疑問の解決
初めて人を殺した……死神として。
もっと精神的に追い詰められたり、良心の痛みや罪悪感に苛まれるのかと思っていたが、そんなことは全然なかった。
むしろ――――気持ちいい。そう、あの人間に重なるようにして存在していた発光体。あれを切り裂く時に手に感じた抵抗感。希薄な存在ながらに伝わる感触は、まさに斬ったという実感が湧くものだった。
僕は男の死を確認した後、病院から外へ出た。夜中だが少なからず人通りがあり、人々だけはやはり色付で存在している。
不思議に思いながらも、僕はとりあえず一日のノルマを達成出来た事に喜び、意気揚々と夜の街へ繰り出す。
道行く人が僕を擦り抜ける。誰も僕の存在には気づかない。少し寂しい気もするが、これはこれで滑稽だ。
すると繁華街中ほどまで歩いて来たところで、なにやら喧騒が聞こえてきた。深夜な為、人々の往来による騒々しさではない。
雰囲気的に、喧嘩……だろうか?
僕は声の聞こえた方へと近づいていく。そこは狭い路地裏で、明かりも灯されていない陰気臭い場所だった。だが僕の目は、そんな暗さの中に存在する人間を鮮明に捉えている。白黒の世界にカラフルな人。どうやら一人の人間を五人で囲んでいるようだった。
『おら、金出せよ金』
その内の一人が、どすの利いた低い声で唸り、腹を抱えてうずくまり咳き込む男の髪を掴み上げる。
顔を無理やり向かせられる男の口は切れ、目は腫れ上がり出血し、ヒューヒューとおかしな呼吸をしていた。
その様子をグループの中で唯一の女が、壁にもたれ掛かりタバコをふかしながら、にたにたと下品な笑みを浮かべ見物している。
……下衆どもが。
年齢からすると十代後半から二十代前半だろう。なおも続けられる不良グループによる一方的な暴力。振るわれている側の男はもう虫の息だ。
……助ける道理も義理もないが、これはさすがに放っては置けないな。
僕は殺意を持って眼窩を連中に向ける。群れる事でしか自分を誇示出来ない小さき者。他人の迷惑も考えられない外道。
再び僕の眼孔の奥が熱を持つ。するとこの場にいる全員の体に発光体が重なり移りだした。僕は全ての砂時計を確認してゆく。どうやら運命の寿命が近いものは二名しかいないようだ。
女と、その隣で地面にしゃがみ、つまらなさそうな表情を浮かべ携帯を弄る金髪の少年。左耳には三連のピアス。そして唇にも開けられている。
この場にいるグループ五人全員を殺したかったが、それでは掟に逆らうことになる。僕の目的は、闇に囚われることではなく、闇から開放されて死ぬことだ。
仕方がないが、二人で我慢しよう。それに、いきなり人が絶命すれば、暴力をやめて消えるかもしれない。僕はそれに賭けることにした。
まず自分から最も近い位置に立つ女に近づいていく。髪は赤茶に染め、こちらも三連のピアスを耳に開けていた。豹柄のワンピースにデニム地のショートパンツ。ニーソックスに黒のショートブーツといった、明らかに遊んでいそうな出で立ち。
女の発光体はこちらを向き僕に気付くと、驚愕の表情を浮かべた。だが肉体の方は品の欠片もない笑いを浮かべたままだ。
僕は一人ほくそ笑む。またあの感触が味わえるのだから、高揚しないわけがない。
手にした鎌を振り上げると、女はまるで金縛りにでもあったかのように固まった。僕は目のない眼窩で見据えたまま、緑に光る女の体を一太刀のもとに切り裂いた。真っ二つになった女は鮮血を噴き上げながら絶叫を上げ、そして砂時計の消滅とともに消え去った。
肉体の方は十秒程度の間の後、胸元を押さえ前のめりに倒れこむ。周りにいる人間がそれを不思議そうな顔で見た後、笑いを上げるもの、心配そうに覗き込むもの。それぞれが別々の行動をとる中で、隣に座る男だけは携帯画面から目を逸らさずに何かに夢中になっている様子。
男の発光体――――今思い出したが、昔図書館で色々調べている時に、この発光体に似た記述を神秘学の本で目にしたことがあったな……。
たしか……アストラル体。星幽体と呼ばれる、物理的肉体と重なって存在する霊的な体であり、主に精神機能を司るとされているもの。
これがそれかは定かではないが、僕はこの緑の発光体をアストラル体と呼称することに決めた――――。
男のアストラル体も本体と同様、僕の存在を認識していないかのように携帯に釘付けだ。
僕はゆっくりと近づいていく。目の前まで来ても、そこで腰を下ろしても、まるでシカトだ。何を見ているのか気になった僕は、男が手に持っている携帯画面を覗きこんでみた。
すると、光量を最低まで落とした薄暗い画面に表示される携帯メモリーを、ひたすらに下へスクロールしている。それを見つめる目は虚ろだった。
薬でもやっているのか? そんな疑問を持ちつつも、ノルマの為、人助け? の為に鎌を振り上げ、それを下ろす。
男のアストラル体は女のような悲鳴を上げることなく、血飛沫だけを上げて消えていった。
そして例の如く十秒ほどで肉体の死が訪れた。前の二人とは違うパターンに、内心不安を感じていたが、同じように死んでくれてホッと胸を撫で下ろす。
