狼魔女を追って その八
翌日、人の姿に戻った私は、寝台の上で目覚める。
昨晩のことを思い出し、恥ずかしくなった。ディートリヒ様に見せる顔なんてないが、このまま何事もなかったようにはできないだろう。
身支度を整え、まっすぐにディートリヒ様に会いに行った。
「おはよう、メロディア。朝一番に会えて、嬉しいぞ!」
「……おはようございます」
「どうした? 元気がないな?」
ディートリヒ様は長椅子に跳び乗り、隣に座るよう前足でポンポン叩く。それに従い、隣に腰かけた。
「あの、昨晩、見ましたよね?」
問いかけると、ディートリヒ様は目を逸らす。この反応に、少しだけ傷ついてしまった。
獣人を怖がる人達は多いと聞く。呪いで狼と化したディートリヒ様とはわけが違うのだ。
「あの……私……」
「メロディアの下着類は、み、見ていないぞ」
「そっちではありません。ていうか、その反応だと見ましたね?」
「……」
「ディートリヒ様!」
「見たぞ!」
「……」
なんていうか、脱力した。私は、下着を見たか否か、問いつめに来ただけではない。
「ディートリヒ様、なぜ……」
「いや、なんだ。その、正直に申せば、可憐な下着だった」
「下着の感想を聞いているのではありません」
「では、何を?」
「獣人になった私を見たでしょう? 恐ろしく思わなかったのですか?」
「いいや、愛らしかったぞ」
「……」
「もしや、獣人になることが原因で、結婚を断っていたのか?」
「違います」
「だったらなぜ?」
「理由は、昨日お話したでしょう? 私は、私は──」
言葉にならず、ポロポロと涙を零してしまった。
今まで気づかないふりをしていたけれど、私は寂しいのだ。だから、ディートリヒ様と一緒にいると、辛くなる。
「もう、嫌なんです」
「私が、嫌になったというのか? 悪いところがあれば、直す。だから、はっきり言ってくれ」
「違います……。一人になるのが、嫌なのです。これ以上、ディートリヒ様のお傍にいたら、優しさに触れたら、離れられなくなります」
「そんなことはない。私はずっと、メロディアの傍にいるぞ!」
「嘘です! 私が大好きになった人は、いなくなるのです。父や母……フルモッフだって、いなくなりました!」
「いなくならない!」
「いなくなります!」
「絶対に、絶対に、いなくならない」
「なぜ、そう言い切れるのですか!?」
「私が……フルモッフだからだ!」
今、なんて言ったのか? ディートリヒ様が、フルモッフだったって?
驚きすぎて、言葉が出てこない。
「魔女の呪いにかかって、必死になって逃げ回り、満身創痍となっている時に、メロディアが私を拾い、フルモッフと命名した」
「ほ、本当に、ディートリヒ様が、フルモッフ……だったのですか?」
「そうだ」
「なぜ、すぐに言ってくださらなかったのですか?」
「それは……なんだ。男の沽券にかかわる問題というか……なんというか……」
よくわからないけれど、言いだせなかった理由があるらしい。
無理に聞き出すことはしないほうがいいだろう。
「メロディアと過ごした一ヵ月は、夢のようだった。小汚くなっていた私を拾い、献身的な看病をしてくれて、優しく抱きしめてくれた。このように、慈愛に満ちた娘を、私は他に知らない。すぐさま結婚しようと思ったのだが、メロディアが先に求婚してきた。私達は、両想いだったのだ」
「ちょっと待ってください。あの、求婚って、もしかしてフルモッフに言った言葉ですか?」
「そうだ。メロディアは私に言ったではないか。ずっと一緒だ、と」
「ああー……」
そのへんの言葉だったら、確かに言ったような気がする。
しかし、ずっと一緒だという言葉を求婚に結びつけるなんて。飛躍しすぎだろう。
「あの、私」
「本当に、嬉しかった。だから私は貞操を守り、メロディアを花嫁として迎えに行こうと思ったのだ」
