第一章 ― 最高司令は、まだ画面の向こうにいる ―
モニターの向こう側では、世界が崩れていた。
燃え盛る城壁。
砕け散る魔法障壁。
視聴者数は五十万を超え、コメント欄は歓声と悲鳴で埋め尽くされている。
『――ここで切り札を使う!』
マイク越しに響く声は、よく通り、少しだけ演技がかっていた。
画面中央に映るキャラクター。
黒と紫を基調にした軍装、銀灰色の髪。
その名は――
《グリンド・ユーステイス》
某国の軍最高司令。
史上最年少、19歳。
魔法の実力のみでその地位に上り詰めた、冷酷無比な支配者。
――という“設定”。
『赤と青を同時展開。はい、ここで紫属性』
画面内のグリンドが腕を振ると、
赤い放出魔法と、青い引力操作が重なり合い、
敵軍の中心が圧縮されるように消失した。
コメントが爆発する。
〈紫きたああああ〉
〈司令官マジ容赦ねぇ〉
〈でも理屈ちゃんと説明するの好き〉
「……」
モニターの前で、配信者本人――
現実世界のグリンドは、無言で画面を見つめていた。
(やりすぎ、か……?)
設定上は冷酷。
だが、配信の中であまりにも虐殺描写が続くと、胸の奥がざらつく。
(助けられるなら、助けたい)
それが本音だった。
だからこそ、
魔法の仕組みを丁寧に説明し、
「無駄な殺しはしない」という演出を混ぜる。
――おせっかいで、優しい性格。
それが、演じきれない“素”だった。
配信終了。
「ふぅ……」
ヘッドセットを外し、椅子にもたれかかる。
「今日は……ちょっと疲れたな」
机の上には、設定資料の山。
魔法体系、政治構造、神々の関係。
特に気に入っているのは、三属性理論。
赤――放出。
青――引力・操作。
緑――修復。
(青で電気を説明したの、我ながら上手かったよな)
電気とは、粒子の偏りと移動。
つまり――引力操作の一種。
自分で考えた設定に、自分で感心する。
「……まあ、所詮は設定、だけど」
その時。
視界の端で、モニターが歪んだ。
「……?」
最初は目の疲れだと思った。
だが、歪みは広がり、画面全体が――
引き込まれる。
青。
いや、紫に近い。
「ちょ、待――」
椅子ごと、身体が前に引っ張られる感覚。
耳鳴り。
視界が反転し、上下の感覚が消える。
(……これ、設定と同じ……?)
赤と青が混ざると、紫になる。
圧縮。
吸引。
世界そのものが、折り畳まれる感覚。
――そして。
静寂。
石の冷たさが、背中に伝わった。
「……は?」
目を開けると、そこは――
高い天井。
荘厳な柱。
見知らぬ紋章が刻まれた大広間。
ざわめき。
ざわめき。
「最高司令が……目を覚まされたぞ」
「まさか……本当に?」
視界に映る人々は、
全員が自分を知っている顔をしていた。
(……冗談、だろ)
ゆっくりと身体を起こす。
その時、
視界の端に立つ人物と、目が合った。
執事服。
銀縁眼鏡。
感情の読めない表情。
「お目覚めですか、グリンド様」
低く、静かな声。
「私はベルモット。
あなたの――執事でございます」
(……設定通り、だ)
背筋に、冷たい汗が流れた。
これは夢か。
それとも――
「ここは……どこだ?」
問いかけると、
ベルモットは一瞬も迷わず答えた。
「王都リセルディア。
あなたが最高司令を務める国の、王宮です」
世界が、確定した。
――画面の向こうだったはずの世界が、
今、現実になっている。
― 王女は、誓いの重さを知っている ―
王宮リセルディアの回廊は、やけに静かだった。
赤い絨毯。
高い天井に描かれた壁画は、戦と勝利、そして神々の姿。
(……全部、設定で作ったはずなのに)
一つひとつが、現実の質量を持って迫ってくる。
「最高司令としての公式謁見は、まもなくです」
隣を歩くベルモットは、足音ひとつ立てない。
「……公式?」
「はい。王女殿下がお待ちです」
その言葉に、胸の奥がわずかに軋んだ。
(エニーランド・フォバイン……)
王女。
政治的象徴。
そして、設定上は――
“最高司令に唯一、対等に口を出せる存在”。
「ベルモット」
「はい」
「……俺は、本当にここで最高司令なのか?」
足を止めずに問いかける。
ベルモットは、わずかに首を傾けた。
「その問い自体が、最高司令である証かと」
「……どういう意味だ」
「権力に疑問を持てる者だけが、権力を正しく扱えます」
淡々とした口調。
だが、そこに皮肉はなかった。
(忠誠……なのか?)
