蹂躙される世界 ー1
照りつける夏の日差しに苛立ちを覚えながら、俺は嬉々として話続ける男の顔を見つめる。
次々に男の額に汗がつたう。
男は手のひらで汗をぬぐい地面に払い落とす。
濡れたアスファルトはあっという間に乾いてしまった。
「それでだ、今回の出動なんだけど俺は遅れて登場するっていうのはどうだろう?」
男の目は完全に同意を求めている。
「あぁ、皆が良いって言うならいいんじゃないか?」
素っ気なく答える。
「いや……だから、お前はどう思うかって聞いてるんだよブルー」
男の表情に、はっきりとした不快感が現れる。
「そうだな、やっぱりリーダーのお前がピンチの時に遅れて登場したら最高に盛り上がるだろうし、格好いいだろうな」
俺は仕方なく求められている返答を差し出した。
「だろ?っていうかそのピンチってのはいいな!」
男の目がキラキラと輝く。
「どうだ?狙ってピンチに持ってイケるか?」
男の顔が近づく。
「暑いって……そんなに近づくんじゃねぇよ」
男は無邪気な笑顔を浮かべ、距離を取る。
「別にいいじゃねぇか、でどうなんだ?」
俺は答える。
「そうだな、相手が前回くらいの強さならどうとでもなるんじゃないか?」
「まぁグリーンとイエローが空気を読めればの話なんだが……」
俺がそう言うと男は頭を抱えた。
「だよなー、アイツらマジで空気読めねぇしな。」
「段取りなんて関係なしでやっちまうからな……」
そう言うと男は、目をつむり考えを巡らせている。
あぁ……それにしても暑い。
せわしなく鳴き続けるセミの声がより一層暑さを際立たせる。
うだる暑さに身をよじらせるとボロボロの木製のベンチがギシギシときしむ。
なぜ俺はこんな所でこんな男の話を延々と聞かされなければならないのだろうか。
平日のひとけの無い狭い公園はどこか背徳感が漂う。
そもそもどうしてこんな事になってしまったのだろうか……。
3ヶ月前のあの日から全ては始まったのだ。
201X年5月8日、ゴールデンウィーク明けの月曜日。
世間は再び始まる日常に憂鬱さを感じながらも、これまで通りの世界が続いていく事に何の疑問も抱いていなかったはずだ。
少なくとも俺はそうだった。
その日の朝、朦朧とする意識の中スマホのアラームを止めて時間を確認した。
時刻は8時30分、大学の講義まで2時間は余裕があったので2度寝しようかどうか少しばかり悩んだ。
部屋が薄暗い。
気温も低いようだ。
雨が降っているのだうか、カーテンに手をかける。
俺は広がった視界の異様さに愕然とした。
灰色の空に紫色の斑点が、それも無数に漂っていたのだ。
その斑点はゆっくりとゆらゆら動いていて、斑点同士が繋がって増大したり分裂したりを繰り返している。
あぁ、夢を見ているだな……そう確信して再びベッドに横たわる。
おかしい。
眠れない……あまりに意識がはっきりとしすぎている。
もう一度窓から外の景色を眺める。
相変わらず空には無数の紫色の斑点がうごめいている。
「マジかよ……」
そう呟いてみたが、耳から受け取った自分自身の声が脳に伝わり現実味をより一層強めた。
冷静に状況を判断しようとしても、自分の経験の枠外、それも遥か外側の出来事であるために何も考えつかない。
ただあっけに取られて、しばらくその紫色の斑点を見つめていた。
どうやら紫色の斑点は球体であり、上空のかなり高い位置、おそらく距離も離れているだろう。
ひとつひとつの大きさはまちまちであるが、実際の大きさはよくわからなかった。
距離的な物を考慮すると、大きい物で直径10m程はあるかもしれない。
少し落ち着きを取り戻し、テレビのリモコンを探した。
電源を入れる。
見慣れない映像が写し出される。
画面左上のテロップには【緊急生放送】と題打たれ、【松河市上空に謎の物体出現】と続いている。
見慣れた町並みを背景にレポーターが何か神妙な面持ちで話している。
よく聞き取れない、握りしめていたリモコンのボリュームのボタンを押す。
