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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

チョコレート・ゴーレム〜世界一甘い泥人形〜


 子宮だけがなかった、と記載されている。自明のことだが、いにしえより、女陰には特別魔力が宿りやすいとされる。


「新たな被害者のクリスティーヌ嬢は、この前16歳の誕生日を迎えたばかりだったと」


「あんなふうに、むごたらしく尊厳を奪われて……可哀想に……」


「王妃様もついにお篭もりなさるらしい」


「であれば、護衛は充分につけておけ」


 "遺体は一様に魔障を受けていないかわりに、下腹部から複数の小刀の痕が確認された。犯行の手口から、この頃王国じゅうを騒がせていた魔女連続殺人はいずれも同一犯によるものと見なし、我々は今日も捜査を進めている"……



 羽根が、クロアの鼻先をかすめた。だいぶ駆使していたので、そろそろインクが切れてきたようだった。


(と、まあこんなものか)


 ひと仕事終え、大きく伸びをした後、もったいぶって椅子から立ち上がる。

 古い紙の匂いに、クロアはすっぽり包まれる。思わず、げ、と眉をひそめた。


「うぅ〜、分かんない! 分析官さん、バトンタッチ!」


「はあ……だーかーらー、何回も言ってるでしょうが。最近サバト参加者たちの間で、術者殺しが流行ってるんすよ」


 寝癖だらけの魔法分析官はがさごそファイルを探ると、ドン!と自信ありげに机を叩いた。


「見てくださいこの写真の山。子宮の抜き取られた死体がよりどりみどりーーどお? 気分アガるっしょ⁇」


 からかうような言葉に、ごくりと生唾を飲み込んだ相棒。途端に、握りしめた一角獣のシナモン棒から、ぽろぽろ砂糖が溢れていった。


「……その糖分、脳みそには行ってないみたいだな」


 わた菓子同然のすっからかん頭に、クロアはどかりと顎を乗せる。いつもならこの後、相棒がピーッとクロアの背中に泣きついてくるまでがセットだ。


「うわ〜ん、助けてクロア〜!」


 案の定というか、なんというか。


「チッ……出たか、過保護の色男め」


「何か言ったか?」


 不自然な間ができたように思ったが、しばらくしてから、取り繕ったような微笑みが返ってきた。


「今回の事件、シュワルツ執行官はどう思います? オレ、絶対ヤツらの仕業だと思うんすよねー」


 人差し指の行方を追う。すると、写真の中の女と目が合った。被害者が増えるごとに、なぜだか外傷は多くなってゆく。


(ほう、魔法もろくに使えない人間たちによる怨恨と……)


「たしかに、着眼点は悪くないな」


 すぐ側で、ですよね⁉︎ と必死に尻尾を振る音が聞こえてくる。分かったうえで、クロアはこう問うた。


「ところで分析官、18時提出の被害者リストは作成できたのかな?」


 顔を上げれば、すでに焦りの色が隠せていない分析官。クロアは続けざまにニヤリと笑った。


「それと君、今日は遺体を解剖バラせる日だ〜!……って、張り切ってなかったっけ? さっきチーフが鬼の形相で君のことを探していた気がするのだけれど……」


 そこにはもう、分析官の姿はなかった。


 そうだ、ここらで油なんか売ってないで、最初から真面目に働いていれば良かったのだ、毎度のことながら呆れつつ、ふっくら張った彼女の胸に目線を落とす。


 魔法局マジカルヤード・「ヘマタイト」ーー魔法執行官不動の成績ツートップと言えば、誰しもが、真っ先にクロア・シュワルツ、およびミーノ・キルフェを思い浮かべるだろう……思い浮かべるだろうが、相棒ミーノのほうは、クロアに比べて少々頭の弱いところが目立っていた。


 とはいえ、欠点があるとすればミーノの思考力くらいで、二人の実力はさすがの折り紙つきであった。クロアの土魔法とミーノの水魔法で泥人形を捏ね、分身にし、敵の目を華麗に欺いていく……それが、クロアたちの戦闘スタイルだった。


 華奢な体に鎌を携え、やすやすと先陣を切る相棒の姿は、手放しにすごいと思え……ないこともなかった。


 前に見たショーウィンドウのブローチを意識しているのかいないのか、胸元にきらめく物にくいっと人差し指を曲げる。


(こっちに来いって言ってるのが分からないのか)


