(2)まあ、自己満足だよ。
(便箋の一枚目)
拝啓
エミリー・ド・シャルヴェ様
時候の挨拶などから始めるべきところではありますが、私にあなたの機嫌を伺う行為は許されていないので、率直に述べます。
私、アドラス・ド・ブレイズという人間は、あなたにとって害しかない存在です。これは事実です。
もしあなたにとってこの事実が疑いようのないものであるならこの続きは読まなくて構いません。この手紙を燃やしてください。そしてあなたは私のような害悪のことはすぐに忘れてくれるでしょう。
しかし、何か心に引っ掛かることがあるのならば、次の便箋にも目を通してください。
(便箋の二枚目)
まず、改めて、アドラス・ド・ブレイズはあなたにとって害悪でしかない男です。あなたがどう感じていたとして、これは事実です。
顔を合わせるたびにアドラスはあなたを侮辱し、文句をつけました。内面と外見の双方に対する罵倒を、文面に起こすのも憚られることも含めてあなたに向かって口にしました。
お伝えしたいのは、これらの言葉は、全て嘘であるということです。
アドラスという人間の言葉であなたが俯くことがあれば、それはアドラスのせいであり、あなたのせいではありません。
だからといってあなたは俯かないべきだとは思わないでください。アドラスがあなたを傷つけたのですから、痛みによって俯くことをどうして責められるでしょうか。
伝えた言葉が嘘であろうが、アドラスはあなたに深い傷を、いくつも負わせました。
この傷を癒すためには、あなたがアドラスのことをぽんと忘れるのが一番です。しかしこれは難しいでしょう。魔法に精通したあなたなら何らかの方法で叶えることはできるかもしれませんが。
私はあなたに傷をつけたということを自覚して、この手紙を書いています。自分が傷ついていることを、あなたが自覚していないことが、一番良くないことだと思うからです。
傷ついていると知っていれば癒す方法を探すことができると、そう思います。
傷つけながらこんなことを言う私を、あなたはいくらでも責める権利を持っています。一発殴りたいと思うかもしれません。
その時のために、私は父親に殴られて鼻が曲がったことをお伝えしておきます。
それと、殴るときは魔力を手に纏わせると拳が痛くなりません。
私はこれから辺境に向かいます。一兵卒として、魔獣を狩る辺境騎士団に入るそうです。王都に戻ることは二度とありませんし、あなたに近づくこともないでしょう。
アドラスに限らず、あなたの内面や外見を謗る人間がいれば、それはあなたの人生に不要な人物です。
あと、一応お伝えしておきますが、もし騎士団長の妻という肩書がどうしてもほしいという場合以外は、マデウス・ド・ブレイズと婚約することはお勧めしません。
ブレイズ家の男はだいたいクソです。あとあれは騎士に向いてはいません。双方にとって息苦しい生活になると想像できます。
仮にあなたが直近での結婚を考えている場合は、あなたの高貴な友人に頼るほうがいいでしょう。
私は、愚かな婚約者です。あなたとろくに交流することはありませんでしたから、あなたのことをちっとも知りません。
あなたからもらった手紙を読み直しました。流麗な筆跡と、読みやすくも流れるような言葉選びと、私への気遣いを感じました。
婚約者としてのあなたに、落ち度は一切ありません。
今回の件は、徹頭徹尾、すべてアドラス・ド・ブレイズが悪いのです。
あなたがアドラスに傷つけられ、蔑ろにされた苦しい日々は、どれだけ謝られたところで取り返しのつかないものです。
それが私の罪です。
あなたは、許す必要がありません。
あなたの傷が癒えて、私のことを思い出さない日ができるだけ早く来ることを祈ります。
敬具
アドラス
*
俺の書いた手紙を読んで、ツルッパゲ卿は何とも言えない顔になった。
まあわかるよ、煮え切らねえ手紙だよな。加害者が被害者に手紙送る行為自体がクソ。
アドラスはいわゆるモラハラ彼氏だった。婚約者であるエミリーに会うたびにいかに女性としての魅力がないか、自分の好みの女性ではないか、そしてそんな女性と婚約させられた自分が哀れなのかと文句をつける男だった。
最初は好きな子に意地悪するクソガキムーブだったんだが、あざと男爵令嬢・ミレイユと出会ってからはミレイユと比較してサゲてくるというカス婚約者である。本当に死んだほうがいい。俺なんだけど。
そのせいでエミリーは自分に自信がない、うつむきがちな女性になった。事実だ。俺はモラハラ野郎がこの世で一番嫌いなので、アドラスはモラハラ野郎だよということだけはエミリーに伝えなくてはならないと思ったわけです。
まあ自己満足だよ。でもこれを逃したらエミリーに何か伝える機会は永遠にないので、書いた。
「アドラス様、マデウス様のくだりは削除した方が……」
「でも事実じゃん?あいつに騎士団長が務まると思う?」
あの、アドラスに対してコンプレックスの塊になってる視野狭窄クソガキが。
