狼魔女を追って その十
「犬の姿である兄上にだけ、聞こえる微かな音なのかもしれません」
「なるほど」
「メロディアさん、この本を、解体してもいいですか?」
「ええ、もちろんです」
即答したので、ギルバート様は目を丸くする。
「あの、装丁がなくても、日記の内容は読めますので」
「そうですね。では──」
ギルバート様はナイフの柄で、日記帳の表紙を叩く。コンコン、コンコンと音が鳴っていたが、一ヵ所だけ違う音が鳴った。
「背表紙に、何か入っているようだな」
「ええ。メロディアさん、本当に、解体してもいいのですか?」
「はい、お願いいたします」
ドキドキしながら、本の解体を見守る。ギルバート様は細身のナイフを手に取り、本の本文と表紙の間に刃を入れる。
ベリ、ベリ、ベリと、紙が剥げる音が鳴った。そして、本文と表紙は切り離される。
表紙には、何もなかった。
「ギルバート、本文のほうだ」
「あ!」
ディートリヒ様とギルバート様が、何かを発見したようだ。
「メロディア、本文の背に、何かインクのようなものが付いていた」
本文の背には僅かな窪みがあり、そこにガラス製の試験管のような細長いインクらしき白銀色の液体が入っている。
「これはいったい、何でしょうか?」
「表面に、文字が刻んであるぞ」
「古代文字ですね」
古代文字とは、魔法を使う際に使用する現代では使われていない文字だ。
「メロディア、読めるか?」
「はい。えっと……この液体を水に溶かし、魔法陣を沈める。さすれば、光魔法は完成するだろう……です」
「魔法が完成する?」
「ここに書かれてある魔法陣とは、何を示しているのでしょうか?」
魔法陣というのは、大規模な魔法を展開する時に使用する呪文のようなものだ。円を描き、その中に呪文を記入する。ただし、正しく呪文を書かなければ、魔法は発現しない。
「そもそも、光魔法とはなんなのか?」
光魔法──何かが引っかかる。腕を組み、考えた。
「メロディア、どうかしたのか?」
「いえ、光魔法を、どこかで聞いた気がして」
「以前、メロディアが使っていた魔法と同じものではないのだな?」
「ええ。あれは、違います。私が使っていたのは、生活で利用できない、魔物への目潰しを目的とした閃光魔法です」
主に、薄暗い場所での戦闘に役立つ。夜に出会った魔物相手には、効果てきめんだった。
「それではなく、どこかで、話に聞いて……あ!」
「思い出したのか?」
「はい! 両親が話してくれたおとぎ話に、光魔法を使う白狼の話があったんです。その白狼が、悪い魔女を倒すために、光魔法を使っていたのですよ!」
「それだ‼」
ディートリヒ様は尻尾をぶんぶんと振りながら、喜んでくれた。
「さすがメロディアだ! 大した記憶力だ!」
「この光魔法さえあれば、私達フェンリル家は狼魔女に勝てるということなのですね」
「そうだ!」
兄弟は手と手を取り合い、喜んでいる。遊んでいる犬とご主人様にしか見えないが、とても微笑ましい。
しかし、喜んでいるところに水を差すのもなんだが、一言物申す。
「あの、魔法陣がどこにあるのかわからないので、喜ぶのは早いのでは?」
ディートリヒ様とギルバート様は途端に動きを止め、しょぼんと肩を落とした。
「あ、いや、すみません」
「いいや、メロディアの言う通り、浮かれている場合ではない」
「そうですね。魔法陣がどこにあるのか、探さなければなりません」
「フェンリル家の前当主……お二人のお父様の日記とかに、何かヒントはないでしょうか?」
私の両親とフェンリル家の前当主は、知り合いだった。光魔法について、何か知っているに違いない。
「父の遺品はすべて探ったが」
「兄上、もう一度、調べてみますか?」
「そうだな」
今度は、フェンリル家の地下にある、先代当主様の遺品部屋で魔法陣探しをすることにした。
「わっ!」
地下の遺品部屋は、私の寝室兼居間よりも広かった。そこには、木箱に入った遺品が山のように積まれている。
「これは、探すのは大変そうですね」
「だが、やるしかない。まず、一つ一つ見て、古代文字が刻まれた品や、ルー・ガルーに関連する書物など見つけたら、部屋の中心に置いている木箱に入れておいてくれ」
「わ、わかりました」
「頑張ります!」
各々別れて、遺品の調査を始める。
フェンリル家では遺品はすべて保管し、しばらく経ったら、孤児院などに寄付するようだ。一箱目には、『寄付対象品』という文字が蓋に刻まれていた。
中に入っていたのは、カシミヤが内張りされた革手袋に新品にしか見えない靴下、リネンのハンカチに絹の寝間着などなど。寄付された側は、嬉しいだろう品々が詰められていた。これらは、光魔法の魔法陣が隠されている気配はない。
二箱目には、『文房具類』と刻まれている。持ち手が珊瑚の万年筆に白鷲の羽根ペン、手帳など、こちらも未使用の品々が入っていた。
「メロディア、どうだ?」
「それらしきものは、何も」
「そうか」
ディートリヒ様は従僕の手を借りて探しているようだが、怪しい品の発見には至っていないらしい。
「頑張りましょう」
「ああ、そうだな」
三箱目の蓋に手をかける。
「んん?」
開かないと思っていたら、これだけ釘が打ちこんであった。
「あの、これ、開けてもいいですか?」
「どうした?」
「釘が打ってあるんです」
ディートリヒ様が私のほうへとやってきて、説明してくれた。
「ああ、構わない」
釘抜きを使って開く。入っていたのは、大判の布に包まれた衣類だ。乗馬用のジャケットに、スプリングコート、スリーピース・スーツなど、外出着が入っている。
木箱には、『持ち出し厳禁』と書かれていた。
「この服は、寄付対象ではないのですね」
「ああ。外出着にはすべて、フェンリル家の家紋が入っているのだ。だから、外に出さないようにしている」
襟を捲って見ると、裏地に白い狼の横顔が描かれた家紋が刺繍してあった。家紋付きの服が悪用されないように、わざわざ釘を打って門外不出としているのだろう。
「ディートリヒ様、なぜこのように、家紋が縫い付けてあるのですか?」
「それはだな、フェンリル家の者達は千年もの間、狼魔女と戦ってきた話はしたとは思うが、戦って亡くなった者は、五体満足で家に戻ることはほぼなかったらしい。そこで、家紋に個人が判別できる刺繍を入れた服を作り、誰が死んだのかすぐにわかるようにしたことが始まりらしい」
「ひえええ……」
「父上の服には、家紋の下部にイニシャルが入っているだろう?」
「えっと……どこに」
「ここだ」
「あ、本当ですね」
服を包んでいた布を綺麗に折り畳んでいると、あることに気づいた。
「あれ、これは──」