後
――あれから一ヶ月が過ぎた。
私なりにいろいろ考えて悩みに悩みぬいた末、お腹の子を産むことにした。
子供を産むなんてことは前世でも経験がないので、どれだけ大変なのかは未知数だけれど自分で決めたことなのだからと腹を括る。
両親に必死で頭を下げて勘当は免れたが、実家からは遠く離れた領地に追いやられてしまった。未婚の貴族の娘が何処の誰とも分からない男性の子を産むというのだから当然である。
表向きには体調を悪くした娘は療養のため遠くの地にいるということになっている。
考えなくちゃいけないことはまだまだたくさんあるけれど、今は生まれてくる子のことを一番に考えないと。
宛てがわれた領地はひどい有様で出来うる限り自分たちで修繕している。
たち、というのはこちらに来る時に父がお情けとして使用人をお二人ほど付けてくださったのだ。
「今日はお庭の草むしりと雨漏りしている場所を直して、それが終わったら広間にある暖炉のお手入れを……」
「働きすぎですよ、お嬢様。ただでさえ身重なんですから」
「綺麗にして心地良い環境で過ごしたいじゃないですか。この子のためにも」
言いながらお腹をさすると少し動いたような気がした。
「しかしまあ、お嬢様もほんっとバカですよね。さっさと父親の情報吐いちゃって責任取らせればいいのに。避妊もしないようなクズを庇うなんてお人好しすぎませんか?」
「……マーガレット、本人を前にしてよくそこまで言えますね」
使用人のマーガレットの遠慮のない言葉に苦笑する。けれど、彼女のストレートな言葉は裏表がなく私は好ましく思っていた。
二人で話していると、もう一人の使用人であるルーエンが現れる。
「マーガレット買い出しに行くから手伝ってくれ! コレットお嬢様は留守をお願いできますか?」
「ええ。私はお二人が帰って来るまで庭の草むしりでもしておりますわ。どうぞ、お気を付けて行って来てくださいな」
「無理はいけませんよ。身体を冷やさないように暖かくしておいてくださいね」
「ふふ、ありがとうございます」
私は二人を見送るとストールを羽織ってから草の生い茂る庭へと向う。
「さて、頑張って綺麗にしませんと! 綺麗になったら色とりどりのお花を植えて小さな庭園を作りましょう」
素敵な庭園の完成を夢見て無心で草を抜いていく。
私はこの穏やかな時間が好きだった。空が高く青く、頬を撫でる優しい風が気持ち良い。目を閉じて深呼吸をすると安堵に包まれる。
「気持ち良いですねぇ」
ふと、一度だけリオネルド様と昼食をいただいた日のことを思い出す。
こんなふうに気持ちのいい日で、二人きりで庭園の片隅で食べたサンドイッチは本当に美味しかった。
夜に会うのが私たちの日常の中で、お昼のリオネルド様はいつもより穏やかな様でとても寛いでおられた。互いのサンドイッチを交換したり飲み物を分け合ったり……。
「――って、いけませんね。また思い出してしまいました……あんな酷いことを言われたのに未練がましくて嫌になってしまいますわね」
私は一通り抜き終えた草を一箇所に集め、お腹に負担を掛けないように軽くストレッチをする。
「ふう。まだまだ先は長いですが、のんびりやって行きましょう……あら?」
ふと視線を裏庭に移すと一際大きな木の下に何かが引っ掛けてある。
気になって見に行くと、それは強度のある紐でぶ厚い枝に括り付けられており、その下にある木の板に紐が通されていた。
「これは、ブランコ? 今まで気が付きませんでした。乗れるのでしょうか?」
耐久を確かめるために思いっきり引っ張ったり少し叩いてみたりと様子をみる。
「びくともしませんね。大丈夫そう、かな?」
恐る恐る乗ってみると、ゆっくりと足を地面から離す。
「わあ!」
ブランコなんて、いつ以来だろう。楽しくなって少し強めに漕いでいると、突然ロープが後ろに引っ張られて驚く。
「そんなに強くしては身体に障ってしまうよ」
「――っ!?」
――この声は……。
いや、まさか。そんなはずはない……ありえない。あの方なわけがない、こんな場所にいるわけがない。そう思いながらも私は視線だけを声のした方へと向ける。
「久しぶりだね、コレット」
ひゅっと喉が鳴る。心臓が早鐘を打つ。手足が急激に冷えはじめる。
「りお……ねるど、さま……?」
私の震える声に、彼はにこりと美しく微笑んだ。
「なぜ、ここに……?」
「なぜって? 酷いなぁ、父親に対して」
その言葉に世界が揺らぐ。
知っている? 私が身ごもっていることを? なぜ? いつ、どうやって?
