ヒタリと何かがあとを付けていることに気づいた。
歩く速度を速めたり、遅くしたり。白い何かも、同じようについて来る。
それにしても、いったい何が私のあとを追っているのだろうか?
たぶん、魔物などの悪い類の生き物ではないことはわかるけれど。
だんだんと距離が縮まっていたので、思い切って振り返ってみた。
すると、私の目の前にいたのは、真っ白くて大きな犬だった。
「あ、あなたは──」
愛らしい耳に、すっと伸びた鼻先、切れ長の青い目、ふわっふわの白い毛、それから、愛らしい姿。
それは、私が以前飼っていた『フルモッフ』そっくりの犬だった。
「フルモッフ!」
久々に名を呼んで、駆け寄る。思ったよりも大きかったけれど、構わない。ふかふかの体を抱きしめた。
あんなに小さくて、震えていたフルモッフがこんなにも大きくなっていたのだ。嬉しいという感情以外、浮かんでこなかった。
「フルモッフ! フルモッフ! もう、離れたくない!」
フルモッフは抱きしめられたまま、大人しくしていた。やはり、フルモッフで間違いなかったのだ。
「私のフルモッフ! 会いたかった」
「ほう? そのような熱烈な歓迎は、初めてだ」
「んん?」
耳元から、成人男性の声が聞こえた。私は一度フルモッフから離れ、周囲をキョロキョロと見回す。フルモッフ以外、誰もいなかった。
「そのように見つめるな。お主の気持ちは、よくわかった」
「んんん?」
私のフルモッフは、流暢に言葉を喋っていた。理解が、追いつかない。
現実逃避とばかりに、フルモッフの頭を撫でる。気持ちよさそうに、目を細めていた。ふかふかのボリューム感のある尻尾は、ぶんぶんと左右に振られている。
「聞き間違い、だよね?」
「何がだ?」
独り言に、返事があった。やはり、フルモッフは喋っている。信じられないけれど、フルモッフを撫でる手は止まらなかった。ただの現実逃避だけれど。
「私が、恐ろしくないのか?」
「え?」
「全長一メートル八十もある犬など、普通ではないだろう?」
「いいえ、怖くはありません、でした」
フルモッフだと思い込んでいたので、恐怖は感じなかったのだろう。しかし、見知らぬ犬だとわかっていたら、近づかなかったかもしれない。
「あの、貴方は、フルモッフ、ではないのですか?」
「お前がフルモッフと呼びたいのであれば、好きにするとよい」
「……」
ということは、フルモッフではないということになる。他人の空似ならぬ、他犬の空似だったのだ。
恐る恐る見た青い瞳には、確かな知性を感じる。彼はきっと、私と同じように獣人なのだろう。一応、確認してみた。
「えっと、喋ることができるということは、獣人、でしょうか?」
「そうだな」
か~~っと、顔が熱くなっていくのを感じた。私は、見ず知らずの男性に、抱き着いてしまったのだ。
「ご、ごめんなさい。私──」
「ふっ、面白い娘だ」
突然断りもせずに抱き着く女は、変り者、もしくは面白いと思われても仕方がないだろう。受け入れるほかない。
しかし、それに続く言葉はなんとも受け入れがたいものであった。
「私の、花嫁にしてやろう」