狼魔女と戦うために その四
一瞬、狼姿の私とディートリヒ様の間に元気な子犬が産まれた図が浮かんだ。
可愛くてモッフモフな、子犬だ。笑顔で子犬を抱き上げるギルバート様が出てきて「兄上の子どもは超絶可愛い!」と言い始めたところで、我に返った。
私とディートリヒ様が、結婚を前提とした特別な関係だって?
いやいやいや、ないないない、ありえない‼
ぶんぶんと首を左右に振って、否定する。
「ええ! なんでですか、それは! ないです。絶対に、ないです。どうして、突然そういうことになったのです?」
動転しきった私の問いかけに、ルリさんは無表情で言葉を返す。
「メロディア様は旦那様のお部屋で一夜を明かしました。それが、最大の理由でしょう」
「一夜を明かしたって、お喋りしすぎて眠くなって、そのままディートリヒ様の部屋で眠ってしまっただけですが」
「通常、そのような行為は、かなり親しい関係でないとできませんので」
「いや、まあ、そうですけれど……誤解です」
認識を変えてほしい。そう訴えたが、ルリさんは明後日の方向を見るばかりだ。
「私とディートリヒ様は、そういう関係ではありませんので」
あれは事故のようなものである。ぜったいに、奥様候補でもなんでもない。そう弁解しておいた。
「あの、ディートリヒ様は、婚約者とかいらっしゃらないのですか?」
「いらっしゃいません。そういう話は浮上したことはあるのですが、断固拒否しておりました」
「え、なんで?」
「亡くなった先代には、特別に思っている女性がいると、おっしゃっていたようです。どうやら、メロディア様のことだったようだと」
「そ、それ、私以外の誰かでは?」
ルリ様は首を横に振り、真顔で言った。
「あなた様で間違いありません」
「ええ~~……」
「旦那様は、今まで一度も、特別な女性を作りませんでした。皆、旦那様を信じ、特別な女性を連れてくるのを待っていたわけです」
「で、でも、ほら、私は、平民ですし」
「フェンリル家に嫁ぐ女性の条件は、家柄は不問としています」
なんか、国王陛下も似たような話をしていたようだ。信じがたい話ではあるけれど。
「大事なのは、強かさ。メロディア様には、それが備わっているように思っています」
「私が、強い?」
「はい」
「どこが、ですか?」
「人ではない旦那様を受け入れる、懐の深いところなど」
「受け入れていませんが」
「受け入れておりますよ」
ルリさんに言い切られると、「あれ、私、ディートリヒ様を受け入れている?」なんて思いそうになる。
なんというか、この辺の気持ちは複雑なのだ。
確かに、私はディートリヒ様のことが好きである。しかしそれと、大貴族であるディートリヒ様の妻となる決心がついたこととはまた別なのだ。
ディートリヒ様がただの犬だったらよかったのに。人生のパートナーとして、最高の相手だろう。
しかし、ディートリヒ様は公爵家の当主。その妻を、私ができるわけがない。
「どうか、一刻も早く腹を括ったほうがいいですよ」
「腹を括ったら、どうなるというのですか?」
「楽になります」
「……」
ルリさんの口ぶりはまるで「無駄な抵抗は止めろ」と言っているようなものだった。
なんだろうか、この貫禄は。二十代女性の放つプレッシャーではない。
「あの、考え直しません? 他にも、素敵な女性はわんさかいると思うのですが」
「いいえ、旦那様には、メロディア様しかいらっしゃいません」
「そこをなんとか」
「難しいでしょう」
「ううっ……」
どうしてこうなってしまったのか。頭を抱える私に、ルリさんは「仕事に戻ってください」と淡々と言うばかりであった。
昼からは狼魔女との戦いで使う光魔法の習得に使う。
フェンリル家にある地下部屋には、魔法の暴走を抑える部屋があるのだ。そこで、ひたすら光魔法の呪文を唱える。
古代の魔法らしく、なかなか上手く発現させることができない。
