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Classified   作者: 佐原和志
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第1章

 

まるで絵を切り取ったかのような青空に、燦然とした太陽が昇っている。グラウンドでは、陸上部の部員たちがせっせと朝練に励み汗を流している。教室の中では、今日の日直の当番が、面倒くさそうにジョウロをもって窓辺の観賞植物に水を与えている。なんていう、いつもと変わらないとある学校の朝の風景。今日も代わり映えのない一日が過ぎていき、これからもずっと続けばいいのに、と少年は心にそう思っていた。

「ひどい話だよな」

カプチーノの淹れられたカップを左手に、晴久は携帯でインターネットニュースを眺めていた。晴久がそうつぶやくと、左隣の机に座っている少女が、ん? と体を寄せて画面を覗き込む。美しい桃色の長くさらさらとした髪がわずかにカップを持つ腕に重なって、晴久はこそばゆくなった。

「あぁ、この事件……。まだ解決されてないんだよね」

「時効まで後1年なんだと。まったく本庁の奴らは何をしているんだ。……あの一恋、ちょっとこそばゆいんだけど」

「おっと、ごめん」と、髪を後ろで束ねる。

「ええと、たしかこの事件って……」


――ちょうど2030年になろうという大晦日の日。深夜の大阪のとある路地裏で、男の死体が発見されたのだ。しかも、出血の傷の痕跡などからかなりの大きな鎌か何かで切られていることが分かったのだ。警察関係者が路地の入口を捉えた防犯カメラを確認したところ、死体の男とは別にもう一人の男が一緒にいたことが判明した。しかし、その男には凶器を所持していなかったことが判明している。これは最新の防犯システムにより、カメラに映った人が危険物を所持しているかどうか素早くチェックするセンサーが備えられていたことにより分かったことだ。とすれば、第三者による他殺が疑われるわけであったが、防犯カメラには二人以外に路地に入ったらしき人物は見ら れなかった。(路地に面しているビルには、路地側に直接出られるようなドアや窓は設置されておらず、この路地に入るためには両端の通りから入るしかないのだ)警察は、行方不明の男1名を探して今も捜査を進めているが、何の手がかりもつかめないまま、事件の真相は闇の中なのである。


 峠晴久は深くため息をついた。全く面倒なことにならないといいが……と心中に抱きながら、カプチーノを淹れたカップを揺らし、泡をそっと中心に寄せる。そして、ゆっくりと口に含めた。高校三年だという彼はこの泡の感触が大好きでやまない。この瞬間だけは、彼にとって気持ちを落ち着かせられる唯一の時なのだ。ゆっくり、まろやかなコクと味わいを目を閉じて味わっていると……。

「ねぇ晴久、ねぇったら」

左側から、晴久のことを呼び肩を揺さぶってくる、先程の少女、春宮一()(こい)の声。面倒くさそうに左目をうっすら開け、軽く睨むような視線を送る。

「んー。なんだよ、()(こい)。せっかくの俺のカプチーノタイムを邪魔するんじゃねぇよ」

「だって、もう9時だよ!」

「……!」

晴久は携帯の時計表示を急いで確認する。……もう既に9時を過ぎている。

「やばい……っ」

彼は慌てて(最後までカプチーノを飲み干してから)カップを置き、椅子に掛けてあった上着を羽織った。それは紺色の生地で少し厚みがある。一見それはどこにでもある高校生の制服のブレザーにしか見えないが、実は防弾(、、、、)チョッキ(、、、、)のような役割も果たしているのだ。その胸ポケットに描かれているのは橙色の鷲。大きく翼を広げ、鋭い目付きで獲物を狙うような体勢何とも勇ましい。その翼の上側に“鷲高”という刺繍が縫い込まれている。           これは、一恋や、晴久が高校生活を過ごす、鷲ヶ(わしがはら)高校、通称鷲高の校章なのである。

 

そして――――この鷲高には普通の高校とは違う点が秘密裏にある。SCクラス――それは、警察に存在する特殊部隊が高校生ながらにして結成されているクラスがあるということ。特殊部隊、そう、既存の警察官では対処できない、特殊作戦に参加する、精鋭たちが集っているのだ。秘密裏というのは、鷲高には一般生も入学しており、普通の高校生活を送っているため、機密性を守るのに必要だからだ。しかし、理事長の方針で、SC生にも極力高校生としての生活を送ってほしいという案件のもと、常にSCクラスと一般生は同じ校舎で、教室は分かれているものの、過ごしている。なので、SCの生徒は、自分たちが特殊部隊の一員であるとばらしてはならないという規則をまず教えられる。そして 、その他もろもろ、規則はあり、守らねばならないのだが……

