第3話 界統御者
日が暮れると、部屋に食事が運ばれてきた。膳に置かれた食事からは、かすかに香りが漂ってくる。
あいかわらずしのは「お食事が終わった頃に下げにまいります」と、感情のこもらない声で言うだけで、すぐに出ていってしまう。まるで決められた役割を淡々とこなす機械のようだった。
小夜はしかたなく夕食を始めようとするが、裕福な家の割に質素な食事だった。白米に漬物、味噌汁と野菜のおひたしだけだ。彩りも少なく、見た目にも地味である。
こんな食事では腹などとうてい満たされない。内心で文句を言ってから、ふと考えを変えた。
それでも、ご飯が食べられるだけいい方だ。豪華さはないが、温かい食事が用意されているだけでも感謝すべきことだろう。寝る場所だってあるのだし、路頭に迷うより断然マシである。
「……いただきます」
手を合わせ、小さな声でそう言ってから小夜は箸を手にした。まずは味噌汁を一口。出汁のやさしい香りが口いっぱいに広がる。
「うーん、素朴」
どれも無難な味付けで、飛び抜けて美味しいというわけではないが、かと言って不味いわけでもない。家庭的な、誰もが安心して食べられるような味だった。
小夜は一粒も残さず綺麗に完食して、再び両手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
すると、廊下から足音が聞こえてきた。
小夜が顔を上げると、襖の向こうから落ち着いた声がした。
「おれだ、真之介だ。入ってもいいか?」
「はい、どうぞ」
小夜が少しばかり緊張しながら返事をすると、真之介が静かに襖を開けて部屋に入ってきた。
先ほどまで着ていた服とは違い、紺色の落ち着いた和服に着替えている。その姿は、この古い屋敷の雰囲気にすっかり溶けこんでいた。
思わずきょとんとしてしまう小夜を見て、真之介は「近づくな」と、距離を取るようにして、離れた場所に腰を下ろした。
「えーと……」
どう反応すべきか戸惑う小夜へ、真之介は小さなため息をついた。
「きみのにおいがついてしまったんだ。まったく、朝彦たちの嗅覚はあなどれない」
「あっ、そうだったんですね。すみません」
反射的に謝ってから、小夜はふと考える。
においと言えば、柔軟剤の香りだろうか。二〇二五年では当たり前のように使われているが、一九二五年のこの時代には、まだ存在しないのだろう。きっと現代の香りは彼にとって、異質なものに感じられるに違いない。
今さら自分のにおいが気になり始める小夜だったが、気持ちを切り替えるように正座に座り直した。
「それで、何の用でしょうか?」
真之介は小さく息をついた。その表情はどこか真剣なものだった。
「親父と話したんだが、もしかしたら、きみに原因があるのかもしれない」
「わたしに、ですか?」
小夜は大きく目を見開いた。自分に原因があるなどとは、これまで考えたことがなかった。
「まだそうと決まったわけぢゃないけど、調べる必要があるのは確かだ。そこで、そもそもの話からすることになった」
と、真之介がまっすぐに小夜を見つめる。
「まずはおれたち、園ノ宮家のことから話そう。おれたちは代々、界統御者として時の違えを正してきた。世界を統御する者と書いて、界統御者だ」
「世界を統御……?」
「きみも見たあの門、あれは百年後の未来とつながっているんだ。だが、未来からの干渉はご法度だ」
小夜はなかば無意識に猫背を伸ばした。
「そもそもこの世界には、正しい道のりがあるとされていて、あの門から来た未来人が、過去に干渉して歴史を変えちまうと、世界は道を外れる」
「外れたら、どうなっちゃうんですか?」
「どうも何もやり直すだけだ。最初からな」
どこか自嘲気味に笑った真之介を、小夜は信じられない思いで見つめた。彼の言葉は、あまりに途方もない現実を突きつけていた。
「世界を、やり直す……?」
言葉にしてみると声が震えた。恐ろしいような、悲しいような、形容しがたい感情にとらわれる。
「今が何回目だか知らんけど、おれたちはずっとそうして世界を守ってきてるんだ。それが界統御者であり、おれたち一族の使命だ」
言いきった真之介は真剣な目をしていた。嘘ではないのだと小夜は思った。
「どっちにしても、あの門はこの時代のものぢゃない。園ノ宮家に伝わる界統鎮の儀によって閉ざし、消し去る必要がある」
「そうですよね、未来人が来ちゃったらまずいんだし……」
と、小夜は伏し目がちになる。
「そのために使うのが、昼間見せた鈴だ。神聖な鈴の音色で浄化することから始まり、次に祝詞を唱えて刀印を切る。これで門は消える、わけなんだが……」
真之介が表情をゆるめて苦笑いをする。
「未来人が来ても、普通はすぐにあっちへ帰れる。そうして何もなかったようにこれまでやってきたのに、きみだけはどうしたことか、門に拒絶されちまった」
「……それで、わたしに原因があると」
思わず小夜はため息をついてしまった。状況が把握できると、途端に自分の異質さがあらわになって小夜を襲う。
しかし真之介は言った。
「勘違いしないでくれよ、きみを責めてるわけぢゃない。ただどこかに、必ず原因があるはずなんだ」
「……はい」
「……暗いな」
はっとして小夜が顔を上げると、真之介は立ち上がっていた。
「待ってろ。今、明かりをもらってくる」
彼が言っていたのは部屋のことだったらしい。
自分のことを暗いと言われたのかと思って傷ついた小夜だが、そうでないと分かってほっとした。
ふと見た窓の外はもう暗く、星空がよく見えた。
明かりが一つしかない部屋は薄暗い。相手の顔もよく見えず、そのために真之介は明かりをもらいに行ったらしい。
やがてランプを手にした彼が戻ってきて、部屋の中が先ほどよりも少し明るくなった。
「それで、えーと、どこまで話したんだったっけ」
と、真之介が腰を下ろす。
「どこかに必ず原因がある、という話です」
小夜がそう返すと、真之介は「ああ、そうだった」と、再び話を始めた。
「そういうことだから、きみについて調べなくちゃならない。けど、何をどう調べたらいいか分からん」
「うーん、そうですよね……」
小夜は振り返って壁際に置いたかばんを見る。足をくずし、手を伸ばしてかばんを引き寄せた。




