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2月14日 バレンタイン AM 12:33 ~昼休み~

 その瞬間を見逃さなかった。それまでにこやかだった彼女達の表情が強ばり、能面のような無表情へと変わっていく。


 「すみません、先輩。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが……」

 「――何かしら?」


 黙れ、に聞き違いそうなほど冷たい声色に、思わず僕は引き下がりそうになっていた。さっきの友好的なムードは何処へやら。水禅院先輩は嫌悪感を隠そうとしていない。


 「実はチョコレートを探して――」

 「――知りませんわ」


 そして、取り付く島もない。僕が全部言い終わるより先に有無を言わさない拒絶が帰ってきたのだ。その容赦なさに後ろで初鹿さんが小さく悲鳴を上げている。


 「いや、でも――」

 「――購買で売っているのではなくて?」

 「そうではなくて――」

 「――そうでないなら、何だというの? わたくし、他のチョコレートについては知りませんわ」


 ずい、と前に出る水禅院先輩。有無を言わさぬ態度に気がつけば僕は後ろ、教室の外へと追いやられていた。同時に中学校には不釣り合いな豪華な腕時計を巻いた先輩の右手が教室の扉を閉めようと伸びる。


 ……まずい。どうすればいい? どうすれば先輩の足を止められる?


 「――ッ初鹿さんのチョコレートが盗まれてしまったんです!? 先輩のお力を貸してくださいっ!」


 言うと同時に熊でも逃げ出しそうな強烈な眼光に射貫かれた。間違いない。水禅院先輩は激怒している。だって……他でもない風紀委員長であるが故に、盗難疑惑なんてものを放ってはおけないから。止まる水禅院先輩。対抗するように僕は真っ向から足を進めると、教室の中へ踏み込んでいた。


 「同級生の初鹿さんがバレンタインに告白しようとチョコレートを用意したんです。でも、それは相手に渡る前になくなってしまった。僕はそれを見つけたいんです! 先輩、何か知ってることがあったら教えてください! ほら、香織ちゃん(・・・・・)からもお願いして!」


 同時に一歩右によって、初鹿さんを前に出してみる。初鹿さんは僕の唐突な名前呼びと、水禅院先輩の鋭い視線に怯えて反射的に僕の背中に隠れようとして――


 「そ、そうなんです! 先輩! どうか力を貸してください!」


 ――ギリギリで僕の意図に気付いてくれた。


 グッドだね。彼女、結構頭が良いのかも! だって、同時に自然とポケットからお守りを手にとって、それを祈るように握りながら言ってくれたのだ! そのお守り、口紅を見た水禅院先輩の視線が更にきつくなる。初鹿さんはそれに怯えるように口紅を胸元にあてて両手でギュッと握りしめていて――


 「残念ですけれど、わたくしはあなたの(・・・・)チョコレートなど知らないのです。申し訳ないけれど、もうお帰りになって」


 だけれど、水禅院先輩は馬鹿じゃなかった。初鹿さんの露骨な挑発に気付くやいなや、それまでの怒気を強引に引っ込め、変わって氷のような冷静さを現したのである。


 「そうですか……分かりました先輩」

 「構いませんわ。力になれなくて申し訳ないけれど……」

 「いえ、大丈夫です。それなら仕方ありませんから」


 あぁ、本当に十分だ。同時に怪訝な顔をしている初鹿さんの手を引いて教室から出る。そうして、背中越しに怖い先輩に言ってやったのだ。


 「でも、どうして水禅院先輩は”チョコをなくした初鹿さん”が、僕の隣のこの子だと分かったんです?」


 同時にくるりと振り返る。核心を突く質問は、いつだって相手を油断させてから投げるべきなのだ。そう、僕は水禅院先輩の前では初鹿さんのことを”香織ちゃん”としか呼んでいない。


 「……! それは――」

 「――あ、もしかして香織ちゃん、以前に水禅院先輩に会ったことがあるとか?」

 「ううん! ないはずだよ……!」


 となれば当然、水禅院先輩は初鹿さんを知らないはずなのだ。やっぱり……この人は消えたチョコレートについてなにか知っている……!


