第三章 ― 勝利の報告は、静かに歪む―
王都リセルディアへの帰還は、思ったよりも早かった。
北境からの報告が王都に届いた翌日、グリンド一行は正式な召還を受ける。理由は明白だった――北境防衛の結果報告。
凱旋という言葉は、どこか現実離れしている。
街道の両脇に並ぶ人々は、確かに頭を下げていたが、そこに歓声はなかった。代わりにあるのは、探るような視線と、抑えた囁き声。
「……思ったより、静かですね」
誰に向けたわけでもなく、グリンドは呟いた。
隣を歩くベルモットは、表情一つ変えない。
「公式な戦果発表は、まだです。王都は“結果”よりも“理由”を重んじます」
「理由、か」
それが一番、説明しづらい。
魔法部隊が崩れかけた前線。緑属性の濁り。自分が行った“流れを整える”介入。
どれも、報告書に落とし込めば曖昧になる。
(……だから、警戒される)
王都リセルディアは、北境とは別の意味で息苦しかった。
白亜の建物が並ぶ大通り。完璧に整備された石畳。どこにも隙がない。
前線都市レイファルの、土と汗の匂いが恋しくなるほどだ。
王宮の正門をくぐると、空気が一段重くなる。
視線を向けられている。
兵士ではない。貴族でもない。――評価する側の視線だ。
「最高司令官グリンド・ユーステイス、参内」
儀礼的な声が響き、玉座の間へ通される。
そこに王はいない。
代わりに並ぶのは、軍上層部、貴族代表、魔法研究院の高位魔導士たち。
その多くは、制度上は彼の配下か、あるいは同格以下だ。 だが年齢と在籍年数だけを武器に、無言の圧を向けてくる者も少なくない。
そして、その奥。
一段低い位置に立つ、金髪の少女――エニーランド・フォバイン。
毛先に淡く残るピンクが、白亜の空間では不思議なほど目を引いた。
(……いるな)
彼女は、何も言わない。
だが、視線だけで分かる。
――ここからが、本番だ。
「北境防衛の件について、報告を」
軍上層の一人が、淡々と告げる。
形式通り、グリンドは一歩前に出た。
「北境前線都市レイファルにおいて、増殖型魔物の討伐を完了しました。民間人、軍人ともに死者はありません」
一瞬、ざわめきが走る。
“死者ゼロ”という言葉は、この場では異物だった。
「……犠牲が、出なかった?」
「魔法部隊は壊滅寸前だったと聞いているが」
疑念。警戒。計算。
感情は、どれも似た色をしている。
「詳細を」
促され、グリンドは息を整える。
戦闘の経過。
増殖型であること。
緑属性の濁りによる魔力循環異常。
だが――
「では、その“収束”は、どの魔法によるものか」
魔法研究院の老魔導士が、鋭く問いを投げた。
空気が、張り詰める。
(……来たな)
答えは、用意している。
だが、それは“納得”を生む答えではない。
「特定の攻撃魔法は使用していません」
正直に言う。
老魔導士の眉が、僅かに動いた。
「では?」
「魔力循環の乱れを、一時的に整えただけです」
それだけだ。
だが――
「……それを、どうやって?」
誰かが、呟く。
説明できない。
説明すれば、異常が露わになる。
沈黙が、伸びる。
そのとき。
「十分でしょう」
澄んだ声が、空気を断った。
エニーランド・フォバインが、一歩前に出る。
「北境は守られました。それが、事実です」
反論しようとする声が、言葉になる前に消える。
王女の一言には、重みがあった。
「過程の検証は必要です。ですが――」
彼女は、はっきりと言った。
「この国は、結果によって救われています」
沈黙。
誰も、即座に否定できない。
グリンドは、わずかに目を伏せた。
(……助けられてるな)
だが同時に理解する。
これは庇護ではない。
――貸しだ。
「本日の報告は、ここまでとします」
形式的な締めの言葉が告げられる。
会議は、終わった。
だが。
