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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪役令嬢のための聖柩同盟

悪役令嬢のための聖櫃同盟


粉々に砕かれた硝子の置物は婚約者と二度目に会ったときに頂いた大切な贈り物。



「ごめんなさい!わざとではないの!」


使用人の前で涙を浮かべ、すがるような仕草をする姉に気付かれないよう小さく溜め息をつく。


「…わかっておりますわ、お姉様。」


そう、わかっている。

毎度毎度、わざとだっていうことくらい。

狙ったかのように婚約者からの贈り物を壊せば、いくら愚かでも気が付くものを。


「まあ、なんの騒ぎ?」

「お母さま、硝子の置物が…。」

「ヨシュア様からもらった大切なものでしょうに、貴女は本当にがさつなのだから。直ぐに片付けさせなさい。」

「…はい、お母さま。」

「クレア、マナーの先生が来ていますよ。今すぐ部屋へ戻りなさい。」

「はい!お母さま。このところ先生がよく誉めてくださるのです!きっとデビューも上手くいくでしょうって。」

「貴女は良くできる子ですもの。期待しているわ。」

「ふふ、はい!」


部屋を出ていく時、姉が僅かに出来た戸の隙間から振り向いた。

困ったような表情のまま、視線を合わせ口の動きだけで言葉を紡ぐ。


『御愁傷さま。』


静かに閉まる扉に向け、私…レイラは口角を上げる。




「本当に、"御愁傷さま"ですわね。クレアお姉様。」




ーーーーーーー



よっしゃ、自由になった。

ヨシュア様に婚約破棄を突きつけられ、私が悪役令嬢として裁かれた後。

姉は望み通り、次期王となるヨシュア様の婚約者へと納まった。

元々年齢の釣り合いだけで選ばれた私だ。

家としても相手が変わるだけで済むのなら文句はないのだろう。

役に立たぬ者など要らぬとあっさり縁を切られた。

ちなみに姉が神妙な面持ちで『私の妹は罪深い行いをしました。そんな者の姉である私が…』の辺りで吹き出しそうになったが一生懸命耐えたよ。


全ては今日、この日のために。


罪を認め、予定通りに国外追放となった私は待ち合わせの場所へと急ぐ。

大丈夫、もうあの国には戻らないから。

例えどんなに望まれたとしても、戻れない。


そういう約束だから。


「お待ちしておりました。レイラ様。」


待ち合わせ場所に指定されたのは廃墟となっている教会。

入り口には質素な服を着たシスターが無表情のまま佇む。


「よろしくお願いいたします。」

「こちらこそ。」


簡単な挨拶を済ませ、敷地内に案内された私は暫くここに住むこととなる。

荒れ果てた敷地内に、今にも崩れ落ちそうな建物に。

思わず口許が緩んだ。


私はここに収容され、絶望のあまり狂って死ぬ、だろう。


雑草を掻き分けるようにして道無き道を進むと、やがて礼拝堂へと辿り着く。

先ずはこちらで懺悔を行うらしい。

犯してもいない罪を悔い、改めるために。


汚れを落とすように言われ、水場まで案内されるとそこには質素ながら着替えが一揃え用意されている。

水場とは言っても簡単な仕切があるだけで、用意された盥に満たされた水は身を切るように冷たい。

それでも汗と汚れにまみれた身には何よりも嬉しかった。


身支度を整え礼拝堂の扉を開けると、女神の足元に、ぽかりと地下へ降りる階段が続いている。

階段は暗く長くいつまでも続くと思われた。

シスターに続いて壁に手を這わせながら辿り着いたところは一際古く陰鬱な雰囲気の扉。

ここから先には救いを待つ魂の墓標が並ぶ。


レイラも、やがてここに名を刻むのだ。

シスターに促され、レイラは扉を大きく開けた。



「「「ようこそ!"悪役令嬢のための聖櫃(せいひつ)同盟"へ!」」」



蝋燭の灯りがシャンデリアに反射し室内を満たす光の粒。

金と黒の織り成す重厚な装飾に彩られた部屋の中には最新のドレスに身を包んだ女性達が十数人と並ぶ。

一口サイズに切り分けられた料理が皿に盛られ、貴重な酒や絞りたての果実ジュースが彼女達の手によってグラスに注がれる。

レイラの顔に久しく見せなかった艶やかな笑顔が浮かんだ。

横に立つシスターがレイラの背中を優しく押し出すと、部屋の中心へと促された格好のレイラの前に一際豪華なドレスを着た女性が進み出る。