あと、エレノールのヴァルモン家に喧嘩売ってるブレイズ家に嫁に来るのは普通に罰ゲームだ。なんなら今からこの家取り潰されてもおかしくねーから。エミリーにこれ以上はずれクジを引かせるつもりはない。言わなくたってそれくらいエミリーもわかっているだろうけどな。
「……」
「沈黙は肯定だぞー。エミリーがこれ以上不幸になっていいのか?おん?」
「アドラス様が最初からまともな態度でエミリー様に接されていればよかったではありませんか!」
たられば言われても困るわ。
「親父に殴られた時に人格狂ったんだよね俺」
「ご冗談を」
「マジマジ。だってお前、今までのアドラスがこんな手紙書けると思うかよ」
「それは……」
ツルッパゲ卿は正直である。そーだよなー、今までのモラハラクソ彼氏のアドラスには無理無理。そりゃ俺だってもっと早く前世を思い出してエミリーを超大事にしてイチャラブ青春を送りたかったよ。クソ!アドラスの野郎め!!!(思い出しギレ)
「てなわけで、ちゃんとエミリーに届けてくれよ。エミリー本人が破り捨てるならそれでいいんだけど、本人以外が破り捨てるのはやめてな」
「……はあ。わかりました」
「じゃあ俺は用事あるから」
「はあ……。ってどこに行かれるんです!」
「鍛錬場だよ、変なことしねーって」
ツルッパゲ卿をお使いに出してる間にやりたいことあんだよね。適当に言いくるめて鍛錬場に向かう。
鍛錬場には今日もいろんな輩がいて、適当なやつを捕まえて俺は尋ねた。
「親父より強い奴、いる?」
「……いえ」
食客たちは顔を見合わせ、首を横に振った。ふーん。答えづらいってわけじゃなさそうだ。
「じゃあハゲに勝ったことある奴いる?」
この聞き方をするとちらほら手が挙がった。さすがにいるんだ。てかハゲで通じるんだ。
「じゃあちょっと俺の相手してくれよ。ほら、俺もうすぐ辺境に送られっからさあ、魔獣相手に死にたくないじゃん?ちっとは鍛えとかないと」
「はあ……。では、僭越ながら私が」
「おっ!よろしくな!」
名乗り出てくれたのは親父と似たような体格の、イカついオッサンだった。よしよし、都合がいい。
まあ、ツルッパゲ卿より強い奴に俺がそうそう勝てるわけもなく、そいつとあと何人か相手してもらったけどボッコボコにされた。うーん、やっぱ魔法の使い方が肝だと思うんだよな〜。「若様は筋がいい」って言われたけど、少しでも使いこなせるようにならないと。魔獣相手に死にたくないのはマジ!人生終わりたくない!なんなら無双したい!男の子だから!
ボコボコにされた俺がおっちらえっちら部屋に戻っていると、ふらりと道をふさぐ影があった。マデウスだ。顔が腫れあがってるのは虚偽報告を親父にしたせいで殴られたんかな。
「お、愚弟じゃん」
「クソ兄……」
キレてる。今のは出会い頭に喧嘩売った俺が悪い。
「ごめんごめん、マデウス。何か用?」
「なんだ、ちゃんと喋れるんですか」
「喋れるよぉ。昨日はお前をキレさせるためにあんなだったからな。え、それくらいわからないとマズいぜお前」
「やっぱ煽ってんじゃないですか!」
「今のは普通にアドバイスでーす」
貴族の中でやってくんだからそれくらいわかれよなの意味だったんだけど。それに直情的になるのは戦いの中では一番まずいことだ。俺も大富豪やってたときに姉貴に一生煽られてたから詳しいんだ。
「まあまあ、おちつけマデウス。お前がキレてもキレなくても俺が出ていくのは確定事項なんだから焦らなくていいだろ?」
「……変なもん食べたんですか?あんなに騎士団長の座に固執してた兄上が……」
アドラス、固執してたんだ。まあ俺の記憶では固執というか、王太子の側近であり次期王国騎士団長であることがアドラスのアイデンティティを形成していたというところなんだけど。
というかマデウスが煽りを真に受けてたのって、アドラスがこういう煽って判断力を鈍らせるという策略をするタイプじゃなかったからなのもあるのかもしれん。タチ悪いね。
「まあそんなとこ。で?お兄ちゃんに人生相談したいの?」
「……誰もそんなこと言っていません」
「親父のことぶっ倒したくない?」
「急に何ですか!?」
人生相談だってば。視野狭窄クソガキの視野を広げておこうと思ったんだよ。アドラスへのコンプレックス、もう抱いていても無意味なんだし。方向性を変えてやろうと思って。
「だってよー、ブレイズ家のしきたりは力で決めることなんだぜ?今の俺にも勝てなかったら、お前、絶対認められないよ」
「……そんなの」
「お前は暴力に向いてない。だが、戦い方は暴力だけではない」
マデウスはそもそも線が細いし、暴力のセンスがない。女騎士も普通にいる世界観だから魔法でうまく肉体強化できればいいんだろうけど、それもなー。マデウスはいまいちだ。
そんなマデウスが騎士団長になったとて、力しか認めない親父はマデウスを一生認めないだろう。アドラスなら勝てた可能性あるけどね。いやだろあの暴力親父が死ぬまで上からグダグダ言ってくる人生。
「……、毒殺するとかですか?」
「は、発想が怖」
殺すな!これ、俺も毒殺される可能性あったってこと?!怖すぎる弟!!軽すぎる命!!
