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2話 『こういうこと』ってどういうコト!?

 日は暮れて、リビングにはオレンジ色の照明が点いている。

 いつものように夕食といきたいところだが、葵にはそういうわけにもいかない事情があった。


「と、とりあえず……お茶でもどうぞ」


「……どうも」


 サガミの制服から私服に着替えた彼──菅原航太すがわら・こうたは、眉間に皺を寄せたまま、麦茶のグラスを受け取った。


 話は数時間前に遡る。


 ペット不可の物件を選んだというのに現れたゴールデンレトリバーだかのあの犬は、迷い犬だったらしい。散歩中にリードが外れたとかで、後から飼い主が迎えに来ていた。


 そして葵たちはと言えば階段から落ちた後、なんとか病院に駆け込み、二人して精密検査を受けた。


 葵はほとんど無傷で済んだ。航太は頭など急所への怪我はせずに済んだものの、右腕──葵の下敷きになった利き腕がまずいひねり方をしていた。

 無情にも、医者からは全治二ヶ月と通告された。


「本当にすみませんでした!」


 病院を出た後、葵は航太に平身低頭で謝罪した。


「私のせいでこんなことになってしまって……!! 今日はもちろん、今後の診療にかかるお金も負担させていただきます!」


「当然だろーが、こんな体にしやがって」


 頭を下げた葵のはるか頭上から、地を這うような低い声が聞こえてくる。

 恐る恐る顔を上げると、いつもの爽やかスマイルはどこへやら、航太は般若の面でも被ったような顔でいた。


「部長に問い合わせたら『怪我が治るまで絶対安静』だそうだ。利き腕がこれじゃ他のバイトもままならねーし、この先二ヶ月稼げたはずの俺の家賃、食費光熱費他諸々、どうしてくれんだコラ」


「バ……バイトさんだったんですね。てっきり社員さんかと」


「あーそうだ、大学が夏休みだってシフト増やした矢先にこれだよ。なあ、一体どう落とし前つけるつもりだ、ああ?」


 思わず浮かんだ疑問をそのまま口に出すと、さらに墓穴を掘ってしまったらしい。

 いつもは頼もしく見えた体躯が、今はすぐにも飛びかかりそうな猛獣のように思えてくる。


 葵は必死で考えを巡らせた。

 お金を出すにも限りはあるし……利き腕の怪我では生活もままならないだろう。バイトで生活している大学生にそれは苦しいはずだ──ならば、


「──怪我が治るまでウチで過ごすのはいかがでしょう!?」

「……は?」


 それはさすがに航太にとっても予想外の答えだったらしく、気の抜けた声が出た。


「いやその、私の家で過ごせば光熱費諸々は浮きますし、生活で不自由なことがあればお世話させていただきます! それに私一応料理を仕事にしてますので、三食それなりに手のかかるものをお出ししますが……いかがです……か?」


 *


 ──それで年頃の男の子を家に上げちゃうって、ヤバいかな!? コレ犯罪かな!?


 自分の提案を振り返り、葵は一人頭を抱えた。

 しかしとき既に遅し。話を呑んだ航太はアパートへ寄って荷物をまとめ、今こうして葵の家のソファにかけているのだった。


 さすがに家に上がったからか、航太の先ほどまでの威勢はなりを潜めている。

 が、なにか落ち着かない野生動物のような様子で、そわそわと部屋の中を見回していた。


「えーと……とりあえず夜ご飯です、どうぞ」


「ん」


 差し出された皿を見て、航太の目が見開かれる。

 夕食は、利き腕でなくとも食べやすいようにと葵が作った、トマトのキーマカレーだ。トマトペーストの他、ひき肉や野菜の香りがスパイスと一緒に鼻をくすぐる。


 皿を前にして固まる航太の姿に、葵は不安を覚えた。


「えっと……カレーは好きじゃなかったかな?」


「あ、いや……いただきます」


 ギプスをした手をぎこちなく合わせ、航太はスプーンを手に取った。


「……ンま」


「本当? 良かった!」


 葵がほっとして胸を撫で下ろすと、航太は緩んだ頬を慌てて引き締めた。しかし、スプーンを口に運ぶペースは落ちない。

 葵も喜んで自分の皿に手をつけた。


 航太は結局カレーをお代わりして、食後はやはり律儀に両手を合わせた。

 風呂に入る段になって、葵は手伝いを申し出たが、航太が全力で断った。


(良かった、ご飯が口に合ったみたいで……これくらいで怪我させたことが帳消しになるとは、思ってないけど)


 洗い物を片付けながら、葵は一人航太の様子を思い返していた。


 普段レシピ開発の仕事をしていても、結局食べるのは自分一人だ。時々美沙が来てくれるくらいで、身近に一緒に食事をとる人はいない。


 それが今日は、航太との食卓が心地良かった。言葉数こそ少ないものの、航太が料理を気に入ってくれたらしい様子を目の前で見られた。

 そんな姿に、葵は心まで満たされていくような気持ちになっていた。


(最初は怖い人だと思ったけど、行儀もいいし……案外上手くやっていけるかも?)


 葵がそう思った頃、脱衣所の扉が開いた。


「おかえりなさい、湯加減は……はわ!?」


 葵は思わず声を上げた。そこにいたのは、ジャージのボトムだけを身につけた、上半身裸の航太だった。


「Tシャツ忘れただけだ。そんな反応すんな」


「ご、ごめんなさい」


 首からタオルを提げた航太の短い髪からは、まだ雫が落ちている。片手では上手く髪が拭けなかったのだろうか。


「あの、よかったらこっち座って。頭拭いてあげる」


「あぁ? 別にいい」


「そのまま服着たら風邪引いちゃうよ。いいからいいから」


 そう言いながら航太をソファへ促し、座らせる。首のタオルを取って、優しく髪を拭き上げる。


「ふふ、かゆいところはございませんか」


「別に。てかもういい」


 葵が笑いを零してそう言うと、航太がその手からタオルを奪った。その耳が赤く見えるのは、風呂上がりのせいだけだろうか。


「ちょっと、まだ全部拭けてないのに」


「アンタ、なんか勘違いしてるみたいだけど」


 航太がそう言ったかと思えば、葵の視界はぐるんと反転した。目をぱちくりとさせれば、航太の顔のアップに背景は天井だ。

 少し間があって、自分がソファに押し倒されたことを葵は知った。


「腕のことはゴチャゴチャ言わねえ、実際こうやって世話になってるからな。けど俺は若い男で、アンタとは体格差もある。片手でアンタくらいどーだってできるんだよ」


 ぐい、と腕を引っ張られたかと思えば、葵の頭上で両手首を捕らえられてしまった。


「えっ……と、航太さん?」


「アンタ、お世話してくれるって言ったっけ。生活に不自由があればお世話してくれるって」


「それが何か……?」


 イヤな予感を覚えながらも、葵はそう訊き返さずにいられなかった。

 そんな葵に、航太がぐっと鼻先を近づける。


「アンタのお世話っていうのは、『こういうこと』も込みって考えていいんだよな?」


 航太の言葉に、葵の頭の中はぐるぐると混乱に陥った。


 ──『こういうこと』ってどういうこと? って言うか私、今迫られてる!?

 私、一体どうなっちゃうの〜!?

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