すると異変に気づいたのか、不良グループの残り三人は倒れた二人に歩み寄ると、それぞれの体を抱き起こす。そして携帯のライトを使ってその顔を照らした連中は、凄惨な最後を遂げた人間の表情を見て一瞬息を呑んだ後、気が狂ったかのように絶叫する。
『うわぁああぁぁぁぁ!!』
そしてその現場から逃げるように各々走り去っていった。
取り残された男は気を失っているのか、小さな息を漏らすだけで起き上がろうとはしない。
遅かったか? 少し残念な気もするが、僕は肉体には触れられない為起こすことも出来ない。
こんなところにいても仕方がない為、僕は早々に陰惨な現場から立ち去ることにした。
街中を歩く最中、死んでいるはずなのに極度の疲労を感じた僕は、一旦あの闇に帰ることに決めた。この白黒の世界は、なんだか落ち着かない。
昼になれば更に人の数は激増する。ここは都会だ。景色全てがカラーならいざ知らず、人々だけに彩色されている世界。都会の雑踏を想像しただけで頭が痛くなりそうだ。
それに、もうこちらへの出方も分かったから、いつでも来れるだろう。しかし、帰りはどうするのだろうか。
僕は疑問に思い、とりあえず道端の何もない空間に向かって鎌を思いっきり振ってみた。
…………しかし目立った変化は何も起きない。
少々苛ついた僕は、自販機、電信柱、家の壁など、とりあえず目に付くところに鎌を振ってみる。だが変化はない。
すると僕の頭脳が途端に何かを閃いた。闇……そう、闇だ。
僕は白黒の世界で最も色濃い黒、影のあるらしき場所に近づき、鎌を振り下ろす。案の定、そこには出てきた時のような亀裂が生じ、闇色の煙が噴出してきた。
懐かしい暗黒の世界。僕は亀裂に手を伸ばし、家への帰還を無事に果たすことが出来たのだ。
闇の中に身を置くことがこれほどまでに落ち着き、安らげるものだとは思いもしなかった。少なくとも、死神にされた当初なら考えも及ばなかったことだろう。
だが今は違う。覚えてはいないが、母の胎内に宿る命。そんな頃の自分は、まさにこんな感覚だったのではないかと思う。
僕は暗闇の中で一人思量する。することがない為、当然らしい行為だとは言えるが……。外へ出て分かったことを整理してみることにした。
まず人を殺める時。明らかな殺意が沸き起こらなければ、アストラル体は見えないし砂時計も出現しないということ。まあその時は目の奥が熱くなる為、分かりやすいと言えば分かりやすい。
という事はだ、僕が手にするこの死神の大鎌は、普段普通に人を斬っても人は殺せない、という事になるのか? ……まあ、そこら辺はまだ何とも言えない為、後日検証してみることにしよう。
そしてモノクロの世界。どうやらあちらで活動をすると、体力を消耗するようだ。現にこちらに戻ってきてからは、まるで温泉にでも浸かっているかのように心地いい感覚が全身を包み込む。
つまり、僕はここで体力を回復させつつ、現世で人の命を奪わなければならないということ。一月の間に五百人も……。死んでいるのに体力を使うなんてことは、誰にも想像がつかないだろうな。
僕は一日目で三人の命を奪った。だがこんな調子ではノルマを達成できない。あと二十九日しかないのだから。単純計算、これからは最低一日十七人は殺さなくてはならない……。
死神とは、なかなか面倒くさい仕事なんだな。
僕は闇に意識を奪われるかのように目を閉じ、そしてそのまま眠りについた――――。
目を覚ました僕の目の前に広がるのは闇。混沌だ。一寸先も見えないほどの深い闇。
今日は二日目。気合を入れて殺さなければ、ノルマを終えることが出来ない。
そうして再び空間に亀裂を入れた僕は、白黒の現世へと旅立った。
出てきた場所は都内某地区西よりの場所。
思ったのだが出てくる場所は一定ではないのか? もしかすると区間や区域ごとで分けられているのかもしれないな。
とりあえず人々のいそうな場所を探す。ここは大通りだ。深夜営業の店も多い。そこらの店にでも入れば、少なからずターゲットは見つかるだろう。
右を左を見ながら歩いていると、前方から酔っ払いが歩いてくる。千鳥足でおぼつかない。ふらふらと蛇行しながらこちらへ向かってくる中年サラリーマン。
僕はひとまず先日の疑問を解消する手段として、この人間を鎌で斬ってみることにした。
両手で柄を持ち後方へ大きく振りかぶる。近寄ってきたところを見計らって勢いよく振りぬいた鋭利な刃は、男の体をするりと通り抜け――――男は何事もなかったかのように通り過ぎて行った。
やっぱり。明確な殺意がないと人は殺せないんだな。それが分かっただけでもいい収穫だ。
サラリーマンに振り返ると、僕は殺意を持って男を凝視する。目の奥が熱を持ち、アストラル体と同時に砂時計が出現した。
……どうやら運命の寿命までは程遠いようだ。
僕はため息の後、目に付いた看板の居酒屋へと入り、ノルマを達成すべく殺戮を開始する。