それとも、
もっと別の――
考えがまとまらないまま、巨大な扉の前に立つ。
重厚な音を立てて、扉が開いた。
そこは、玉座の間。
だが王は、いない。
玉座の横、
一段低い場所に立つ、一人の少女。
金髪。
深い蒼のドレス。
年齢は、見た目で言えば――十七、八。
だが、その場の空気を支配しているのは、彼女だった。
「――久しぶりですね、グリンド・ユーステイス」
透き通る声。
「……初対面のはずだが」
自然と、口調が硬くなる。
(冷酷で、威圧的……“最高司令”らしく)
演じる必要がある。
そうしないと、この場では――
「ええ。ですが」
少女――
エニーランド・フォバインは、微笑んだ。
「あなたがここに立つ未来を、私はずっと前から知っていました」
その瞬間。
背中を、冷たいものが撫でた。
(……何だ?)
直感が、警鐘を鳴らす。
彼女は、ただの王女ではない。
「まずは、お帰りなさい。最高司令」
「……その言葉の意味を、教えてもらおうか」
エニーランドは、少しだけ視線を落とした。
「あなたは、この国にとって“必要な存在”です」
「それは設定上の話か? それとも――」
「どちらでも、ありません」
きっぱりと、言い切る。
「これは“誓い”の話です」
(誓い……?)
ベルモットが、わずかに一歩下がる。
まるで、
これ以上踏み込んではいけない領域があるかのように。
「王家には、代々受け継がれる誓約があります」
「神との、か?」
問い返すと、
エニーランドは否定もしなければ、肯定もしなかった。
「知るべき時が来たら、知ることになります」
「……ずいぶんと都合がいい」
「ええ。ですが」
彼女は、真っ直ぐにこちらを見る。
「私は、その誓いを守っています。
だから――」
一瞬。
空気が、震えた。
目には見えないが、
確かに“何か”がそこにあった。
(……魔力? いや……)
「この国で、私の言葉は軽くありません」
脅しではない。
誇示でもない。
事実の提示。
「最高司令であるあなたと、
私は、同じ天秤に乗っています」
沈黙。
(……王女が、軍最高司令と対等?)
設定では、そうだった。
だが、ここまで圧があるとは。
「……分かった」
短く答える。
「俺は、最高司令として振る舞う」
エニーランドの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
「ええ。それで結構です」
「だが一つだけ、覚えておいてほしい」
視線を逸らさずに、言う。
「俺は、無意味な犠牲は出さない」
その言葉に、
エニーランドは目を伏せた。
「……それを聞けて、安心しました」
(……?)
