Episode.017 俺の国って家臣に恵まれてるよな?
広大な敷地に高い城壁が聳え、周囲には幅の広い堀が巡らされ、巨大な釣り跳ね橋を備えた堅牢な城郭。
ここは覇権帝国のワルダー辺境伯の居城。
その謁見の間では、イッツターン商会のカネスキーたち一行が、ワルダー辺境伯との拝謁の儀に臨んでいた。
「それで残りの獣人どもの身柄を引き取りたいと、そう言いたいのか?」
ワルダー辺境伯は、高圧的な態度を隠すことなく言い放った。
「は、はい。手違いが発生しまして……残りの獣人も無償にて、引き取らせて頂こうかと、その様に存じている次第でありまして……」
カネスキーは汗を滲ませ、何時になく冷静さを欠きながら、交渉を進めていた。
「前回は少女以外は、買い手が見つからないので引き取れぬ。引き取るなら有料で引き取ると抜かしていたではないか?」
「はい。ですから今回は無料、無料にて引き取らせて頂きたいと……」
「足らんな。金額が足らんと申しているのだ。この儂が何も知らんと思っておるのか?」
ワルダー辺境伯はその重厚な筋肉を見せびらかすように、睨み付けている。
「おまえら商会が隣のちっぽけな国に対して、外交交渉に及んでいることぐらい、こちらも耳にしておるわい。どうせ交渉に行き詰って、急に入り用になったのであろう」
そこまで言い放つと、指を三本立てて言った。
「獣人一人に付き銀貨30枚だ。獣人は牢屋に200名は居たはずだから、締めて銀貨6000枚でなら譲ろう」
「い、いくら何でもそれは暴利というもの。そもそも奴隷の少女たちよりも、高値での取引となりますと……」
カネスキーは必死に、値切りの交渉に出ていた。
そもそも賠償金やら、エチゴーヤ商会の残務整理やらで、既に商会としてもかなりの痛手を被っている。
「なんとか当初そちらの意向の通り、無料での引き取りと……いえ、それでは改めて獣人一人あたり銀貨3枚で、なんとか!」
カネスキーはレッドカーペットに、額をこすりつける様に懇願していた。
「それでは話を変えよう。隣のちっぽけな国の名は何と申したであろうのぅ?」
「ろ、ロレーヌ王国のことでございますか?」
カネスキーは発言の真意が分からずに、おずおずと返答した。
「そなたは、あの国の城内に入ったのであろう。城内の見取り図と配置されておる兵の人数。分かる限りの情報を差し出すのであれば、一人あたり銀貨10枚で手を打ってやろうではないか」
ワルダー辺境伯は、得意気な笑みを湛えて見下している。
カネスキーは、これ以上の交渉が無理と悟り、小さく項垂れた。
そして一行は、衛兵に急き立てられるように、謁見の間を後にした。
イッツターン商会のカネスキーたち一行が謁見の間から立ち去ると、側に控える筆頭秘書官のエヴィルダークが傍らに近寄り声を掛けた。
「イッツターン商会もあと数ヶ月も待てば、あの様な無駄銭を払わずとも良かったものを、やはり金勘定しか出来ぬサルは、愚かとしか言いようがないですな」
「あの奴隷どもも、ほとぼりが冷めるまではと生かしておいたが、そちの言う通り正解であったな。もっとも数か月後には、元の奴隷に逆戻り……いや、新たにロレーヌ王国から連れ出したとなれば、一斉に口封じすることもできよう」
ワルダー辺境伯も満足気に答える。
「あとは事が中央に漏れぬように、細心の注意を払わねばならぬのぉ」
「御意。新しき未来の皇帝陛下」
筆頭秘書官のエヴィルダークは、深々と臣下の礼を取るのであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
今日も俺はカレンと共に、剣術の鍛錬を行っていた。
「剣術の強い王に、俺はなる!」
俺は高らかに宣言すると、剣術の鍛錬に打ち込んだ。
今は嘗てカレンに抱いていた、劣等感の様なものは感じなくなっていた。
己の卑屈な考えが剣筋を鈍らせるだけと気付いてからは、肩の力が程よく抜けて、剣速は以前に比べても格段に速くなってきている。
それでも、カレンとの剣術には大きな開きが有ることを、木剣を打ち交わすたびに思い知る。
(昨年、対決した折には、何で勝ててしまったのだろう?まさか、本当に単なる押し売りだったのでは?)
