奴隷更新
結論から言うと、メレクは僕の前には現れなかった。
お店は以前に比べて閑散としている。
だが、客は決して途絶えない。
今日も今日とてただの水を媚薬と偽って飲ませ、チートを行使する。
だが、それももうお終いだ。
「イリーネ。これを」
夜もすっかり更けてきた頃。
僕は袋いっぱいのギールをイリーネに渡した。
「これは?」
「今までの給料さ。僕は君との奴隷契約を破棄する。もう、この店も閉めるよ」
「そんな!? せっかくここまでお金が稼げるというのに!」
「イリーネ。停滞とは、退化なんだ。僕にはこのお店をこれ以上大きくはできない。意思がないからね。そして僕は、こんなところで腐っていくつもりもない。だから、もうこのお店は畳むんだ」
「で、ですが……」
元々そう長く店を構えるつもりはなかった。
貯蓄もかなり増えたし。
ユーガの町は思ったほど娯楽もなかったからな。
なにはともあれ、この世界にも銀行のシステムがあって助かった。
「君がどういう経緯でどれだけ奴隷をやっていたかは知らない。だから、この世界では君一人ではとても生き辛いのかもしれない。でも、それでも僕は君に自由に生きてほしい。第二の人生を、そのお金でやり直してみてほしいんだ」
僕がそう言うと、イリーネは押し黙った。
ダンジョンがどうなるかはわからないけど、これから先はきっと旅になる。
イリーネは確かに勤勉で頭もよくて、そこそこ良い容姿をしている。
でも、戦闘力は僕よりも遥かに劣るくらいだ。
もう歳が歳だから落ち着いて所帯を構えてほしいし。
彼女ならきっといい旦那が見つかるだろう。
「残念ながらお別れだ。僕は明日ダンジョンに行く。それが終わったら、冒険をする。ここできっぱりと終わらせよう。僕は雇い主。君はバイト。ただそれだけの関係なんだからね」
「……そうですね」
イリーネが若い娘でなくてよかったと思う。
お互いにあと腐れが残っただろうし。
これでいいんだ。
「もう、閉店の時間だ。人も来なくなったし。君の出発を見送るよ。宿は自分で取るんだよ」
「ずいぶんと急ぎになってしまいましたね」
「苦手なんだ。最後のお別れ会みたいのは。どうにも未練が残っちゃって」
「わかります。きっと、こういう形でなければ私も、カナト様のことをきっぱりと諦めきれなかったと思います。良いご主人様に巡り合えて、私は幸せです」
「ありがとう。僕も君と仕事ができて良かったよ」
握手を交わして、イリーネを見送った。
いい人だった。
奴隷契約の解除は、主人の側が奴隷に対して逆契約をすれば良いだけ。
文字を契約とする魔法の紙にその旨を書けば済むのだから、簡単なものだ。
筆者の意志を読み取る魔法と、それを縛る魔法がかけられているらしい。
魔法に関しては僕は専門外だからな。
いずれゆっくりと調べよう。
「さてと」
僕は独り言を浮かべてカウンターに座った。
もうお店は閉まっているのだが、最後の余韻に浸っておきたかったのだ。
目を閉じて、ただ椅子の感触だけを身に染みこませる。
そんなことをしていた時のことだった。
「すみません。このお店で媚薬を扱っていると伺ったのですが」
軽いノックの音に続いて、女性と思われる声の客が入ってきた。
フードを被った怪しい装いだが、普段はこちらも似たような服装をイリーネにさせていたので文句は言えない。
「申し訳ございません。当店はお一人様でのご利用を禁止していまして」
「それも伺っております。私が欲しいのは……カナト様」
「え? 私をですか?」
なんか、このパターンはデジャブなんだけど。
僕が欲しいってまた。
異世界転生したらモテ期が来ました。
冒険が終わったら、そんなタイトルでラノベを書こう。
ありふれたタイトルだが、異世界ならきっと新鮮なはず。
ってそんなこと考えてる場合じゃないな。
えーっと、フードの中身が露出が高そうな格好なんだけど。
もしかして、そういう道の人かな?
