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3 二週目の出発点にて

                ①


 一ヶ月がたった。


「おーい、ご飯にするよー」

「はーい、今行くよー」


 俺は今現在、ふかふかなベビーベットの中でおしゃぶりを(くわ)えて横たわっている。

 真上でカランカランとゆっくり回転するカラフルで丸っこい五匹の動物たちを、こともなげにぼーっと眺めるという仕事に忙しい。

 ぼんやりとしか見えないベッドメリーに関心のあるふりをするのをやめてから、もうかなり時が経ったように思う。


 キッチンからはユリカさんが食器を机に並べている音が聞こえた。

 ユリカさんというのは俺の母親、菜野川(なのかわ)有理香(ゆりか)のこと。失踪したほう。

 ちなみに父親は名前は菜野川一嗣(ひとし)。死んじゃったほう。

 どちらも今二十八歳の典型的な新婚ラブラブカップルだ。

 家の中じゃ俺の目もはばからずに始終イチャイチャしてる。

 結婚一年目なんてそんなもんかと呆れていたが、二人で俺をあやしている最中にいきなりおっぱじめだした時にはさすがに引いた。

 ……さてはできちゃった婚だろ、こいつら。

 元の世界で二人がこの時期ここまでの仲だったかどうかはしらないが、しかし、二人が俺を生んだのは結婚三年目だったはずだ。

 俺の生年月日と二人の年齢がずれていない以上、なぜか二人の結婚時期が二年ほど遅れていることになる。

 出会った時期は大して変わっていないようなので、結婚のタイミングについてだけ謎の二年のずれが発生している訳だ。


 元の世界と微妙に違っている点でいえば、裸眼だったはずの父のヒトシさんが眼鏡をかけている。

 母の方は変わらずコンタクトレンズで、絵本を読み聞かせてくれた時に眼鏡をかけていた記憶がぼんやりとあるが、なぜかこっちでは父の視力があまりよくないらしい。


 この違いにいったいどんな意味があるのだろうかと考えてみてもさっぱりだった。

 なにせ他はほとんど全く同じなのだ。

 微妙な違いすぎて異世界転生にカテゴリしずらいじゃないか。


「あの子まだ起きてる? お乳もう一回あげた方がいいかしら」

「今日は夕方けっこう寝てたよね。お腹すいたらちゃんと泣くし、大丈夫でしょ」

「そうだねえ。おしめも大丈夫そうだし……そいじゃいただいちゃいますか」


 香ばしいカレーの匂いがここまで届いた。

 二人は例のごとくイチャこら会話を弾ませながら、遅めの晩餐(ばんさん)を楽しんでいる。


 つけっぱなしの居間のテレビからはハイテンポのポップな音楽が鳴り響いていて、煌びやかな画面がせわしなく揺れ動いている。

 たぶんキ〇タクがパラパラでも踊ってるんだろう。

 目がまだよく見えないのでテレビもあまり面白くはないが、聞いてるだけで暇つぶしにはなる。

 見る番組の選択は両親にゆだねられているのでハズレも少なくないが、乳幼児の分際でチャンネル争奪戦に参戦できるはずもなく、お利口に聞こえてくる情報を受け入れているというわけだ。

 生前こういう文化に興味を持つことはなかったが、最近やけによく聞いているせいか、ちょっとクセになってきていた。

 生後一か月の赤ちゃんがノリノリでリズム取り出したら注目集まりそうだ。

 やだ! うちの子にはユーロビートの才能があるんだわ! 音楽教室に通わせなくちゃ!