「では、正式に」
彼女は、深く一礼する。
「王女エニーランド・フォバイン。
この国の未来を、あなたに託します」
その瞬間。
“役職”ではない。
責任が、肩に乗った。
(……配信じゃ、ねぇな。これ)
逃げ場はない。
ここは、
設定の世界ではなく――
選択の世界だ。
― 数字では測れないもの ―
王宮を出た瞬間、空気が変わった。
重厚な石造りの回廊を抜け、城壁内の訓練場へ向かう。
朝霧がまだ残り、土と鉄と汗の匂いが混じり合っていた。
(……リアルすぎる)
兵士たちの声。
鎧が擦れる音。
魔力を循環させる際に生じる、耳鳴りのような低音。
配信で見てきた光景と、構図は同じ。
だが――
「全軍、停止!」
号令が響く。
数百の兵が、一斉に動きを止めた。
その視線が、こちらに集まる。
(……全員、“俺”を見てる)
最高司令官。
この場で、最終判断を下す存在。
逃げたい、と思った。
だが、それ以上に――
背を向けたら終わりだと、本能が告げていた。
「……進捗報告を」
声は、思ったより低く出た。
前に出てきたのは、壮年の将軍。
傷だらけの顔。歴戦の気配。
「北境第三軍団、展開完了。
魔法部隊は即応可能。歩兵は補給待ちです」
「想定より遅いな」
「……はい」
将軍は、視線を伏せた。
「理由は?」
一拍。
「民の避難が、想定より進んでいません」
(……民?)
地図が広げられる。
北境の村落。
魔物発生域の、すぐ近く。
(避難勧告は、三日前に出したはずだ)
「なぜ、残っている」
問いは、冷たい。
だが将軍の答えは、即座だった。
「畑がある。
家がある。
そして――」
将軍は、言葉を切る。
「逃げ場がない者も、います」
(……あ)
配信では、
「避難勧告→全員避難完了」
それが、前提だった。
だが現実は――
「魔法部隊は?」
話題を変える。
「第一陣、準備完了しています」
合図とともに、数名の魔導士が前に出た。
詠唱。
魔力の収束。
炎が生まれる。
――だが。
「……っ!」
一人の魔導士が、膝をついた。
「魔力酔いです!」
周囲がざわつく。
(設定では、魔力消費は数値管理だった)
MPが減る。
回復する。
だが、ここでは――
「人が、限界を迎える」
ベルモットが、小さく囁いた。
「魔法は、身体を削ります。
慣れていない者ほど、顕著に」
「……」
胸が、重くなる。
「最高司令官」
将軍が、こちらを見る。
「魔物討伐を優先すれば、
民の避難は間に合いません」
(分かってる)
「だが、避難を優先すれば?」
「魔物が村を越え、被害は拡大します」
盤面は、理解している。
だが――
どの手も、血を伴う。
「……被害想定は」
声が、少し掠れた。
「最小でも、民間人に死者が出ます」
その言葉で、
世界が、はっきりと色を変えた。
(……数字じゃない)
配信で扱ってきた“犠牲”は、
ただの数だった。
だが今は――
名前があり、生活があり、
生きている人間だ。
「……」
沈黙が、重く落ちる。
全員が、待っている。
この場で、
誰かの生死を決める言葉を。
(……俺は)
逃げるわけにはいかない。
「……方針を変える」
静かに、だがはっきりと告げた。
「魔物討伐と避難を、同時進行で行う」
ざわり、と空気が揺れる。
「魔法部隊は前線維持に専念。
主力は防衛線を構築し、
機動部隊を村落救出に回す」
「しかし、それでは戦力が――」
「足りないのは承知だ」
将軍の言葉を、遮る。
「だから」
一歩、前に出る。
「俺も出る」
一瞬、
時間が止まった。
「……は?」
「最高司令官自ら、前線へ?」
「魔法運用の最適化は、俺が一番理解している」
嘘ではない。
理論も、構成も、
全部――自分が作った。
だが。
ベルモットが、低く言った。
「……危険です」
「分かってる」
それでも。
「ここで机上の判断をしたら、
俺は“設定”のままだ」
視線を、兵士たちに向ける。
「現実を見ない司令官に、
命を預けられるか?」
誰も、答えない。
だが。
その沈黙こそが、答えだった。
「……行くぞ」
命令は、震えていなかった。
だが胸の奥は、
確かに――恐怖でいっぱいだった。
(……これが、現実)
魔法は、便利じゃない。
軍は、完璧じゃない。
民は、数字じゃない。
それでも。
「生きて、全員で戻る」
それだけは、
命令じゃなく、誓いとして口にした。
兵士たちが、剣を打ち鳴らす。
その音が、
初めて――
自分の選択に、命が応えた音に聞こえた。




