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狼獣人だったなんて聞いていない! その二

 ──ジーワジーワ、ジーワジーワ

 虫のオーケストラが、爆音で響き渡っていた。ここは、最前列なのか。音が、あまりにも大きすぎる。


「うう……」


 瞼を開くと、まんまるの月が空に浮かんでいた。


「わっ!」


 暗色の空に、漂う雲。紛うかたなき、夜だ。

 ぼんやりと月を見つめていたが、だんだんと意識がはっきりする。

 私は、生きていた。突然の発作で、帰らぬ人になったと思い込んでいたけれど。

 秋の最中、外で爆睡していたなんて恥ずかしすぎる。騎士舎の前で倒れなくて本当によかった。

 先ほどの苦しさは、綺麗さっぱりなくなっている。むしろ、体は軽い。今にも、跳びはねたいような気分だ。

 というか、跳びはねたい。跳びはねよう。

 私は立ち上がり、その場で跳びはねた。なんだか楽しくなって、叫んでしまう。


「わお~ん!」


 謎の、鳴き声付きで。


「わお~ん?」


 ここで、違和感を覚える。まず、声がおかしい。普段よりも、低いような。そして、もれなく視界も低かった。

 どういうこと?

 それに、なぜか四つん這いになっている。二本の足で立ち上がることができない。


「わう?」


 ──わう?


 あれ? と発音したはずなのに、変な声しかでない。


「わう、わうわう?」


 なんだこれは? 発作で、おかしくなってしまったのか?

 ふと、視界に謎の物体が移った。犬のような、脚である。


「うう?」


 その脚は、私の意思によって動いていた。ありえないことが脳裏を過り、さっと血の気が引く。

 足を、頭のほうへと持って行く。ピコンと立っている耳のようなものに触れた。

 鼻先は、長い。口を開くと、牙のようなものにも触れた。

 まだ、確認するまで信じることはできないけれど──私、もしかして犬になっている?

 そんな、まさか、ありえない。

 どうして、人である私が、犬の姿へとなってしまったのか。

 身じろぐと、足元に騎士隊の制服が落ちていることに気づいた。


「ひっ!」


 今、私は全裸のようだ。急いで服を集めて着ようとするが、犬のような足では上手く着ることができない。

 ここで、人の気配を感じた。


「この辺りで、犬のような鳴き声が聞こえただと?」

「厩舎に鍵がかかっているか確認に来た途中に、聞いたんだ」


 ミリー隊長と、厩舎のおじさんの声だ。

 どうしよう。どうすればいいのか。とりあえず、服は叢に隠す。どこかへ逃げなければ。慌てていたので、ガサゴソと物音を立ててしまった。


「あ、いた」

「下がっておけ。狼かもしれない」


 狼という単語に、ギクリとする。獰猛な狼が人里に下りてきて、家畜や人を襲う被害が出ていたのだ。

 もしも狼と判断されたら、殺されてしまう。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 慌てた状態で考え、浮かんだのは──お腹を上にした服従のポーズを見せることだった。

 剣を構えたミリー隊長が、叢の中を覗き込む。目が合ったので、ひと声鳴いてみた。


「わう~」


 ミリー隊長の目がカッと見開く。敵意がないことは、伝わっているのか。


「隊長さん、狼でした?」

「いや………………ただの、犬だ」


 服従のポーズと懇願のひと鳴きのおかげで、無事に犬と判断された。心から安堵する。


「しかし、どうして犬が迷い込んだのかねえ」

「さあ?」


 原因の追及はいいから、早くここから立ち去ってほしい。その願いは、別の形で出てしまう。

 ぐう~~~~……

 大きなお腹の音が、暗闇の中に響き渡った。


「腹が、減っているのか?」

「……わう」


 そうだ。私は空腹だ。夜市においしいものを食べに行こうと思っていた矢先での不幸だったのだ。


「可哀想に、主人から追い出されたんですかねえ」

「迷い犬かもしれない。毛並みは美しい。手入れがなされた犬だ」

「……」


 ミリー隊長から美しいと言われ、照れてしまう。道端で摘んだ薬草から作った精油を毎晩髪に揉み込んだ効果なのかもしれない。


「う~~ん、今晩は、パンでも与えて空いている厩舎に入れておこうか」

「いいや、私が保護しておこう」

「いいのですかい?」

「ああ。構わない。独身寮ではなく、一軒家に住んでいるからな」

「でしたら、お願いします」

「わかった」


 ミリー隊長は私の前にしゃがみ込み、にっこり笑いながら言った。


「主人が見つかるまで、私の家で保護してやる。家に肉もあるから、焼いてやろう」


 思わず『肉』という言葉に、反応してしまう。耳がぴくぴく動き、尻尾は自然と左右に振られていた。


「よし、帰ろう」

「わう!」


 なんだろうか。犬の姿をしていると、酷く楽天的になる。今はもう、どうして犬の姿になってしまったのか、どうでもよくなっていた。頭の中は、肉のことでいっぱいである。

 こうして、私はミリー隊長に保護されてしまった。


 ミリー隊長は王都の中央に住宅街に、平屋建ての家を所持している。庭には可愛らしい花が植えられていて、玄関には花模様の絨毯が敷かれていた。凛々しい印象に似合わず、可愛らしい家に住んでいた。