 ……まあ生前音楽の才能なんて全くといってよいほどなかったので、今世もその期待はできないだろうが。

 変に持ち上げられないように赤ん坊らしからぬ行動は控えねばならない。


                ② 


 しかし暇だ。

 乳児らしくこの体はよく睡眠を必要とするので起きてる時間は短いが、それでもやはりやることがない。

 ちょうどいいタイミングを見計らっておっぱいやおしめの取り換えを要求する泣き声を発するほかは、ただあやされたり放っておかれたりしているだけだ。

 ここら辺はドラマで見た通り。


 仕方ないのでボーっと考え事をする時間が多い。

 特にこのリプレイについて。


 俺が生まれなおせたことに理由はあるのか。

 あるとしたらその理由は何なのか。

 あの少女とこれとは、何の関係があるのか。

 他に何が元の世界と異なっているのか。

 そしてなぜその違いがあるのか。

 次に死んだらそのまた次があるのか。

 二十五年後のあの瞬間になったら、不思議な復元力なんぞが働いて、俺はまた死なざるを得なくなるのか。

 これは俺だけの身に降りかかったことなのか。


 考えても一向に答えが出る気配のない疑問は尽きることがなかったが、いざゼロからやり直しを果たした(あかつき)に最優先に考えることといえば、これしかないだろう。


 これから俺に何ができるのか。


 よくあるリプレイものの物語では、生前の様々な知識を活かして大金持ちになったり、大事な人が交通事故に巻き込まれないようお膳立(ぜんだて)てしたり、昔好きだったあの子との恋愛のリトライだったり、世界的な大事件を未然に防ごうとして結局失敗したりするわけだが、そんなわくわくするようなテンプレを実際に展開できるものなのか?

 ゼロ年代初頭に行われる大きい公営ギャンブルの結果も覚えていないというか知らないし、そもそもこれから先も両親ととともに暮らしていくとすれば、少なくともこれから十年以上自由な行動はかなり制限されることになる。

 投資できるような年齢まで待つにしても、俺が知っているのは二〇二五年までの流れだけだ。

 IT系の企業とか、ゲーム会社とかに投資しても、確実に儲けがでる期間はたかが知れているだろう。

 あまり楽して金儲けするような道はあてにできない可能性が高い。


 それなら人間関係の維持・改善に努めるべきか。

 ヒトシさんが原因不明の脳梗塞で倒れてぽっくり逝ってしまうまではまだ九年以上の時間があるはずだが、それまでにできるだけ精密な検査を受けるよう促すべきだろう。

 母親の失踪に関しては、父親が死を免れることができればどうにかなるものと思いたい。


 ヒトシさんが死んだ後のユリカさんは明らかにそれ以前と違っていた。

 シングルマザーとして忙しくなる中で、俺へのしつけについてはヒステリックに怒鳴ることが多くなったし、そうかと思えばいきなり泣き出してトイレに閉じこもったりしていた。

 あの頃の母さんは、情緒不安定で着実に心身が(むしば)まれていた。

 今思えば、母さんも自殺を試みたことがあったのかもしれない。

 学校から帰ってくると、仕事でいつも家を空けているはずのユリカさんが椅子にもたれてただ呆然と中空を見つめていたことがあった。

 顔は青ざめ頬はやつれ気味で、返事もか細く曖昧だった。

 子供ながらに不安になった俺は、理由もわからずとなりに座って黙って宿題をした。

 その頃母は中学生の家庭教師のバイトを始めていたので、そうすればいずれ口を開いて勉強を教えてくれるかもしれない――そう期待して黙々と続けた。

 いつもはあんなに捗らない宿題も、そういう日だけはすぐに終わって、やらなくてもいいページを先にやってしまっていた。

 それでも母さんは押し黙ったまま、たまに小さくすすり泣く音がとなりから聞こえるだけだった。

 そんなとき俺は、これまた理由もわからずに一緒になって小さく泣きながら鉛筆を動かした。

 そうして体感何時間にも思えるような重苦しい時間が過ぎ、俺のお腹が『グルグルル』と低く小気味の良い音をたてて静寂(せいじゃく)を破ると、ユリカさんはゆっくり立ち上がって後ろから俺を抱きしめ、泣き声のまま『ご飯にしようか』とやっと声を出してくれたのだ。


 ……やなこと思い出しちゃったな。


 しかし今、母は幸せそうである。

 今の生活が本当に満たされてるってかんじで笑ってる。


 いくらクズでダメ人間な俺でも、こんな光景を見た後にあんな地獄をまた繰り返したいとは思えない。

 母さんが出て行ったのは、俺との生活がもう色々しんどくなった結果、自分はいない方がいいと考えてのことなのだろう。

 俺が頼りなかったから、十分コミュニケーションもとれずに黙って行ってしまうしかなかったのかもしれない。

 行く当てなんて、どこにもなかったはずなのに。

 そう思うと、母さんのためにも今度こそ、この家族の形を守らなければという気になってくる。

 頭もよくなくて取り立てて他に才能があったわけでもないが、せっかくやり直せたんだ――前世の経験を活かして、これくらいは成し遂げよう。

 華麗に人生をブラッシュアップすることはできないかもしれないが、それくらいなら、こんな俺でもできるだろう。


 食事が終わって様子を見に来たらしいユリカさんとヒトシさんは、穏やかな目付きで俺を見下ろし、優しく頭を撫でている。

 まだうすぼんやりとしか見えない二人の目を見返しながら、俺にしては珍しく、心の底からそんなことを決心したのだった。


                ③


 そうはいっても、長い暇な時間に真面目なことばかり考えてもいられない。

 寝室で左にユリカさん、右にヒトシさんに挟まれ、家族三人仲良く川の字で寝ながら、俺は見慣れた天井を見つめ、脳内の綺麗な思考部分を徐々にくだらない妄想で侵されていくのに任せていた。