「ん、ずれてる」


 相変わらずだらしないなーークロアは少しばかり大げさにため息を吐いてみせた。


「ありゃ、クロアもずれちゃってるよ?」


 言われてみれば珍しく、襟にはしわが寄ってしまっていた。

 おそろいだねっ!ーー無条件に向けられる笑顔から視線を逸らしつつも、クロアは結局されるがままコースを選ぶ。


 バディの証ーー人魚の涙が固められてできた対のバッジは、魔物討伐100体達成記念にと贈られたものだった。いつ見ても、水面が揺れるように青く輝き続けている。


「よし! いいよお動いて。あ、そうだクロア、都の激レアマロンシュー、一口食べる?」


「せめて半分とかだろ」クロアは食い気味に答えた。8人いる恋人たちの中にも、ミーノほど食い意地の張った女はいない。物は試しとマロンシューを3分の2ほどむしって、ずいっと顔を近づけてみた。信じられないといったふうに、ミーノは口をあんぐり開けている。なんだか、無性にイライラしてくる。


「……9番目の彼女にしてやろうか?」


 ふいに口を突いて出た言葉。交錯する視線。即座に、やってしまった、と思った。

 ところが、ミーノは多少考えるそぶりを見せると、


「え〜、やだよ。9番目なんてキリが悪いよ、最悪だよ」


 雨上がりの犬のように、ぶんぶん頭を振りまくった。「お前の基準はどうなってるんだ……?」そんなふうにツッコみたいのはやまやまだったが、だってね、と、内緒話をする子どもになったつもりではにかむミーノに邪魔されてしまった。




「どうせなら私、100番目のズッ友がいい!」




「なん…………ハァ?」


「クロは違うの?」


 アクアオーラ水みたいな瞳をしゅわしゅわ弾かせながら、ミーノが問うた。


 100番目? ズッ友って、いや、まさかそう来るとはーー予想よりはるか斜め上を行く回答に、クロアはいよいよ堂々巡りだ。


「……って、ほぼ他人じゃないか。馬鹿かお前は」


 クロアが冷静さを取り戻した時にはもう、ミーノは薄焼きポッテイトを2枚も3枚も口に放り込み、くちばしを作って遊んでいた。まったく、非番だからってのんきにもほどがあるだろう。


「ハッ。色気のない奴」


 気の置けない相棒に、クロアもやれやれと肩をすくめるほかなかった。



 隣でミーノが、眠い目をこすり、必死にあくびをこらえている。朝一番に、課長からの呼び出しだ。いきなりなんだと来てみれば、上役にクロアたちバディの功績が認められたのか、どちらか一方が、王妃の専属護衛に就任せよ、とのことらしかった。


「お断りします」


 毅然として頭を下げるクロアに、課長は落ち窪んだ目をさらにこぼれんばかりに見開いた。実は薄々勘づいていた。どちらかと提示したのはあくまで方便で、王妃は男手、つまりはクロアを所望なのだ、と。なんとなく、彼の次なる行動も予測できた。さあ、どんな報酬が紹介されるだろうか。身構えていたのに、課長はクロアを横切ると、ミーノにしゃがれ声で囁いた。


