第0章 -ログアウトできない夜-
配信が終わったはずなのに、世界は終わらなかった。
モニターの中で、フェードアウトしきれない玉座の間が静止している。
配信終了を示すUIは表示されたまま、しかし操作を受け付けない。
「……フリーズ、か?」
グリンド・ユーステイスは、マウスを動かしながら眉をひそめた。
19歳。
大学に通いながら、夜はVtuberとして活動している。
彼の配信は、いわゆる“演じるタイプ”だ。
中世ヨーロッパ風ファンタジー世界を舞台に、一国の軍最高司令官として振る舞う。
ただし――
その世界観は、単なる妄想設定ではなかった。
数か月前、ある中堅ゲーム会社から正式なオファーが舞い込んだ。
**「グリンド監修で、新作ファンタジー戦略RPGを制作したい」**
彼が配信で積み上げてきた魔法体系、国家構造、軍事バランス。
それらをベースに、一本のゲームとして再構築するという企画。
グリンド自身は“原案・世界観監修”という立場で関わり、
現在は発売前プロモーションとして、彼自身が**先行プレイ配信**を行っている。
今日配信していたのも、その未発売ゲームだった。
物語は、北境の村で魔物の目撃情報が相次いでいるところから始まる。
「現在、北境では魔物の活動が活発化している」
配信中のグリンドの声は、低く、落ち着いていた。
「放置すれば、村は持たない。だが大軍を動かせば、敵国に隙を見せることになる」
地図を操作し、補給線と部隊配置を示す。
「だから――準備が必要だ」
〈準備パート助かる〉
〈いきなり殴らない司令官〉
〈内政と軍事を同時に考えるの好き〉
コメントが流れる中、グリンドは淡々と指示を重ねた。
どこに物資を回すか。
どの部隊を動かすか。
どこまでを“討伐準備”として済ませるか。
(この判断で、犠牲はどれくらい減る)
ふと、そんなことを考えている自分に気づく。
ゲームのはずなのに。
演技のはずなのに。
「……というわけで、今日はここまで」
準備を整え、次回は実戦。
そう締めくくり、右手を軽く掲げる。
「最高司令官グリンド、ログアウトする」
拍手のSE。
フェードアウト――する、はずだった。
画面は、暗くならない。
「……あ?」
配信終了表示は出ている。
だが、玉座の間は消えない。
その瞬間、背中を撫でるような違和感が走った。
――音。
ヘッドセット越しではない、広がりのある反響。
――匂い。
香木の、甘く重たい匂い。
心臓が、遅れて強く脈打つ。
「……ちょっと待て」
声が、妙に近い。
ヘッドセットを外す。
だが、音は消えない。
立ち上がろうとして――足裏に、はっきりとした感触があった。
フローリングではない。
冷たく、硬く、わずかにざらついた石の感触。
「……は?」
視界が、ゆっくりと“立体”になる。
白金色の柱。
高い天井。
揺れるシャンデリア。
見覚えがありすぎた。
「……玉座の間……」
自分が監修し、何度も配信で使った王宮の中枢。
これは夢だ。
そう思おうとした。
だが――五感が、あまりにも現実的すぎる。
そのとき。
「最高司令官閣下」
静かな声が、正面から届いた。
視線を上げる。
玉座の前に、人が並んでいる。
鎧姿の将軍たち。
法衣を纏った文官。
そして、その中央で一歩前に出て、深く頭を垂れる人物。
銀色の髪を後ろで束ねた、執事服の女性。
「……ベルモット」
考えるより先に、名前が口をついた。
「はい。お目覚めになられましたか、グリンド・ユーステイス様」
感情の揺らぎのない声。
だが、そこには一切の迷いがない。
理解が、否応なく形を成していく。
ここは、配信していた世界。
そして自分は――
**北境に魔物が来る、その“準備”をしていた最高司令官だ。**
ログアウトは、できない。
だが。
(……状況は、分かってる)
この世界のルールも。
政治も。
軍も。
魔法も。
恐怖はある。
それでも――
生き延びるための知識なら、俺は誰よりも持っている。
グリンド・ユーステイスは、静かに背筋を伸ばした。
この夜を境に、
彼はもう“画面の外”には戻れない。
だが、まだ終わりじゃない。
――これは、配信の続きだ。