SCには、晴久のような遅刻常習犯がいた。彼は大抵数分訓練に遅刻し、しかもその理由がカプチーノの味わっていたなんて言うので教官にこっぴどく叱られる。

「もう、なんであんたなんかとペアなんだろう……」

実践では協調することが重要なので、SCでは2人1組で行動する決まりをとっている。晴久と一恋は、ペアを組むことになったばかりだった。つまり、晴久につられて一恋も同じく遅刻して、叱られる羽目になってしまう……。

「あっ……!忘れ物したから先行っといてくれ!」

晴久は、キュイッと踵を返して廊下を引き返していく。

「もーっ!早くしろぉぉぉ!!」

一恋はぷっくりと頬を膨らませ、晴久を急かした。


 ひっそりと静まり返った体育館。その地下に、この学校ならではの巨大な空間がある。一恋と晴久の二人は、体育館の舞台袖にある{学校関係者専用}と記された扉の前に急ぎ、指紋認証を行った。赤字で、{遅刻}と{計7回}という文字が表示され、一恋はやれやれと頭を垂れた。

先に続く螺旋階段を下ると、既に他のメンバー全員が揃って整列していた。この地下ではSCの実戦的な任務を想定した様々な訓練が出来る。週に数回、特別授業という名のもと、ここでの訓練をSC生は義務付けられているのだ。

申し訳なさそうな顔を(わざと)作り、一恋、晴久の二人は黙って列の後ろに整列する。いつもこのあたりで、教官の怒号が鳴り響き、説教が始まるはずだったが、見る限り、教官の姿は見当たらない。というか、いつも教官が立って指示を出す、指示台の上にその姿はなかった。

「お、今日はラッキーだな。教官の奴、今日はまだ来てないみたいだぞ」

晴久は一恋の耳元で静かに囁いた。それに一恋もほっとしたのか口元を緩ませる。そして二人で、小さなガッツポーズを交わした。

すると、二人の後ろから大きな影が現れる。

「おはよう、君たち」

と、その時後ろからまるで犬の低く唸るような声が。

「……あ」

振り返ると、長身で、がっちりとした体型の柊教官が二人を見下ろして、眉間に深く堀をつくって立っている。

「すでに点呼は済んでいる。残念だったな。それに、誰が奴だって?」

「い、いえ……そんなこと言ってないよな? 一恋」

と、晴久は一恋に視線を送る。頼む助けてくれ、と言わんばかりの目だ。しかしこうなったのは彼の自業自得だ。一恋はいったん視線を交わし、無表情のまま視線を逸らした。

「……おい」晴久のむなしい声。

「訓練終了後、二人は指揮官室に来い!まったく、これで何度目だ!」

と、柊教官は目を鬼にして、それから列の先頭の方へ歩いて行く。晴久と一恋は、同時にはぁーため息をついた。もちろん、一恋にはたまったもんじゃなかったわけだが。


 

生徒たちが、一斉に背筋を伸ばし、柊に敬礼をする。これから、訓練が始まるのだ。

「今日の訓練は、光学銃の実用訓練だ。いつもの訓練とは違って、暗室、密閉空間でどれだけ適応できるかを測る。各自は赤外線暗視ゴーグルを着用して、決められたコースをタイムレースで競ってもらう。……いずれ、こんな状況がやってくるかもしれない。暗闇で最も重要なのは、おのれの恐怖心と戦うことだ。いいか? 視界が悪くとも、敵は容赦なく潜んで攻撃してくる。それも不意打ちが多くなることだろう。怖さを克服し、咄嗟に判断できるかがカギとなる。もちろんペアで行動だ。お互いを信用しろ。よし、じゃあ最下位となったものは……」

