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狼獣人だったなんて聞いていない! その一

「──ふっ、面白い娘だ。私の、花嫁にしてやろう」


 喋る大きな犬の花嫁に抜擢される──春。

どうしてこうなったのかと、私は頭を抱え込む。

 ここに至るには、深い深い事情があったのだ。


 ◇◇◇

 

 朝、カーテンの隙間から差し込む朝陽で目覚める。


「ふわ~~……」


 まだ眠いけれど、起きなければ。気合を入れて、上体を起こした。

 硬い寝台は、僅かに身じろぎしただけでギシギシと鳴る。床は石でひんやりしていた。うっかり足で触れないよう注意が必要だ。

 もう一度、欠伸が出る。疲れが取れていないのか、いくら寝ても眠くなるのだ。

 目を覚ますには、顔を洗うのが一番。洗面所に行くと、盥の中に水が用意されている。ここは独身寮で、毎朝メイドさんが用意してくれるのだ。

 洗面所に置いてあった石鹸をガシガシ擦るが、安物なのでなかなか泡立たない。たまには、いい石鹸を買いたい。

 最近、貴族のご令嬢の間ではやっているらしい、薔薇の香りが含まれる美容石鹸とか。あれならばきっと、ひと撫でしただけでぶくぶくに泡立つだろう。きっと、肌もモチモチになるに違いない。

冷たい水で顔を洗うと、すぐさま眠気は吹っ飛ぶ。ゴワゴワの布で顔を拭いたら、一気に現実に引き戻された。今の後見人のいないこの身では、泡立たない石鹸でも精一杯。薔薇の石鹸なんて、買う余裕はなかった。

鏡を覗き込むと、薄い紫色の髪にアーモンド形の緑の目、低くもなく高くもない鼻や、ごくごく普通の唇を持つ自身の姿が映り込む。

 少々キツい印象があると言われることもある、いつもの私だ。十八歳と花盛りの年齢であるものの、浮かれている場合ではない。私には、少しでも多くのお金が必要なのだ。

 なぜかと言えば、私は天涯孤独の身だから。優しかった両親は、私が十歳の時に事故で亡くなってしまった。両親も共に天涯孤独の身で結婚したので、面倒を見てくれる親戚なんていやしなかった。

 その後、孤児院で育った私は、院長先生に魔法の才能を見出される。魔法学校を受験し、回復魔法を習得した私は『王立騎士団』の魔法兵になった。

 騎士になって三年、私は下っ端ながら任務に参加し、自分の生活は自分で支えるという暮らしをしていた。

 騎士の給料は貴族の家でメイドをするよりいいらしい。それもそうだろう。騎士は命を懸け、体を張る仕事だ。ただ給料がいい分、メイドのように長くは続けられない。女騎士の大半は、二十五になる前に退職するらしい。その理由の多くは、結婚だけれど。

 結婚──私に重くのしかかる問題。

 今のままでは、結婚することは難しい。今の時代、両親もしくは後見人のいない娘は結婚相手として望ましくないのだ。

 幼少期は両親のように、お互いに想い合って結婚することに憧れる気持ちはあった。けれど、両親を亡くした今、私は再び家族を失うことを恐ろしく思ってしまう。

 そのため、誰かと深い付き合いをすることすらできなくなっていた。

唯一できることといったら、退職後に生活できるようお金を貯めるばかり。

 以上の事情から薔薇の石鹸なんて、買っている余裕は欠片もないのである。銅貨一枚だって、無駄にできない生活を送っているのだ。

 そんな私の宝物は、両親が残してくれた一通の手紙。十歳の誕生日の時に、成人を迎える十八歳になったら開封しなさいと言われていた。今日が、十八歳の誕生日。とうとう私も、成人を迎えた。手紙には、いったいどんなことが書いてあるのか。