「…………です。」
「現在、被害の全容は全く把握できていないと思われます。」
別の声が続ける。
「警察の正式な発表では被害状況は調査中とのことですが、どうなんでしょうか……現場の状況として特に危険な状態にあるんでしょうか?」
スタジオのアナウンサーがワイプに写し出される。
「そうですね、私が現在いる場所より先には警察の方による立ち入り規制が行われていまして、正確には把握できませんがおそらく非常に危険だと思われます。」
レポーターが答える。
「わかりました、また変化がありましたらお願いします。」
レポーターは無言で頷き、画面はスタジオへと変わる。
「高橋さん、正直何がどうなっているのか全くわからないといった状況なんですがいかがですか?」
軍事評論家「高橋 直泰」氏 とテロップが表示される。
「そう……ですね……」
軍事評論家は言葉につまる。
「色々な可能性が考えられると思いますが……私の立場から申し上げますと……これは軍事兵器の類いではないと思いますが……」
確かにこの状況の説明を求められても誰も答える事は出来ないだろう。
リポーターとアナウンサーの会話の「被害」というワードが気になる。
軍事評論家とアナウンサーのやり取りが続くが、なかなかその話題にならない。
軍事兵器の可能性の話が一段落してアナウンサーが正面に体を向きな直した。
「それでは先程、7時30分頃に撮影された映像をもう一度見てみましょう……この球体が人々を襲う映像です」
画面に写し出された映像は粗くブレが酷い。
おそらく携帯端末での撮影なのだろう。
いきなり、あの紫色の球体が写し出された。
カメラが急激に紫色の球体をアップする……
ゆらゆらと漂っていた球体が小刻みに動き出した瞬間、カメラの視界から消える。
ホラー映画でしか聞いたことが無いような叫び声がこだまし、カメラのアングルが下方向、つまり地上側へ移動する。
紫色の球体はもはや球体と呼べるような形状ではなくなっていて次々に逃げ惑う人々に覆い被さっていく。
紫色の球体に覆い被さられた人々は忽然と姿を消した……
次々に人々を飲み込んだ紫色をした「何か」は辺りに人影がなくなると再び元の球体へと戻り上空へふわふわと戻っていった。
そこで映像が終わった。
「以上です、はい。」
アナウンサーが神妙な面持ちで続ける。
「今ご覧頂いた映像はFGSが独自に入手致しました映像でありまして、一般男性の方が偶然撮影された物となります」
「襲われた方々の安否は未だ不明のままでありまして……」
「現在、警察の調査及び捜索が行われております」
「先程、8時10分に行われた警察の発表によりますと、すでに1500人近くの方の行方がわからなくなっている状況であります」
「なお、松河市の一部地域には特殊避難勧告が発令されております。」
画面に見慣れた地図が表示される。
「こちらが避難勧告の発令された範囲になります、桜水川より西側から西部環状線方面までの一帯、北は遠山鬼子母神社方面より城院大学方面までの半径約15㎞圏内です。」
「今、ご覧頂いている地図の赤色の線で囲った部分になります。」
「さらにこの範囲内への厳しい交通規制が行われており、一切の車両及び歩行者の進入が禁止されております。範囲内に掛かる全ての公共機関の運行も全面的に見合せが発表されております。」
おいおい……
ばっちり範囲内じゃないか。
ていうか、範囲のほぼ中心にいるんだが……
「警察からの公式発表にて、現在も避難勧告の範囲にいらっしゃる方は速やかに避難が指定されている場所へ徒歩で移動をお願いします、との事です。繰り返します」
「現在、避難勧告範囲内にいらっしゃる方は速やかに指定の避難場所へ徒歩にて移動してください。」
地図内に星マークが写し出される。
赤線で囲まれた部分のギリギリ内側に星が4つ、東西南北にそれぞれ1箇所づつの計4箇所。
「避難の際は慌てず、状況に注意しながら移動して下さい。」
おいおい……何か相当ヤバいんじゃないのか?
