Episode.016 俺の国って識字率が高くなるよな?
外交戦争で勝利を飾った、記念すべき日の翌日。
「チュン、チュンチュン、チュン、チュチュチュチュチュ……」
穏やかな日差しは、赤い髪を映えるように逆光に照らす。
ロイヤルブルーを基調とした、王家の侍女服は更に赤いロングヘア―に映える。
窓から延ばした指先に、まるで宿り木と間違えたかのように小鳥が戯れている。
「見知らぬ光景だ……」
薄く目蓋を開きながら、漆黒の瞳が窓際に立つ華麗な女性に注がれている。
パタパタパタパタパタパタ……
彼女の指先に戯れていた小鳥は、朝日に向かって羽搏き去って行く。
振り返った彼女は、明るい笑顔で挨拶をした。
「お目覚めですか。ラウール殿下」
カレンは軽くカーテシーを取りながら、俺の薄手のガウンを手に戻ってきた。
暫らくは侍女、メイド修行として、妹サーシャの専属侍女マルゲリータから、王家伝統の作法などを叩きこまれてきたはずだ。
つまりは本日は、専属侍女の実習1日目と言う訳だ。
俺が薄手のガウンに袖を通すと、タイミング良く訊いてきた。
「目覚めの紅茶を淹れておりますが、こちらにお持ちしましょうか?」
いつもならシャラクだったので、大抵が執務室でモーニングティーを嗜んでいた。
「あぁ、今日はここで頂こうか」
すると隙の無い動作で、寝室から離れて大きめのティーセットを軽々と持ってくる。
(さすが大陸指折りの剣士だけはあるな……)
ガッシャン!ガラガラ、カシャーン……
……っと思う暇も無く見事に、ティーセットを引っくり返してくれた。
(新人メイドのお約束って言ったら、お約束なのだが……この平たい屋敷の中で、どうやったら凄腕の剣客が見事にコケるのだろうか?)
「あらあら、ごめんなさぁい。つい足元が見えなくって」
カレンはなんか、テヘペロしている。
「カレン、ワザとだろう?」
俺は目覚めた瞬間の、新鮮な感動を返してくれ!っと心の中で絶叫したかった。
「申し訳ありません。コケるのに慣れてなくって、三歩目くらいは自然に持ってたほうが良かったでしょうか?」
「いや。ポイントは全然ソコじゃないから!むしろどんなアクシデントでも、平然と持ってきてくれた方が嬉しいから」
「さっそく応用編ですね。アタシもやって見せるわ」
何やら握り拳を作って、やる気だけはみち満ちている。
俺はカレンの中に、シャラクに通じる何か残念な者が共通して持つ、特別なオーラを感じていた。
(これは一度マルゲリータに何を教えたのか?問いただす必要が有りそうだな)
結局モーニングティーは、執務室で頂く事になった。
執務室には、何時の間にやら通商連合との『覚書』の素案が用意されていた。
目を通すとゼロニス外交官による素案となっており、各外交交渉に対する証拠としての供述調書も、連番で対応する様に作られたものであった。
もっともこの交渉内容が、そのまま通るとは限らない。
あくまでもイッツターン商会が飲んだ内容に過ぎない。
ただしエチゴーヤ商会が犯した犯罪と、十貴院の席を持つイッツターン商会の悪事は比肩するに及ばない。
それらを踏まえた上で、素案としては良く出来上がっていた。
「一、本書面の合意ならびに履行を以って、甲)ロレーヌ王国と乙)通商連合の外交事案は、完全かつ不可逆的に解決することとする。」
俺は条文のならんだ、外交文書を読み込むことにした。
すると概ね会議で出されたロレーヌ王国側の要望は、網羅されていることが分かった。
(あとは通商連合の回答次第になりそうだな)
俺は未だ外交戦争が終了していないことを再確認すると、素案に決裁印を押した。
それでもやっとここまで来たか、という感慨も沸いていた。
そんな素案をマジマジと見詰める視線がもう一つ……言わずと知れた、カレンだった。
「よく朝からこんな難しい文章が頭に入るわねっ……ら、れれますわね。ラウール殿下」
なんか舌を嚙みながら、一生懸命侍女に徹しようとしている姿勢は評価してあげたい。
しかし本来持っている良さが失われてしまって、残念な脳筋部分だけが残されているのが痛ましい。
(う――む。見た目も言動も残念なシャラクと、見た目だけは優秀だが、行動も言動も残念なカレンとどちらの方が、より快適な朝を迎えられるのだろう?)