 「誤解ですわ! ただ、酷く落胆しているように見えたから……ついこの方が”初鹿さん”だと思ってしまっただけです!」


 刹那、僕と水禅院先輩の視線が交錯した。性別や年齢なんて関係ない、駆け引きの視線だ。


 「……なるほど、確かに筋は通っていますね」

 「……!? ト、トシ君!?」


 せっかくの手がかりを手放すようなマネに抗議する初鹿さんを宥めるようにしながら、相手の出方をうかがった。水禅院先輩は腕時計を身につけた右手を顎につけて何かを思案している。


 「えぇ、まったく。でも、この子が”初鹿さん”であっているのでしょう?」

 「はい。先輩がチョコを盗んで捨てた初鹿さんで間違いないです」


 だから、正面から言ってやった。それも、先輩のクラスの人全員に聞こえるように。瞬間、水禅院先輩の顔が怒りで真っ赤になった。


 「だから、わたくしはチョコレートなんて知らないのですわッ! 何度も言わせないでくださいましッ!」


 思わず顔を顰めてしまうほどのキンキン声だった。だけども、この言葉は予測できていた。だから、次の必殺の質問も準備ができている……!


 「それじゃあ、どうして先輩の服の袖に口紅が付いているんですか? おかしいじゃないですかっ!」


 同時に先輩の表情がハッとなって自身のブレザーの袖口に向かってしまう。だけども、さすがは先輩。即座に反撃として右手を僕達へと突きつけてきたのだ。


 「どこに目をつけているのかしら? ご覧の通り、わたくしの袖口には何も――」

 「そっちではありません! 先輩は左利き(・・・)なんだから、左手に決まっているでしょう!?」


 そう。普通腕時計は利き手とは逆の手につけるものなのだ。水禅院先輩の立派な時計は右手につけられている。となれば、先輩は左利きで間違いないだろう。見れば先輩はさすがに動揺したのか黙り込んでしまっている。僕は躊躇無くもう一歩踏み込むと、渾身の力を込めて先輩を睨み付けてやった。


 ……思った以上に澄んだ色の瞳だった。


 「ちがっ!? こ、これは……!?」


 そう言ってさりげなく左の袖口を庇う先輩。実に自然な動作で違和感なく証拠を隠滅する仕草であり――


 「”これは”? 先輩。僕、本当に残念です……」

 「黙りなさい! あなたはどうしてこんな――」

 「――嘘なんです」

 「……ッッ!!!」


 同時に先輩は全てを理解したのか、まるでいきり立つ猫のように声にならない叫びと共に僕を睨んできた。同時に後ろからは初鹿さんの興奮したかのような気配が伝わってくる。


 「先輩の左の袖に口紅なんてついてないですよ? むしろ、どうして口紅が左手の(・・・・・・・・・・)袖口についていると(・・・・・・・・・)思ったんですか(・・・・・・・)? 僕は化粧をしないから断言はできないけれど……普通口紅は利き手の袖になんてつかないはずです。つくとしたら……上坂先輩の机に手を突っ込んで、初鹿さんのチョコレートを取り出したときだけ……そう思ってしまったんですよね? でも、だとしたらどうして、チョコに口紅が(・・・・・・・)ついている(・・・・・)と知ってたんですか?」

 「く、屈辱ですわ……! この水禅院千代、まさか後輩に後れを取るなんて……!?」


 水禅院先輩の視線が教室の中空を泳いでしまっている。やっぱり、現段階でこの人は限りなく黒に近い。だって、消えたチョコレートにキスマークがついているのを知っている人間は限られる。つけた初鹿さん本人か……チョコを消し去った犯人(・・)かだ。


 静まりかえる教室。この人、同じ恋する女の子のはずなのに可哀想だとか思わないのか。水禅院先輩は必死に言い逃れようとしているのか、視線は僕を避けて右手に落としているようで……


 「時間ですわ」

 「はい?」


 僕は思わず聞き返していた。違う……水禅院先輩はこっちを見てなかったんじゃない。腕時計を見ていたんだ。ハッとなって教室の時計を見れば、昼休みはあと10分ほどしか残ってない。


 「あいにくと、次の授業は体育。分かります? つまり、これからわたくしたち女子がこの教室で着替えるんですの。そうと分かれば――」


 同時に両肩を掴まれた。驚いて振り返れば、そこには見知らぬ女性の先輩達が、されど有無を言わさぬ視線で僕を睨み付けていて……あ、上坂先輩がいないのって、これが理由かな?


