神殿長と吟遊詩人の会話1
もうひとりの主要メンバーのお披露目。
「こちらの確認もお願いいたします」
灰色のローブに身を包んだ男性が羊皮紙の巻物を机に置く。
その所作は洗練されており、教育が行き届いていることが伺え、上流階級のものであることがわかる。
「うむ。」
そして、その巻物に手を伸ばしたのは5歳ぐらいの幼女だ。
白い仕立ての良いローブを身にまとい、金というより黄色の髪が腰まで伸びている。
瞳も髪と同じく黄色。白い肌に良く映え、神秘的な雰囲気を醸し出している。
彼女の幼名はロア。女神教の総本山である中央神殿の神殿長である。
そんな幼女がじろりと巻物を置いた男を睨む。
机に身を乗り出すように巻物へ手を伸ばしているが、いかんせん幼女の短い腕では届いていない。
椅子も幼女にはとても高く、足が地面についていないので、自力で椅子の位置を前にずらすこともできない。
「シュランク。これは意地悪ですか?」
「とんでもございません。神殿長殿」
シュランクと呼ばれた男はすっと巻物を前に押しだし、幼女の手が届く範囲へと動かす。
やっと巻物に手が届いた幼女は手繰り寄せるようにして手元に巻物を持ってくる。
「奉納された作物の一覧です。神殿長の指示の通りに農家ごと、作物ごとにまとめております」
「ふむふむ」
くるくると巻物をほどきながら幼女の黄色い瞳が文字を追っていく。
この世界の識字率は高くない。文字の読み書きができるのは貴族や豪商や一部の裕福層ぐらいだ。
こんなにも幼い幼女が巻物の文字を読んでいるのは異様な光景だとシュランクは思う。
「やはりオルト芋は優秀ですね。今年の干ばつでも収穫量の減少率がとても小さいです。穀類は軒並み20%近く減少しているのにこの収穫量は素晴らしいの一言ですね」
「やはり穀物農家にもこの芋を育てさせるべきですね」
シュランクの一言に幼女は「はぁ」とため息をつく。
「そう簡単な話ではないですよ。確かにオルト芋は環境の変化に強く、どんな状況でもよく育ちます。しかし、すべての農家がこの芋のみを育てるようなことになれば、オルト芋に病気が広がった場合などに対応ができません。多様性は必要です。それに」
「それに?」
「美味しいパンが食べれなくなるのは困りますからね」
幼女がふわりと笑う。シュランクが神殿長の周りが淡く光っているように錯覚するほどに可憐な笑顔だ。
「それはそれとして、この収穫量では雑穀農家の生活が苦しいでしょう。祝福を与えに行きたいと思いますのでシュランクは予定の調整を」
「神殿長、そう気軽に祝福を与えては祝福を得られなかった他の農家に不評を買いま……」
幼女が頬を膨らませてシュランクを睨む。シュランクは大きなため息を吐いた。
「かしこまりました。ただし、祝福を与えた農家には例年と同量の奉納を義務付けます」
もっとも、神殿長の祝福を得た農地は作物の収穫量が爆発的に増加するので、この義務は対外的なアピールでしかないだろう。
それを承知している神殿長はにんまりと笑う。
まったく、5歳の年に受ける幼名式を終えたばかりの幼女なのに聡明な方だ。
そしてその力は……
「ロア神殿長!なんか変なやつが……ってうわ」
シュランクの思考を邪魔するように兵士が慌てた様子で入室してくる。
兵士はシュランクが居ることに気がつくとしまったといった顔になる。
「デルメール。其方は落ち着くということを知りなさい。神殿長が寛容な方だから許されていますが、本来ならもう其方の居場所はここにはないですよ」
「シュランク様申し訳ございません。ただ、その、急ぎでして」
「急ぎであろうと、ですよ。其方が神殿長にたいしてそんな態度で接していて舐められるのは神殿長です。ただでさえ神殿長は幼く、侮ってくる輩が多いのですから。神殿長が侮られるのは其方も本意ではないでしょう?」
「う……申し訳ございません」
デルメールと呼ばれた兵士はしょんぼりと落ち込む。シュランクより大柄であるがデルメールは女性だ。
少し軽率なところがあるが剣の腕が立ち、神殿長を誰よりも大切に思っている。
「いいのですよデルメール。今はシュランク以外誰もいませんし。さすがに誰かがいるところではだめですけど」
「神殿長、甘いですよ」
「甘いかもしれませんが、デルメールはこれでいいのです。人がいるところでは失敗しないですし」
「はぁ、デルメールの場合は失敗しないというか、失敗しないようにただ直立不動で控えているだけなのですが」
