第1部 第1話 親子
遂に光は止んでいた。
手に感じる光の熱が、急に消えてしまったのだ。
彼は、慎重に、ゆっくりと目を開く事にした。然れどそれは不可能であった。
「会いたかった…愛しの我が夫よ!」
突如頭に響く老婆の声。
否、頭に響くような感覚がした。
「愛しき我が夫よ…不浄の大地より助け出すのが遅くなってしまった事を許しておくれ…」
その声は悲哀に満ちていた。
彼は結婚した覚えは無いのだが、彼女の口振りはまるで事実を語っている様な雰囲気であった。
「いや、其方なら当然許してくれるでしょう。我の唯一の体現者よ…」
話は勝手に進んでいる。
彼としては幾度も口を挟もうとしたが、それも不可能であった。
口が、無くなっているのである。
「ああ…我が夫よ。其方には我が世界の父となって貰おう…」
その時、彼は理解した。
自分はこの声の主に呼び寄せられたのかと。
「我が夫」等と気になる点は多々あるが、最後の一言、「世界の父」というワードが彼にヒントを与えた。
要するに自分が必要なのだ。
そうと決まれば話は早い。
彼は、他人の頼みを決して断らないという信条を持っているのだ。
その信条は、今は幼き時に亡くなった父の遺言の所為であった。
「人に優しい男になれ、優人。」
その言葉を忠実に守ってきた彼は、他人の為なら何だってした。
そのため利用されたり、本人の為にならなかったり、失敗した事も多々あったが、それでもその信念を出来る限り忘れず生きてきたのだ。
今、この状況はどうだろうか。
不気味な体験。
身体の喪失。
そしてその原因と思われる謎の声。
理不尽に己の自由を毟り取られた気分ではあるが、そんな事より声の主は、自分を必要としているのだ。
出来る事なら助力したい。
出来なくとも、相談に乗ったりアイデアを出す事が出来る。
…自分はまだ、役目が残されているのだ。
彼は、自身の心に言い聞かせた。
然れど彼は冷静では無かった。
先ず、何故身体が消失したのか。
身体が消失したのに、何故思考出来るのか。
そもそも、今どこに自分が存在するのか。
彼は、その疑問に気付けなかった。
恐らく彼自身、潜在的にはそれが気付いてはいけない事だと判断したのだろうか。
兎にも角にも、彼は決意した。
誰だか知らないが、声の主を助けてやる、と。
「…決意は出来たか。」
声の主は、既にそうなる事が分かっていたかの様な口振りであった。
「それでは、身体を返そう。
其方には、下界の中でも我が子達の最も集まっている地域に降り立って貰う。」
突如、あらゆる五感が戻ってきた。
口には味のない唾液が溢れ出る。
肌の服と擦れる感覚は久しぶりで、如何ともしがたい感動を生む。
耳には風の安らかなパイプオルガンの音が響き、身体の中まで染み込んでくる。
鼻から香ってくるのは、甘美な香り。
甘く、情欲を誘う淫らな香りであった。
そして目を開けると…そこは教会の様であった。
周りにはゲームの神官の様な、白いローブを羽織った人々が取り囲んでいた。
そして何故だか、俺はそのまま捕らえられた。