 読むのは、仕事が終わってからだ。ワクワクする気持ちを押さえ、身支度を整える。

 魔法兵の制服は、騎士というより修道女に近い。ワンピース型で、分厚い紺色の布地には守護の魔法がかけられている。ベレー帽を被り、十字のアミュレットを首からさげた。先端に水晶の付いた杖を握り、向かった先は食堂。

 女性騎士達は優雅に食事を取るなんてことはなく、好きな料理を好きなだけ食べて良いというブッフェ式のスタイルなので人気料理の争奪戦が起きる。

 朝食を食べ損ねると、任務に支障が出てしまう。一日の活力を得るためには、肉、魚、野菜を均等に食べなければならない。

 列に並んでいるのは、屈強な女騎士ばかり。私のようなヒョロヒョロの魔法兵は争奪戦にいつも負けてしまう。

 今日の戦果は、肉団子が一個に、魚のフライが一つ、根っこしか浮かんでいないスープ。肉団子が一個あるだけ、いいほうだろう。

 テーブルにはパンが山のように積みあがっているので、それでお腹を満たす。

 パンは、ふかふかのバターの香りが豊かなものではない。表面は木の皮のごとく、中は岩のように硬いパンだ。これを、スープに浸しながら食べる。慣れない時はそのまま齧って、よく口の中を切っていた。今は、そんな間抜けなことなどしない。

 よく噛んで、ごっくんと呑み込む。食堂の料理は食べ放題だが、おいしくはない。母が作ってくれたミートパイやパンケーキを恋しく思う時もある。そんな時は、記憶にぎゅっとキツく蓋をしていた。

 朝食が終わったら、そのまま職場に向かう。私が所属しているのは、『第十七警邏隊』。王都周辺を見回り、危険な場所や人物、魔物がいないか確認することを任務とする。

 隊員は三十名所属していて、一週間交代で夜勤がある。私は女性騎士ミリー・トールさんが隊長を務める小隊に所属していた。


「隊長、おはようございます」

「おはよう」


 ミリー隊長は男性と見紛うほどの長身で、短く刈った黒髪に鋭利な目元と女性であるが精悍な容姿をしている。

ミリー隊長は現在二十八歳。この年齢まで騎士を務めるには、さまざまな障害もあっただろう。それを感じさせず、カッコよく生きている私の憧れの人だ。


「メロディア魔法兵、きちんと肉を食べているか? お前は、小鹿のように細い」

「これでも、食べているのですが」

「ガリガリじゃないか。今度、肉を食べに連れて行ってやる」

「ありがとうございます」


 また、痩せていると言われてしまった。私は、ミリー隊長のように筋骨隆々な騎士になりたいのに、一向に太らないし、筋肉も付きにくい。両親は共に細身だったので、この辺は遺伝なのかもしれない。がっくりと項垂れつつ、朝礼の列に加わる。


「本日は西の森に、魔物退治にでかける。各自、装備を整え、馬に乗って集合するように」


 朝礼が終わると、散り散りとなる。皆が一斉に向かう先は厩舎だ。ここには、第十七警邏隊が共用で使っている馬がいる。個人の馬を所有するなんて、金持ちの貴族か管理職だけだ。下っ端は騎士隊の予算で馬を共用するしかない。

 一人しかいない厩番のおじさんのもとに、十名以上も押しかけるものだから現場は大混乱となる。

 馬の性格は従順な子から、暴れん坊まで多岐にわたる。皆、大人しく従順な馬に跨りたいのだ。


「あの、あの! 私、葦毛あしげの子が──」


 ここでも私は、押しの弱さに負けて馬を選ぶ順番が最後になってしまった。


「メロディアちゃん、暴れん坊のクロウしか残っていないけれど、大丈夫?」

「ぜんぜん、大丈夫じゃないです……」


 暴れん坊のクロウは、先週来たばかりの新しい馬だ。綺麗な黒い毛並みをしていて、しなやかな筋肉を持つ。性格は獰猛で、厩番に噛みつくことも珍しくない。以前は勇敢な騎士の馬として戦場で活躍していたようだ。その騎士が戦死してしまい、主人を失ってしまった。最初は同じように前線で戦う騎士が所属する部隊に異動となったが、誰も跨ることを許さず何人も落馬させた。そのたびに、クロウは別部隊に送られる。

