表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

4話 近づく理由

「ごちそうさま」

「はい、ごちそうさま」


 お決まりになった夕食の時間。航太と葵は揃って手を合わせた。

 食器を下げると、航太はTシャツとハーフパンツに着替える。ランニングの時間だ。

 玄関で靴を履いていると、エプロン姿の葵がひょいとこちらを覗いた。


「今日はどこまで行くの?」

「……往復10キロくらい」

「そっか。気をつけてね」


 葵の声かけに、航太はただ背を向けて出て行った。


 夜七時を過ぎれば、夏とはいえ日も暮れる。あいも変わらず蒸し暑さは残るが、直射日光がなくなっただけ運動するにはありがたい。

 マンションから五分ほど歩いたところに川がある。両岸が舗装されたその道は、航太と同じようにランニングやウォーキングをする人がちらほら見える。

 息を整え、航太は走り出した。


 あの家での暮らしにも随分慣れた。自分でも驚くほどに。

 夏休みの間いっぱい入れていたアルバイトの予定が潰れ、多方面に詫びを入れることになったのは想定外だった。

 けれどその代わりに、航太は普段の安アパート暮らしよりもだいぶ、正直かなり快適に暮らしている。


 自分の部屋からも荷物は持ってきていたが、生活用品のあれこれはあの女(怪我はこうむったが、世話になっているのも事実なので、何と呼べばいいか決めかねている)が一式揃えてくれた。

 この酷暑において光熱費の類が浮いたのは、思わぬ収穫でもあった。

 いつもならバイト代を切り詰めて生活しているのが、衣食住が保証されていると、こんなにも心安らかになるものかと航太は感心する。


 けれど、生活が穏やかに感じるのは、金銭面のためだけではないことも感じている。


 朝、誰かの気配で目が覚める。

 軽いスリッパの音、冷蔵庫を開け閉めする音、フライパンを熱する音。実家に帰ったような心地でキッチンを覗くと、葵が顔を上げて「おはよう」と笑う。

 一人暮らしのときは、白飯の上におかずもみんな乗せたどんぶり飯が多かった。それがあの家ではご飯に汁物、おかずの皿も食卓に並ぶ。

 そして葵と向き合い、揃って食事に手を合わせる。


 食事中は大した会話はしない。航太から話を振ることはないし、航太が自分のことを話さないと分かってからは、話を振られることもなくなった。


 その代わり、食事中はテレビがついている。ニュースが流れていることもあるが、街で流行りのスイーツなどが特集されているときは、葵の反応も良い。

 仕事柄料理は好きなのだろうが、甘いものも好きらしい。テレビに食いつく様子は、実家の弟妹を思い出す。


 そんなことを考えながら、航太は道を折り返し、帰りのルートに入っていた。

 すると航太の目に、マンション近くのコンビニが目に入った。スイーツも充実していると定評のある大手チェーン店だ。


 普段なら物価の高いコンビニには目もくれず、スーパーで買い物をする航太。だが、今日はなんとなくランニングの道から外れ、店に入る。

 店員の声と冷房を浴びながら店内を見回すと、スイーツの並ぶ棚に行き当たった。


 最近のコンビニスイーツは、そうとは思えないくらい作りも凝っている。

 航太がしげしげと棚を眺めていると、生クリームとスポンジ生地にベリーの乗ったケーキが目についた。時間も遅いせいか、割引のシールが貼られている。

 普段の自分なら手に取らないシロモノだが、しばらく考えて、航太はケーキのカップを手に取った。ついでに同じく割引になっていた、カスタードシューも一緒にレジまで持って行く。


 精算を終え、袋を提げて店を出る。

 ケーキを崩すわけにもいかないので、ここからは歩きになる。


 生活費が浮いたから。たまたま店に入ったから。ちょうど割引になっていたから。それらしい理由を口の中で転がすが、どれも言い訳めいている。

 いつもの食事の礼に、という理由が一瞬浮かんだが、そもそも迷惑を被っているのはこっちなのだ、と航太は頭を振ってそれをかき消した。


「面倒くせーことしたかも……」


 そんなことを考えているうちに、マンションのエントランスについていた。

 ちょうど住人らしきスーツ姿の男性が出てくるところで、それと入れ違いに、インターホンの部屋番号を押す。


<はい>


 耳慣れ始めた声に、まだ言い慣れない言葉を返す。


「……ただいま」

<大丈夫? いつもより遅いから、何かあったのかと思った>

「いや、別に」


 帰りが歩きだったせいだが、その場での説明は濁す。

 ドアが開くと、インターホンの通話を切って、エレベーターに乗る。階数ボタンを押しながら、航太はまだ言い訳を考えていた。


 スイーツの入った袋を差し出す場面を想像する。葵はきっと驚きつつも喜んで、ケーキにあの眼差しを向けるのだろう。


 ──まあ、いいか。

 理由なんかなくても、多分ケーキの方しか見ないだろうし。


 エレベーターが目的階に止まって、ドアが開く。

 部屋の前についてインターホンを押すと、パタパタとスリッパの音が近づいてくる。

 葵の姿を思って、航太は小さく笑みを浮かべていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