 「――さっさと出て行きなさいなッ!」


 同時に肩を掴んでいる女の先輩がギロリと睨み付けると、今度は男の先輩方が出てきた。そしてそのまま僕を引き摺っていくと、あっさりと教室から叩き出され、その勢いで尻餅までついてしまう。


 「ト、トシ君、大丈夫!?」


 だけれど、頑張った甲斐があったのか初鹿さんが慌てて駆け寄ってくると、優しく肘をさすってくれた。……女の子って柔らかい。これが高村さんなら言うことないんだけど……


 「あのね、トシ君」

 「なあに? あ、肘はもう大丈夫だよ。ちょっとぶつけただけだし」


 僕がそう言うと、初鹿さんは何故か照れたように背中を向けてしまう。決して短くはないスカートが僕の目の前をヒラヒラと揺れていた。


 「そうじゃないよ!? …………その、ありがと。……ちょっとだけ、カッコよかったよっ」


 ……カッコよかった。


 その言葉が僕の心の中で反響していく。あぁ、カッコよかった。それは、男子にとって最高の褒め言葉。かくいう僕も……女の子からこの言葉を頂くのは生まれてこの方初めてで……。


 「そ、そろそろ昼休みが終わっちゃうし、一旦教室に戻ろっか!?」

 「そ、そうだね! 私、サンドイッチ持ってるから……よかったらトシ君食べる?」


 僕も初鹿さんも、お互い照れるのを隠すように視線を逸らしながら、慌てて2年2組へと戻っていた。






 『よぉトシ! なんだか面白そうなことしてるらしいじゃねえか!』


 などと書かれた紙片が僕の机の上に飛んできたのは、6時間目の数学の授業の時だった。僕にこんなことする奴は1人しかない。そう通路を挟んで隣の庄司君だ。


 僕が視線を送ったとき、庄司君は立派な金髪ソフトモヒカンを下げて教科書……の隣の小さな紙片に続きを書き込んでいる所だった。どちらかと言えば目立たない僕と、どう見ても不良っぽい庄司君は間違いなく対照的な存在だ。だけども、実はそんなに悪い奴じゃなかったりする。


 ……そこで次の紙片が飛んできた。


 『初鹿と組むなんてお前も物好きだな。ま、確かにあの身体は魅力的だが……あの地味で暗いところは正直どうよ? それはともかく。お前には借りがあったな』


 借り。それは僕がクラスの中で失せ物探しが得意と思われるようになったきっかけ。彼が買った純銀の指輪がトイレに行った隙に消えてしまったのだ。


 ……でも、実は犯人なんてものはいなかったりする。庄司君はトイレに行ったときに……無意識のうちに大切な指輪を汚さないように外していたのだ。そう、尻ポケットの大事な財布の脇に。無意識だったから本人は誰かに盗まれたとしか思えず……なくし物の多い僕が指摘して、ようやく発覚したのである。失せ物の大半は、本人に原因があるのだ。


 『お前、ヤバいところに片足突っ込んでねえか? 益子先輩がお前のこと探ってたらしいぞ』

 『?』


 思わず僕はノートの一面に大きくそう書くと、庄司君へと見せつけていた。さすがに大胆すぎたのか、庄司君は苦笑している。そうして、新しい紙片を書いては投げ……


 『益子先輩は勉強も苦手で、サボりも多く素行も悪い。あの風紀委員長の水禅院先輩とは真逆のタイプであり……犬猿の仲だ。だから……水禅院を出し抜くのには手段を選ばない。5時間目をサボって片っ端からお前について調べているらしい』


 益子先輩は水禅院先輩と仲が悪かった? でも、言われてみれば恋敵なんだからある意味当然だよね。だとしたら……水禅院先輩をクラスメイト達が庇ったのは、僕達が益子先輩の手先だと思ったからだろうか。


 ――その瞬間だった。全ての糸が一本に繋がったのは。


 遅まきながら、僕はこのバレンタインの陰謀を見抜くことができていた。そう。失せ物の大半は、本人に原因があるのだ。


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