「キルフェはいいのか? 専属護衛になった暁には、1日3食と言わず、パンもケーキも食べ放題、だそうだが」


 みるみる、ミーノの半目がパーっと覚醒していく。


「えっーー⁉︎」


 ぐーきゅるると鳴り始めたのは、もちろんミーノの腹の虫だ。これにはクロアも、失笑を漏らさずにはいられなかった。


「冗談だろおい」


 のこのこ課長について行こうとするミーノの首根っこを、間一髪のところで引っ掴む。


「なにするのクローっ! わたしのアフタヌーンがー!」


 きゃんきゃん喚く声なんて、いっそ聞こえなかったことにしてしまおう。


 王妃だろうが、なんだろうが。


ーーこんな逸材、他のやつに渡してたまるものか


「まさかミィ、お前……あの王宮でタダ飯食らいできると思ってるのか」


 バッとこちらを振り返ったミーノが、一生懸命よだれを隠蔽しようとしている。どうやら図星だったようだ。クロアは、どこか勝ちを確信して微笑んだ。


「お前のことは、俺が一番よく知ってるからな。いいかミィ。どう考えたって、そんな甘い話あるわけがないだろ。今よりずっとハードな生活になるのが目に見えてる」


 クロアはもはや流れるように、課長に向き直った。


「第一、ミーノに他人の世話なんて無理です。俺以外にコイツのお守りが務まるとでも?」


「いや、しかしだなーー上からの命令で」


 一瞬、目を泳がせた課長。その隙に、クロアは臆さず畳みかける。


「だからなんだって言うんです。いやはや、頭の硬いお爺様方に搾取されてるようじゃ、課長もまだまだ昇進できないはずだ」


「何を……この、無礼者が‼︎」


 隣のミーノに軽く目配せすると、珍しく何かを悟ったのか、


「あちゃー。これは……とりあえず走ろっか、クロ!」


 次の瞬間、花が咲いたような笑みとともに、クロアの体はふわりと宙に浮かび上がった。



 騒動からはや1週間が経過した、非番の昼下がり。なかなか口を割らなかった重要参考人の尋問に成功すると、どうやら、此度の魔女連続殺人には新興宗教・フィメル教が一枚噛んでいるようだと分かった。かの信者たちは、度々サバト会場に出入りしているのが目撃されている。加えて、分析官たちによる迅速な解剖の結果から、見つかった子宮の破片は、全て処女のものであるという事実も判明した。


「フィメル教の連中、結局何が目的なんでしょうね?」


 共通点を挙げるならば、被害者は揃いも揃って未婚の魔女ばかりということ。クロアはふむ、と顎に手を添えた。


「特殊性癖でもお持ちなんすかねー、たとえばまあ……露骨かもだけど、処女しか愛せない! みたいな?」


「さあな。がーー俺なら死体にディープキスなんて、死んでも嫌だね」


 言いながら、クロアはパッと踵を返す。ここ最近、ミーノと嫌がらせのように海へ山へと駆り出されたものの、課長もようやく気が済んだのか、それ以上のお咎めはなしだった。魔物討伐数・12。驚くべきスピードで実力を示したことにより、大目玉は食らわずに済んだのだ。


(しかし秋とはいえ、地下牢はよく冷えるな)


 二の腕をさすりつつ、早歩きで階段を登っていった。


 ハンガーから、適当に"それっぽい"コートを選び取る。身支度に追われるクロアに対し、ミーノはと言うと、素焼きのナッツを幸せそうにもごもご頬張っていた。


「ねえクロア、そんなにおめかししちゃってどうしたの?」


「食う寝るタヌキのお前と違って、こっちはデートで忙しいの」


 そっけなく言うと、「もうっ、ひどいんだから」ミーノは、たちまち蒸らした紅茶のように顔を火照らせた。


「減らず口と一緒に彼女が減ってっても知らないぞ〜!」


 むくれ顔のミーノが、なんだかいつも以上に可笑しくて、クロアは思わず頬を緩めてしまった。


「はいはい、やきもちミィちゃんは良い子で待ってろよ?」


 余裕そうに、ひらひら片手を振って。


 ぱたりと、虚しく扉が閉まる。


「もう…………」


 消え入るようなミーノの声は、ついぞクロアの耳に届くことはなかった。


 出がけに、クロアは腕時計を確認する。たしか、午前に2号、午後に6号と……はてさて、彼女らは。


(どんなふうに笑うんだったっけ?)


 文句の言いようのない晴天に、クロアはまた一つ微笑してみせた。ミーノの変顔のせいで、全部全部、大事なことは忘れ去ってしまったみたいだった。




 猫を被り続けるのも、正直しんどい。現に、表情筋が今にも攣ってしまいそうだ。


「クロアさん、この後ホテルでディナーでも……」

「ああ、ごめん。上司から呼び出しがあったんだ」


 なおも食い下がってくるものだから、一瞬、目眩し魔法でも使ってやろうと思ったが、あまりに人通りが多いのでさすがに自重した。


 肉食の2号を見送ったのと同時に、ただちに営業スマイルをやめ、クロアは足早に帰路に着く。


 ガラス越しに見えるカレンダーの前で、はたと足を止めた。そういえば。


(あいつとバディを組んで、今日でちょうど7年になるのか……)