(評価は、始まったばかりだ)
玉座の間を後にしながら、グリンドは背中に残る視線を振り払わなかった。
戦場とは違う。
剣も魔法も、役に立たない。
ここは――
(“説明できない者”が、一番危険視される場所だ)
王都の廊下を歩きながら、彼は静かに息を吐いた。
第三章は、まだ始まったばかりだった。
― 軍政監という名の檻 ―
謁見の場を離れたあとも、王宮の空気は重かった。
玉座の間から続く回廊は長く、白亜の壁に反響する足音がやけに大きく聞こえる。 その沈黙を破ったのは、背後から追いついてきた一団だった。
「――少し、よろしいかな。最高司令官殿」
声の主は、年嵩の文官だった。 上等な法衣、だが装飾は控えめ。地位の高さより、年季と経験で立っている男だ。
(……来たか)
グリンドは足を止め、振り返る。
「用件をどうぞ」
文官は一瞬だけ、周囲を確認したあと、淡々と告げた。
「王命です。あなたに、新たな役目が与えられます」
嫌な予感が、背中を撫でた。
「役目?」
「ええ。軍政監――王国軍政を統括する責任者です」
一拍。
意味を、噛み砕く。
(……軍政)
それは、戦場の指揮ではない。 戦の“あと”を扱う役職だ。
兵站。 動員。 民間被害の把握。 魔法運用の妥当性。 他国への影響評価。
――そして、責任の所在。
「軍最高司令の私が……軍を、監督する?」
文官は、表情を変えずに頷いた。
「はい。あなた以上に、その全体像を理解している者はいない、と判断されました」
――建前だ。
(本音は……)
説明できない力。 死者ゼロという異常値。 若さ。 名誉貴族としての出自。
危険視されている。 だから――
(逃がさない)
ベルモットが、静かに一歩前に出る。
「軍政監とは、具体的にどの範囲までを」
「軍事行動に伴う、すべての行政的・政治的責任です」
即答だった。
「戦果の説明責任。 民への補償。 議会への報告。 魔法研究院との調整。 必要であれば――処罰の決裁も」
重い。
肩書き一つで、背負わされるには。
「……つまり」
グリンドは、低く言った。
「俺が動かした軍で起きたことは、 すべて“俺の判断”として処理される、ということか」
文官は、わずかに口角を上げた。
「ご理解が早い」
それは賞賛ではない。 確認だ。
(昇進じゃない)
これは、
(檻だ)
戦場では剣が振るえる。 魔法も使える。
だが、この役職では――
(言葉と書類で、殴られる)
エニーランドの姿が、脳裏をよぎる。
(……あの人も、分かってて通したな)
庇ってくれた。 だが同時に、道を決めた。
「受けます」
即答だった。
ベルモットが、わずかに目を細める。
「よろしいのですか」
「断れる立場じゃない」
それに――
「誰かがやらなきゃ、 また数字だけで処理される」
北境で見た顔が、浮かぶ。
畑。 家。 逃げ場のない人間。
書類の上では、 “やむを得ない損失”になる存在だ。
(それは……嫌だ)
「……承知しました」
文官は一礼し、踵を返す。
「正式な任命は、追って文書で」
足音が、遠ざかる。
残された回廊で、グリンドは天井を見上げた。
(戦場より、 王都のほうが―― よほど厄介だな)
肩書が増えたわけじゃない。
だが、
(背負うものは、確実に増えた)
軍最高司令官。 名誉貴族。
そして――
軍政監。
それは、 剣も魔法も通じない戦場への、 正式な配属命令だった。
― 火種は、静かに芽吹く ―
軍政監就任から、まだ三日。
それだけで、グリンドの執務室には書類の山が築かれていた。
北境で発生した戦闘の補償。 動員された兵への手当。 魔法部隊の損耗報告と、研究院からの質問状。
どれも、後回しにできない。
(……戦場より、消耗するな)
椅子に深く腰掛け、グリンドは一通の書類を手に取った。