と、名簿を挟んだボードで肩を叩き、柊は目を細めて睨むように晴久に視線を送る。

「一週間水以外何も飲むな」

思わず晴久はゴクリと息を飲んだ。と同時に生徒の列から少し笑いが起こった。

「それでは、各自準備開始!」


併設している更衣室で、一恋は訓練に使用する備品などを身につける。防弾ヘルメット、赤外線ゴーグル、グローブ……それから光学銃を背中に背負う形で装備した。この光学銃は近年開発された特殊な銃で、主にレーザーを照射して攻撃することができる。うまく使えば、いざという時にガラスを砕かずにレーザーで筒状に穴を開けることができるので、人命救助の際に有効だったり、何より銃弾を撃たないので射撃による衝撃や爆音もなく射撃することができる。あるのは閃光のようなレーザー光線の輝きだけ。さらに、対光学銃用の装備が施されたものでなければ、いとも簡単にレーザーがどんなものでも貫通させる。もちろん、そのような装備も耐久値以上のレーザー攻撃を受ければ壊れてしまう。 特殊な状況では相手に気づかれないように任務を行う必要があるので、特殊部隊は必ず光学銃を使いこなさなければならない。これは特殊部隊のみが使用を許されている、スペシャルな武器なのだ。一恋は鏡の前で一通り装備を確認し、晴久と合流した。


 地下の空間は広大で、さまざまなフロアが存在する。今日訓練の行われるフロア5には一切の窓は無く、そして蛍光灯も全て電源を切られてあった。完全な暗闇と静寂。生きては帰れない、一恋はそんな気がするほど、現実とは隔離されたような感覚に陥った。赤外線ゴーグルから覗く視界には鮮明な色はなく、緑色の液体の中にいるような感じがする。しかし、目の前にある物体ははっきり捉えることができ、一恋と晴久は向かい合って静かにうなずきあう。一恋は、ぎゅっと光学銃を握りしめ、浅く呼吸を整える。

「なんだ、緊張してるのか」

「ち、違うよ……あんたの前でかっこ悪い真似は出来ないから集中してるの」

と、明らかに緊張している一恋の震え気味の声。

「もしかして、一恋は暗いの怖いのか?」

「う、うるさいっ!そんなはずないでしょ!」

「ふーん……まあでも、二人で行動するわけだし、前も後ろもどこから何が出てくるか分かんないぞ」

「う……」

一瞬一恋の動きが止まる。やっぱり苦手なんだな……と晴久は一恋の肩に手を乗せる。強張っていた肩が、ぴくっと動いたのが分かった。

「大丈夫だ、一恋。俺がしっかりとリードしてやるから、一恋はそれについてくるだけでいい。その……なんていうか、苦手なところは二人で補っていけばいいだろ」

「……晴久のくせに生意気なこと言うじゃない。いいわよ、今回はあんたの言うこととおりにやる」

一恋はゴーグル越しに晴久を見つめた。晴久はゴーグル越しに彼女に少し笑う。現場ではより冷静に行動しなければ思わぬミスにつながる。訓練如きで強張っているようでは駄目なのだ。

晴久は一恋の力みをとるために、強張った肩を優しくほぐす。

「よし、じゃあ行こうぜ」

「ええい!行くわよ!」


ようやく足を進めた一恋と晴久は、光学銃を腕で構えながら慎重にフロアの奥へと進んでいく。ここは本当に建物の中なのか、それさえ疑うほど、コースは精巧に作られていた。今二人がいるのは、恐らく真っ暗な樹海を想定したエリアだった。薄く霧が立ち込め、木と木の間に佇む湿った空気が、装備越しに肌に伝わる。地面に露出した岩をとりまく苔や、朽木などもあった。実際に光があれば、どれだけ美しい景色が広がっているだろうとふと想起してしまう。時々、夜行性の動物の光る眼が目に入り、二人をぎろりと見つめていた。

「なんか不気味だね」

周囲に目をやりながら、一恋は自動無線機を通して晴久につぶやくように言った。

「あぁ……。けれど、この本番さながらの訓練はたまんないよ」

「意味わかんない……。こんな敵がいつ出てきもおかしくない状況で、よくそんなこと言えるわね。いい趣味してるわ」

「そりゃどうも」

「……別に褒めてるわけじゃないんだから」


奥に進むにつれて、段々と霧の濃さが増してきていた。ゴーグルから覗く視界も、先ほどより限られてしまっている。

「霧が深くなってきたな……。ここからはレーダーの電源をオンにして、前に進もう。これなら、俺たちの近くに敵がいても安心だろ」

2人は、腕につけていたレーダーの電源を入れた。ゴーグルと連動して半径30mにあるオブジェクトを可視化でき、動くものがいれば赤いドットで表示される。ここでいう敵とは、実際の人間ではなく、プロジェクション技術によってリアルに再現された3D映像なのだ。まるで、本当にそこにいるように感じることができ、さらに過去数十年の事件や犯人行動を分析したデータを活用して動かせることができるので訓練にはもってこいなのだ。さらに、訓練用の特殊装備が、よりリアルな体感のために、痛覚神経と連携することによって銃弾を受けた時、それ相応の痛みを伴うことができる。つまり……