 あれは、ミーノとバディを組む前のこと。


 元・相方たちからのクロアへの評価は散々だった。どうせ新たにバディを組んだところで、天上天下唯我独尊男だとか、相方とっかえひっかえ恐怖政治野郎だとか、女にだらしない詐欺師だとか、とにかく不満ばかりを羅列されるものだから、「人の文句を言う暇があったら魔物の一体でも討伐したらどうなんだ」と当時の相方に吐き捨てたところ、そいつは辞職届を出し、代わりに、まだ右手と左手の区別もつかないような新入りの世話係を任されたのだった。


 その型破りな浮浪児こそ、ミーノ・キルフェだった。


 奴の破天荒エピソードを列挙していったらキリがないが、今でも鮮明に覚えているのは、やはり初任務帰りの馬車での出来事だろうか。



 初めてにしてはなかなかの成果を上げた任務後、体力魔力知力すべて消耗したミーノは、隣に座るクロアにもたれかかるようにして、死んだように眠りこけていた。


 ガタンっーー


 蹄が岩を蹴ったのか、一度馬車は大きく揺れる。慣れているクロアは、特に驚きもしなかった。が、最悪なことに、揺れた衝撃でミーノが目を覚ましてしまった。たまらず、うげー、と声を洩らす。ルーン文字検定の勉強をしたかったのに、これではうるさくされるに決まっている。集中できないのもなんだか癪なので、クロアは諦めて参考書を閉じることにした。


(……いい、宿舎に帰ってから続きをやろう)


 面倒くさくなる前に、寝たふりをしておくのが得策だ。


 しかし、耳元で永遠とも思える長い時間ピーピーギャーギャー喚かめると、神童クロアでも演技を続けるのは無理に等しかった。


「う、うっ……ひぐっ、ここ、どこぉ……ミィのおにいちゃ、おにいちゃん、は……っ⁉︎」


「ち……ハア、村はずれの洞窟近く。ついでにおまえの兄貴はとっくに死んだ」


 そもそもミーノは、唯一の肉親を亡くしたからこそ、こんな組織に入ることになったのだろう。ダチョウ容量の脳みそに、ほとほと呆れてしまう。


「いやあ……っあ……! おにーちゃん、いかないで、おにいちゃあん……!」


(…………あー)


 悪どい魔術師に襲われたミーノを庇うようにして、兄は息絶えていたと言う。まあ、いきなりその事実を信じろといっても、年端もいかぬ少女には酷な話だと、思春期ながら、クロアはどこか同情に近いものを覚えていた。


 激しさを増す泣き声。ついに痺れを切らし、クロアはミーノの頭をめちゃくちゃに撫で回した。


「……ナッツのパイ」


「う、うぐっ…………ふぇっ?」


「おまえがあんまりウルサイから、おれが特別作ってやるって言ってんだ、5枚でも10枚でも焼いてやる、感謝しろ間抜けヅラ」


 言った直後に、失敗した、と思った。だって、その時のミーノの喜びようといったら、ダイア山が噴火した並みに凄まじかったのだから。クロアはもう何度目かも分からないため息を吐いた。興奮冷めやらぬ様子のミーノ。


(別の意味でうるさくなった)


 それはそうと、当時のクロアがミーノに抱きつかれて、満更でもなさそうな顔をしていたのは、今では御者くらいしか知る者はいない。



 どんなに良い服を見ても、どんなに煌びやかな宝石を見ても、どれもミーノには似つかわしくないような気がして。


 色々考えてはみたものの、よし、といよいよクロアは足の向きを変えた。


(やっぱり食いもの一択だよな)


 いつもみたいに腕によりをかけて、ミーノが食べたがっていたケーキでも焼いてやるか。いいや、せっかくだからナッツのパイにしよう。ああ、それと。


「豆の食べ過ぎで鼻血を出さないといいが……」


 ひとりごちて、苦笑する。


 とはいえミーノは、神様もびっくりの貧乏バカ舌の持ち主だから、ありがとお〜、といつもの間抜けヅラを浮かべるはずだ。もっとも、クロアの辞書に失敗の2文字は存在していなかったが。


 材料をばっちり買い揃え、閉店間際の店を出た時には、ぽつ、ぽつ、ぽつり……と、だんだん雨足が強くなってきていた。


 困った。「ミーノを喜ばせるために風邪をひいた」では、あまりに格好がつかない。箒を持ってくるべきだったな、と少し後悔する。まあ、無難に走ってさっさと帰ろう、と振り返ったその時だった。