発現できても、チカッと光る程度だ。前途は多難である。ただ、何度も繰り返すうちに、手ごたえのようなものは感じていた。
光の威力も、どんどん上がっている。
狼魔女を倒せるか否かは、私が使う光魔法にかかっているのだ。なんとしてでも、習得しなければならないだろう。
今日は、拳大の光を作り出すことに成功した。
夕方になると、ルリさんが迎えにくる。
「メロディア様、お風呂の準備が整いました」
「あ、はい! 杖の手入れをしてから、行きますので」
急いで水晶杖を聖水で拭き、持ち手にワックスを塗り込む。杖は毎日手入れしないと、魔法を使った魔力に耐えきれずすぐに折れてしまうのだ。
聖水は杖に籠りがちな悪い気を外へ流し、ワックスはペースト状にした魔石が練り込まれていて魔力耐性の効果が上がる。
杖の手入れが終わり、階段を駆け上がる。窓から見える夕陽は、沈みかけていた。
「うわっ、急がないと!」
浴室では、ルリさんがいた。遅かったので、お湯を追加してくれたらしい。
「す、すみません」
「構いません。もしも、狼化してしまった場合はお手伝いをしますので」
「いや、悪いですよ」
狼の姿になったら、体を洗えなくなってしまう。けれど、ルリさんに洗わせるわけにはいかない。
「慣れておりますので」
もしかして、ディートリヒ様のお体を洗っていたのだろうか?
想像した瞬間、胸がチリッと痛む。ルリさんがディートリヒ様に触れる様子を想像して、胸がモヤモヤしたのだ。
「メロディア様、いかがなさいましたか?」
「あの、その、ルリさんは、ディートリヒ様の、お風呂の世話をしていたのかな、と思いまして」
ルリさんは私の言葉を聞いて、ふっと笑った。クールな人の笑顔は、破壊力がある。
いや、そうじゃなくて。
「実家で、犬を飼っていたのです。週に一度は、犬をお風呂に入れておりました」
「ああ、そういう意味だったのですね」
どうやら勘違いをしていたようだ。ものすごく恥ずかしい。と、照れている間に、いつもの発作が出てきた。狼化が、始まろうとしている。杖の手入れに、時間をかけすぎてしまったようだ。
窓のない地下では、時間の経過が把握しにくい。
「あ……ううっ!」
「メロディア様、狼化ですか?」
「あ……はい」
「何か、用意するものはございますか?」
「み……水を」
いつも、喉の渇きを覚えるのだ。すぐさまルリさんは水を取りに行ってくれた。ここで、意識がなくなる。
「うう……ん」
狼と化した私は、ルリさんの膝の上で眠っていた。
「メロディア様、目覚めましたか?」
「わう」
上から、ふっと噴き出す声が聞こえた。ルリさんが、肩を震わせて笑っていた。
「あの、旦那様のように、お喋りが、できないのですね」
「わう~」
私の間抜けな鳴き声を聞いたルリさんは、さらに笑う。
クールで怖そうな雰囲気があったが、笑うと少しだけ気安い雰囲気になる。
「お水を、ご用意しております」
「わん」
お礼を言って、水を飲んだ。レモンが搾ってある水で、さっぱりしていておいしい。
水分補給が済んだあと、ルリさんは私をお風呂に入れ、わっしわっしと洗ってくれた。
「うう……わう……くうん!」
「メロディア様、変な声をあげないでください」
だって、気持ちよくて……。
ルリさんは素晴らしい洗犬能力を持っていた。丁寧に水分を拭い、ブラッシングまでしてくれた。おかげさまで、毛並みはピカピカである。
仕上げに、首にリボンまで巻いてくれた。
その後、ディートリヒ様と夕食を食べる。今日はギルバート様までいて、賑やかな食卓だった。
「兄上が食事に誘ってくれるなんて、夢のようです」
「一人で食事をするのは、味気ないと昨晩気づいたからな」
「メロディアさんのおかげですね! ありがとうございます!」
ギルバート様も、ずっと一人で食事を取っていたようだ。勇気を出して、誘ってよかった。ギルバート様は本当に嬉しいのだろう。いつも以上にニコニコしていた。
楽しい夜は、あっという間に過ぎていく。