「はじめまして、レイラ様。私はパトリシア。某国の王の妹で公爵子息の婚約者ですわ。本同盟の盟主を務めますの。」


派手でキツイ印象を与えるが、造作の整った顔立ち。

次々と挨拶を交わす皆が程度に差はあれど同じような印象を与える。

たまに『何故ここにこのような方が』と思われるほど、おっとりとした性格の方が混じっているのは、この同盟の掲げる目的の主旨に沿って選ばれた方だからなのだろう。


「"正しく悪役であれ"」


いつの間にか隣に立っていたシスターが、ときの声を上げる。


「貴女が"管理者"なんですね。」

「はじめまして、レイラ様。私のことはシスターとお呼びください。」


面を上げた彼女は皆と同じ鮮やかな笑顔を浮かべている。

この修道院、周辺国では戒律の厳しい修道院として名が通っており、辺境で食事にも事欠くような場所にある。さらに寒暖の差が激しく体調を崩して亡くなる者も多いことから通称『悪女の墓場』と呼ばれていた。

現在は貴族の女子が刑に服する代わりに一生を神に捧げるため、ここへ送られるという。


そんないわく付きの場所の奥深いところに、このような裏側があるなど誰も想像していないだろうが。


ひっそりと、綿々と。

かつて悪役令嬢と呼ばれた者達の手によって現在の形式へと整えられてきた。

ここは正しく悪役であった少女達の墓場。


彼女達は一度、ここで死ななくてはならない。


「もちろん本当に死ぬ訳ではございません。"書類上死んでいただく"ということ。でなければ本日の宴は実に無駄な余興になってしまいますわ!」


さざ波のように宴席へと広がる笑い声。

パトリシアは上品に結い上げた金の髪を揺らし扇の影で淑やかな笑い声を立てる。

確かに派手な外見と相手に重圧を与えるような厳しさを感じさせる容姿をしているが、その瞳は澄んで理性を宿し深い知性すら感じさせる。


…この方が悪役とされたなど想像がつかないのだけれど。

レイラの心中を読んだか、彼女は眼差しを真剣なものへと変え、言った。


「ねえレイラ様。何故悪が蔓延るのか。…それは世の中が"悪役"を必要としているからです。」


人が全て正しき者を求め、清らかである事を尊ぶのなら。

人の世に悪など生まれよう筈がない。


「私は婚約者がありながら多数の男性と関係を持ったとか、国庫の金を全て自分の快楽に使ったという罪で裁かれました。ですが私は複数の殿方と関係を持ったこともなければ、国庫の金を使い込んだこともございませんの。清らかであるはずの人間達が、私に罪を被せ自分達の失態を無かったものとしようとした結果、罪に問われたのですわ。」


もちろん身分で許される範囲の交友関係を持ち、用意されている予算から買い物もした。

ただ、それを一部の人間が『ふしだら』と過剰に騒ぎ立て、同時に露見した使途不明金を彼女の『豪遊のせい』と国の上層部は調べもせずに決め付けた。


正しきものが本当に正しく、清らかであるものが本当に清らかであるのなら。

生まれようがなかった


そしてそれを昇華するために求められた"悪役"。


「人は弱きものですの、レイラ様。婚約者は私の潔白を信じるよりも、自身の地位と家の名誉を守るために私を切り捨てた。自身の欲を満たす為の保身を『国のため』という大義名分にすり替えて。」


深く、暗く沈んだ瞳の奥に一つ炎が宿った。


「正しいと主張する者達の、なんと滑稽なことか。清らかであると言われる者のさがの、なんと醜悪なこと。これならばむしろ悪の方が誠実で優しい…そう思い始めたときですわ。この同盟の方に声をかけていただいたのは。」


彼女は囁いた。

正しく悪役を務め、我が同盟に参加なさいませんか、と。


「初めは何と馬鹿馬鹿しいことを、と思っておりました。…でも周囲から受ける蔑みに失望が深まるにつれ、同盟の存在は私の希望となっていった。」


そこに、未来を感じたのです。


レイラは大きく頷いた。

誰にも信用されぬなら悪役である事を選んで何が悪い。

清らかであるとされる者が、自分こそ正しいと主張する者が、自身を傷つける度にレイラは"悪役"であることにのめり込んでいった。


少なくとも悪を演じている間は誰も私を傷付けられない。

悪はレイラに自信と強かさをもたらした。


「それからの私は"悪役"であることを迷わずに選びました。婚約を破棄され、罰として身分剥奪のうえ国外追放となったと聞いたときは監禁されていた部屋で笑いが止まりませんでしたもの。ああ、私もついに悪役令嬢と呼ばれる存在となった、と。」