肌感がすごくいいから期待は高まるけど……僕はできれば若い生娘が……。
「そう、あなたです」
女はカウンターに近づいて、
「私が欲しいのはキサマの命だ」
僕の喉元にナイフを突き立ててきた。
「お、お前は!?」
「そうだ。リュナの姉、リミールだ。しばらくぶりだな。変態男」
その女は森で出会った美少女姉妹の姉の方だった。
そうか、この力を知っているのであれば、媚薬屋の噂から僕のところにたどり着くこともできる。
「なぜ僕の命を狙う。妹さんは元に戻っただろう」
「戻った? ふざけるな!! リュナはな、あの後もキサマに会いたいだのなんだのと訳の分からぬことをを口にしているんだ!! これが呪い以外のなんだというのだ!?」
えええっ。
ど、どういうことなんだ。
それは僕の呪いじゃない。
いや、ある意味呪いなのかもしれないけど。
きっとリュナちゃんがあまりにもウブすぎて、吊り橋効果的なサムシングを恋心と勘違いしてるんじゃないのかな。
しかし、この状況。
僕のチートと無関係だとは言えないな。
下手したら殺される。
慎重に言葉を選ばなければ。
ヤンデレ恋愛シミュレーションの選択肢をクリックするように。
「それが僕の呪いと無関係だったらどうする」
「リュナがキサマに汚された分の清算はまだ済んでいない。いずれにしても死んでもらうさ」
「根に持つタイプなんだな」
「リュナは私にとって唯一の身内なんだ。過剰にもなるさ」
リミールは僕の首にぐっとナイフを押し込んでくる。
だが、不思議なことにその切っ先は僕の皮膚を裂かない。
「ためらっているのかい? 殺せないんだろう? なにせ僕を殺せばリュナの呪いは再び強まる」
僕はリミールを嘘で縛っている。
僕を殺せばリュナにかけた発情の呪いが永続的に強まると。
だから殺すことはできない。
「……やはりそうか。ああ、殺せないよ、私は。だから、取引をしようじゃないか」
「取引?」
「そうだ」
リミールは頷くと、ローブの中から一枚の紙とペンを取り出した。
「これは契約書だ。キサマも知っているだろう? これにサインをすればお互い約束を必ず守るよう、魔法によって意思を拘束される」
それは奴隷契約にも用いられる魔法の紙だった。
無理強いでは契約は効果を発揮しない。
だから取引というわけか。
「何が望みだい」
「見ての通り、私はキサマへの殺意に燃えている。今すぐこの首を撥ねてしまいたいほどにな。だが、それを封じよう。私はキサマの命を以後一切狙わないと誓う。その代りに、私の質問に嘘偽りなく答えろ。そして、可能であれば妹の呪いを解け」
リミールは僕の瞳を覗き込んだまま目を離さない。
そこにあるのは、殺意のように濁ったものではなかった。
余裕だ。
この取引が成立し、その後は自由になれることをもう確信している。
そんな目をリミールはしていた。
「できない。取引の後、君は僕を殺すだろう? 別の誰かの手によって。ほのめかしていたじゃないか。私には殺せない、と。契約によって君から僕に対する殺意が封じられたとして、事前に別の誰かに暗殺の依頼をしていれば殺すことはできる」
「ふっ。そこまでは見抜いてきたか」
「まあね。君の目がそう語っていた」
そう、まずは抗う。
ぎりぎりの瀬戸際まで。
「だから取引するならこうだ。僕はリュナの呪いを解き、君たちに二度と呪いをかけないと誓う。そして君たちは、君たちの過去まで遡った意思に対して僕を殺さないと誓うんだ」
「……ふっ」
リミールは僕の喉元からナイフを引いた。
この素直な身の振りよう。
きっと、この契約でもリミールにはまだ僕を殺す方法が残されているのだろう。
だが、それでいい。
まずはこの間合いを広げること。
何か不測の事態に陥ったとき、リミールの体が本能的に動ける範囲から遠ざかること。
それが重要だったんだ。
ふふっ。
馬鹿だな。
勝った。
今にも笑い出してしまいそうだが、もう少しだけ我慢しなくては。
勝利が確実のものとなるまで。
「ではこの契約書に」
リミールが紙に意識を向けた。
ここだ、この瞬間に僕のチートを発動する!
