狼魔女と戦うために その七
それと時同じくして、ディートリヒ様は倒れる。首筋から、大量の出血をしていた。
私をかばって、こんな大怪我をするなんて……。
胸が、ぎゅっと締め付けられて苦しくなる。
「ううっ!」
「ディートリヒ様!」
「兄上!」
動転している場合ではない。早く、傷を塞がなければ。
すぐに、回復魔法の呪文を詠唱する。
「メロディア……」
「兄上、喋らないでください」
「私は、メロディアに伝えなければならない、ことがある……」
「兄上!」
「ギルバート、少し、喋らせてくれ……」
首から大量の出血させている状態で、何を伝えようというのか。
「メロディア……お前は……、気立てのいい娘で……心優しく……正義感が強く、真面目な娘だ。きっと……幸せに、なれる」
「……」
「だから、一人で生きるとか……悲しいことは……言わないでくれ。空を飛ぶ自由な鳥のように……好きな場所に行って、おいしいものをたくさん食べて……最悪、私と、でなくてもいい。温かい、家庭を、築いて……」
ここで、ディートリヒ様の意識が途切れた。
涙が溢れていたが、眦を拭っている場合ではない。私は私にできることを、しなければならない。
「ギルバート、お前も……幸せに」
「兄上、兄上‼」
ギルバート様が悲痛な叫びをあげたのと同時に、私の回復魔法も完成する。
ディートリヒ様の傷の周辺に魔法陣が浮かんだが──パチンと弾かれた。
「ど、どうして!?」
「どうやら、傷口に呪いがかかっているようです」
今まで、狼魔女と戦って死した者達の死因は定かになっていなかったらしい。
「狼に咬まれると、傷が塞がらない呪いが発動すると?」
「そのようです」
「そ、そんな……そんなの!」
驚いている場合ではない。もう一度、回復魔法をかけてみなければ。まだ、呪いであると決まったわけではないのだ。
しかし──二回目も、三回目も、四回目も魔法は弾かれてしまった。
五回目を唱えた瞬間、杖は折れ曲がってしまう。
「──くうっ!」
銃の暴発のような衝撃に襲われた。杖から手を離したが、遅かった。鋭い痛みに襲われ、手の平が真っ赤に染まっていく。
痛がっている暇などない。ディートリヒ様は、もっと苦しくて、痛いのだ。
手のひらの血で魔法陣を描き、回復魔法を唱えるが──結果は同じだった。
狼魔女の呪いによって、回復魔法は弾かれてしまう。
そうこうしている間にも、床にディートリヒ様の血が広がっていく。先ほどまでディートリヒ様の息遣いが荒かったのに、だんだんと弱くなる。
触れた手は、驚くほど冷えきっていた。
心臓に手を当てる。まだ、トクントクンと鼓動していた。
しかし、以前感じた時のような力強さは感じない。弱々しい鼓動だった。
もう一度、回復魔法を──そう思って呪文を唱えた瞬間、咳き込む。
喉からじわじわせりあがってきたものを、吐き出してしまった。
血だ。真っ赤な血が、ぽたぽたと床の上に滴っている。
「メロディアさん、もう、止めるんだ」
「で、でも」
「このままでは、あなたまで、死んでしまう!」
ギルバート様の言葉に、ぎょっとする。今まで考えないようにしていた言葉が、脳裏をかすめたのだ。
死──ぶんぶんと首を振り、その言葉をかき消す。
考え事をしている暇があったら、回復魔法を。そう思ったが、口から呪文が出てこない。意識も、だんだん不鮮明になっていた。これは、魔力切れが近いのだろう。
気を失っている場合ではないのに。
「ディートリヒ様……起きてください……お願いです」
私の問いかけに、ディートリヒ様は反応を示さない。
すべて、私のせいだ。私のせいで、ディートリヒ様は……。
後悔が荒波のように押し寄せる。
私はなぜ、背後の扉を閉めていなかったのか。
そうでなくても、扉を背に立つことなどあまりにも危険なのに。
その時の私は、危機意識がすっぽりと欠如していた。狼魔女に気を取られ、他の危険が迫る可能性の想像ができていなかったのだ。
そもそも、ディートリヒ様はなぜ身を挺して私を守ったのか。
公爵家の当主という立場で、狼魔女と戦う使命を背負っているというのに。
「ディートリヒ様……!」
名を呼ぶと、はっはっはっと息をしていた口元が、ゆっくりと閉ざされる。
握っていたディートリヒ様の手は力なく床に落ち、胸に当てた手に鼓動が伝わってこなくなった。
「あ、兄上‼」
脳天を金槌で打たれたような衝撃を受ける。
ディートリヒ様は……ディートリヒ様は……。
ギルバート様の慟哭が、鋭い矢のように私の胸に次々と突き刺さる。
私は、神様に祈った。
「私の命はいりません……代わりに、ディートリヒ様を、お助けください……!」
腹の底から叫んだつもりだったが、うわごとのような声しか出なかった。
「どうか、お願いします……お願い──!」
重ねて願う、奇跡を。
急に胸が熱くなり、目も開けていられないほどの光に包まれた。
「メロディアさん、これは?」
わからない。そう答えたつもりだったが、言葉になっていなかった。
ぎゅっと瞼を閉じているのに、何かの紋章のようなものが見えた。
円陣が星状の模様に囲まれていて、中心に雪の結晶が描かれている紋章。
これは、いったい?
光が収まり、瞼を開く。床に広がっていた血は、綺麗になくなっていた。
その代わりに、見慣れない男性が俯せで倒れている。
白銀の髪に、筋肉が引き締まった体躯……そしてなぜか、裸だった。
「き、きゃああああああ‼」
悲鳴を上げているうちに、私の意識はどこかへ飛んでいった。
何が起こっていたのか、まったく理解もできないまま。
私は倒れてしまう。