普通、建物から出ないで下さい。じゃないんだろうか……
この状況で外に出ろって言われて、出る奴がいるんだろうか?
あんな映像見せられたら尚更だ。
注意しながらって、あんなもんどう注意すればいいだよ……
まったくもってどうすればいいのか考えが一向にまとまらない。
起き抜けなのが原因なのか、この状況が原因なのか、そんなどうでもいい事しか思い浮かばない。
テレビのアナウンサーは博識が売りの芸能人と一連の内容をやりとりしている。
ひどく他人事のような印象を受けて、ムカムカしてきた。
とりあえず窓の外をもう一度見てみた。
相変わらず空には無数の紫色の球体が……
そして時折、球体は急降下している。
急降下した球体はしばらくすると元の位置にゆっくりと戻る。
これは、外に出るのはまずい。
しかしここに留まるのも得策ではない様な気もする……
視線の先にスマホが止まる。
そうだ、誰かに連絡してみよう……
真っ先に思い浮かんだのは、大学で1番仲のいい友人のショウタだった。
履歴から名前を選択し、画面の表示が呼び出し中に変わる。
3回、5回、呼び出し音は続く。
諦めかけた時、ガチャっという音とともにかすれた声がした。
「もしもし......どうした?」
完全に寝起きである事がわかった。
「どうしたじゃねぇよ、ショウタ外、外見て」
早口でまくし立てる。
「はぁ?朝から何だよ、外がどうしたって……」
シャッとカーテンのレールが滑る音が聞こえる。
「……………… 。何これ?」
「すっげぇな………… 。」
声に焦りがみえない。
「コウちゃん、これ何なの?」
声のトーンが普段と全く変わらず、なんとなく拍子抜けした。
現状を掻い摘んで説明する。
と言ってもテレビから得た情報をそのまま伝えただけだった。
「あーやってるやってる」
ショウタはテレビをつけたようだ。
「うわぁ……人飲み込まれてんじゃん」
「コウちゃん、これなかなかヤバイやつじゃない?」
ショウタはいつも冷静というか穏やかというか、あまり感情の起伏を表に出さないタイプだ。
「さて、どうしたもんだろうね」
ショウタは笑いながら言った。
「笑い事じゃねぇって」
状況にそぐわないリアクションだが、ショウタのお陰でだいぶ気分が落ち着いた。
「どうするよ?」
俺は尋ねる。
「そうだね……」
ショウタの声のトーンが少しだけシリアスになる。
「このまま自宅待機はちょっと無いだろうね、かといって避難所まではお互い10キロ近くはあるだろうし無事に到達するのは厳しそうだよね」
その通りである。
避難所まで徒歩で1時間はかかるだろう。
「とりあえず、このまま家にいても状況は改善しないからコウちゃん家に行くわ」
ショウタはさらっと言う。
「おいおい、外出るのかよ?」
俺が慌てるのを全く意に介さず続ける。
「だってしょうがねぇじゃん?避難勧告出してるって事は恐らく室内にいても安全じゃないって分かってるって事だと思うけど」
言われてみれば確かにそうだ。
国か県か詳しい所はわからないが、公的な避難勧告ならば「そこに居ては危険である」保証があるはずだ。
「ま、チャリで5分だからね」
「大丈夫、イケるよ」
この状況で取るべき行動を即座に導き出せる冷静さを少しうらやましく思った。
「じゃ準備してすぐ行くよ」
ショウタは電話の切り際に、これは夢じゃないよね?と聞いてきたが
俺はわからない……多分夢だろうと答えた。