 なんだかんだ生前やり残したこともある。

 思春期を深刻にこじらせたコミュ障だった俺でも、学生時代に好きな人くらいいた。

 もちろん告白なんてできるわけもなかったが、それでも小学生だった当時はその人との関係はけっこういい感じだったらしい。

 『らしい』というのは、クラスのマドンナ的存在の優等生だったあの子が俺のことをまんざらでもなく思ってくれていたことを、俺は後になって知ったからである。

 気になるあの子には意地悪に接しちゃう典型的男子小学生だった俺は、むしろ嫌われてるくらいだと思っていたのに、別々の中学に上がってからしばらくたって他の女子からそのことを聞いたのだ。

 もうそのころにはほとんど接点を失っていたし、浮足(うきあし)立って今更話しかけにいくほどの行動力も俺にはなかった。

 その一か月後に見知らぬイケメンと付き合っていると聞いた時、情けなくも少し悔しくなった。

 未来風に言えばBSSってやつか。両片思いとかいう皮肉にも俺が毛嫌いするようなシチュエーションだったわけだが。

 もちろん俺のささやかなモテ期はそこで終了し、そこからは女子と話す機会が目減りする陰キャ路線まっしぐらだった訳だが、もし今世でもあの子と普通に出会えるなら、今度こそ普通にカップル成立では?

 もちろん念のため一年生からの下準備は欠かせない。


 印象的な出会い→しつこすぎない毎日のアプローチ→周りからからかわれたりしてお互いを意識→それでも恥ずかしがりながらコミュニケーションを維持→校外学習等のイベントで隙を見て告白→ラブラブカップル成立!→同じ中学に(なんとかして)入学→勉強会という名のおうちデート→何回目かでそういう雰囲気を作り出してあんなことやこんなことを経て両者同意の末ベットイン!→見事童貞卒業!


 ま、バグ無しだったら最速はざっとこんなもんかね。

 蜘蛛のように華麗に伏線を張り、蜘蛛のように的確にそれを回収。

 これならきっとその後も関係は続くだろうし、最初で最高の彼女と幸せな家庭を築くことも夢じゃない――ウヒヒ。


 途中でうまくいかなくなったとしても、他の子にも根を張って保険を用意しておけばよい。

 小学校で無理でも、中学高校と気になる人くらいいくらでもいたし、彼女らも考慮に入れておこう。

 それになんだかんだ言っても俺は二週目だ。

 予習復習ちょっと頑張るだけで、少なくとも中学までは中途半端だった成績も上位を維持できるはずだ。

 高校からはちょっとしんどそうだが、なんだったら有名私立大の附属高校にお受験してもいい。

 両親を説得するのが少し手間だが、内部進学で大学受験をパスするのもありだろう。

 そうすれば暗黒期だった十九歳からこっちも、前世よりは圧倒的に楽しめそうだ。

 モテそうだしね。有名私立大って。


 それに今はまだできることが少ないが、これから先時間はたっぷりある。

 やりたいことやハマれそうな趣味とかを開拓する絶好の機会だ。無駄にしたモラトリアムをなかっとことにしてもらえて、さらに再度それを与えられたのだ。

 前世じゃオタク的趣味も中途半端にしかハマれなかったし、これやれてれば満足なんて思えるほどやりこめるゲームもなかった。

 そういうのを気長に探したり没頭できるまで修行したりするのもありだろう。


 いずれにせよ楽観的にだけこれからを考えてみても、選択肢は山のようにある。

 そう思うと遠い昔に感じて以来ご無沙汰していた温かい希望がふつふつと湧いてきた。

 ――よーし、いっちょ人生やり直してやりますか! ってこと。


 満足な心持で俺は気持ちよく眠りにつく。

 おやすみ。

 

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