Episode.018 俺の国って医者はドコにいるんだ?
本日は獣人たちの家族が、ロレーヌ王国の王都に到着する予定だ。
最近はそこ彼処に、メイド服を着た獣人たちをよく見かけるようになっていた。
主に午前中は、人間語や四則計算の授業を受けて、午後になるとメイド服に着替えて、窓を拭いたり、洗濯物を干したり、食器を洗ったりとあちらこちらでお手伝いする姿を見かけるようになっていた。
立法府でも、『獣人に関する基本法』が制定された。
この法律は王国内での、獣人の権利を保障する内容が含まれており、獣人たちの家族が到着するまでには、是非とも通しておきたかった法案であった。
「獣人との共存できる国の王に、俺はなる!」
俺は自らを鼓舞する様に、宣言した。
獣人たちを引き取ると言っても、簡単ではない。
肝心な獣人たちの意思も、尊重したいと考えているからだ。
(あの獣人の少女たちが、幸せになるといいなぁ)
柄にもなく執務机でそんな思いに耽っていると、本物の侍女服に身を包んだカレンが紅茶を運んできた。
「粗茶ですが……」
俺は何も聞かなかったかの様に、自然に礼を言いつつ紅茶を一口味わった。
(うん、滑ってる。全国100万人の読者様から、冷たい視線をヒシヒシと感じる)
そろそろ人事異動の季節だ。
今回は大臣ポストの開放に伴って、多くの諸懸案も抱えていた。
何よりも国務大臣のポストだ。
当初は今回の功績を表して、そのままシャラクを国務大臣のポストに就けようと思っていたが、あの後は獣人ハウスで遊んでる姿しか見ていない気がする。
(うーむ。ひょっとしてシャラクは、真正のロリコン変態執事なのではなかろうか?)
まぁーそうは言っても、変態執事の魔の手が及ぶのも、もって二・三日と言ったところだろう。
王家の周りから、犯罪者だけは出さないで欲しいものだ。
それに問題は、目の前の執務机だ。
いくら外交戦争の残務が山積みといっても、処理しなければならない書類の束までもが、堆く積み上げられているのを見るとげんなりとする。
毎日決裁を進めているし、確実に書類の束は減らしている筈なのだが、なかなか減る傾向が見られない。
何なら日々、着実に積み上がっていると言っても過言ではない。
俺は溜息を吐くと、残りの紅茶を一気に飲み干した。
日差しが窓から強く差し込む頃になると、先触れが到着したとの報告が上がった。
窓から王都を見下ろすと、確かに十数台の幌馬車が連なり、王城へと向かってくるようだ。
その光景を見て、俺はホッと安堵の気持ちが湧いてきたが、隣のカレンはジッと厳しい表情のまま幌馬車の隊列を見詰めるのだった。
俺は出迎えの準備を始めた。
ついでにと思い、カレンにはサーシャを呼んでくるように声を掛けた。
すると一頻り考える素振りを見せると、カレンは恭しく奏上した。
「ラウール殿下が、直接お出迎えに行かれるのですか?」
「あぁ、その積りだけど。なにか不都合があるのか?」
俺はカレンが考えていることが、よく分からない。
まぁ、大抵の状況で分からない事だらけであるが、それは女心が分らないとか、そういった類のものではないことは確かだった。
「殿下、此度ばかりは帯剣をお許し願いたく存じます」
カレンは執務室に飾られた、自らの愛剣を見詰めながらそう言った。
「無闇に獣人を威嚇したり、傷つけないんだったら構わないよ」
俺も別段、カレンが獣人相手に暴れ出すとは思ってもいないが、念のため釘を刺した。
「はっ!ありがたき幸せ。出来ればサーシャ様にも城内にお残り頂き、殿下も帯剣頂きますよう、お願いいたします」
「俺も剣を持つ必要があるのか?獣人の家族との初対面だから、出来るだけフレンドリーに進めたいのだが?」
まぁ、俺も国王の立場で帯剣してても、一向に問題ないのだが、理由が分からないと気持ちよく出迎えられない。
「アタシも上手く言えないんだが、なにかがおかしいんだよ」
カレンは壁に飾られた、愛剣を素早く身に着けながら、それだけを言った。
「獣人が百人以上でやって来るから、そんなに気を張ってるだけじゃないか?」
俺はそう言いつつも、いつもの儀礼用の剣から実戦用の愛刀へと持ち替えた。
(まぁ実戦用って言っても、実戦の経験すら無いんだけどね)
俺の愛刀は、王家伝来の……云わば国宝級の逸品で銘を『ムラサキ』という。
一般的な大剣としては小振りで片刃なのだが、確かに使い勝手は一番手に馴染む。
口伝ではドワーフの名匠が鍛えた、伝説のオリハルコンの刀身を備えていると言われていたが、どちらも眉唾物だと思っていた。
しかし、一度実践稽古の折りに使用したことがあったが、その時は王国の正式剣を激しく打ち合った際に、相手の剣を切り落としてしまった。
それ以来、余程の事がない限り持ち出さない代物だ。
カレンの言葉に感化された訳ではないが、今回はその秘蔵の愛刀を、腰に帯びることにした。
獣人ハウスまで幌馬車が乗りつけることになっていたため、扉を開けて向かおうとすると、案の定扉の外には、サーシャがドレス姿で、王族として出迎えるべく待ち構えていた。
サーシャは優雅にカーテシーをとり、品良く一礼して見せた。
「さぁ、お兄様。一緒に参りましょう」
(こんなやる気満々のサーシャを、部屋に押し留めるのが可能なのか?)