そんな迷いの隙を見逃さず、重い一撃を脇腹に喰らってしまった。
俺は大の字に寝そべると、荒々しい息と共に、脇腹の苦痛に堪えた。
するとカレンは、すぐ隣で恭しく跪いたかと思うと、静かに剣の道について語り始めた。
「不敬とは存じますが、謹んでラウール殿下に、ご指南申し上げます」
「なんだよ。急に改まって……」
「覇権帝国の兵とは、みな一兵卒から将軍を目指しております。有名な帝国の故事がございます。とある将軍が敵の卑劣な策に嵌り、痛い敗退を強いられた合戦がございました。帝国兵はみな口を揃えて、事情を皇帝に直訴して、敗戦の責を問わぬよう訴えたのです」
「その将軍は、よほど家臣からの信望が高かったのだな」
「まるで、ラウール殿下の如くでございました」
俺は少し照れて、後を促した。
「しかし皇帝は敗戦の責を問い階級を一段下げて、後方の閑職に転任を命ぜられました。その沙汰を受けると、迷うことなくその場で将軍の地位を辞して、一兵卒として最前線で再仕官したのです」
俺は古の英雄譚に、耳を傾け聞き入っていた。
「その後三年の内に、その一兵卒に戻った元将軍は武功を重ねて再び、最前線の将軍に返り咲いた。それが帝国兵士が憧れる兵士の姿なのです」
カレンは何やら思い耽った表情をしていたかと思うと、やおら俺とシッカリと目を合わせて言った。
「しかしラウール殿下は、その真逆にならねばいけないのです」
俺は一瞬、意味が分からなかった。
だって、そうだろう。
古の英雄と真逆になれ!と言われては、戸惑いもする。
「意味が分からないんだが、どうして俺は真逆になるべきなんだ?」
カレンは改めて、俺の相貌を見据えて、言い含めるように語って聞かせた。
「それはラウール殿下がこの国にとって、唯一無二の存在だからに他なりません」
そして静かに続けて、語って聞かせた。
「先程申し上げた英雄譚には、続きがあるのです。誰もが憧れ語られるのは、再び将軍に返り咲いたところまでなのです。しかし将軍には年を重ねるほどに老練な戦術も、無敵を誇った剣術も、最前線では徐々に重荷となったのです。そして最後は極大魔法の下に、軍勢諸共滅び去ったのです」
「強い剣士は数多居りますが、真に無敗を誇る剣士など居りはしないのです。今後はラウール殿下には『護身の剣術』、大事なものを守る剣を身に付けて頂きたく、伏して願う次第でございます」
カレンはいつの間にか、本当に平伏していた。
「チョ、ちょっと土下座は止めて!覚えるから、『護身の剣術』覚えるから!」
俺が死んだら、この国が終わってしまう。
何となく、そこまでは理解できるが、俺が目指してた剣術と『護身の剣術』っていうものが何が違うのか?
今一つ実感できなかった。
俺はカレンに立たせて貰いながら、訊いてみた。
「具体的にはその『護身の剣術』とやらは、どうやって身に付ければいいのかな?」
「そうですねぇ。アタシの目指す剣が『蝶のように舞い、蜂の様に刺す』剣だとしたら、ラウール殿下に目指して欲しいのは、『蝶のように舞い、蝶のように舞う?』剣かしらね」
「?……舞ってばかりだなぁ」
「ちょっと、打ち合ってみましょうか?」
(いや。俺の脇腹が、すごく痛いままなんですけど……)
そんな思いと裏腹に、カレンは木剣を本気で打ち下してくる。
脇腹の痛みに耐えながら、または脇腹を庇いながら、剣を打ち合っていく。
そう……暫らく打ち合っている内にソレはきた。
ピキ――ン
(見えるぞ……相手の剣先の軌道が見える……)
相手の剣の軌道を見極め、紙一重で躱す。
すると剣先の軌道が急角度に変わり、先程以上の剣速で俺の脇腹に迫る。
俺は急ぎ、木剣でパリィする。
(パリィ?はて何のことやら)
更に上段から、必殺の一撃が俺の肩口を襲う。
俺は半身で躱して、木剣をカレンの首元に当てる。
気が付くと、カレンの剣先もいつの間にか俺の喉元に突き付けられていた。
両者の剣はピタッと、止まったまま時間だけが過ぎる。
(残身だ……)
やがてカレンの方から、剣を治め一歩引くと深く一礼した。
俺もそれに倣い、同じく一歩下がって礼をした。
やがてカレンは、ゆっくりと口を開いた。
「今の勝負はラウール殿下の勝ちです。僅かに殿下の剣先の方が、先にアタシの首に届いていました。しかしながら、あの瞬間は一歩引くなり、横に体を躱すなりするべきでした。これが実践でしたら、アタシの首も刎ねられますが、次の瞬間には殿下のお命も危うかったのです。アタシと殿下とでは、命の重さが違うのです」
「そんなことは無い。俺だってカレンだって命の重みは一緒だ。命の重さに貴賤なんてあるものか!」
俺は真剣に訴えていた。
するとカレンは、いきなり俺を優しく抱き寄せた。
俺はカレンがこんなにも柔らかく、汗だくのはずなのに、こんなにも優しい香りに包まれていることを初めて知った。
「ラウール殿下はお優しい。その心根は大切に胸の奥にお仕舞い下さい。ただ実践では、必ずその御身の安全を第一に考えて下さい。ギリギリの攻防に於いては、一歩下がる勇気をお持ち下さい。それがアタシが伝えたかった『護身の剣術』なのです」
カレンは俺を抱きながら、いつしか涙を零していた。
俺もカレンの身体を、抱き締め返していた。
まるで時間が止まったかのように、そのまま二人だけの時間が過ぎていった。
(俺の国って家臣に恵まれてるよな?)