――北境前線都市レイファル・城下町被害報告。
建物の損壊は軽微。 だが、魔物出現時の混乱で商店数軒が営業停止に追い込まれている。
「補償額が……低すぎるな」
思わず、声が漏れた。
算出根拠は“前例”。 つまり、これまで切り捨てられてきた数字だ。
「異議を入れますか」
ベルモットが、淡々と問いかける。
「ああ。民間被害は、軍の失策だ」
「……反発が出ます」
「分かってる」
だが、譲れない。
そのとき、執務室の扉が叩かれた。
「最高司令官閣下。少々お時間を」
現れたのは、魔法研究院の使者だった。
年若いが、目だけは鋭い。
「研究院より、正式な要請です」
差し出された文書には、こうあった。
“北境戦闘における魔力干渉事例の検証要請”
(……来たか)
説明しろ。 再現させろ。 管理下に置け。
行間に、はっきりと書いてある。
「検証は拒否します」
即答だった。
使者の目が、わずかに見開かれる。
「理由を」
「再現性のない事象を、強要することは危険だ」
それは、半分本心で、半分は防御だ。
「……研究院は、この判断を問題視するでしょう」
「なら、正式に来い」
グリンドは、書類から視線を上げなかった。
「俺は、軍政監だ。議論なら受ける」
使者は一礼し、退室した。
室内に、重い沈黙が落ちる。
「……厄介ですね」
「分かってる」
だからこそ、
(王都の外に、少し空気を吸いに行くか)
その日の夕刻。
グリンドは、最低限の護衛だけを伴い、城下町へ出た。
目的地は、中央通りから一本外れた、古い石造りの酒場。
――《銀樫亭》。
両親を亡くした姉妹が切り盛りしている、という話を聞いていた。
扉を開けると、温い空気と、人の気配が流れ込んでくる。
「いらっしゃい!」
快活な声。
エプロン姿の女性が、忙しなく立ち回っている。
(……繁盛してるな)
だが、値段は安い。 客への気遣いが先に立ち、利益は薄いだろう。
カウンターの隅。 一人の少女が、控えめに皿を下げている。
不揃いな髪。 前髪に隠れた右目。 伏せがちな姿勢。
(……あれが)
名前は、まだ知らない。
注文を終え、料理を待つ間。
空気が、歪んだ。
「おい」
低い声。
数人の男が、乱暴に扉を開けて入ってくる。
身なりは悪くない。 だが、目が濁っている。
(……マフィアか)
「最近、客入りいいじゃねぇか」
男の一人が、カウンターを叩く。
「みかじめ、払ってもらおうか」
店内の空気が、凍る。
「や、やめてください!」
姉が、必死に割って入る。
「この店は……」
だが、男の手が伸びた。
「――っ!」
その瞬間。
カウンターの奥から、微かな光が走った。
青。
引き寄せる力。
男たちの身体が、 まるで見えない糸に絡め取られたように、床に叩きつけられる。
「な……!?」
衝撃。 悲鳴。
だが、致命傷ではない。
力は、制御されていた。
そこに立っていたのは――
あの少女だった。
姉の前に立ち、 震えながらも、必死に両手を伸ばしている。
(……無意識か)
魔力の流れが、荒い。 だが、
(才能がある)
グリンドは、動かなかった。
助けられる。 だが、助けてはいけない。
ここで軍最高司令が介入すれば、 事件は“政治”になる。
数秒後。
マフィアたちは、這うようにして逃げ出していった。
静寂。
「……大丈夫?」
姉が、少女を抱きしめる。
少女は、何も答えない。 ただ、震えている。
グリンドは、金を置き、席を立った。
視線が、一瞬だけ交わる。
伏せられた左目。 そこに宿る、深い蒼。
(……覚えておこう)
名前も聞かず、 声もかけず。
ただ、
(いつか、必要になる)
そう、直感した。
夜風に当たりながら、 グリンドは小さく息を吐いた。
王都には、 まだ知られていない火種がある。
それは、 政治でも、 戦争でもない。
――未来の芽だ。