「あ、兄上が言ったんじゃないですか!」
「言ってない言ってない!お前ブレイズに毒されすぎ!普通にこう、知略とかでなんとかしろって話だよ!!」
「ち、ちりゃく」
「わかる?」
「兄上の口から知略という言葉が出るとは、いや、兄上の辞書に知略という言葉があるとは……」
死ぬほど馬鹿にされている。確かにアドラスは知略から一番遠い存在である。
「最近改訂されたんだよな。まあほら、とにかくさあ、俺がボケカスだったことについて親父の監督義務を追及して責任取って引退させてお前が家督握る根回しするとか、最低限そういうのしてから毒飲ませろよ」
「熱あります?」
「ないです」
「兄上が狂った……」
「そうだよぉ」
狂ってます。前世の記憶生えたから。
マデウスは頭を抱え、それから急に顔を上げた。
「じゃあ、それで」
「じゃあそれで?!」
「え、ほらよく考えたら父上の責任は追及すべきですよね?母上に話して伯父上を動かして、あとは一緒に宰相も下ろさないといけませんね。第二王子殿下も同じ事考えていそうなので、ヴァルモン家に協力を要請している可能性があります。その場合はエレノール様の王妃の座は揺るぎのないものですから、追従しなければ切り捨てられますね。今のうちにヴァルモン家に頭下げておかないと」
な、なんかついでみたいに宰相コルヴォー家も終わることになった。草です。ダミアンどうなってんのかな~。ダミアンよりうちの弟のほうが頭切れるんだろうな~。ダミアンにも弟いたけどまともなのかな~。
てか急に饒舌になったマデウス、そこがお前の土俵だよ。脳筋と同じ土俵に立つなってのはこういうことよ。思ったよりちゃんとやれるじゃん。
「母上、協力してくれんのかね」
親父はモラハラ夫なので、母上は親父の言いなりみたいなところがある。伯父上ってのは母上のお兄様です。この人も伯爵家の当主だ。
「少なくとも伯父上は協力してくださると思いますよ。そうしないとうち、終わりますから」
「それもそうか。一応、親父が母上に会わないようにしといて。ストレス源だから」
「兄上もストレス源です」
「おめ~もだよ」
うちの男どもは全員ストレス源だよ。
「あと、親父より強い奴がうちにいるから、そいつらをうまく利用しろ」
「父上より強い、ですか?」
マデウスがちょっと信じられないという顔をする。
「うん。ハゲさあ、親父と同じくらい強いだろ?そいつに勝った奴は誰も親父とやったことないっぽい」
王国騎士団長が、しかも暴の力で騎士団をまとめ上げている男が、その辺の食客に負けたら大問題だ。だから親父は自分と同じくらいの強さのツルッパゲ卿を利用して食客たちの強さを測っている。そんで、ツルッパゲ卿より強い奴とは戦わない。
逆に俺を殴りに来たのは俺がハゲに敵わなかったからだろう。むかつくが、結果的に親父とハゲの強さが同じくらいってわかったからな。まあ良しとする。
「父上にそんな回る頭があるなんて」
驚くのそこなんだと思われるかもしれないが、親父はマジでアドラスレベルの脳筋だ。ヴァルモンに喧嘩売ったらまずいことくらいはわかってたから、アドラスよりは若干マシだろうけど。
「俺も思ったわ。まあ、一応騎士団長だしな」
「自分でも確かめてみます。本当なら、父上を取り押さえる時に使えますね」
なんだか嬉しそうだ。親父に対して鬱憤がすごそう。
まあ、マデウスはうまくやるかな。うまくやってくれ。
力を発揮した食客たちをその後どうするかとか、親父に心酔してる騎士団をどう統率するかとか、親父が引退したところで結局ヴァルモンに睨まれたブレイズに取って代わろうとする勢力はいるからやりづらいだろうとか、問題は山積みなんだけどな!安寧はねえよ、ごめん。
思いがけずマデウスがまともになったので、俺はルンルンで部屋に帰る――途中で母上の部屋に寄った。部屋の前の護衛が怪訝そうな顔をする。
「どうかなさいましたが、若様」
「母上いる?会えそう?」
「……少々お待ちくださいませ」
伯爵夫人は暇ではない。母上も家政や派閥のとりまとめをしているので、アポなし突撃するのは息子だとしても会えないことが多々ある。
