Episode.019 俺の国って今回コレも要らないか?
俺はカレンを担ぎながら、マルゲリータと共に王城内に飛び込んだ。
そこにはサーシャが、様子を伺いに来ていた。
カレンの傷の具合は、毒の影響からも非常に悪い。
(緊急手術を、この手でするしかない)
俺は顔面蒼白で立ち尽くすサーシャに、度数の高いアルコールときれいな布を、至急集めるように命じた。
マルゲリータには、傷口に治癒魔法を掛けるように指示した。
本来ならサーシャを待って、度数の高いアルコールで消毒したいところだが、おそらくは間に合わない。
俺は刀の鞘をカレンに咬ませると、声を掛けた。
「これから苦無を引き抜く。痛いと思うが我慢しろ」
自分でも、もう少し言い方が有るだろうと思いながらも、今は行動あるのみだ。
カレンも朦朧とした意識の中で、僅かに頷いて見せた。
俺は《《返し》》の位置を確認しながら、刃先を突き刺していく。
「ングッ……!」
あのカレンが、苦痛に顔を歪ませる。
苦無が引き抜けそうな、広さまで切開し終わると、これ以上毒が残らないように慎重に、垂直に引き抜いていく。
カラ――ン
取り出した苦無を放り投げると、更に出血が酷くなっていく。
傷口から見える限りの、緑色の液体を口で吸い出すと、脇に吐き出し続けた。
サーシャが応急治療箱と、綺麗な白布を持って駆け付けた。
俺は医薬品類を確認すると、先ずはアルコールで傷口を洗浄した。
続いて止血軟膏や毒消軟膏と書かれた塗り薬を布に塗ったくって、傷口に押し当てる。
みるみる真っ新な白布が、真っ赤に染まっていく。
構わずその上から、新しい白布を押し付ける。
これもまたドンドン真っ赤に染まっていくが、構わず押さえ付ける。
傷口が、心臓に近い。
どこかを縛って、止血するのは難しそうだ。
ひたすら傷口を押さえ付けて、圧迫止血を続けるだけだ。
気が付けば、カレンは気を失っていた。
あとは、マルゲリータの治癒魔法の効果に期待するしかない。
「神から授かりし奇跡を此処に、治癒魔法!」
先程から、何度も詠唱は聞こえていた。
徐々にではあるが、出血量も少なくなってきている。
傷口の深いところから、塞がりつつあるのだろう。
ただしマルゲリータは、解毒魔法は使えない。
俺はサーシャに向かって訊いた。
「クリスティーナは?シャラクは?軍医は?医療班は?医者は?」
焦り過ぎてるのは自覚していたが、眼前の状況を見ると、言葉を途切らせる事が出来なかった。
サーシャは、努めて落ち着いた声色で説明し出した。
「クリスティーナ義姉さんには、早馬を出したわ。シャラクとは戦闘の向こうにいるから、連絡は取れないわ。軍医は……」
言いかけたところで、軍医が駆け付けた。
「ラウール国王陛下、この者の処置を替わります」
「衛生兵一名は、国王陛下の血を拭い、怪我の有無を確認次第に処置せよ!」
ほかの衛生兵もまた、次々と外の戦場に向かって駆け出していく。
衛生兵とサーシャとマルゲリータは、心配そうに俺の側に駆け寄った。
「俺は怪我は多分無い……と思う。多少毒を口に含んだが、直ぐに吐き出している」
俺はそれだけを言うと、己の身体を見下ろした。
服はカレンの血で、赤く染まっていた。
恐らくは、顔から指先まで血だらけに違いない。
サーシャは食堂に向かい、マルゲリータは衛生兵の手を借りながら、俺の服を強引に脱がした。
血に染まった服は、体にまとわり付き、脱ぐだけでも一苦労した。
マルゲリータはアルコールに湿らせた白布で、丹念に体に着いた血を拭っていく。
サーシャは両手に、コップを携えて戻ってきた。
「こっちは度数の高いアルコールよ。先ずはゆっくり口に含んで、口内を洗浄して吐き出して。高級酒だから最後の一口は飲んじゃっても良いわ」
俺は言われるがままに、高級酒を口に含むと吐き出した。
そこにはカレンの血が混ざっていた。
続けて口腔内を洗浄して、最後の一口は胃に流し込んだ。
腸が焼け付くような、感覚に襲われた。
続けて、手渡されたコップにはホットミルクティーが満たされていた。
俺は出来るだけゆっくりと、飲んでいった。
やがて焼け付くようだった腸は、温かさに包まれていくようであった。
そこで俺はいつの間にか、思考停止に陥っていたことに気が付いた。
「軍医!カレンの状態はどうだ?」
軍医は、治療の手を止めずに答えた。
「国王陛下の処置は、完璧でございました。しかし出血量とこの毒……これは暗殺に特化した代物ですな。通常の解毒魔法が、効いている気配がありません。あとは安静にして、定期的に回復魔法などで、体力と免疫力を高めるようにしてください」
「カレンは治るんだよな?」
軍医はこちらに面を上げて、改めて答えた。
「今夜あたりが、ヤマ場かも知れません。しかし、これだけの歴戦の剣士ですぞ。きっと快方に向かうに違いありますまい」
やがて外の喧騒も落ち着きを見せ始めた。
どうやら戦闘も終結したようだ。
サーシャが急に声を掛けてきた。
「お兄様には、お兄様にしか出来ないことがありますわ。あとはあたし達に任せて、外の指揮と式典を無事に終わらせなくてはなりませんわ」
「カレンを他人に任せて、俺がやる必要はないだろう!カレンは俺の身代わりに傷ついたんだぞ。それにカレンは俺の専属侍女だ!式典なんて、誰がやったって同じじゃないか」
俺の必死の訴えも、サーシャはその赤い双眸で否定していた。
「お兄様がいても、カレンの容体は変わらない。あたし達だって、全力で看病するわ。だけど式典に国王が在席しているかどうかは、大事な問題でしょ?あたし達は王族なのですから」
サーシャの姿は毅然としていて、王妹に相応しい王族としての振る舞いであった。
(サーシャの意見の方が、正しいのかも知れない。しかし今カレンの傍を離れるのは、人間として嫌だ!)