「痛いのはごめんよ。敵なんてさっさとやっつけちゃいましょ」

晴久は一恋の言葉に同感した。


そのとき、近くの木の葉がざわついて、二人は思わず光学銃を構えた。

「なんだ!?」

するとキィィィッッと闇に向かってたくさんの黒い物体が空に無造作に飛び交っていく。

「……コウモリか」

ふう、と一恋は安堵の息を漏らした。こんなことでびくびくしていてはいけないのに、心臓の鼓動が早くなっているのは確かで……。一恋は独りでに首を振って気持ちを入れ替えた。ふと、晴久の方を見る。晴久は……怖くはないのかな? と、一恋は彼の背中を見て思った。いずれ本物の現場で、暗闇に潜む犯人と戦わねばならない時が来るにしても、恐怖心を押し殺す自身の心の強さが必要なんだと、教官は言っていた。それは、まるでSC生全員に言っているようで、実は私に向けられて話されたことなのかもしれない。すぐそばに仲間がいる。これだけで、どれだけ心強いことなんだろう……。SCが2人1組で行動するのが何となく分かった気がした。


 まだらに木々が並んだ小道を、慎重に足を進め、かれこれ1時間が経過しようとしていた。これといった戦闘もなく、一人ずつ休憩を取ろうか、そんな時間になっていた。

「この先、あの岩場で少し体を休めよう」

指さす先には、おおきなごつごつとした岩がいくつか並んでいる場所になっていた。一恋はうなずいて、晴久の後に続く。と、そのとき。

「しっ!」

突然晴久が足を止めた。そして右手で一恋に止まれの合図をする。一恋も指示に従って足を止め、息を殺す。晴久は大きな岩まで駆けていき、背中をくっつけて岩の陰から周囲を伺う。何かいたのだろうか……一恋には分からなかったが、同じように岩場の影に身を潜め、光学銃を構える。レーダーには何の反応もない。

「…………」

息を潜めながら、一恋は思い出す。暗闇の中では、音による位置感覚がとても重要だと晴久から聞いたことがあった。そしてそれが、逆に命取りになりかねない、とも。今がまさにその状況だろう。赤外線ゴーグルを付けてはっきり見えていると言えど、見える視界は限られている。一恋は、耳を澄ませ、目を閉じた。

すると、背後から微かに物音が聞こえた。地面に散り落ちたたくさんの落ち葉が何かに踏まれて砕ける音。そしてゆっくりとそれは大きくなっている感じがした。こちらに何かが近づいている。しかし晴久は、未だ岩の陰から周囲を覗き込んで、じっとしていた。

「ねえ、後ろから何か来るよ」後ろに目を凝らし、わずかな気配でも感知できるように意識を高める。すると!

「伏せろ!」

と、いきなり晴久が吠えるように一恋に向かって叫ぶ。瞬間、それを掻き消すような銃声が背後から聞こえ、一恋は咄嗟に地面に伏せて銃弾を避ける。晴久は、即座に反射的に体を翻し銃弾を避けた。そしてすぐさま光学銃を構え、閃光を走らせてレーザーを放つ。

「くそっ!」

狙いははずれレーザーは背後の茂みの奥へと消えていく。それを機に、一人の武装した男がライフル銃を構えて茂みから飛び出してきて、晴久に向かって銃弾を放つ。晴久はそれを体すれすれで何とかかわし、再び体制を整える。

「一恋!援護を頼んだ!」

すると、晴久は敵に向かって全力で突進していくではないか。

「うおおおおお!!!」

腰に付けていた小型拳銃を手に取り、走りながら敵に標的を絞る。

「ちょ、ちょっと!もう!一人先走らないでよ」

まるで命知らずな行動に、一恋は急いで光学銃を構え、スコープを覗き込む。敵の男は晴久に驚いたのか、動揺した様子で晴久に向かって銃を構える。

しかし、その時だった。武装した男の後ろの茂みからもう一人の男が現れたのだ。不意打ちで影から狙うつもりだったのだろう。手にはやはり銃が握られていて、晴久を狙っている。