「はあ、さようでございますか」
まあ、この問題はとりあえず措いておく。
今私は、二度と会えないと思っていたフルモッフが目の前にいることが嬉くてたまらないのだ。
「あ、あの、お願いが、あるのですが」
「なんだ?」
「抱きしめても、いいですか?」
「よい。好きなだけ、モフモフするがいい」
「ありがとうございます!」
私はフルモッフ……ではなく、ディートリヒ様を力いっぱい抱きしめた。
記憶の中にあるフルモッフと同じで、温かくて、フワフワモフモフで、最高の触り心地だった。
ディートリヒ様をモフモフと撫でているうちに、涙はどこかへ引っ込んでしまう。
「よかった……フルモッフは、生きていたのですね」
「出て行くのは忍びなかった。しかし、弟が、私の帰りを待っていた」
「そう、ですよね。でも、どうして会いに来てくれなかったのですか?」
「ずっと、会いに行こうと思っていた。しかし、私に絡んだら、メロディアまで狼魔女に目を付けられてしまう。それを思ったら、会いにいけなかったのだ」
それから数年、ディートリヒ様は魔女と戦う術を手に入れるために、日々訓練を行っていたらしい。
「ようやくメロディアに逢いに行ける時がきたと思っていたら、メロディアが奇跡の聖女だとか、もてはやされているではないか」
ディートリヒ様は急遽、私を呼び寄せる好待遇の条件を出し、第一騎兵部に異動してくるように仕組んだのだとか。
「あの時ほど、焦った時はなかったぞ」
「そうだったのですね。しかし、あの出会い頭の求婚はいったい……?」
──ふっ、面白い娘だ。私の、花嫁にしてやろう
かなり衝撃的な求婚だった。
「あ、あれは、忘れてくれ……。メロディアに再会したことに浮かれていて、つい口から出てしまった言葉だ。上から目線で、軽薄なものだっただろう。すまなかった」
「いえ」
思い返せば、愉快な記憶だったように思える。
あのように求婚されることなど、なかなかないだろう。
「メロディア」
「はい?」
ディートリヒ様はいつになく、真剣な様子で私を見る。
「私は、この姿であり続けるつもりはない。いつか、人の姿に戻る。そうなったら、私と結婚を前提に、お付き合いしてくれないだろうか?」
結婚を前提に、という言葉がものすごく強調されていた。
呪いを解くということは、狼魔女に勝つつもりなのだろう。
その時は、私も両親を亡くした悲しみから、解放されるのかもしれないのだ。
千年戦った相手に勝つなんて、とんでもないことだろう。もしもそれが叶うのならば、私は結婚してもいいのかもしれない。
「メロディア、ダメか?」
「えっと、その、私で、よろしければ」
「メロディア‼」
「きゃあ!」
ディートリヒ様の体当たりのような抱擁を受け、長椅子に倒れ込んでしまう。
「メロディア、メロディア、わ、私は、う、嬉しい!」
「お、落ち着いてください、ディートリヒ様! 誰か、誰か~~」
「兄上!」
人を呼び、すぐに飛び込んできたのはギルバート様だった。駆け寄って来て、私の上に覆いかぶさるディートリヒ様を剥がしてくれた。
「兄上、早まらないでください! その姿では、難しいです!」
いったい何が難しいのか。気になったが、追及しないほうがいい気がした。
ギルバート様に上半身を抱き上げられたディートリヒ様は、ジタバタと暴れながら言葉を返す。
「ええい、ギルバート、放せ! やっと、メロディアが心を開いてくれたのだ! 匂いをかぐくらい、自由にさせろ!」
「普通の人は、女性の匂いなんてかぎません!」
「ギルバート、お前、好きな人の匂いをかぎたいと、思ったことはないのか?」
「そ、それは、一度くらいならば、あるかもしれないですが!」
……あるんか~い。
なんていうか、ダメだ、この兄弟。
ディートリヒ様を床の上に座らせて、ギルバート様が懇々と話を聞かせる様子は犬と飼い主にしか見えないし。