しかし、後ろからも静かな声で語りかけられた。
振り返ると、マルゲリータだった。
「ラウール陛下。昔は“ラウール坊ちゃま”と、お呼びしておりましたね。今は立派な国王陛下にお成りになられました。今また“ラウール坊ちゃま”に戻られるのですか?それに……カレンは侍女としての私の愛弟子です。むざむざ死なせたり致しませんわ」
俺は決断しなければならなかった。
例えそれが、自分の本意では無くとも。
俺は用意されていた新しい服を着込むと、愛刀『ムラサキ』を手にして、改めて城外に歩を進めた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
城内の敷地には、夥しい数の死傷者が横たわっていた。
しかも近衛兵団の面々は、普段の鍛錬から顔を合わせているから、尚更、衝撃的な光景であった。
遠目にも、誰が倒れているのかが分かる。
皆、今日の獣人たちの到着が、喜びに満ちた式典になると、一緒に楽しみにしてくれていた者たちだ。
「トロイの木馬か……」
何気ない言葉が、口を吐いて漏れ出していた。
向こうから一人の男が、駆け寄ってくる姿が見えた。
軍務大臣のパテックであった。
「ラウール陛下、ご無事で何よりでございます」
パテックが略礼を取りつつ、安堵の表情を浮かべていた。
「被害状況は?」
俺はこの国の王だ。不本意な報告であっても、聞かなければならない。
「未だ確定の人数では在りませんが、敵は三十名全員を討取りまたは自害、内の二名は捕縛に成功しました。味方の被害は……戦死者十八名、負傷者四十六名。負傷者の内二十名弱が、毒に侵されております」
「とにかく救命処置に全力を挙げてくれ。出来れば早急に毒の解析と、解毒の処置を一緒に……な」
俺は声が掠れるのを自覚しながらも、最後まで言葉を絞り出した。
もはや視界は滲んで、ほとんど何も見えずにいた。
それでも真っ直ぐ、この小さな戦場を見据えていた。
「それと……だ。新たに一個小隊を礼装で参集してくれ。獣人の件と襲撃の件は、別のことだ……頼む」
「御意!」
パテックは指示を遂行するため、俺への敬礼をすると傍らを離れて行った。
(俺はこの後、何をすれば良いんだ?あと何が出来るんだ?)
自然と足が小さな戦場に向いた。
一歩、また一歩惨劇の場へと近づいている。
足元に近衛兵の亡骸が横たわっていた。
俺は崩れるように膝をついて、近衛兵を見詰めた。
喉元に苦無が深々と突き刺さったまま、瞳に光は無くまるで何かを見送るような視線に思えた。
(ひょっとしたら、俺の身を護るために身を賭したのかも知れない)
そっと手のひらで瞼を閉じて、両の手を胸で組ませた。
その組まれた手には、止めども無く雫が滴り落ちていた。
「誰か!陣幕を持てぇい。ご……遺体はその上に丁重に並べよ」
そして敵の死体も目に入った。
相手に気取られないためだろうか?その手には仕込みの、小剣が握られていた。
(この人数で奇襲とは、生きて帰れる保証など無かろうに)
「もう一枚陣幕を持てぇい。敵の亡骸も同様に並べよ!これは王命である」
一歩一歩近づくと、幌馬車が大きく目に入るようになってきた。
ちょうど一人、また一人と獣人たちが幌馬車から降ろされてくる。
俺は一番近くに止められていた幌馬車を覗いていた。
中には獣人たちが詰め込まれており、皆の両手両足にはきつく縄が打たれていて、口には猿轡が咬まされていた。
脇には商人服の男二人の遺体が、無造作に積まれていた。
(恐らく王都に入るまでは、この者達が御者を務めていたのだろう。そのあと……)
俺は頭を振ると、手前の獣人から順に手足の縄を愛刀で断ち切っていった。
縄を解かれた獣人たちは、一人一人お辞儀をして、幌馬車を降りていく。
最後の獣人が幌馬車を降りると、一通り車内を見渡した。
すると端の方に乱雑に放り出された、獣人の覆面が二枚脱ぎ捨てられていた。
俺はそれらを背に、幌馬車を降りた。
今回、俺はアレを言ってない……だが良いんだ、Episode.004で二度も宣言したのだから。
(俺の国って今回コレも要らないか?)