深夜の改行について
この曲が終わったら、ぴったりに声を上げようと待ち構えていた女の黄色い歓声が聞こえ、僕はPCの裏へアマガエルが逃げていったような錯覚にぎょっとさせられた。こういうとき、普通ならゴキブリが這うのだろうけど、今日の神経質さには少しウェットな成分が混ざっているようだった。神経質であることを誇りに思うことによって親しみやすさを獲得した男どもが、人の大股をバカにするための大股で道を歩いている。今やどこにでもいる。なぜならそれが彼らなりの生存戦略だからだ。生存戦略は最適化され、一般化される定めなのだ。なぜ生存しようという意気込みを持つのか、僕にしてみれば生きることで精一杯だった。これにしたってとりあえず精一杯ということにしておいて、自分で引いたその線から出られないように自分を制御しているわけで、他人はみんな、自分が思っている以上に賢いんだ。個人が正当性の確保に躍起になることでしか世界は発達できなかった。一連の流れが分かったなら次の曲を聞け。あの女はとっくに引き金に指を掛けて、曲が終わるタイミングを今か今かと待ち構えている。ボーカルの黒い目を見つめ、その奥に黄金のピラミッドを築き上げている。こうやって飛んで飛んでの展開でしか僕はもうここに立っていられないし、それすらも宣言しておかないと不安で仕方がない。あの歓声はどうしても、僕に向けられたものではないのだった。
改行を挟めば何かが一新されると思っている。ここからはまた温め直し、左上のメニュータブから新しいファイルを選ぶ、そんなイメージだった。
すぐさま段落を切り捨て、再度改行することによって以前の短い文章は静寂を演出する役目を担うことになる。これは僕が長年、小説を読んできたことによる研究結果だ。描写や説明が素っ気ないほどに、より効果が発揮され、のちに続くアグレッシブな段落への橋渡しとなる。逆に言えば、熱がないときは下手に細かい段落を出現させないことだ。ねちっこい表現の連続で官能小説を書き上げてしまえばいい。対象が有機物であれば、残念ながら文章のうえではどうしても色気が漏れ出るものだし、仮に無機物たとえばタンスとか椅子であってもそこに残された人間の生活の跡を示すことができれば、それはもう官能小説だ。あえて数学的に、図形を使って説明をしてもいいし、単調な描写の連続であってもやはり感じ取ることのできる官能小説になってしまう。狙わなければ狙わないほどに、漏れ出た自分こそが色気であるし、自覚的でないことも、あまりにも自覚的過ぎることも官能小説を書くには必要なことだ。僕は官能小説を読んだことがなかった。エロ漫画しかない。こういった白状は青春のうちの告白に似ていて、それが終わったら結果はどうだろうとお互い来た道を帰っていく他にないようだ。ずっとしていたのはその帰りの話だった。生存戦略。誇らしげな男ども。黄金のピラミッド。黄色い歓声。ボーカル。アマガエル。そのどれもが僕に向けられたものではありはしない。僕の外で発した出来事と、たまたま見かけただけの僕の内で発された感想を混同してはならない。これまでのことすべて分かっているということを内外へ示すために、僕の引いた線は今も縮小を続け、そろそろ窮屈になってくる頃だ。改行を挟めば何かが一新されると思っている? でも実際のところ現実は小説と違って一次元で表現されないから、改行はない。ならとりあえず寝て、明日起きたときにでも全部リセットされたような気分を味わおうか。つまりは気分だ。同様に改行も気分でしかないんだ。分かったらもう改行はするな。ここでワザと改行してテキトウな情景描写すればオチるかな。じゃないんだ。僕の目の奥には黄金のピラミッドがそびえている。深夜にとりついた万能感を手放すにはまだ何か足りなかった。地域によってはもう朝を迎えている時刻に、僕はその束の間の才能をしがんで眠っている。夢遊病患者の寝床は冷え切っていた。