 クロウは自尊心が高く、戦死した騎士以外に心を許さなかった。そんな状況の中、殺処分の話が浮上する。そこに、待ったをかけたのがミリー隊長だった。


「いや~~、メロディアちゃんが咬まれたり落馬したりしたら、気の毒だ。止めたほうがいい。ほら、これは五日前に咬まれた痕だ」



 厩番の叔父さんの腕には、くっきりとした歯形が残っていた。クロウに噛みつかれたらしい。


「危険な馬なんだ。他の騎士と交換してもらったほうがいい」

「しかし、私は下っ端なので、難しいでしょう」

「そうか……」


 厩番のおじさんが、クロウを厩舎から運んでくる。首をぶんぶんと動かし、誘導する方向へ歩こうとしない。

 私は初めて、真正面からクロウと対峙した。


「お、大きい……!」


 さすが、戦馬用と言えばいいのか。普通の騎士が跨る馬より、一回り大きかった。


「ど、どうも、初めまして」


 クロウは目を細め、私をじっと見ている。目つきは鋭くて、ぜんぜん可愛くない。

 けれど、瞳の奥に孤独の色が滲んでいるような気がした。この子も、私と同じ一人なのだ。それを思ったら、胸がきゅんと切なくなる。


「クロウ、今日一日、私に付き合ってくれますか?」


 そう問いかけると、クロウは首を垂れた。行動の意味が分からず、厩番のおじさんを振り返った。


「これは、額を撫でて欲しいんだ」


 ええ~、と言いそうになったが、口から出る前にゴクンと呑み込んだ。大きな馬を撫でるなんて恐ろしいけれど、友好のためにやるしかない。こういう時、怖がると相手も気づいてしまう。だから、思い切ってガシガシと撫でてあげた。すると、クロウは尻尾を高く振っている。


「おお、これはすごい、クロウが、喜んでいる!」


 私のかなり踏み込んだスキンシップは大成功のようだ。鞍も付けさせてくれた。あとは、跨るだけ。ドキドキしたが、大人しく乗せてくれた。


「メロディアちゃん! 素晴らしい騎乗能力だ」


 なんだろう。昔から、動物受けはよかった気がする。忘れもしない最愛の愛犬フルモッフも、最初は私を警戒していたがすぐに懐いてくれた。

 あと、運もよかった気がする。過去に、部隊で支給された兵糧食で部隊のほとんどがお腹を壊す中私だけ平気だったり、財布を落としてもお金を盗まれずに戻ってきたり。クロウに気に入られたのも、運がよかったからだろう。


「大丈夫そうだな」

「はい、なんとか!」


 晴れやかに返事したが、そんなに人生上手く進むものではない。

 クロウは、私の命令通り走ってくれた。ただし、戦場を駆けるような爆速で。


「んぎゃああああああああ……!」


 ミリー隊長の馬すら追い越して、先頭を走る。他の馬の後ろを走るような馬ではなかったのだろう。

「おい、私より先を走るな!」

「す、すみませええええん!」


 さすがはミリー隊長! 暴走するクロウに追いつき、混乱する私に馬の止め方を教えてくれる。頭の中が真っ白になっていたので、助かった。幸い、命令通りクロウは止まってくれた。


