最後の戦い その一
頬に温もりを感じて、私は目覚める。
わずかに身じろぐと、手のひらがツキンと痛んだ。
「ううっ……」
「メロディア!」
ディートリヒ様の声が、耳元で聞こえた。
「ディートリヒ、様?」
「そうだ、私だ!」
返事を聞いた瞬間、ああ、よかったと思う。
一度、確かにディートリヒ様は死んだ。けれど、奇跡が起きて生き返ったようだ。
「ん? 生き返った?」
ありえない状況に、意識が鮮明になる。パッと目を開くと、私を心配そうに見下ろす男性の顔があった。
「え──誰、ですか?」
「私だ、メロディア」
聞きなれた声に、見慣れない顔──改めて、誰?
絹のようなサラサラの銀髪に、空の青をそのまま映したかのような澄んだ瞳。それからスッと通った鼻筋に、安堵が浮かんだ口元。驚くほどの美貌の青年が、私を見下ろしている。
ギルバート様と雰囲気が似ているが、まったくの別人だ。
混乱の中で、再度問いかける。
「あの、すみません、同じような質問で申し訳ないのですが、どなたですか?」
「私が、わからないというのか?」
「いや、声は確かにディートリヒ様なのですが……」
そう答えると、青い瞳に喜びの色が浮かぶ。
「ま、まさか、本当に、ディートリヒ様なのですか?」
「そうだ」
「なぜ、人の姿に戻ったのですか?」
「それは──話せば長くなるが」
「構いません」
起き上がろうとしたが、制止された。このままで話を聞いてもいいらしい。
「では、始めるぞ」
「はい」
「私は、メロディアの中にあった、ルー・ガルー一族の『聖なる刻印』の奇跡によって呪いの傷が完治し、狼化の呪いからも解放されたのだ。以上である」
ぜんぜん、長い話ではなかった。
いやいやいや、そうじゃなくて。
「ど、どういうことなのですか? 聖なる刻印とは?」
「ギルバートが調べてくれたのだが」
聖なる刻印──それは、命を引き換えに発現する奇跡の力。それが、二つも私の中に在ったらしい。
聖なる刻印は呪いを跳ね除け、ディートリヒ様を生き返らせてくれたようだ。
「でも、どうして私の中に、そんなものがあったのでしょう?」
「聖なる刻印は、メロディアの両親が遺した遺産の一つのようだ。父君から一つ、母君からもう一つ」
「命と引き換えに、私に授けてくれた、と?」
「おそらく、狼魔女との戦いで瀕死になった時に、聖なる刻印をメロディアへ捧げようとしたのだろう」
「……」
「ご両親からメロディアへの、愛の結晶だったのだ」
聖なる刻印はその身に宿すだけで、強力な魔除けにもなるようだ。
「狼魔女のような大きな力を持つ悪しき者は、メロディアに近寄れなかったのだろう」
「だから私は、狼魔女に襲われずに済んだのですね」
「そのようだな」
おそらく、昔から感じていた運の良さは、聖なる刻印の力だったのだろう。私はずっと、両親に守られていたのだ。
思わず胸に手を当てて、心の中で両親に呼びかける。
──お父さん、お母さん……ありがとう。
返事はないが、じんわりと温かいものが胸の中で満たされた。
「メロディア、私を救ってくれて、ありがとう」
「お礼を言うのは、私のほうです。ディートリヒ様、狼の襲撃から守ってくださり、ありがとうございました」
言い終えないうちに、眦からポロリと涙が零れてしまう。ディートリヒ様は私の涙を指先で拭ってくれた。
「カッコ良く助けたつもりだったのだがな。気が付いたら、咬まれていた。まったく、スマートな助け方ではなかった」
「そ、そんなことは……」
「こうやって、メロディアも泣かせてしまった」
「これは、嬉し涙です」
「そうか……だったら、よかった」
その会話を最後に、再びウトウトしてしまう。
心地よい睡魔が、眠りの世界へと誘っていったのだ。
◇◇◇
朝──チュンチュンという鳥の囀りで目を覚ます。どうして、朝からこのように元気なのか。
「うう~~……」
すぐ近くで人の気配を感じ、瞼を開く。傍にいたのは、私の専属侍女であるルリさんだった。目が合ったので、朝の挨拶をしてみた。
「ルリさん、おはようございます」
「おはようございます、メロディア様」
起き上がると、欠伸が零れた。
「ふわ~~……」
まだまだ目が覚めない私に、目覚めの一杯と呼ばれる紅茶が差し出された。
濃い目に入れてあるお茶で、舌に感じる渋みが「目覚めよ!」と訴えているような気がした。
ふと、手の怪我が綺麗さっぱりなくなっていることに気づく。
「んん?」
「いかがなさいましたか?」
「夢と現実の区別が、あまりついていなくて」
「どんな夢を、ご覧になっていたのですか?」
「宝飾品を盗んだ、狼魔女を追う夢です」
フェンリル家に早馬がやってくるところから始まる。
「宝飾店のガラスケースにあった商品が根こそぎ盗まれて、私とディートリヒ様、ギルバート様は三人で調査に向かうのです」
夢なのに、記憶が鮮明だ。その時の気温や喋り声、風の勢いまで、はっきり思い出せる。
「いろいろあって狼魔女の所在を突き止め、潜入するのですが、ディートリヒ様が私を庇って亡くなってしまうのです。そのあと、不思議な奇跡が起きて──」
「旦那様の怪我は完治。狼化の呪いも解けた、と」
「そうです! 夢なんですけれど、びっくりしました」
「メロディア様、それは現実です」
「え?」
「旦那様は、人の姿に戻っています」