「っ、危ない!」

一恋は咄嗟に照準を変えて、即座にレーザーを放つ。闇の中を駆け抜けたレーザー光線は、幸いにも、茂みに隠れていた男の頭に命中し、呻き声をあげてその場でポリゴンの破片に砕け散った。

同時に、晴久も敵をうまくしとめていたようだ。晴久の前でもポリゴンの破片が現れている。

「はぁ……」

二人して息を漏らす。一恋は体を起こして晴久の元へ駆け寄って、彼の顔を覗き込むようにして怒鳴った。

「あんた、その戦い方危険ってまだわからない? 今のがリアルだったら私がいないとあんた心臓打ち抜かれていたかもしれないのよ?」

「いやぁ、本当に助かったよ。一恋はやっぱり援護射撃がプロ級だな。でも、俺は銃弾を避ける瞬発力には自信があるからね」

確かに、晴久は尋常ではないほど、銃弾を前にしてもひるまず、目を疑うほどの瞬発力をもってそれを避けることができる。

「でも、それは絶対的じゃないでしょ? 確かにあんたの瞬発力はすごいけど……とにかく、もう冷や冷やさせないで!」

「分かった、分かったよ。でも、こうやってできるのも一恋、お前がいるからだ。そう、信頼できるバックがいてくれるなら、怖くない」

なだめるように晴久は笑みを作る。一恋はじーっと睨みを続けていたが、ぽっと頬を染めてしまう。

「ななな、なに言ってんのよっ……。そ、そんなの当たり前じゃない。ペアなん……だから」

「そうか、当たり前だよな。ははは、よし、じゃあ行くか! このままだと最下位になってまた教官におこられちまうよ」

再び歩き出す晴久。一恋はその背中をしばしぼんやり見つめていた。

 

でも、時間は過ぎてゆくばかりでこの時はすでに15班あるうちの15位という順位だったとういことを彼らは知らなかった。


このフロアにどれほどの神経を費やしたのだろうか、フロアのゴール地点に着くと、再び他の皆が待っている休憩スペースに転がり込んだ。疲れがどっと一恋の身体を襲い、ソファーに深く身体を沈み込ませる。

「あー、疲れた疲れた」

肩をもみほぐしながら言う一恋。

「おっさん臭いぞ、一恋。ほらよっ」

 晴久が缶コーヒーを投げ渡し、慌てて一恋はキャッチした。

 黒くコーティングされたその缶をみて、

「ありがとう。って、どうして私もあんたの趣味に合わせないといけないのよ」

「ん? カプチーノじゃなくて普通のブレンドコーヒーがよかったか?」

「……そうじゃなくて」

「ふむ……やはり豆から挽いた方がよかったか」

「……もういい」

一恋はおとなしく缶を開け、ごくりと一口飲む。やっぱり疲れた後は炭酸系が飲みたいものだ。

「にがっ……」

 一恋は思わず顔をしかめた。左隣の晴久を見ると、隣で目を閉じて大げさに味わって飲んでいて、なんだかむかつく。すると、一恋の右隣に誰かが腰掛けてきた。ちらっと一恋はそちらを向くと、そこにはある少年が顔を微妙に染めながら、同じ缶コーヒーを飲んでいる。どこかそわそわして、時々一恋をちらっと見たり、よそを向いたりしている……。

「また、あんたか……」

それを見つめる一恋の冷淡な目つきにも気付かず、その少年は一恋に向かって、

「お、おお!一恋か。こんなところで奇遇だな……あっ、俺もそのコーヒーが好きなんだよ。これいつ飲んでも美味しいんだよなぁ……!」

と、ごくりと飲む。どうやら、苦いのを我慢しているのか、顔を渋らせる仕草を見せるが……。

「う……。美味しい、美味しい」

一恋は面倒くさくなったので、一恋は、さっと彼から目線を外した。

「げっ、無視かよ……とほほ……」

一恋は、隣から感じる負のオーラと、呑気に上流貴族っぽく飲んでいる晴久に我慢できなくなった。もう、なんか面倒くさいヤツらばっかりだ!