が、今日は運がよかったっぽい。
「奥様がお会いになられるそうです」
侍女が出てきて案内される。部屋の中にいた別の護衛が俺に対してすげー目を向けてくるのは、廃嫡になったアドラスが自暴自棄にならないか心配なんだろうな。母上に廃嫡撤回を求めるとか、しそうだもんな~。
ブレイズ家の奥様である母上は、線の細い美女だ。儚げですらあり、エミリーに雰囲気が似ている。アドラスがマザコンという話ではない。モラハラ被害者という話だ。
「母上、ごきげんよう」
挨拶をすると、母上はちょっと目を見開いた。え?アドラスってまともに挨拶もできなかったんだ?うん、してなかったな。
「アドラス。……どうしましたか?」
「ほら、俺ってこれから辺境に行くじゃないですか。母上にも最後の挨拶をと思って」
今回の廃嫡決定後、母上に会ってなかったんだよね俺。自発的に会わなければたぶん顔を合わせないまま辺境に向かわされてたんじゃないかな?親父が会わせなかったのか、母上が会いたくなかったのかは知らないが。
マデウスの言う通り、アドラスもストレス源だからね!会いたくなくても不思議ではない。
「お前は……。辺境に行くことに、否やはないのですか?」
「さすがにあれだけのことをして罰を受けないわけにはいかないでしょう」
「……」
穴が開くほどまじまじと見つめられる。それから、母上は侍女たちと護衛を振り向いた。
「アドラスと二人で話をします。下がりなさい」
「ですが、奥様」
「下がりなさい」
この辺は立派に騎士団長の奥様だ。毅然と言う母上に、その場にいた全員が退室した。俺にはできない威圧の出し方である。
母上は誰もいなくなったことを確認し、俺に向き直った。
「お前は本当にアドラスですか?」
疑われている。
「一応アドラスです。親父に殴られてちょっと人格が狂ったんですが。ほら鼻曲がってるでしょ?」
「何の証拠にもなりませんが、まあいいわ」
ため息をついた母上は頭が痛そうな顔をしている。マデウスそっくり!マデウスが母上に似たんだが。
「自分を省みられる今のお前なら騎士団長も務められるでしょうに。わたくしの教育の何が悪かったのか、ずっと考えていたのです」
「え、もしかして親父に母上の教育が悪いとか言われたんですか?俺、どっからどう見ても親父似なんで親父のせいですよ」
うわ、言いそう~!モラハラクソ親父は絶対言うよな、「お前の教育が悪い」!カシオミニを賭けてもいい。
母上はちょっと呆然として俺を見ていた。
「……」
「あとマデウス焚きつけておいたんで、親父は引退させられると思います。伯父上によろしくお伝えください。そうじゃないとエレノールにうちは終わらせられますよ」
「……マデウスにそれができるかしら」
「母上がやってもいいんですけど」
「そうねえ。後がないならやっても無駄だと思っていましたが、マデウスに素質があるなら考える余地があるわ」
なんか、思ったより母上が逞しい。バリバリに親父を切り捨てる気がある。母上が親父の言いなりって言ったのは誰だよ。
単純に親父にも息子たちにも絶望して、今更あらがう気がなかったのかもしれない。俺が人格変わったのでちょっとは考え直してくれたんかな。
「俺は親父に似ていますが、マデウスは母上に似ています。マデウスのことは母上が鍛えてやってください。まだガキですから」
「お前もまだ子供ですよ、アドラス……」
母上に手招きをされたので近づくと、抱きしめられる。ちょっとびっくりした。いいにおいがする。
「辺境に行っても、死なないで、アドラス。お願いよ」
祈るように言われて、一瞬どう反応してもいいのかわからなかった。俺、アドラスじゃないし。とにかくなんか言おうとして出てきたのが馬鹿みたいな台詞だった。
「お、俺、最強なんで。死にません」
馬鹿っぽくてアドラスっぽい。母上は俺の肩口から顔を上げると、泣いてるみたいに笑った。
「ふふ。そうね、わたくしのかわいいアドラス」
ごめん、母上のかわいいアドラスはもういない。ここにいるのは人格が狂った前世の記憶持ちの知らない男だ。せめて死なないように頑張るんで、許してくれ。