この同盟に加入できる資格を得ることが出来るのは悪役を務めた貴族の女子のみ。

悪役令嬢と呼ばれ初めて候補者となれるのだ。


そこから更に候補者は絞られる。

まず教養、才能もしくは気質、何れかもしくは全てが秀でる者。

そして自身の怠惰故に悪に染まった者、実際に犯罪に手を染め、その犯罪の傾向が同盟の参加者に対して被害を及ぼす恐れがある者が候補者から除かれた。


さらに絞り込まれた候補者は自身の行動の結果により再びふるい落とされる。

犯した罪が露見して牢獄へと収監され、そこで一生を終えることとなった者は論外。

また使用人など身内のものに怪しまれ通報される恐れある者や、時に情に流され同盟の事を口外しそうな者については、情報操作の類いで『妄言を吐く』という不名誉な評判まで悪名に加わることとなる。

自身の行動による結末まで計算して状況をコントロール出来るか否か。

得た人脈と行動と知識を総動員して自分の望む結末へと辿り着くことが出来るか否か。

彼女達は秘密裡に監視されその能力を試されると言っても良い。


事実、レイラに同盟への参加を持ちかけてきた女性は言った。


『真に悪役令嬢と呼ばれる者は、誰よりも賢く、強かでなくてはならないのです。例えば断罪の場で罪を認めても、認めなくとも構いません。それすらも周囲を欺く手持ちのカードとすれば良いだけのこと。国外追放となり、苦難を乗り越え、望むままに欲しいものを自身の力で掴み取る。これこそ正しき悪役の通る花道。そして目的地へと辿り着くまでの苦難こそ、我々が貴女へと課した最終試験なのです。』


その女性へと視線を向ければ、穏やかな笑みを浮かべ小さく頷く。

確かに、ここに辿り着くまで、家の力に守られてきた令嬢からすれば苦難の連続だった。

修道院の場所を教えてもらえたのは、国外追放が決まり、家から離縁され放逐された後。

家の権力は使えない。

持ち出せた手持ちの資金だって僅かなものだ。

そして最大のリスクは自身がうら若い女性であること。

最短ルートを通るとなると、決して治安のいい場所ばかりではない。

彼女は煌びやかな衣装を脱ぎ、髪をギリギリまで切り落としてから汚れをつけ、更に手に入れた下働きの服に着替えた後、ここまで人の手を借りることなく殆ど自力で歩いてきた。


自分にこんな力があったなんて。

レイラはそっと手のひらを見つめる。

美しい肌に傷が付き、慣れぬ動きが体に負担をかけ至る所に痛みを感じるようになっても…。

心は強くしなやかに保たれ、決して挫けることはなかった。


「確かに悪意は人を傷付ける。ですが悪を演じることで、時に人は強さを手に入れることが出来るのです。」


シスターの言葉に一斉にグラスを掲げる悪役令嬢達。


「「新たな仲間に祝福を!」」


渡されたグラスを掲げるレイラの表情にはもう一点の曇りもなかった。



こうして悪役令嬢は無事に花道を飾り、約束の地(修道院)へと退場した。

さて舞台を降りた悪役はどうなるのか?


「殿方はお忘れのようですけれど、ここに集う悪役令嬢は皆知識も教養もずば抜けて高い方ばかりですわ。それに容姿も磨き抜かれ、苦難を乗り越えるだけの知恵と運も持ち合わせている。それをこのまま腐らせておくのは勿体ないと思いますでしょう?」


にっこりと微笑んでからパトリシアは数枚の折り畳んだ紙をレイラに渡す。

開けば、それは新たな身分証と旅券。


「次期王妃としてレイラ様は本当に優秀であられたのですね。周辺国どころか付き合いのある十数カ国全ての言葉を話せるとは。お陰で新たな舞台をご用意するのに苦労致しませんでしたわ。」


身分証に記載された国は自分の生まれた国から最も遠く、つき合いはあるが親しくもない、そういう位置付けである国。

さすが呼吸するように情報収集を行う令嬢達の用意したものだ。

ふと見渡せば、何度か王城で見掛けた女性の姿が視界に入る。

意味ありげな表情で視線を合わせると彼女はグラスを掲げる。

もしかして、あの方も?


