最後の戦い その八
私の隣に座るディートリヒ様の手元には、書類の束と羽ペンがあった。フェンリル家から離れても、しなければならない執務があるのだろう。
「すまないな、メロディア。今日は、ボール遊びができなくて」
決して、ボール遊びがしたいという視線ではない。こういう時、喋ることができないのがもどかしい。
ディートリヒ様の腿に顎を乗せて、抗議する。
「メロディアは温かいな。よかった、今宵、一緒に過ごすことに決めて」
どうやらディートリヒ様は、私で暖を取るつもりらしい。たしかに今日は肌寒い。
ディートリヒ様なんて、狼の体温でぬくぬくになればいい。
「もう、休もうか。明日は、早い」
魔石灯の灯りを絞ると、真っ暗になる。私の横に、ディートリヒ様は寝転んだ。
「んん?」
「布団は一つしかないのだ。だから、こうして身を寄せあって、眠るしかないだろう」
そう言って私の頭に振れたディートリヒ様の手は、冷え切っていた。温めてあげなければ。そう思い、そっと身を寄せる。
ディートリヒ様は私を腕に抱き、すうすうと穏やかな寝息を立てていた。
「う……ん」
夜明けだろうか。朝の気配を感じて、目を醒める。まだ暗いけれど、夜と朝の狭間の空気感を感じていた。
「メロディア、まだ、眠っておけ。あと、三十分は眠れる」
「さんじゅっぷん……」
そう呟いたあと、再びまどろみかけたが──ディートリヒ様が私の素肌に触れる違和感に気づく。
「あっ、ひゃあ! ち、ちょっと、ディートリヒ様、そこは触ったら、ダメなところです」
「ん?」
「ん、じゃないですよ!」
昨晩は何も思わずに眠ってしまったが、朝、人の姿に戻ることをすっかり忘れていた。
ディートリヒ様をべりっと剥がし、頭から毛布を被せておく。
「うう、メロディア、何をするのだ」
「そこで大人しくしてください。動いたら、ダメですよ」
「なぜだ?」
「私が、裸だからです!」
私がディートリヒ様の天幕で一夜を過ごしたことも、他の騎士に気づかれてはいけない。一刻も早く着替えなければ。
素早く下着を身に着け、シャツに腕を通しスカートを履く。ジャケットを着こんで、マントを体に巻き付けた。髪型も整える。手櫛で髪を梳かし、三つ編みにして胸の前に流しておく。毛先はルリさんからもらったリボンを結んだ。最後にストッキングを穿き、長靴の履口に足先を突っ込む。靴紐をしっかり結んだ状態となったら、外見は問題ないだろう。
ここでタイミングよく、ミリー隊長が迎えに来てくれた。
「メロディア魔法兵、いるか?」
「あ、はい!」
上着の皺を叩いて伸ばしながら、天幕を出た。ミリー隊長に素早く戻るように言われ、早朝から走ることとなった。
四日目──移動すること二時間。鬱蒼とした森に到着する。
森の中心辺りから見える古城が、狼魔女の本拠地なのだ。
ついに、フェンリル家が長年避けていた因縁の土地に辿り着いた。胸が高揚し、自然と肩や手先が震えてしまう。
ここから私とミリー隊長率いる第十七警邏隊は、ディートリヒ様が率いる前線部隊に加わる。狼魔女との戦いで重要なのは、ルー・ガルーである私の光魔法なのだ。
ミリー隊長と同じ馬に跨り、人喰いの森を進んでいく。
クロウはディートリヒ様の跨る牝馬にいいところを見せようと、張り切っていた。
ほどほどにね、と声をかけておく。
森の中は、高い木々が複雑重なりあっていて、木洩れ日すら差し込んでこない。
湿り気を帯びていて、沼も多い。途中から馬を置いて、先に進むこととなった。
狼魔女は私達がくることを予想していたのか。狼が次々と襲いかかってくる。
狼には分かりやすい弱点があった。それは、光。
閃光魔法で強く照らすと、狼は怯む。その隙に、退治してしまうのだ。
灰色の呪いを持つ狼には、魔石灯に入れる光魔法が付与された魔石を投げ込む。すると、動きを止めることができるのだ。
三時間ほど歩くと、古城へ辿り着く。城は枯れた蔦に覆われていて、不気味な雰囲気だ。狼の遠吠えも、どこからともなく聞こえてくる。
周囲は堅牢な城壁に囲まれていて、見張り用の尖塔も突き出している。きっと、私達の動きは、すべて監視しているのだろう。
城壁の扉は閉ざされていた。これは想定済で、十名ほどで運んでいた丸太をぶつけて強引に開かせる。十回ほど打つと、城壁の扉が壊れた。
ついに、狼魔女の本拠地へ足を踏み入れる時がきた。ディートリヒ様は不安をおくびにも出さず、果敢に進んでいく。
中庭から城に繋がる広い庭は、枯れた薔薇や朽ちた木々があるばかり。人が住んでいるという気配はまったくない。
ここにも狼がいた。森よりも数は増えている。騎士達が応戦し、ディートリヒ様とギルバート様は狼魔女との戦いに備える。
城への出入り口も、城壁の扉と同じように閉ざされていた。これも、丸太をぶつけて破った。
舞踏会を開けそうなほどの規模の玄関広場は、なんと水晶でできた豪奢なシャンデリアが釣り下がっていた。しかし──何やらぐらぐらと揺れているような気がする。
「あ、危ない‼」