最後の戦い その七
王都周辺の街道は整備された道のりだったが、だんだんと悪路を走るようになる。
ガタゴトと音を立てて、馬車は進んでいた。
人喰いの森までの移動は三日もかかる。だが、ミリー隊長が同行してくれたおかげで、一日目と二日目はなんの問題もなく過ごすことができた。
三日目──とうとう、人喰いの森は目前だ。今日は天候が悪く風が強かったので、早めに野営して早朝出発することとなった。長めに休んで、英気を養うことも目的としているらしい。
各自天幕を張り、明日の戦いに備える。
太陽は橙色に染まりつつあった。この調子だと、一時間半以内に沈んでしまうだろう。夕陽を見ていると、感傷的になってしまう。
この二日間、ディートリヒ様とはほとんど接触していない。なんだか、遠い存在のように思える。今は作戦会議のようなものをしていた。なんだか、私がフェンリル騎士隊の一員だったということは、まるで夢か幻かのようだった。
寂しい……という気持ちにはきゅっと蓋をする。
今はそんなことを気にしている場合ではない。私ができることを、しなければ。
「ミリー隊長、今日も何か温かい料理を作ろうと思っているのですが」
「おお、そうか。昨晩の野菜スープもおいしかった。期待している」
「はい!」
一日目は干し肉のスープ、二日目は野菜スープを作った。
三日目は母が遺してくれたレシピの中の一品、『豆のスープ』を作ることにした。
円を描くように石を並べ、簡易竈を作って木の枝を使って火を熾す。
鍋に水を張り、ベーコンと豆、ジャガイモ、ニンジン、キャベツを入れて、塩コショウで味付けをしてじっくり煮込んだ。バケットを切り分け、スープを装った深皿の縁に置いて配った。
「ミリー隊長、どうですか?」
「うまいな」
「よかったです」
「フェンリル家の方々にも、持って行ったほうがいい。きっと、このような温かいものは食べていないだろうから」
毎日料理人の作ったプロの料理を食べている二人に持って行くのは気が引けたが、こういうのは気持ちだと開き直ることにした。
「鍋は私が持とう。メロディア魔法兵は、バケットを運んでくれ」
「はい、ありがとうございます」
ディートリヒ様とギルバート様の天幕はけっこう遠い。百名規模の野営となったら、移動も大変だ。
作戦会議とかしていたら、スープだけ置いて帰ろう。そう思っていたが、ディートリヒ様とギルバート様は一つの焚火を囲み、虚ろな目で火を見つめていた。
明らかに、元気がないというか、しょんぼりしているというか。
「ちょうどよかったな」
「え、ええ」
ミリー隊長から鍋を受け取り、二人のもとへ向かうことにした。
「ディートリヒ様、ギルバート様」
「ああ、メロディアか。疲れていないか?」
「いいえ、元気です」
「そうか」
「すまないな、今日まで、あまり話をする機会がなくて」
「いいえ。百人もの部隊を纏め、率いるのは大変だったでしょう?」
「まあ、そうだな」
「お疲れ様です」
「ありがとう」
会話が途切れ、ディートリヒ様は再び火を見つめる。ギルバート様は私を一瞥すらしなかった。
何かあったのではないのだろう。きっと、明日は狼魔女との戦いなので緊張しているのだろう。
「あの、夕食は食べましたか?」
「ああ。パンと干し肉を食べたぞ。ギルバートは、食欲がないようで、何も食べていないが」
ギルバート様は問題外だが、ディートリヒ様もそれだけでは、栄養が偏るだろう。ちょうどよかった。
「私、スープを作ったのです」
ここに来るまでに冷えてしまったので、焚火でスープを温める。
煮詰まったスープは、ジャガイモが入っていたからかドロドロになっていた。
温まったら、深皿に注ぐ。バケットを添えるのも忘れない。
まずは、夕食を食べていないというギルバート様に差し出した。
「……食欲がないのですが」
渋々、といった感じで受け取ってくれた。続いて、ディートリヒ様にも差し出す。
「メロディアの手料理か」
「料理は初心者ですが、母のレシピに忠実に作ったので、おいしいですよ」
「ありがとう」
ディートリヒ様は素直に食べてくれた。
「これは、うまいぞ! おい、ギルバート、お前も早く食べるのだ」
「いや、兄上はメロディアさんが作ったものならば、なんでもおいしいのでしょう?」
「そうではない。メロディアが作ったことを差し引いても、おいしいのだ! 私を信じろ」
ディートリヒ様の訴えを聞く形で、ギルバート様もスープを食べ始める。
けだるげな様子で匙を運んでいたが、パクリと食べた瞬間、目がカッと見開く。
「こ、これは……本当においしいです!」
その発言のあと、ギルバート様はどんどんスープを飲む。添えていたパンも、食べてくれた。
「不思議なスープだ」
「母のとっておきのスープなんです」
父が疲れている時や、私の元気がない時などに、決まって作ってくれた。栄養と、母の愛情たっぷりの特製スープなのだ。
「それに、外で食べる料理は、いつもよりおいしく感じるのですよ」
「ふむ。そうなのだな」
加えて、寒空の下なので、温かいスープは身に染みるのだ。
ディートリヒ様とギルバート様は、鍋の中のスープをすべて食べてくれた。
虚ろだった目には光が宿り、顔色もよくなった気がする。緊張も解れたのだろう。
ホッとしたところで、太陽が沈み切ったことに気づく。
「あ──!」
いつもの、獣人化の発作だ。
「メロディアさん!?」
「獣人化の前兆だ。私の天幕で休ませる。ギルバートはトール隊長にメロディアを預かることを伝えて来てくれ」
「わかりました」
ディートリヒ様は私を抱き上げ、天幕の中へと連れて行ってくれた。
ここで意識が途切れる。
「──ううっ」
「メロディア、目覚めたか?」
ディートリヒ様が私を覗き込む。「はい」と返事をしようとしたら、「わうわう」という鳴き声しか発することができなかった。
いつもの通り、気を失っている間に獣人化したようだ。
周囲を見渡すと、私達が使っているものよりも上等な天幕であることに気づく。
地面から天井まで伸びた骨組みが重なり、円形の家となっている。これはきっと、遊牧民が使っているような、簡易的な家屋なのだろう。
ふかふかの絨毯の上に布団と毛布が敷かれている。一見して、家で過ごすのと変わらないような贅沢な環境だった。
「今日は、私の天幕で休むように。トール隊長には報告してある」