「それで、私は何をすればよいのでしょう?」

「さすがですわ、レイラ様。場の雰囲気に呑まれることもなく、立ち位置を見失うこともない。そんな貴女には、こちらを差し上げましょう。」


もう一枚、折り畳んだ紙を渡される。そこに記されているのは。


「…家庭教師。」

「侯爵家のご令嬢が第一王子の婚約者に選ばれましたの。問題がなければ次期王妃であり、王族に名を連ねることになります。…彼女の不安に思う気持ちを汲んであげられるのは貴女だけ。だから適任だと思いますわ。」

「…こういう生き方を選んでもいいのでしょうか。」


望んでなった悪役でなくとも、悪役として傷付けた人はいる。

そんな私が人を正しい方向へと導いていくことが出来るのか。


「これは悪役を演じきった者へのご褒美ですわ。そして国を統べる者が善悪の区別を知ることはとても大切なこと。悪役を演じることで貴女は沢山の悪意に晒されてきた。だからわかるはずよ、どんな人物が善人の仮面の裏に悪意を隠し持っているのか。そういう教えはきっとご令嬢にとっては糧となるはず。…後々王妃となったときにね。」


私も知っておきたかった。


簡単に人は人を欺く。

そして善意は悪意に、悪意は善意にその姿を容易く変えることも。


「謹んでお受けいたします。…ご配慮ありがとうございます。」

「いいえ、貴女の勝ち取った権利ですもの。お礼は不要ですわ。そうそう、私のお友達が近々お茶会を開きますからご招待が届くと思います。…ですからその時に情報交換いたしましょう?それにお願い事もございますのでお心に留めておいて下さいまし。」