私は急いでブランコから降りるとお腹を庇うようにして彼と向き合う。
「なにかご用ですか? 私に? それとも、この子に?」
「コレット、そんなに身構えないで」
「――っ、この子は私の子で私が育てます。貴方には絶対にご迷惑はお掛けしませんし、父親のことを誰かに話すつもりはありません。全て私の問題ですので、こちらのことは放っておいてください……どうか、お願いします」
私の言い分にリオネルド様は美しい眉尻を下げ哀しそうな表情を見せる。
「ごめんね、コレット。君のことを傷付けてしまって」
「……え?」
「あの日、君は俺と話をしようとしてくれていたのにまともに取り合わなかった。翌日、君に言い過ぎたことを謝罪しようと連絡したら出来なくなってて、教室に会いに行ったら学校を辞めたのだと担任の教師から聞かされたよ……本当に驚いた」
思いがけない言葉に思わず黙り込んでしまう。
「恥ずかしながら、そうなって初めて君に対してどれほど酷いことをしてしまったのか気付かされた。謝っても許してもらえるとは思っていないけれど、言わせて欲しい。……本当に申し訳ない、酷い態度と言葉で君のことを傷付つけてしまって」
「――っ」
「その後、家にまで行ったけれど君のご両親は療養のために遠くの領地へ行かせたとしか言ってくれなくてね。だから調べさせてもらったよ、君のことを」
「……は? な、なぜそのようなことを……」
「なぜって、愛してるからだよ」
リオネルド様の言葉に固まる。
――愛してる? 誰を? 私を?
「……っに、」
「コレット?」
「バカにしてるんですか?」
「え?」
「愛してる? 貴方は愛してる人間にあんなにも酷いことが言えるのですか?」
ぐっと唇を噛み締める。
「貴方は私が突然いなくなったことが気に食わなかっただけなのではないですか? 本当は私のことなんかどうでもいい。自分の言うことを何でも聞くような都合のいい人間が消えたから、それが不満なのでは?」
「違うよ、コレット。そんなことは……」
「そうですよね? 物分りの悪い子だと言ったではありませんか! ……お願いですから放っておいてください。そもそも、私たちはそんな関係じゃなかったですよね? 貴方にとって私は呼び出せばすぐに身体を差し出すような便利で扱いやすい女でしかなかったはずです。……だから、もういいじゃないですか……貴方には他にもたくさんの女性がいるのでしょう? その方たちと仲良くなさればいいじゃないですか……お願いですから、これ以上私に関わらないで……」
私はお腹を支えながら必死に伝える。
「……君は俺のことそんなふうに思っていたの?」
「……え?」
見上げるとリオネルド様が寂しそうに笑っていた。
「愛しいと可愛いと好きだと何度も口にして伝えていたよね? あれは全部嘘だと思っていた?」
「だって、それは他の女性にも……」
「一度だって言ったことはないよ。誰から聞いたの? それとも、君が直接聞いた?」
「そ、れは……」
確かになかった。それは私も知っていたはずなのに、いつの間にかゲームの中のリオネルド様と混同していたのかもしれない。
「いつだって君にだけ伝えていたよ。分かって貰えていなかったんだね……残念だな……。けれど、それもこれまでの俺の行いのせいだっていうのは理解しているよ」
リオネルド様は一呼吸置くと私の名を呼ぶ。
「――コレット。君のご両親と話を付けてきた」
「…………は?」
「家の人間とも話し合いをして卒業後に留学する予定を取り止めて、国に残って兄上の補佐をすることにしたんだ。いろいろと条件は出されたけれど君と子供のために面倒なことは全てクリアしてきたつもりだ」
「……な、にを言って……?」
「俺たちと生まれてくる子供のための家も用意してある。――だから、俺と一緒に来て欲しい。君たちを迎え入れたいんだ」
リオネルド様が跪いて私の手を取る。
「コレット・オブライアン嬢、私と結婚してください」
――感情が追いつかない。
何がどうなって、こんな状況になっているの?
