狼魔女を追って その一
狼魔女は日々、若い貴族令嬢の誘拐を目論んでいるらしい。ギルバート様が事件の資料を広げてくれる。
「呪いの力を高めるには、十五歳までの若い令嬢の血肉が一番のようです」
ゾッとするような話だ。
社交界のシーズンは、もっとも誘拐事件が頻発するらしい。王都に国中から貴族が集まっているので、無理もないだろう。
「被害者は、マリーローズ・ド・セロテン嬢」
借りてきたらしい肖像画がテーブルに置かれた。金髪碧眼の、綺麗なお嬢様である。
事件が起こったのは、昨日の夕方。招かれたお茶会に行くため、侍女を伴い四頭立ての馬車で向かったようだ。
「騎士隊が捜索をしていたが見つからず、目撃者もいないことから、魔女の仕業ではないかと判断され、うちの部隊にも捜索依頼が届いたようです」
「馬車は忽然と消えた、と」
「そうですね」
ディートリヒ様は報告書に穴が開きそうなくらい、じっと見つめていた。
「兄上、どう思いますか?」
「調べてみないとわからないな」
「ではさっそく、調査に向かいましょう」
「では、騎士隊の制服に着替えを──」
なぜか朝から用意されていたのは、袖や裾にたっぷりフリルが施された新緑色のドレスだったのだ。
「いいや、メロディア。そのままで構わない。私達は、表立って活動している騎士ではないからな」
「ああ、そうでしたね」
騎士の恰好だと目立ってしまうので、私服で出かけるようだ。ギルバート様も、シャツにベスト、ズボンと、普段着である。
「すぐに出かけよう。準備を」
「はっ!」
見た目は白い犬であるディートリヒ様の準備とはいったい。そんな疑問を浮かべていたら、従僕が首輪と散歩紐を持ってくる。首輪は素早く装着された。
すぐさま、今から散歩に行く犬の姿となる。
「よし、いいな」
ディートリヒ様は散歩紐の持ち手を銜え、私の手の上に置いた。
「メロディアが私の紐を引いてくれ」
「ええ、私が、ですか?」
「昨日、約束しただろう。愛犬から、始めてほしい、と」
「ええ……まあ」
「その散歩紐を引いていたら、自ずと私の素晴らしさもわかるはず」
「そう、ですか」
犬の散歩みたいなことをしてわかる、ディートリヒ様の素晴らしさとはいったい……?
思わず明後日の方向を向いていると、ギルバート様が仕込み刃入りの杖を用意していることに気づく。
「メロディア様はこちらを」
ルリさんが差し出したのは、日よけの傘である。先端が宝石みたいになっていて、傘部分は百合の花が描かれている美しい一品だ。しかし、よくよく見たら、柄に蔦模様のような呪文が彫られていた。
「これ、もしかして魔法の杖ですか?」
「はい。持ち手はオーク材を使用し、魔女の呪いを弾き返すまじないが描かれているようです。布はシャンパンベージュの布にレースを合わせました。先端はダイヤモンドです」
ダイヤモンドと聞いて、ぎょっとする。魔法の杖に使われることがあると聞いたことがあるが、現物を見たのは初めてだ。
広げてみると、半円状のラインを描くようなデザインになっていた。とても、優雅で洗練された上品な日傘である。
「これをお借りしてもいいと?」
「私からの贈り物だ」
「ディートリヒ様からの?」
「ああ」
素敵な贈り物だ。ひと目で心を奪われてしまった。
かなり高価な品だろう。本当にもらってもいいものか。ちらりと、ディートリヒ様を見る。
「なんだ?」
「い、いえ、私にはもったいないお品のように思えて……」
「ふさわしいか否かは、私が決める。それは、メロディアのためにあつらえた品だ」
「私のために?」
「あ、いや、偶然、商人が持ってきたので、選んだ。私の気持ちがこもっている。つき返すことは許さない」
「あ、はあ」
気持ちと言われてしまったら、お返しするわけにはいかない。素直に受け取っておこう。
「あの、ありがとうございます」
「気に入ったか?」
「はい、とても」
最後に、つばの広い帽子を被せてもらう。これも、レースとリボンが幾重にもほどこされていて、とても可愛らしい。なんだか、お人形のようになった気分だ。
「メロディア、似合っている。可憐だぞ」
「ありがとうございます」
異性に褒められた記憶はないので、照れてしまう。思わず、帽子のつばで顔をかくしてしまった。
「では、行こうぞ」
準備が整ったので、出発となる。ディートリヒ様を紐で引くのは微妙な気持ちになったが、これも仕事だと割り切ることにした。
馬車に乗り込み、街へと向かう。
「まず、街で調査を行う。騎士隊とは違う方法で行うゆえ、メロディアはよく覚えておくように」
「承知いたしました」
深い森の景色から、街の景色へと変わっていく。
ぼんやりと街並みを眺めている中でふと気づく。
ディートリヒ様のような大きな犬が街中を歩いていても、大丈夫なのかと。
「あの、ディートリヒ様」
「なんだ?」
「その、ディートリヒ様は犬としては大きすぎると思うのですが、そのまま歩いても平気なのでしょうか?」
「問題ない。ほれ、あれを見よ」
促された視線の先には、ディートリヒ様と同じくらいの大きな黒犬が散歩していた。
「あれは──!」
「世界でもっとも大きな犬だ。最大で、二メートルは超えるらしい」
貴族の間で流行っている犬種らしい。大きければ大きいほど、美しいとされているのだとか。
「あれは、数年前にフェンリル公爵家が流行らせた犬だ」
「もしかして、ディートリヒ様が街中を歩いても目立たないように、とかですか?」
「その通り」
ディートリヒ様と同じくらい大きな犬はごくごく普通に存在している。そのため、街を歩いても怖がられたり、奇異の目で見られることはないようだ。
「今まで、見たことはありませんでした」
「数はそこまで多くないからな。この辺りは貴族街だから、頻繁に目にすることとなるだろう」
そんな話をしているうちに、目的地であるセロテン家に到着した。
マリーローズを送り出した侍女と従僕を呼び出して、話を聞くようだ。
玄関から入ろうとしたら、執事より制止がかかった。
「あの、犬はちょっと……」
確かに、と言いそうになったところで、ギルバート様が割って入る。
「こちらは、行方不明となった人物を百名以上捜し出した名犬です。普通の犬ではありません」
「ああ、そうでしたか」
物は言いようである。あっさりと、ディートリヒ様の入場は認められた。