「ところで、デルメール。急ぎの用事とはなんでしょう?変なやつとか言ってましたけど?」
シュランクの小言を無視してデルメールに要件を聞く神殿長。やはりデルメールに甘い。
「あ、その。ロア神殿長にお会いしたいと変なやつがやってきていまして、どうしたものかと」
「変なやつ?それではなにもわからないではないか。もう少しなにかないのか?」
「え、え~っと……黒いローブを纏った女性でして、しがない吟遊詩人だと言っていました。顔はローブで隠れていたので髪の色も瞳の色も見えませんでした。」
「デルメール、それは変なやつではなく、怪しいやつというのだ。そんな者に神殿長を会わせるわけにはいかないのはわかるだろう?」
「も、もちろんであります!ただ、古い友人だと言ってまして」
「それこそ可怪しい話だろう。ロア神殿長は5歳になられたばかりだ。古い友人というのは」
シュランクに責められタジタジになるデルメール。
「でも、わたくしに伝えなければと思った何かがあるのでしょう?デルメール。その方はなにか言っていたのではなくて?」
神殿長の助け舟にぱっと顔をあげるデルメール。こくこくとすごいスピードでうなずいている。
「そ、そうなのです!ロア神殿長にこう伝えれば私だとわかると!えっと、確か『小麦畑、狼、運命の糸は知っている』と」
「なんですかそれは」
シュランクが呆れたような声を上げるが、神殿長の顔がみるみる青くなっていく。
何事かと思っていると、バンバンと机を手で叩いたあと両手を上げた。
この動作は、椅子から下ろしなさいという動作だ。神殿長の身長では椅子が高すぎて自分では降りられない。
シュランクはすばやく動き、神殿長を抱えあげ、椅子から下ろす。
「デルメール、その吟遊詩人は名乗ったの?」
椅子からおりて、デルメールの前に歩み出る神殿長。
長身のデルメールと並ぶとその小ささが際立つ。
「はい、グエムニルと名乗りました。」
「そう、グエムニルと会います。応接間に通しなさい。」
「神殿長!」
すたすたと部屋をでていく神殿長。シュランクが慌てて追いかける。
歩幅の差がはげしいのですぐに追いついてしまう。
「まさか会われるつもりですか?そんな得体の知れない者と」
「いいえ、得体の知れない者ではありません。わたくしの古い友人です」
「ロア!」
「シュランク、いえ、お父様。大丈夫です。わたくしを、ロアを信じてください」
「く、わかった。本当に大丈夫なんだな?」
「えぇ、大丈夫です」
シュランクと神殿長が言い合っている後ろをオロオロとついてくるデルメール。
応接間の前に着くと、自らの役割を思い出したのかデルメールは慌てて扉を開ける。
「ありがとうデルメール。ではグエムニルを呼んできて」
「は!かしこまりましたであります」
応接間のソファの前に移動すると両手を上げながらデルメールに命じる神殿長。
すばやく神殿長の横へ移動したシュランクは神殿長を抱えソファに座らせる。
デルメールは例の吟遊詩人を呼びに行った。
「神殿長。よろしいですか?」
「なにかしらシュランク。あらたまって」
「古い友人とは、本当ですか。ということはもしや」
「シュランク。それを確かめるために会うのです」
シュランクの目が驚愕に染まる。周りを警戒し、近くに人がいないことを確かめ小声で話しかける。
「まさか、信じられない。女神の生まれ変わりが、貴方様以外に居るなんて……フロディア様」
「あら、わたくしが居るのですから、他にいてもおかしくはないではないですか。」
「それはそうですが」
「それとシュランク。グエムニルが来たら、人払いをお願いします。もちろん貴方もです。」
「神殿長!それは」
「お願いします。もし、本当にわたくしの古い友人なら、この会話はきっと誰にも聞かせれない話になります」
「しかし、もし違っていて、神殿長を害しようとする者だったら」
「あら、それこそ杞憂ではなくて?わたくしを害せる者が居ると思って?」
神殿長はふふんと笑う。
シュランクは考え込む。確かにそれはありえない。
齢5歳にして、中央神殿の神殿長という地位につく彼女はその思慮深さのみでなく、特別な力を持っている。
ただの人に害せるような人物ではないことは、シュランクも重々承知している。
「ふぅ、わかりました。お客様への飲み物を用意してまいります。」
「えぇ、よく冷えた果実水をお願いしますね」
思ったより長くなってしまったので、分割します。