 ごろりーーと、自慢の革靴が何かを蹴った。


 顔のすぐそばで、ガラスの割れる音がした。激しく脈打つ心臓。しだいに荒くなる息。絶句する。膝をつく。


「な、んで……おまえが…………」


 魔女ーー連続殺人。真っ白な頭に、真っ黒な文字だけが浮かび上がった。


 周りには、ワスレナグサ、だろうか?青々としたブーケが、散らばっていて。


「……い、おい、ミーノ、」


 ぐちゃぐちゃでもはや原型すらとどめていない頭に、必死で話しかけてみる。やはりというか、下腹部からは、ご丁寧に子宮だけが抜き取られていた。途端に土砂降りになって、そこらじゅうに血の匂いがむわっと立ち込める。変わり果てたミーノの姿が、みじめに転がっている。


「ぁ…………」


 ミーノが死んだ、ミーノが、しんだ? 殺されても死なないような、あいつが……


 雨に濡れる瞳に、何かがちらりと反射した。抵抗すらできなかったのか、上半身には血だまりが広がっていた。いくつになっても子ども体温だったはずのミーノの体が、いやに冷たい。

 

 硬直しかけた手を解くのは、すごく苦労を要することだったが、これだけは譲らないといったふうに両手で抑えられた胸元を暴く。


ーーバッジは、今なお変わらない輝きを放っていた。


 

「傲慢な魔女どもに裁きを! 裁きを! 裁きを!」


 まだ犯人は近くにいるはずだと、クロアは残穢を辿って無我夢中で走ってきた。サバトの会場は、やはり見立てどおりだった。卓に並ぶ、細かく切り分けられたミーノの子宮は、奴らの最後の晩餐となるだろう。


 みんなみんな、しねばいいーー口上も述べず、クロアはいきなり巨大な柱を殴りつけた。しばらくして、ゴゴゴゴゴ……と、耳をつんざくような地響きが鳴ったかと思うと、瞬きのうちに大地が裂け、フィメル教信者たちは、もれなく奈落の底へと落ちていった。



"ミーノ・キルフェ ここに眠る"


 刻まれた文字を、声に出しながらザラザラなぞってゆく。ミーノの葬儀は、つつがなく執り行われた。皆がさめざめと泣いている中、ひとり突っ立っているクロアがよっぽど奇妙だったのだろう、分析官から幾度も殴られ、しまいに罵声まで浴びせられたが、内心、可笑しくて可笑しくてしょうがなかった。


 ボオォォォン、ボオォォォンーー


 ふくろうによく似た大時計が、真夜中の2時を知らせてくれた。無事に、墓場までの道中誰にも気づかれることはなかった。


 クロアは今度こそ腹を抱えて大笑いした。


 そうして、土の下で安らかに眠っていたミーノを、丁寧に掘り起こした。


 申し訳程度に残されたミーノの血とクロアの土魔法で作った、未熟で歪な泥人形ゴーレム……古より、どんな高尚な願いがあれど、死者蘇生だけは禁忌とされてきた。クロアは思う。禁忌とされるからには、それなりの理由があるはずなのだと。


 本当はもう、分かりきっていた。命を失った者を甦らせる、そんな大それたことは、きっと神への冒涜に値するだろう。


 けれど。


 ゆっくりと、己の言葉が反芻してゆく。


『死体にディープキスなんて、死んでも嫌だね』


 もはや、恐れるものなど何もなかった。だって、クロアにはできてしまうから。泥人形にーー命を与えることが。


「……完璧なエンバーミングだったろ? …………なあ、ミィ。今日は少し、調子が悪いのか? お願いだから教えてくれよ。どうして、いつもより水がーー多いんだ」


 力の限り、目頭を強く抑えた。降りしきるこの雨に、胸に残るもどかしさも、苛立ちも、後悔も、何もかも流されてしまえばいいと思った。


 体じゅうの魔力を注ぎ込むため、クロアはミーノに、烈しく唇を押しつける。


 口を、吸わせるように。喰らい尽くすように……それは、それはまるで、どろどろに溶けたチョコレートみたいに、甘ったるくてかなわなかった。



あとがき



たまには恨み節をと、行きつけの花屋の主人から「私を忘れないで」……そんな花言葉を持つワスレナグサをあてがわれたミーノですが、彼女も最終的には、一時の燃え盛る恋情よりも、バディの証であるバッジ、ひいては永遠の穏やかな絆を選び取った、ということをラストシーンにて表現しています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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