もしかして私のことを揶揄ってらっしゃるとか? そうだ、そうに決まっている。あれだけバカにした子爵の娘なんかと結婚なんかありえない。
そう決めつけようとした時、リオネルド様の手が震えていらっしゃることに気付く。
――ああ、本気なんだ。
この方は本気で私にプロポーズしてくれているのだと静かに目を閉じる。
何と答えるべきなのだろうか。正直なところ、いきなり過ぎてどうしていいか分からないというのが今の気持ちだ。
あの時、話をさせても貰えなくて全てを諦めたうえで私はここに居る。
……けれど、あの日のことを謝ってもらえて、私とお腹の子のために行動を起こしてくれたという事実は少なからずとも私の心を軽くしてくれた。
閉じていた目を開くと私は跪いている彼を真っ直ぐに見つめる。
「……すみません。突然のことで気持ちの整理が追い付かず、今すぐにお返事を差し上げることができません。何よりあのとき言われたこと……謝られたとしても直ぐには許すこともできません。信用もできません」
私の言葉にリオネルド様は触れていた手をゆっくりと離すと、薄く笑みを作る。その表情があまりに切なくて心がきゅっとなってしまう。
「……うん、そうだね。そう思われても仕方のないことを君に言ってしまったね。……ごめん」
「…………」
「いつかちゃんと君に信頼してもらえるよう頑張るよ。――今日はもう帰るね。また、すぐに会いに来るから」
そう言って羽織っていたコートを私の肩に掛けてくださる。
「身体を冷やさないように、体調には気をつけてね」
リオネルド様はこめかみにキスをしようと屈むが私が身を強張らせたせいで離れてゆく。
「……またね、コレット」
「……リオネルド様も。お気を付けて、お帰りくださいませ」
私はただ静かに去って行く彼の後ろ姿を見つめ続けた。
◇
――あれから、お忙しいはずのリオネルド様は週末ごとにやって来ては、何かと不自由な私に対して断っても甲斐甲斐しく面倒を見てくれた。
ボロボロの屋敷も自ら率先して修繕してくれたり、王都から持って来た食材で手料理を振る舞ってくださることもあった。
その様子に最初は訝しげだったマーガレットとルーエンも今は掌を返したように大絶賛の毎日だ。
そして、会うたびにプロポーズを受けていたが保留にさせてもらっていた。
――けれど、
「コレット嬢、私と結婚してください」
触れている手をきゅっと握り返す。
「……はい。よろしくお願いします」
私の返事にリオネルド様が驚いた表情のまま顔を上げると次の瞬間、破顔した。
「……は、ははっ、あははっ、ごめん、ビックリして、嬉しくて……あははっ」
「お待たせしてしまって、すみません」
「……ううん。受け入れてくれて本当に嬉しい。ありがとう、コレット」
私はリオネルド様の目尻にたまった涙を指先で優しく拭った。
「……貴方の誠意を信じます、リオネルド様。いろいろあったけれど貴方をもう一度愛してみようと思います」
ふふっ、と私が笑うとリオネルド様は眩しそうに目を細める。
「俺も君を愛せて幸せだよ」
私たちは口付けを交わすと静かに笑い合った。