「神山、私このコーヒーそんな好きじゃないのよね。残念ねぇ、あんたと趣味合わないみたいで」

「えっ、マジで」

「なんなら、このコーヒー飲んでもいいわよ。要らないから」

と、一恋は押し付けるように神山に渡す。一恋は、ぱっと立ち上がり、自分で自動販売機へと向かった。

「の、飲んでいいのか……?」

神山は、その缶の飲み口を見つめていた。ゴクリ、とのどが鳴る。

「これって、これって……まさか、かぁぁぁ!!」

興奮して、頭に血が上ったのか、椅子から滑り落ちる神山。でもなんだか幸せそうだ。

「お、おい大丈夫か、神山」

近くにいた晴久は、近寄り、その顔と握られた缶を見て、

「はっ……なるほど。そんなにおいしくて……お前、分かってる。分かってるよ!」

と、同情したみたいに感激していた。


「ねぇねぇ、一恋」

一恋の耳元で、女性の声がする。コインを投入した一恋は、声のほうへ目を向けると、金髪の鼻の高いお姉さんのニヤニヤした顔が目と鼻の先にあった。

うわっ、と思わず一恋はたじろいでしまった。

「やだーそんな驚くことないのに」

「はあ、なんだよ、リリか」

秋月理莉奈、一恋のクラスメートであり、何とも訓練着から私服までがはしたない少女だ。訓練着の上側のボタンを外して、中の下着が浮き彫りになっている。さらにそのシャツからは豊かな胸の谷間が露わになっていて、一恋は目がいかずにはいられなかった。

「ぐぬぬ……」

自分の胸の大きさにも自身がないわけではない。でも、これはランクが一つ違う気がする。

「今日の訓練はどうでした? ずいぶん遅くなっていたみたいですけど」

「ふっ、それはこっちのセリフよ。リリのほうだって、私たちより早くフロアインしたのに、見た感じさっき戻ってきたばっかりみたいじゃない」

「時間差なんてものはあてにならないわ。早いか遅いかは、腕によって決まるもの。わたくしと神山のチームワークを知らないのかしら?」

そう、彼女は先ほどの神山のペアであるのだ。理梨奈は得意げな態度をとって一恋に向かっている。

「あーあ、めんどくさい。ちょっと実技の前期試験が良かったからって調子に乗ってるんじゃないわよ」

一恋はやれやれと首を振った。そして、手に取ったコーラの缶を開け、勢いよく飲む。

「そ、そんなことはございませんわ! ふっ、まぁいいでしょう。すぐに結果は分かりますもの」

「……あんた私に勝ってどうするつもりなのよ」

「なにもございませんわ。ただ、あなたに実力というものを……」

「はいはい、そこまでそこまで。いい加減お前ら仲良くしろよ……」

割り込んで間に入った晴久は、面倒くさそうにため息をついた。一恋と理莉奈のこんな関係は、入学以来ずっとだ。、訓練の間だけではなく、通常の学校生活においてもこんな感じなのである。

すると、そのとき、周囲がなんだか騒がしくなった。

他のSC生が、訓練を中継するモニターに目が釘付けになっている。

「うわ、ありゃ早いな」

見れば、それは柊教官とそのペアの石川恵美だった。適格な光学銃の使いと、俊敏な敵への反応……。時には柊自身が相手の銃弾へと突き進み、それをうまく躱しながら、後続に続いた恵海が相手を封じこむ。晴久の銃弾を躱す技量も半端なものではなかったが、柊のそれは別格だった。

「相手を誘導している……?」

晴久は心の中でそうつぶやいた。柊の動きは、明らかに弾道を予測しているように見え、うまく躱しているかのようだ。しかし、

「相手の眼を見てるんだろうね。ほら、教官の方が0.1秒ぐらい動作が早いもの。それに合わせて恵海も。あんなのに合わせられるって……」

一恋は、真剣な顔つきで見入っている。

そう、教官はもちろんだが、恵海はSCの中でも群を抜いて成績はトップクラスだった。それに教官だって訓練を積まないとならないのだ。その点においては、生徒と教官という垣根は無いも同然だ。

「とんでもないなぁ」

晴久は少し苦笑いをしながら独り言のように言った。

「あんたも相当だけどね」

と、どこか憫笑に近い笑みをこぼした。しかし実際、一恋も同じ心境だった。

まるで私には叶わない、どれぐらいの経験があって、ここまでなれるのか。一恋は以前の訓練からそう考えていた。



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