パトリシア様はレイラの耳元で小さく囁く。

なるほど、こうして彼女達は力を蓄えていったのか。

目立たないが重要な仕事に持てる能力を遺憾なく発揮しつつ、情報を集め、徐々に権力を得ていく。

そしてその力を振るい新たな同士を引き込んでいくのだ。


それはゆっくりと密やかに進行し、決して表舞台に出ることはない。


「さあ、難しいお話は此処まで。おいしい料理が冷めてしまいますわ。此方の飲み物はいかが?特別な果物を使用しているの。」

「甘くて…とても美味しいです。」


血を思わせるようなどす黒い、赤 。

夢のようにも思えるこの空間で、レイラが生きていると実感できたのはこの瞬間だった。


賑やかな音楽はない。

代わりに触れ合う食器が、囁きあう女性の声が、静かに振れる空気が。

静謐で荘厳な響きを伴う極上の調べとなって空間を支配する。


かつて悪と呼ばれた者が集い、部屋の装飾もどこか病み崩れたような危うさを感じさせるというのに。

レイラには、まるで清らかなる者のみが招かれるという天上の国であるかと思えた。



楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。

話も弾み、そろそろ宴も佳境となる頃。


急ぎ足で近づいてきたシスターがパトリシアの耳元で何事か囁いている。

若干焦りを含んだ声と告げた内容にパトリシアの眉が小さく跳ね上がった。

やがて一つ溜め息をつくとレイラの元へと歩いてくる。


「ごめんなさい、レイラ様。本来ならこちらで何日か過ごした後に新たな国へと旅立ってもらう予定でしたが、筋書きを変更しなければならなくなりましたの。」

「どうされたんですか?」

「ここから一番近い街に貴女の国から来たという方が現れました。この修道院までの行き方を確認したそうで、街に一泊した後、こちらへ向かう予定だということです。」


心臓が嫌な音を立てる。


「仕立てのいい服を着たその方は『迎えに行く』と言っていたそうですよ。」


シスターの声に、もう一段高くなる心音が煩わしい。


「どうされます?レイラ様。特例ですが今でしたら全てを無かった(・・・・)ことに出来ますわよ?ここでのことは、すべて夢だと思えばよいのです。」


部屋の中がしんと静まり返る。

それは罪は許されても、目的の解らぬ虚しさを抱えた自分に戻るということ。

そして自身を悪役令嬢と呼び貶めた者達と何食わぬ顔で対峙するということでもある。


あれだけ貶めておきながら、許されるとでも思っているのか。


国を出て、数週間。

思ったよりも早くクレアの化けの皮が剥がれたらしい。

それもそうだろう。彼女はレイラの名を騙り悪事に手を染めていたのだ。

責任を転化できる相手がいない以上、全てが露呈するのも時間の問題であったのかもしれない。

それでもレイラの考えでは、さすがにしばらくは悪事を控え大人しくしているだろうと思っていたのだ。


それなのに。

その程度の思慮も働かないほど悪事に溺れていたというのか。


「…悪と知りつつ悪役を演じる者と、清らかでありながら悪に魅入られる者。本当に罪深いのはどちらなのでしょうね。」

「レイラ様?」


レイラの口元が皮肉げに歪められる。

簡単に剥がれるくらいなら、初めから偽らなければ良かったのに。

その程度の人間に嵌めた嵌められたと騒ぐことすら馬鹿馬鹿しい。

とはいえ、全ては終わったこと。


後戻りは出来ない。

彼女も…そして私も。

レイラは呼吸を整えると静かに口を開く。


「私が筋書きを変えてもよろしいでしょうか?」

「勿論ですわ、レイラ様。全ては貴女の望むままに。」


パトリシアの言葉に女性達は美しい笑顔を浮かべる。

きっとここに至るまで、数多の修羅場を味わってきたのだろう。

皆、一様に動じる気配はない。

さすがかつて悪役令嬢と糾弾され、それを潜り抜けてきた猛者だけある


「私はやはり死んだことにいたします。二度とあの国には戻りません。レイラはここに辿り着く前に野獣に襲われ、喰い殺されたということにいたしましょう。その亡骸を偶々通りかかった旅人が見つけ哀れに思い、遺骨を埋葬した後、行き先の書かれていたこの手紙と遺品を修道院に持参した。そしてその親切な旅人は先を急いでいたため名乗ることなく立ち去り、聞きそびれた埋葬場所等の詳細は不明である、と。」


手紙と国から持参した身分証の類を渡す。

新しい身分証がある以上、すでに不要の物だから。


「承知しました。それで遺品とは?」

「此方ですわ。…少々見苦しい姿をお見せしますがご容赦下さいませ。」


そう言って断りを入れてから布に包まれた物を取り出し、側にあったナイフを手に取ると腕に刃を走らせる。加減がわからず強めに切ったせいか腕から血が吹き出した。

それを布に擦り付け汚すと、ポケットからハンカチを取り出し、それで上から包んだ。

ハンカチにはしっかりとイニシャルと家の紋章が縫いつけられているから、中身である物の記憶が無くとも私と直ぐにわかるだろう。


シスターは遺品となる物を受け取り、代わりに彼女自身のハンカチを貸してくれた。

汚して申し訳ないと思いつつ、お礼を言って傷口にあてがう。


遺品からカシャリと音がした。


「一つお聞きしても宜しいかしら?」

「勿論ですわ、パトリシア様。」

「それの中身は何ですの?」


どこに置いてあったのか、参加者のうち一人が薬箱を取り出し簡単に手当てをしてくれた。

それを眺めつつパトリシア様が尋ねてくる。


「つまらないものですわ。」

「つまらないもの?」

「…割れた硝子の置物です。」


遺品として残すなら、もっとましな物はなかったのかと思われそうだけど。


だが本当にこんなものしか手元に残らなかったのだ。

私物は殆ど与えてもらえなかったし、金目の物はもしもの時のためにと全て換金していた。

そして自分のつけていた装飾品の類は全て家の物だからと取り上げられていたし、本当に着の身着のままで放り出されたのだから、持ち出すときに服の内側に隠せるような大きさの物がこれ以外に無かったのだ。

こちらの思いとは裏腹にしんみりとした声でパトリシア様が呟く。


「あれが貴女の亡骸となるのですね。」

「遺体の代わりということであれば、確かに。」

「今回は出来ませんでしたけど…。新たに旅立って行かれる方は亡骸の代わりとなる物を自分で棺に納めるのです。時にお気に入りの服であったり、愛読書であったり、切った自慢の髪であったりと。」


そしてその亡骸の代わりとなる物は自身の名を刻んだ『聖櫃せいひつ』へと納められる。

決して戻れないという覚悟と共に新たな人生を歩むために。


「さて、名残惜しいですがここまでといたしましょう。さあレイラ様、こちらへ。」


シスターに導かれ隣の部屋へと移動する。

薄暗い部屋の中で女性が一人、扉の前に佇んでいた。


「彼女は貴女の協力者です。この扉の先には地下道が続いております。そこを抜けると森の外れに死角となる場所があって馬車が留めてありますから、彼女とそれを使って街道を下り一つ隣の街まで移動して下さい。そこから先は彼女が全て手配してくれますから。…どうぞお気をつけて。」