「……ぐっ!?」
リミールの表情が豹変する。
体が震え、顔は朱く染まり、足は力を失くして床に膝をついた。
「キ、キサマ……これはまさか……!?」
「愚かだね、リミール。僕のこの能力が魔法や呪術のように、発動に手間のかかるものだとでも思ったのかい?」
「ふざっ……けるな……こんなっ…………!!」
リミールは股座に両手を突っ込んだまま動けなくなった。
「今すぐ一人で致したくて堪らないだろう? 僕は今、君が君自身に強烈に発情する呪いをかけたんだ。さあ、僕はここで見ていてあげるから、存分に楽しんでくれたまえ」
僕の強制発情能力は対象を相手自身へと向けることもできる。
その場合、相手は自らを慰めずにいられなくなるんだ。
「こんな……こんな……ところで……!」
「おや、室内はお好みではない? ははっ。たしかに君たちは森の住人だったね。すまない。では、外にでようか。なに、もう夜遅いから、人の通りも少ないよ」
「やめろ……! わかった……私の負けだ……頼む……この呪いを解いてくれ…………はぁ……んあっ……!」
リミールの手はもう止まらなかった。
あんまり一人遊びに浸られても困るから、感度は落としてあるけど。
さてさて。
どうしてやろうか。
「それが人にものを頼む態度かい? あまつさえ君は僕を殺そうとしたんだ。相応の誠意を見せてくれないと」
「んぐっ……お願いします…………あっ……お願い……しま……すっ……!」
「ああ、いい感じだ。でもね、僕には呪いを解いてあげたくてもできないんだ。なにせ殺されるかもしれないんだからね。あーあ。今でも恐怖で震えが止まらないよ」
「殺さない! 殺しません! 殺しませんから! 許して! 許してください! ああんっ! はぁ、あああ、んんっ! 約束いたしますっ! だから、こんな状態で、外には、出さないでええっ!」
ふふふ。
どうだこの変わりようは。
あれだけ殺意を滾らせていた気の強い女がこのザマだ。
素晴らしい。
素晴らしいぞこの能力は!
「うーん。しかし、言うだけなら誰にでもできるからな……おっと。こんなところにちょうどいいものがあるじゃないか。どれ、契約といこう」
「する! する! します! どんな契約でもいたします!」
「おやおや。じゃあ、今から君は僕の奴隷だ」
「ど……どれいぃ……そんなぁ……!」
「あれ? さっきどんな契約でもするって聞いたんだけどなぁ」
感度を抑えてあるせいか、まだ意志が削り切れてないな。
もう一つダメ押しをするか。
「僕の呪いなんだけど、さっき僕は、君自身に発情するように呪いをかけたって言ったの、覚えているかい?」
「は……はふ……はひぃ……!」
「今、君が意思を保てているのは、僕が性感を微弱にしているからなんだ。もしこれを欲しくてたまらなくなるくらいに強めて、君が発情する対象を町中の人に移したら、どうなっちゃうんだろうね」
「はっ……!? いや! いやっ! いやぁああ!!」
「ははははっ。わかっただろう? 君の今おかれている状況が。もはや許される許されないの問題じゃないんだよ。君が自爆して人生を棒に振るか、僕に服従して生き延びるか。君はその二択を迫られているんだ。さあ、選んでくれ。僕は君の高潔さを評価してこの二択を提示している」
僕はそう言って、奴隷契約の紙とペンを差し出した。
「奴隷になれ。リミール」
「はい! 奴隷になります! どうかあなた様の奴隷にさせてください!」
即答か。
出会った時から純潔に異常なほどのこだわりを見せていたからな。
もしやとは思ったがこれほどとは。
「じゃあ、僕は宿で寝てるから。せいぜいそこで楽しんでいてくれたまえ。ちなみに、朝になったらここには新しく商売を始める人がくる。あまりみっともないカッコのまま寝てない方がいいよ。じゃあ」
僕はそれだけ告げて、外へ出た。
悶絶級の感度上昇を置き土産にして。