そんなことを考えていたが、今日は朝からシャラクを見掛けない。
「カレン、最近シャラク見ないんだけど知らないよね?」
すると意外にも、その答えは直ぐに帰ってきた。
「いまは離れの『獣人ハウス』にいると思うわ……ですわ、すわすわぁ」
なんか語尾が大変なことになり出しているが、気にせずにスルーすることにした。
因みに『獣人ハウス』という呼び名は、我が王城の数少ない侍従や侍女の間で使われ出した言葉らしい。
なにしろ王城に離れの屋敷なんかたくさんあるのだから、分かりやすい呼び名が必要だったんだろう。
「じゃあ俺たちも、獣人ハウスに行ってみるか」
俺は気軽な外出着に着替えて、離れの屋敷に向かった。
「ニャハハハハ、キャッキャッキャッ……」
獣人ハウスの中からは、様々な笑い声が漏れ聞こえてくる。
扉を開けると、大道芸か?ピエロか?って姿のシャラクがそこにいた。
(まぁ、少女たちも笑顔だから、どんな格好してても良いんだけどさ)
俺と視線を合わせると、途端に念話での会話が始まった。
ピキ――ン
(これはラウール様、おはようございますですじゃ)
ピキ――ン
(なんで、いきなり念話?)
ピキ――ン
(実はここに居る者全てなのですが、どうやら心的外傷後ストレス障害を抱えておりますのじゃ)
ピキ――ン
(いわゆるP.T.S.D.ってことだな。ところで何で念話?)
ピキ――ン
(こうした安心できる環境も大事なのですが、規則正しい生活も重要ですのじゃ)
ピキ――ン
(なるほど。つまり学校生活とか、王城のお手伝いとか日常にメリハリを付けてあげるんだな。ところで、なんで普通に会話しないで念話なんだ?)
ピキ――ン
(そこでラウール様から、みなにお知らせして貰いたいと思うてのぅ)
「いやいや。そういう話なら、シャラクからの方が適任だろう?」
つい口に出てしまった。
すると、皆の視線が俺の方に注がれている。
「はい。これから執事のシャラクから大事なお知らせがありまーす」
「これからラウール国王からの、ありがたいお知らせがあるのじゃ」
見事に言葉が被ってしまった。
「なんのお知らせだい?」
カレンが会話に割って入ってきた。
「実はな……ゴニョゴニョゴニョゴニョ」
俺はカレンにお知らせの内容と、P.T.S.D.の対策について耳打ちした。
「ほう!それは良い提案じゃないか」
カレンは一頻り頷いて見せると、皆に向かって大声で発表した。
「みんな喜べ!ラウール殿下から特別に、学校の時間とお城のお仕事のお手伝いをお許しいただいたぞ」
獣人の少女たちに伝えると、皆は一様に喜び始めた。
「わぁーい、学校、行く!」
「人間語、もっと、知りたい!」
「お城の、おしごと、手伝う!」
「みんな、一緒だ!」
俺はカレンに耳打ちして訊いた。
「なんで皆あんなに喜んでるんだ?勉強と仕事のお知らせだよ」
「何でって?殿下には分からないか。庶民で学校に行ける子は恵まれてるんだ。そして大抵の子は、家の仕事を一日中させられるもんさ」
「つまり当たり前の日常に加えて、学校に行けるって喜んでるのか……」
俺には今一つピンっと来なかったが、目の前の喜ぶさまを見せ付けられると、素直に納得するしかなかった。
(ロレーヌ王国の識字率って、どれくらいなんだろう?)
文官たちに調査させて、あまりに低いようなら今回の賠償金を使って、教育の無償化制度を考えなければいけないか?などと想いを馳せるのであった。
「識字率の高い国の王に、俺はなる!」
「お――――っ!」
獣人の少女たちの、可愛い声が応えてくれる。
何故か?シャラクやカレンも、その声に合わせている。
何かしら有意義な宣言をしたような想いが、俺の中に強く芽生えた。
数年後、このロレーヌ王国に『一町一校、二村一校無償制度』が整う事になるのだが、それはまた別のお話ということにしよう。
(俺の国って識字率が高くなるよな?)