「残られる方は大丈夫なのでしょうか?」


慌ただしく送り出される前に、一つだけ確認しておかねばならないと思った。

いくら猛者が揃っているとはいえ女性ばかりだ。

何かあっては申し訳ない。


「大丈夫ですわ。半日ばかりシスターと収監されている女性が増えるだけ(・・・・・)ですもの。高貴な殿方ばかりなら気付かれる事はまず有り得ませんわ。」


シスターのにっこりと微笑んだ顔に浮かぶのは…悪役であった頃の名残。


ああ、かつてはこの方もきっと…。

洗練された礼の仕草を見せるシスターを視界の端に捉えながら、レイラは協力者の女性に促され地下道を走っていく。

一刻も早くこの地を離れ、少しでも遠くに逃げなければ。

捕まるわけにはいかない。


悪役令嬢は既に退場したのだから。


「レイラ様。正しく悪役を務めた貴女の器量なら、新しい地でも充分にご活躍されることでしょう。また会合が開かれる際は聖櫃に納める儀式を執り行います。ですがその儀式を行わなくとも既に貴女は私達の同志。心から歓迎いたしますわ。」


シスターは神に祈りを捧げ、協力者となる女性と共に地下道を走り抜けているだろう彼女の行き先の無事を祈る。


「シスター。彼らは予定を早め、今からこちらへ向かうようです。」


協力者から情報を受け取ったと思われるパトリシアの呆れたような声に思わず溜め息がこぼれる。

すでに夕刻を過ぎ、女性ばかりが住まう居所へ伺うのは失礼とされる時間帯であるというのに。

やがて口から滑り出たのはかつて悪役令嬢であった頃の自分。

初々しいレイラの姿を見て触発されたようだ。


「本当に殿方は節度を保つのが苦手ですこと。身分を弁えるよう諭す側が自ら礼を失するなど示しがつかないでしょうに。」


それからパトリシアを伴い、嬉々として悪役を演じる準備を始めた者達を見回す。

皆、これからやってくる愚か者達を懲らしめる事で一致団結、誰がどの役を演じるかについても既に打ち合わせ済みのようだ。

頼もしい限りである同志の顔を見回し、シスターは声を上げる。


「遠慮は要りません。レイラ様のためにも二度とこの地が踏めぬよう、しっかりと心に刻み込んで差し上げましょう。」


まるで正義の味方のような台詞ではないか。


その事が滑稽に思えてシスターの顔に笑みが浮かぶ。

レイラ様の婚約者…ヨシュアと言ったか、次期王となるには随分と芯の弱い方のようだ。

他者の評価を鵜呑みにし、強い味方となる筈の婚約者の心を簡単に踏みにじる。

為政者として、そちらの行為の方が余程罪深い。

それに女好きで浮気が絶えないという調査結果もある…本気で遠慮はいらないらしい。


報復のためであるなら、悪役を演じることに全く罪悪感など持つこともないだろう。


名前と共に、愛も地位を葬った我々に残されたのは、怒りだ。

どれほど月日が経ち、別の誰かと愛し愛されたとしてもこの怒りは消える事はない。

誰もが生まれながらにして悪役ではないのだ。


正義こそが、悪を欲する。


数多の聖櫃が納められる墓標。

その傍らで、きらびやかな光を纏い、かつて悪と呼ばれた女性達が艶やかな笑みを浮かべる。

シスターが大きく扉を開け放つと、悪を知り尽くした彼女達は力強く軽やかな足取りで闇へと身を躍らせる。




「さあ、受けて立ちましょう。」



悪役に栄光あれ!





10月のハロウィンのお祭り騒ぎに乗せられて書きました。

悪役の鈍い光を放つ美しさ、強かさのようなものを感じ取っていただけたら幸いです。本来のハロウィンの姿とは異なりますが、こういうのもあるよね的な気持ちで書きました。お楽しみ頂けると嬉しいです。

なお、お化け…は出てきません。怖がりなので。

※王子サイドの連載完結しました。

断罪要素薄めですのでご注意ください。

https://ncode.syosetu.com/n7367ei/


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[良い点] 以前読んで面白かったのにブックマークつけ忘れていた 作品に再び出会えてよかった!(≧◇≦) したたかで賢い女の、女としての矜持と生き方が とてもカッコいいと思います。
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