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三.フォントのズレ

 ある晴れた日曜日、近所のスーパーでの買い出しを終えた律はその帰り道、突然、妙な違和感を覚えた。


(えーと、醬油と玉子は買ったし、食器用洗剤はまだあっなた。んっ、なんだこの感覚は? いつも違うような、それでいて、何なのかハッキリしない……)


 お尻の辺りがムズムズするような気色悪さを我慢しつつ、律は立ち止まて周囲に細かく目を配った。


(うーん、特にこれといった“乱れ”は見当たらないが……)

 

 今のところ見えないが、この感覚は確かに“乱れ”は存在すると、自分に訴えている。

 そんな確信めいた律の目にあるものが止まった。


(んっ、あれは?)


 それは電柱に貼られた不動産屋のチラシだった。

 新聞で折り込み広告などで、よく見かけるA4サイズ、赤黒二色刷りのチラシだったが、律は引力に吸い寄せられたようにフラフラと近付いて行った。


 どこかおかしい箇所はないかと、律はチラシの一字一句を食い入るように見詰めた。

 しかし、違和感の正体が見つけられなかった律は、今度は電柱から少し離れてチラシ全体を眺めた。

 

 電柱の周りを行ったり来たりするその姿に、周囲を行き交う人たちは「触らぬ神に祟りなし」と目を逸らして足早に通り過ぎた。

 たまに就学前の子供が律を指を差して「あれ、なに?」と尋ねようとしたが、一緒にいた母親は「見ちゃダメ!」と慌てて幼い我が子の手を引いてその場を急いで立ち去った。


 このように他人の迷惑など一切(かえり)みずにチラシの違和感解明に集中していた律だったが、さすがに奇異なものを見るような周囲からの視線に気付いた。


(いかん、一般人を巻き込んでは、要らぬ“乱れ”を生じさせてしまう!)


 この「要らぬ“乱れ”」とは、すなわち、他者の介入によって不必要な修正が入り、本来のあるべき姿の「秩序のネットワーク」が少なからず影響を受けてしまうことである。

 それは律から“世界の本当の姿”を遠ざけてしまうことを意味した。


 ここでの解明を諦めた律はメモを取り、スマホで写真を撮ると、コホンと軽く咳払いして何食わぬ顔でその場を後にした。


 家に帰って買ったものを冷蔵庫や棚などに納めた律は夕飯や入浴なの日常のルーティーンを普段通り済ませていたが、頭の中は常にあのチラシのことでいっぱいだった。

 

 ようやくその日のルーティーンを終えた律は自室で今日の“乱れ”のまとめに取り掛かったたものの、当然、ノートには例のチラシのことについて書こうとしたても筆は一向に進まない。

 改めて、スマホで撮った写真をよく見たが、律は首を傾げるばかりだった。


(何を書けというんだ? “乱れ”がわからないうちは、書きようがない……)


 そして、机の上に置かれたスマホの写真に向き合うこと約一時間、画像の様々な部分を拡大しては事細かにチェックした。

 しかし、ヒントらしきものを見つけるどころか、まったくかすりもしない。

 今日はもう諦めるかと思った瞬間、突然、写されたチラシのある部分が律の視界を射抜いた。


(フォントが、僅かに、ほんの僅かにズレている!)


 律は全身に鳥肌が立つほどの衝撃と興奮を覚えた。

 ようやく突破口を見つけ出した律はそのズレが何を意味するのか考えた。


(このフォントのズレを意味するものは何か?)


 その日、律は夜遅くまで考えたが、結局、何も思い浮かばなかった。

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