「足を拭いてやろう」


 そう言って、ミリー隊長は私の泥まみれの肉球を優しく拭いてくれた。


「体は、そこまで汚れていないな」


 騎士隊の制服の上で眠っていたので、体は泥まみれにならなかったのだろう。

 灯りが点される。居間には、花模様のテーブルクロスに、花瓶に生けられた花、籠の中にはパンが盛り付けてある。


「お前は、黒い犬かと思っていたが、紫色の毛並みなのだな」

「わう」


 普段は薄紫色の髪色だったが、犬化すると濃い紫の毛並みになるようだ。


「今、肉を焼いてやるから、待っておけ」

「わう‼」


 元気よく鳴くと、ミリー隊長は花が綻んだような微笑みを向けてくれた。もしかしなくても、ミリー隊長は動物好きなのだろう。だからクロウにも、手を差し伸べてくれたのかもしれない。

 台所までついて行き、尻尾を振りながら肉が焼けるのを待つ。


「お前は、身綺麗だし、いい匂いもする。貴族の家の犬なのかもしれないな」

「……」


 ないない、それはない。きっと、私より、貴族の犬のほうがいい暮らしをしているだろう。それを思ったら、切なくなった。しかし憂鬱な気持ちも、ミリー隊長の次なる一言で吹き飛んだ。


「ほら、肉が焼けたぞ」

「わう‼」


 皿の上に置かれた肉は、こんがりとほどよい焼き色が付いていた。見ただけで、いい肉だということがわかる。

 朝、ミリー隊長は私に肉を食べさせてくれると言った。まさか、こんな形で叶うとは想像もしていなかった。

 肉を見つめていると、涎がたらりと垂れる。


「遠慮なく、食べてくれ」


 お言葉に甘えて、いただくことにした。

 思いっきり、肉にかぶりつく。


「慌てるな。肉は逃げない。喉に詰まらせるんじゃないぞ」

「わう!」


 肉は柔らかくて、肉汁たっぷりで、味付けなんてしていないのに──信じられないほどおいしかった。

 はふはふと口の中で冷ましながらも、一気に食べてしまう。


「ふふ……」


 ミリー隊長に笑われて、ハッと我に返った。気が付けば、皿までペロペロと舐めていたのだ。はしたないにもほどがある。

 恥ずかしくなって椅子の下に隠れようと思ったが、体が大きいからか入らない。

 私は大型犬並みの大きな犬になっているようだ。

 どうしてこうなったのだと、心の中で叫んでしまった。


 その後、ミリー隊長は夜の庭でボール遊びをしてくれた。散歩紐がないので、散歩に行けないお詫びらしい。


「わふっ、わふっ」


 私は夢中になって、ミリー隊長が投げたボールを追いかける。

 ボール遊び、すごく楽しい!

 今まで、こんなにボール遊びが楽しいと思ったことはないのに。私は、心身ともに犬と化してしまったようだ。

 ミリー隊長は私をお風呂にも入れてくれた。いい匂いのする石鹸で洗ってくれる。

 薔薇の香りが、ふんわりと漂っている。これはまさか、貴族令嬢の間で流行っている薔薇石鹸では?

 体中薔薇の香りを纏った私は、上機嫌になった。

 丁寧に体の水分拭かれ、仕上げに櫛で梳ってくれた。至れり尽くせりである。


「よし、眠ろう」


 ミリー隊長はそう言って、寝室に連れ込んでくれた。床の上で丸くなっていたら、手招きされる。


「床は寒いだろう。私の隣で眠るといい」

「!」


 ここでも私は、ミリー隊長の好意に甘えてしまった。寝台に跳び上がり、ミリー隊長の隣に寝転がる。

 ミリー隊長の布団の中は、温かかった。それは、長年感じていなかった人の温もりである。

 しかし、私はこれからどうなるのか。

 なぜ、犬の姿になってしまったのか。

 黒い泥のような不安が、私の胸にドロリと流れ広がっていく。私の人としての人生は、終わってしまったのか。

 不安に押しつぶされそうになっていたら、ミリー隊長が頭を撫でて言ってくれた。


「安心しろ。飼い主が見つからなかったら、私が飼ってやるから」

「!」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の中のモヤモヤが薄くなったような気がした。

 曇天の中に一筋の太陽の光が差し込んだような。そんな気分となった。


「ゆっくり休め」

「わう……」


 もう、ミリー隊長の家の犬になろう。そんなことを考えながら、久しぶりに人の温もりの中でまどろむ。

 明日のことは、明日考えよう。とにかく今日は、おやすみなさい。

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