そんな思いをスルーするかのように、カレンがサーシャに跪いて申し上げていた。
「サーシャ様。此度だけは部屋にて安全が確認できるまで、お待ちいただけないでしょうか?」
サーシャも俺が愛刀『ムラサキ』を腰に帯びているのを見留めると、直ぐに諦めて言った。
「分かったわ。お兄様も無理はなさらない様に。マルゲリータはお兄様に付き従いなさい」
サーシャの専属侍女マルゲリータも、代々王家に仕えているため、先祖伝来の護身術や治癒魔法を操るプロフェッショナルな侍女だ。
もっとも何故、侍女に護身術や治癒魔法が必須なのか?
そもそも何故、先祖伝来なのか?は、全くもって疑問なのだが……。
とにかくメイド姿の武闘派専属侍女を従えて、獣人ハウスに向かうのであった。
先には近衛兵団の一隊が、幌馬車隊の出迎えに整列していた。
先頭の御者が馬車止めて、降りるとにこやかな表情で近づいて来た。
「いやぁ、予定の日にちに到着できるかと、ヒヤヒヤしました。ところで、こちらに国王陛下が居られるなら、是非親書をお渡ししたいのですが?」
ちょうど此方と視線が合うと、ごく自然に歩みを進めてくる。
胸元から、親書を取り出すかのように手を入れた瞬間……。
不意に横にいたカレンが、俺の前に移動したかと思うと抜剣した。
キキィ――ン!
乾いた金属音が、鋭く耳を劈く。
カレンの剣が弾いたのは、忍者が使う様な“苦無”であった。
「敵襲!全員散開ぃ。国王陛下をお護りすることを第一とせよっ!」
獣人たちの出迎えに、居合わせていた軍務大臣のパテックが、大声で号令を掛けた。
儀礼的に整列していた近衛兵団は一斉に散開し、我々を取り囲む。
各幌馬車から飛び降りた正体不明の敵の数は、三十名前後だろうか。
数の上では互角以上であるが、明らかに特殊任務に特化した手練れである。
俺は加勢したい気持ちを抑えて、城内に向かって走り出す。
いつかカレンから聞かされた、『護身の剣術』という言葉を思い出していた。
後方から投擲された苦無が、直ぐ脇を飛翔する。
俺も抜剣しながら、後方を振り返る。
ちょうど向こうから、苦無を投げようとする姿が映った。
ピキ――ン
(そうだ前の時もそうだった……周囲の光景の彩度が落ちて、全体の時間がゆったりと流れる感覚だ)
相手の手から放たれた苦無は、スクリューのような回転を伴って眼前に迫りつつある。
俺は手にした愛刀で、横一線に薙ぐ。
キキィ――ン!
俺の愛刀は苦無の先端に当たり、一刀両断した。
すると新手が二人同時に、俺に向かって苦無を放った。
両方の軌道は見切っている……しかし、身体はこの感覚の中では、ゆっくりとした動きしか出来ない。
一方は体を捻ってギリギリ躱せそうだが、もう一方の得物に剣が間に合わないのだ。
(最初の苦無を薙いだ一撃は、大振り過ぎだっ!剣の柄でパリィ出来るか?)
その時、目の前に人影が覆い被さってきた。
俺はその人影の勢い付いた重みで、地面に押し倒された。
一方の苦無は頭上を遠く過ぎ去って行き、もう一方は……一体どこへ行った!
俺を身を賭して庇った人影は、カレンであった。
そして……その肩口には、苦無が返しまで深々と突き刺さっていた。
苦無には何やら、緑色の液体が塗り込まれている。
(毒だ!しかも深々と突き刺さっていて、ここでは抜き出せない)
俺はカレンを担ぐ様に背負うと、城内に向けてガムシャラに駆け出した。
「殿下っ!忘れたのか、アタシを置いて先に行け!」
肩口から聞こえる怒声を無視して、分厚い扉に向かって走り続ける。
城内からも兵士たちが、次々と飛び出してくる。
「あと少しなんだ!」
息が上がってきた、肺の中にも熱気が溜まっているかのようだ。
最後の苦無が、分厚い扉に突き立った途端に、城内に転がり込んだ。
ハーッ、ハーッ、ハーッ、ハーッ、ハーッ、ハーッ……。
「カレン!シッカリしろ」
俺は掠れる声を振り絞った。
直ぐに容態を診る。
傷口からは既に、かなりの出血が見られる。
それよりも緊急を要するのは、やはり毒だ。
既に傷口が青く、変色し始めている。
(俺の国って医者はドコにいるんだ?)