「やはり、この馬は、騎士隊で世話をすることは難しいようだな」

「あ、あの、やはり……処分されてしまうのでしょうか?」

「そうだな」


 決して悪い子ではない。私の言うことは、聞いてくれる。だったら、私が乗りこなすしかない。


「あの、数日でいいので、私にクロウの世話を担当させてほしいのです。調教さえできたら、この子もき

っと騎士隊で活躍してくれるはず」

「……」


 ミリー隊長の表情は険しい。無理だと言いたいのだろう。私も、正直無理だと思う。でも、何もしないよりは、精一杯何かをしたほうがいい。だから、食い下がった。


「どうか、お願いいたします」

「わかった。しばらく、世話と調教は任せよう」

「あ、ありがとうございます!」


 クロウに「良かったね」と言ったら、歯茎を剥き出しにしながら「ぶるる」と鳴いていた。その様子に笑ってしまったが、ヘラヘラしている場合ではないのだ。

 任務を終え、騎士舎へ戻ったあと、私は帰らずにクロウの調教を始める。

 獰猛な性格だと言われていたが、そんなことはない。私が跨る時は大人しいし、暴れることもない。しかし、しかしだ。走るように指示を出すと、途端に爆走してしまう。徹底的に、戦場仕様の馬なのだ。

 めげずに調教を繰り返す私に、厩番のおじさんが声をかけてくる。


「メロディアちゃん、もう暗くなるから、帰ったほうがいいよ」

「あと少しだけしたら帰ります。厩舎の鍵も、閉めておきますので」

「そうかい? だったら、頼むよ」


 厩舎のおじさんから厩舎の鍵を受け取り、ポケットの中に入れる。


「よし、もうひと頑張り!」


 騎士舎のほうは、まだ灯りが点いていた。きっと、ミリー隊長も残って仕事をしているのだろう。私も、あと少しだけ。

 食堂で夕食を食べることは諦めた。今日は誕生日なので、夜市で何かおいしいものでも買って食べようか。そして、眠る前に両親からの手紙を読みたい。

 一時間ほどクロウの調教をして、厩舎に戻す。鍵は騎士舎の執務室に行って返さなければ。

 ふと空を見上げたら、太陽が沈んでいく様子が目に付いた。今日が終わろうとしている。沈みゆく太陽を眺めていると、胸がドクン、ドクンと鼓動した。

 なぜだろうか。私はこの世界で、ただひとりぼっちなのだと、思い出してしまった。

 今日が誕生日なので、感傷的になっているのか。もう、両親を喪ってから随分と経つのに……。

 空っぽになった心は、いつまで経っても満たされない。それは、これからもずっと続くだろう。

 ミリー隊長もまだ残っていて、理由もなく落ち込んでいる私を心配してくれた。


「メロディア魔法兵、あまり根を詰めないようにな」

「はい、もう、帰ります」

「今日は、よく頑張ったな」

「ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げて、執務室を出る。どうしてか、先ほどから動悸がする。

 そう、私は大丈夫。これからも、ひとりで強く生きて行ける。

 ひとりで……つよく……。


「──ッ、はあっ!」


 騎士舎から出た瞬間、胸が苦しくなった。立っていることができず、その場に膝を突く。ここから助けを呼んだら、ミリー隊長に聞こえるだろう。しかし、息が詰まっていて声を出すことができない。


「はあ、はあ、はあ、はあ!」


 今まで、私は健康体だった。仕事も無理はしていないし、睡眠もきちんと取っている。なのになぜ?

 知らないうちに、私の体は病に蝕まれていたのか。


「はっ、はっ、はっ……」


 胸を押さえていると、両親の顔が浮かんだ。

 両親が、私を迎えにきてくれたのか。成人を迎える、誕生日に。

 もう、頑張らなくてもいい。そう思ったら、眦から涙が溢れてきた。


「う、うう……」


 私は一人じゃない。両親のもとへ行ける。

 しかし、騎士舎の前で死ぬとか、縁起が悪すぎる。せめて、人の目に付かないところで……。

 最後の力を振り絞り、立ち上がる。おぼつかない足取りで、騎士舎の裏手にあるくさむらへ倒れ込んだ。

 全身の力が抜け、体が軽くなった。苦しさも、綺麗さっぱりなくなった。


「ああ……!」


 これで、楽になれる。寂しくもない。唯一、クロウのことだけは心残りだけれど……。そんなことを考えているうちに、意識がなくなってしまった。

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